千字文のお手本

     千字文由来


 「千字文」は梁の武帝が周興嗣(生年不明〜521)に命じて作成させたものである。書の大先駆者として2世紀ごろに鍾?(しょうよう)という人があった。この人に千字文があったといわれていたが、その原本はとうの昔に散逸して伝わらない。かろうじて破損したものを東晋の王羲之が写したという。これも散逸したが、周興嗣はこの王羲之の写した鍾?の千字文をほとんど創作に近くよみがえらせたといわれている。
 智永は長年にわたり王羲之の書法を研究し、永欣寺の閣上に30年間閉じこもって「真草千字文」の臨書(手本をそっくり真似て書くこと)を800本も書いたといわれている。そのうち日本に伝来した「真草千字文」の1本が、世界で唯一、現存する真蹟(その人が実際に書いたと認められる筆跡)と考えられ、国宝の『眞草千字文』がそれだと推定されている。
 天平勝宝8年(756年)の「東大寺献物帳」には、「搨晋右将軍王羲之書巻第五十一真草千字文二百三行」という記述が見られる。この「真草千字文」は王羲之の書として日本に伝来したが、実は智永(ちえい)という僧によって書かれたものだということがわかっている。
 「真草」というのは楷書体と草書体のことを表している。千字文は、8世紀には日本でも書道の手本として急速に普及し、広く利用されていたとみられる。

    千字文のテキストは沢山ありますが、ここに示したものは現在私が参考にしているテキストです

   (以下、2019.12.17に一部追加、書き直ししています。)
 智永の『真草千字文』には、関中本(かんちゅうぼん)と宝墨軒本(ほうぼくけんぼん)の2種の刻本のほか、日本に上に述べた真蹟が1本あります。これは個人蔵ですが国宝になっています。 1つ目の写真がその法帳です。特に1行目の欠損がひどいのが玉に瑕です。
 2つ目の写真「関中本千字文」です。刻本ですが、文字は鮮明です。ただし忌み字がいくつかありますので、臨書に際しては注意が必要です。



 3つ目の写真「真草千字文」は私が教科書として使用しているものです。これは宝墨軒蔵帖を原帖としていますが、、欠字・欠損は、上の関中本から補っています。草書は小野田雪堂の字です。これはクリックで大きくなります。



 他に私が面白いと思うものに、明 解縉(かいしん)の草書千字文があります。これは法帳がありませんので下をクリックして外部サイトでご覧ください。
 明 解縉の草書千字文
 明 解縉の草書千字文 楷書ガイド付き
 但しこれらのサイトは中国のサイトのようでいつまで閲覧可能なのか、リスクの有無などはわかりません。

 次は行書ですが、最初の写真は唐代の「歐陽詢行書千字文」です。
 その下が行書として定評のある、元初の趙孟?(ふ)の行書千字文です。その右は「王羲之行書千字文」という書名ですが、編著者の白景山という現代の書家による、王羲之書体の千字文と思われます。
 更にその下にあるのは行書とは関係ありませんが、小川環樹・本田章義注解による岩波文庫の「千字文」解説書です。

     三体千字文テキスト

 最後は三体千字文です。三体とか、五体とかいろいろありますが、ここでは三体の例を2つ示します。
 最初のは明治の書家、小野鵞堂による「三體千字文」です。次が井上千圃の「楽しく学ぶ三体千字文」です。字が大きくて、一画一画思わず力が入った文字が書けるような気がしますので、三体の学習用にはベストかと思います。
 但しすべてのテキストについて言えることですが、テキストの書体はそれそれの書家独自のものがあり、中国の法帳とは異なる字がありますので注意が必要です。