風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     8月〜12月                               旧稿一覧

ここからは、に書いた記事です。


   8月14日  いくらで人でなくなるか

 内外の政治に通じた政治学者でも、最近物忘れがひどいお年寄りでも、一票は一票。民主主義というシステムは、この原則にこそ立っている。20才を越えればどんな人も、「政治的判断ができる」という点では平等だとされているわけである。
 ただし、いわゆる塀の中の人々や公民権停止中の人は別として、政治的な「判断能力がない」とされる人々がいる。裁判所によって財産処分権を奪われ後見人が選任された、いわゆる禁治産者である。彼または彼女は、大人でありながら、私的所有を基礎とするこの社会において、いわば基本的な「人格」をもたないと判定される。
 一方、刑事事件については、少年法適用年齢を越えればどんな人も「善悪の判断ができる」ということになっているのだが、ただしここでも、ご承知のように、その「判断ができない」とされる人々がいる。
 人を殺しても、時には罪にならない。といういい方は穏当ではないが、善悪の「判断能力がない」と判定されれば無罪になる場合があるわけだ。もちろん、殺人者にとって、無罪は大変有り難いことである。というか、これ以上有り難いことはない。だから、精神鑑定を要求して無罪を主張してきた弁護士などは、それを「勝ち取った」といったりするのである。けれども、裁判所が無罪の判決を出したのは、この人は行為責任を伴う「人格」主体ではない、と判定したからである。
 刑事法が専門の佐藤直樹氏は、「刑法上、理性的人間像は、近代になって成立したものだ」が、人間とは自ら自由に判断できる個人だという「その建前が今、限界に来ている」と指摘した上で、「精神障害者を裁判を受ける権利から排除し、『人間』と見なしていない」刑法39条の削除を打ち出しているという(個々の事例は情状判断の中でくみ取ればよいと)。(朝日新聞9日夕刊)
 もちろん、禁治産者も刑法39条適用者も、民法上刑法上の社会的「人格」を奪われても、基本的な「人権」を奪われるわけではないが、では社会的「人格」を奪われた後の「人権」とはどのようにイメージされるのか、またその境界はどこら辺りにあるのだろうか。これは、「人間」というもののイメージに関わる問題である。
 かつて、女性を殺してその肉を調理して食べた男がいた。彼は無罪となって強制入院−強制送還させられたが、結局それほど期間をおかずに退院したという記憶がある。おそらく病院内の言動には、<異常>であるという兆候が見られなかったのであろう。思うにそれは、<治った>ということではなかっただろう。
 もし彼が人を殺しただけだったなら、当然有罪になった。けれども、食肉という行為は、裁判官の「人格存在=人間」イメージを越えていたのだと思われる。もちろんそれは、裁判官の個人的なイメージではなく、現在社会の共同イメージに他ならない。ちなみに、医師の<鑑定>といっても、別の基準があるわけではなく、その机には、社会の共同イメージを整理したリストがあるだけである。
 幼い孫の名前を思い出せなくても、選挙権を認められる程度には充分「人」である。幼いわが子を殺しても、有罪判決を下される程度には充分「人」である。しかし、時に人は、「人」とは認められないことがある。
 とはいえ私は、例えば人を殺しても時に無罪になるのは不当だ、などといおうとしているのではない。また、例えば、有罪になると選挙権は奪われるが、判断能力がないとして無罪となると、逆に選挙権は奪われない、というような不思議な事態が起こるのかどうか。そういったことについても、吟味する能力も知識もないし、さしあたり興味はない。
 ただ私は、どんな社会にも「人」についての一定の共同イメージがあり、それを越えると、「人」として認められなくなり、社会的「人格」を奪われる・・・という、そのことを確認した上で、実は、次の実験を期待したかったのである。
 刑法に関して、無罪となるひとつの限界は、「人肉を喰う」ということにあるらしいということが、かの勇敢な食人者S氏によって明らかにされた。そこで、禁治産者に関しても、勇敢に限界に挑戦する者が現れることを、私は期待しているのである。・・・数万円程度では全く話にならないので、私にはとうてい挑戦資格がない。誰か、せめて10億円できれば100億円程度の札束を用意して、山谷か釜が崎、その他どこでもよいが、そういったところへ行き、札束の帯封を切って全額を撒き散らしてみてほしい。果たして、素晴らしく慈悲深い「人」だと<神聖>視されるか、それともあわてて家族親類から禁治産者の<申請>が出されるか。「人」が「人」でなくなる境は、果たして幾ら位なのだろうか。


   8月15日  偏見だという偏見

 私たちが常識と思っている事柄が実は単なる偏見でしかない、という例はいくらでもある。例えば、世界地図は北が上に描かれるというのは、私たちの偏見常識に過ぎず、南半球の国例えばオーストラリアなどでは、当然南が上に描かれている。ということで、実際に買ってきた、南が上の世界地図を見せる教員がいたりする。異文化理解というのは、自分の属する文化の常識を相対化することから始まるのです、と。
 私はどこへ行ってもあまり「見聞」しないので、南半球でも地図を意識したことはないが、確かにそういう地図は売っているらしい。ただそれは、北半球の人々のお土産用に特別に作られたものだそうで、つまり、北半球に住む私たちは、自分たちの偏見の自省を愉しむという、屈折した精神の持ち主だということらしい。あるいは、そういうところを見抜いてわざわざ逆転地図を作った豪人の商魂に感心すべきなのかもしれないが。
 ヒトのことはいえない。私も実際、そういう先生の話を聞いて、なるほどと感心した経験があるのだから。多分他にも、自分の偏見だろうと思っているその自省が偏見だったりすることが、いくらでもあるのだろう。
 
   8月16日  遠いが近い

 戦後61年。戦争体験のある人々はこれから急速に少なくなってゆくが、それでも、例えば太平洋戦争期に15〜19才だった人がいま80才なのだから、いまはまだ、語る気があり聞く気があれば、「私が君たちと同じ年齢だったときには・・」という語り伝えが充分成り立つ。
 誰でもよいのだが例えば植木等は26年生まれで、ちょうど上に挙げた年齢に当たる(ちなみに彼の父親は骨のある反戦家で投獄された経験もあるらしく、読んではいないが、植木は父の伝記を書いている)。
 そこで、つまらない計算をしてみよう。もうひとつ遡って、その太平洋戦争期に80歳代だった人はいつ頃の生まれになるだろうか。驚いたことに幕末である。植木等はともかく、いま80代の人が、昔近所のお年寄りから、日清戦争や日露戦争はもちろん、西南戦争どころか鳥羽伏見の戦いのことを聞いたことがあるとしても、少なくとも計算上はありえないことではない。
 全ては、遠いようで近い。あるいは近いようで遠い。

   8月17日  15年戦争

 ヒマネタで年齢計算上「太平洋戦争」と書いたので(^_^;)、ひとこと補正だけしておこう。
 例えば、あの戦争で日本はアジアを植民地化していた西洋列強と帝国主義戦争を戦ったのだとか、東京裁判は勝者による裁判であったとか、などなど、あるモメントだけみれば間違ってはいない言挙げをして、さてそれでどうするかというと、戦争を正当化したり戦争責任を棚上げにしたりする。盗人にさえ三分の理、ましてや複雑な歴史過程で一方の側に<理>が皆無であるなどというわけはない。だがもちろん、問題は、二分や三分の理ではなく、トータルな歴史である。
 41年12月に、少なからぬ人々は、それまでの中国への軍事侵攻とともに心理的負担として蓄積されてきた、後ろめたさや鬱屈からの一種の解放感を感じたのだった。その限りでは、当時すでに、明らかに連続した戦争を、非連続なものとして了解したいという心理があった。
 どう言い繕っても、少なくとも31年以後の中国侵攻はアジア「解放」だとは言い張れないし、どう考えても中国を「應懲(ようちょう=こらしめ)」するという<理>は、西洋列強を相手とする戦争の<理>に比べて、弁護が厄介だ。そこで、連続した15年間の戦争が、41年12月で句切られる。
 だがもちろん、41年は少なくとも31年からの延長上にこそあり、ごく簡単にいっても、日本が中国から撤兵していれば、日米戦争はなかった。
 あの戦争での全ての<理>は、切り取られた最後の3年数ヶ月だけでなく、最低限「一五年戦争」のトータルな歴史の中で検証されねばならない。当たり前のことなのだが。

   8月18日  夏草や

 案内雑誌で、小さな「美術館」を見つけた。「夜の美術館」の名前通り、山の上の元民家に、バリ島の画家たちの絵を並べ、喫茶室を設けて、夕方から夜だけ開いているらしい。  バリ島には画家村というのがある。光や風のよく通る大きい家の各部屋がアトリエになっていて、私たちが訪れた時も、若者たちがそれぞれ個性的な絵を描いていた。出来上がった絵には、観光客が買うことができるように値札が付けられている。
 少しだけ絵を買って、彼らと話をした。そういえば、中に、日本へ行きたいという若者がいた。
 さて、3年前の雑誌なので少し頼りないが、掲載された地図を片手に「夜の美術館」を探してみた。だが、見つからない。坂道を車で行きつ戻りつ。そのうち、遂に、それらしき家を見つけた。登り口の錆びたチェーンを跨いで階段を上ってみると、茫々たる夏草。元美術館は、廃屋になっていた。

   8月25日  煩悩深き秋

 メールをもらいました。以下、多少改変要約ですが、
 「ばななの父は、靖国参拝について、小泉を手放しで擁護しているようです。
 さもありなん、なのか、いくらなんでも、なのかはわかりませんが。
 「大衆の原像」を論拠とすることが、結局は、既存の現状、既存の権力を肯定することになってしまう。
 言いたいのは、吉本個人のみじめさということではなく、なぜ吉本があんなにウケていたのか、ということです。「大衆の原像」という「思想」が、大衆にではなく、逆に多くのチシキジンにすごく受けていたのは何故なのか。」
 私の返信、
 「・・・・・なるほど。全く知りませんでしたが、さほど驚きはしません。どちらかというと、「さもありなん」ですね、私は。でも、メール末尾の問いは余りにも大きすぎて、私には到底答えられません。
 それでも、いますぐ無理にも何かいえというなら、彼の文章は全くチシキジン世界を出ないということがひとつ。だから「大衆」は「像」でしかない。それと、同じことですが、非常に抽象指向が強いということがひとつ。だからその像は、強引に「原像」だとされてしまう。
 結局、彼は、ヘーゲルになりたかったのでしょうね。もしかすると、なったと思っているかもしれません(少なくとも、フーコーよりは上だと思ってるようですし)。でヘーゲルでもお父さんでも、観念の中で全てを説明し切るためには、現状肯定に帰着する他ありません。というのも、生起しつつあることは完結しないゆえに、それを取り残して死ぬわけにはゆかないからです。
 もし「思想」なら、壮大な開き直りの思想でしょうか。素直に軍国少年になって、だが敗戦を迎えたり、素直にブントに入れあげて、だが逃げたり。だから彼は、もはや自らの素直さを信じられず、韜晦を連ねて「勝った、勝った」と開き直る道を選ぶ他なかったのでしょう。おそらくそれは、とりわけ詩人としては、かなりストレスのかかる道だったことと思います。お疲れさまでした。
 あ、そうそう。何故受けたかですか。そんな難問にはとても発言できませんが、例えば、機動隊に追われてそこまでやれないと逃げ帰った夜、いつものようにお笑い番組とかナイター中継とかを流しているテレビの前で、二重の意味で馬鹿にされるだけの自分と思えたとき、残された自尊心を撫でてくれる癒しの本だったんじゃないでしょうか。何しろ、自分を馬鹿にするに違いないと思われる人たちを、頭ごなしに馬鹿にしてくれるんですから。罵倒の技術はともかく一流。
 ちょっといい過ぎました。一度鎌倉か江ノ島かで溺れたのですし、せめて老後は穏やかにあることをお祈りしたいものです。でも、やっぱりなお波風を立てていたいのが、煩悩というか、生きる証なのでしょう。哀れというも愚かなり・・・もちろん私も含め誰にとっても、人生なんてそんなものなのでしょうね。多分。」

   8月某日  そんじょそこらの俗人ばら

 (承前)自分は「そんじょそこらの俗人ばら」ではないと、孤立的連帯の道を歩き始めた筈だが、気が付けば逆に、「そんじょそこらの俗人ばら」に無視され馬鹿にされる自分がいて、思わずひるめば、所詮お前は「そんじょそこらの俗人ばら」じゃないかと日和る心を見透かされ、馬鹿にされる。どうすりゃいいのさこの私・・・
 ・・・夢は夜開く。「そんじょそこらの俗人ばら」には到底読めない難しい本を読む自分は、もちろん「そんじょそこらの俗人ばら」ではないが、しかし日和って何故悪い、家庭大事のそんじょそこらの俗人ばらで何故悪いと、「そんじょそこらの俗人ばら」には到底分からない言葉で開き直れば、勝った勝った、オレを馬鹿にしたそこらの有象無象こそがみんな「そんじょそこらの俗人ばら」に見えてくる。
 注:「そんじょそこらの俗人ばら」という語は、井上光晴から借りたものです。そういえば、『全身小説家』というのを見たいと思いながらまだ見ていないのを思い出しました。

   9月某日  牛を食べる、牛を食べない

 アメリカ産牛肉が、案外売れているらしい。過去のアンケートでは、不安感をもっている人がかなり多かった。だからもっと拒否反応があると予想して、再開後の輸入を手控えたところ、売れ行きが予想以上で、品薄になっているとか。おそらく、少なからぬ人々にとっては、「不安はゼロではないが、それでも安いし・・・」、ということなのだろう。  国民の生命を、戦争屋ブッシュへの手みやげ程度にしか考えていないコイズミ。だが、そんな彼を選んだのは多数者である<人々>であり、そして、彼を選んだ<人々>はいま、不安をもちながらも、安いアメリカ牛肉を食べようとしている。
 一方、そんな<人々>のことを腹立たしく思い、自分はそういった<人々>ではないと自認する人たちは、<賢明にも>きちんと原産地を確認して、国産牛を買う。ちなみにコイズミもまた、日頃から高級料亭で国産牛を食べているのだが。
 そこで、更に<賢明な>人々が、むしろベジタリアン、ヴィーガンとなっているのであろう。限りある農産物を、餓死線上にある人たちの食料にする前に家畜の餌にするという罪深さについては今おくとしても、肉食は、危険である以前に、有害である。身体にとっても地球にとっても。そのことを知らずに肉を食う者は、喫煙者や肥満者などなどと同じく、<愚かな>者たちである。ましてや、安いからといってアメリカ牛を食べるのは、愚かさの極まりである。
 このように、<自然的に>生きることに<頑な>な現代の賢者たちは、「そんじょそこらの俗人ばら」とは違うのである。
 さて、私はといえば、<人々>に対する思い上がりが自分にはないことを願うが、でもアメリカ牛は、食べないつもりだ。

   9月某日  残酷の隠蔽

 板東直子氏とかいう作家が新聞コラムで、飼い猫が生んだ子猫を崖下に投げ捨てていると書いたのをきっかけに、多少の議論が起こったらしい。
 氏の言い分は、どうやら、子猫殺しを隠さず書くことで、現代文明社会が隠蔽している残酷という現実を、人々の前に改めて突きつけているのだ、ということであるらしい。なるほど。屠殺を隠蔽してステーキを貪り食うのが現代社会であれば、氏の猫殺しは、人々に突きつけられた屠殺の真似事のつもりなのでもあろう。
 しかし、ふりかえれば屠殺だけではもちろんなく、文明社会は、レバーひとつで糞尿を隠蔽し、袋入りの精米で田の草取りを隠蔽し・・・ている。とうの昔に、パンツこそ「隠蔽=文明」の象徴だと喝破して、議員にまでなった人もいるのである。
 そんなわけで、残酷の隠蔽を突きつけるべく時々子猫を殺すという板東氏は、当然また時々、パンツも付けず裸に泥をなすりつけて玄関先で尿を撒き、文明社会の告発を実践しているのでもあろう。
 しゃらくさい話である。結局、残酷だけが目的なのだ。

   9月某日  生きていた兵馬俑

 2000年の間地中に眠っていた秦の始皇帝陵の兵馬俑が、偶然発見され、次々と掘り出されて世界を驚かせたのは、30年ほど前のことだそうです。私は以前、池袋で開かれた展示会で実物を見ましたが、一人として同じ顔がいないといわれる見事な地底の軍隊に圧倒されました。
 ところが16日に、世界遺産にも登録されているその兵馬俑の兵士の一人が、何と、生きているということが分かり、世界中に驚きのニュースが走りました。ただし、残念ながら僅か数分間のできごとだったようで、実に惜しいことでした。
 それにしても、最初のニュースでは警備の警官の観察力に驚いたのですが、その後配信された写真をみると、誰が見てもすぐにドイツ人と分かる顔をした若者です。衣装やブーツはは手の込んだものを身に付けているのに、肝心の顔は、髭も剃らず泥も塗らずに、実に不謹慎です。やるならせめて1時間は見破られないよう、真面目にやってほしかったと思います。
 ちなみに、9月16日といえば、大杉伊藤が甥と共に警察署内で虐殺された命日です。
   9月某日  車を洗う

 車を洗った。といっても、フロントガラスだけである。といっても、ウォッシャー液を出してワイパーを動かしただけである。
 普通の意味の、車を洗うという習慣はない。余りにひどい鳥の攻撃跡がついたといった、特別の事情があれば別だが、普通は天然シャワークリーニングつまり雨だけである。今の車も、買ってから1年だが、もちろん1回も洗ったことはない。いや、定期点検に出した時に、ディーラーの方で洗ってくれているかもしれないが。
 ボディーなどはどうでもよいのだが、最近は安いセルフサービスのスタンドを利用するので、ガラスが困る。小雨の後に埃を含んだ風が吹いたのか、今朝は、車を出して気が付くと、前が磨りガラス状態。
 というわけで、走りながら、ガラスを洗ったのであった。
 
   9月某日  本物のデモ

 いやあ、兵馬俑のニュースを取り上げた以上、これは絶対見過ごせないですなあ。
 しかも、これはもう何も手を加えないで、そのまんま引用する他ないでしょう。
 「繁華街を特攻服姿の集団が、グループ名や自分の名前を大声で叫びながら歩き回る「徒歩暴走族」が、札幌市内に、“冬季限定”で出現している。北海道は冬に積雪でバイクや車での暴走が出来ないことから、このような方法で勢力誇示しているもので、大声を出したり、暴力行為など迷惑行為や事件を繰り返している。」
 暴力行為というのですから、実際には実に困ったものなんでしょうから、決して期待族のように面白がってはいけませんが、それにしても、「自分の名前を大声で叫ぶ」ってんですよ。たまりませんなあ。プラカードなんかも持ってるのでしょうかね。それともチンドンでビラを撒くとか。
 願わくば、いつまでも自分の名前だけをを叫んで頂きたいものです。いうことがなくなると、つい、「ホッポウリョウドなんたら!」なんて叫ぶ方がカッコいいなんて思えたりしますからねえ。

   9月某日  実は韓国好き

 「韓国人と日本人の間には歴史的に見て反感があると考えられているが、かなりの数の日本人が韓国人に生まれていたらよかったと思っていることが、世論調査によって明らかになった。「真露週報」が1010人を対象に実施した調査で明らかになったもので、Wカップの共催や韓流ドラマの流行、プロ野球やJリーグにおける在日来日韓国人選手の活躍、などが影響しているとみられる。
 調査によると、50歳以下の日本人では、約3分の1の32%が韓国に住むことを望むと回答し、日本が理想の故郷と答えた人は23%。定年後に移住したい国としては、37%が韓国を挙げ、日本に住み続けたいと回答した人の30%を上回った。
 また、冬のソナタのロケ地巡りをしたいという人の方が、四国八十八箇所巡りをしたいと思っている人より多いとの結果も出た。さらに、40%の人が、焼酎では韓国焼酎ソジュが最高だと考え、伝統的な日本焼酎を選ぶ人は5%に過ぎないことも分かった。」
 いやいや、このニュースにある、イギリスとフランスの関係を書き直したものですが。でも数字は変えていません。そんなものなんですかねえ。ほんとだとすると、やっぱりヨーロッパはある意味怖ろしい(^^;)。壁が低いというより、壁は欧州の外側にあるのでしょう。

   10月某日  森繁

■ * 森繁  なまじ男子誕生で、かえって事態がこじれたともいえます。例のことですが。規則変更をし難くなり、このまま推移すると、いずれ候補者がたった一人になってしまいます。いや、そういうことをいうこと自体がいけません。心痛の余り神経を病む方まで現れては、人権問題です。
 とはいえ、制度をまるごとなくしてしまうのは惜しいという意見も分かります。巨額の維持費はかかりますが、純粋な儀礼やお付き合いは雲の上の専門職の方にこなして頂けると、政治家連中には何かと便利なのでしょう。それでも、生まれた瞬間から特定の専門職だけの人生を強制するというのは、人権侵害に他なりません。
 そこで私は、もうずっと前から「森繁」プランを提唱しているのです。いや、提唱した頃は、森繁氏はもっとお元気だったからで、今なら、別人でよいのですが。  ニクラウスとかベッケンバウアーとかはちょっと古いですが、今年で引退するシューマッハーなど、皇帝とか帝王とか呼ばれる人物は世の中いくらもいます。それどころか、ペンギンや手術の名前まで、そう呼ばれているのですからね。その種の名称は、普通名詞というか普通の冠名称と思えばよいのです。
 というわけで、我が国でも、例えばナベツネとかエビジョンイルとか、あだ名をつけられるほどの御仁は、えてしてまた、やんごとなき名前で呼ばれます。いや、巷の中小企業とか団体など、皆様のまわりにも、案外そう呼ばれる御仁がいらっしゃるのではないでしょうか。
 そこで、やはり旗だけは味気ないということなら、いささか畏れ多いことながら象徴も普通名詞と考え、それも「民営化」でどうでしょうか。例えば森繁氏、でなくても、どなたか押し出しが立派でお言葉なども堂々と述べることができる方に、一定期間、専門職を勤めて頂くという案なのです。もちろん最高給で。森繁氏がご老体で申し訳ないなら、水戸黄門を終わった人が順になる、と決めておけばよいと思います。
 名案だと思うのですがねえ。・・・だめですか。ア、ソウ。

   10月某日  銀河鉄道

 松本零士と槇原敬之がもめているらしい。槇原の歌詞の一部が、『銀河鉄道999』の星野鉄郎のことばに「そっくりだ、謝れ」と松本が抗議したので、レコード会社幹部が訪れ、意図的ではないが記憶の断片にあったのかもしれないと謝罪したとのこと。せいぜいその辺りで止まればよかったのだが、松本が「本人の口からきちんと謝れ」といったもので、槇原も「そこまでいうなら、法廷で争ってもいい」と反撥。全面対決の様相だという。
 「夢は時間を裏切らない / 時間も夢を決して裏切らない」(槇原)と、「時間は夢を裏切らない / 夢も時間を裏切ってはならない」(松本)か。・・・なるほど、確かに似ている。「そっくり」だといえば「そっくり」だ。
 しかし、大人げない話ではある。
 槇原は、「そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の“銀河鉄道”というタイトル自体、先人が作った言葉ではないのかと言いたくなる」といったといったらしい。それもまた大人げない言い返しであるが、しかし確かに、「銀河鉄道999」は「銀河鉄道の夜」がなければありえない作品であることは誰もが知っている。
 先日の哀れな「こっそり剽窃」画家などは論外だが、宮沢賢治の物語が松本零士のマンガを触発し、松本零士のマンガが槇原敬之の歌を触発する・・・結構なことではないか。  「知ってて使ったのですか。サビの部分、私のマンガとそっくりですね。」「あ、そうなんすか。すみません、知ってたら一言御挨拶したのですが・・・記憶の中にあったのでしょうか、知らないまま、思わず使ってしまいました。」「いやいや、光栄ですなあ。若い人に無意識に使ってもらえるとはねえ。大体、私の銀河鉄道999という題名も、汽車が夜空を旅するというアイデアも、宮沢賢治のパクリなんですわ。ははは。芸術はパクリですからなあ。パクリ種をもとに、どれだけのものを創造できるかが勝負ですよ。」「はあ、じゃあ私も、せいぜいマンガを読ませて頂きます。」「そうそう、大いにパクッて、いい歌を作ってくれたまえ。」
 ・・・てなことにならないのかねえ。ならないのだろうあな。

   10月某日  太田光と中沢新一

 先日買って読んだ本のことを書こうと思うのだが、何となく気が重いので、つまらない話からはじめる。
 昼食時、よく行く店が満員の上、時間がなかったので、回転の速そうな店に入った。  首からIDカードを下げたままのサラリーマンが多い。隣の客が「日替わり定食」といったので、早そうだと思い、「今日はは何?」と聞くと、「豚カツと鮭フライト鰯フライと・・」という。「じゃ、鰯フライで」といったら、「いえ、それ全部入っているんです」とのこと。確かに、それ全部に卵やハムやサラダまでもが一緒に乗った大きな皿が、アサリの味噌汁と漬け物と小鉢と一緒に出てきて、それで1000円札にお釣りをくれた。
 帰りに本屋に寄ってみると、目立つ棚に太田光の『憲法九条を世界遺産に』があって、それなりに売れているようだ。前に見かけたときには買わなかったのだが、電車本用に、隣にあった井上ひさし・永六輔・小沢昭一の鼎談パンフと一緒に買ってみた。そちらの方は、読むためというよりご老体お三方へのカンパのようなつもりで、失礼極まりないのであるが。
 ということで、問題の本なのだが。
 太田光は、確かにただ者ではないが、中沢氏はやはり、何というか、のっけから太田に「日本の思想界の巨人」といわれて、怒るでもなく言葉を遮るでもなく、「思想界の巨人ねえ(笑)」とやに下がっている。自分は、お笑いの人たちとは違って日頃から「鋭い」ことをいっており、この本でも「とんがった思考を展開」しているのだそうである。私などは、少なくともこの本では太田の方が<鋭い>ようにも思えるのだが、自分の方がトレーナーで、私にぶつかってくれれば鍛えてあげましょう、てな態度。ま、微笑ましいというか何というか。尊大にも嫌味にも聞こえないから、この人は、多分人柄がいいのだろうと思う。
 で、対談の中身である。田中智学といえば「八紘一宇」という語を作った国家主義者だが、前半は、あの宮沢賢治が晩年、その田中に<いかれて>しまったということを巡る議論である。大方の賢治の愛好家や研究者が、田中への傾倒を無視するか一時の誤りとすることを批判しつつ、どのような道を通って正義と愛が時に人を殺すのか、を太田は執拗に問おうとする。
 だがそれは、まさにオームへの問いでもあるから、当然太田はそこに言及する。けれども、やはりその話題は避けたいのであろうか、中沢は最初、太田発言にひとことも反応しない。しかし2度目に太田は、あのとき中沢さんは傷ついたでしょう、と、逃れられない問いかけをし、なお「そのとおりです」としかいわない中沢に、あそこで「中沢さんが自殺」することで「自分が傷ついたということを表現するのも一つの方法だったんじゃないか」というような思い切った言い方までして、中沢氏を当事者として何とか話の場に引き出そうとする。
 それでも中沢は、少なくともこの本の中では、何もいわない。「言い訳けしない」というのが、当時も今も自分の態度だというのである。その一方で彼は、ハイデッガーを引き合いに出して、ハイデッガーは自分が一時ナチスにいかれたことについて一言も語らなかったが、しかし「その哲学は不滅である」、という。おそらく、自分もまた、オームに入れあげたことについて何もいわないがその思想は不滅である、と思ってもらいたいのであろう。
 もちろん、それはよい。何しろハイデッガーは20世紀思想界の巨人らしいし、中沢新一氏も同じく「思想界の巨人」である。ハイデッガーとナチス、中沢氏とオーム、いずれについても、巨人の行動や思想を論評することなど凡人にはできない。さらにまた、言い訳けはしないという態度を貫くというなら、それも当人の判断であって、それについてとやかくいうつもりも私にはない。だから、それはそれでよいのである。
 ただ、それなら、他人について、おしゃべりが過ぎないか。ナチスと自らとの関わりについて黙して語らなかったハイデッガーを高く評価し、自分もまたオームとのことは語らないと繰り返すその一方で、宮沢賢治の田中智学との関わりについては、研究者が何もいわないのはいかんと、他人事のようにしゃべるのは、不公平というものではないか。
 宮沢賢治の愛好者や研究者も、同様にいう権利をもっているだろう。宮沢賢治もまた一時「政治的に失敗」したが、そのことについては語る必要はないのであって、賢治は近代童話界の巨人として「不滅」である、と。
 だが、中沢はいう。宮沢賢治の研究者たちは、賢治の国家主義への関わりを「語りたがらない」か、あるいは「一時的なこと」だとして「すまそうとしてきた」が、それは間違っている、そういうことは「隠してはいけない」、と。そして、「彼が信じたものは何だったのか。なぜ彼がそちらの方向にいったのか」という太田の問に対して中沢は、「そこを解明できないと」「一歩も先へ進めない」、というのである。
 なるほど、と私は思いを変えたのであった。なるほど。人は常に平和の旗を掲げて戦い、あるいは愛こそが時に人を殺す。平和と愛を語れば戦争と殺人から離れていられると信じて疑わない浅はかな凡人には、平和と愛の作家宮沢賢治の国家主義への傾倒は、一時の「政治的失敗」にしかみえない。だが、実は、宮沢賢治の「政治的活動」と「童話の創作活動」は、「深くつながっている」のであって、「危険な政治思想への傾きは見えないように隠して」「童話の世界だけを、高く評価してきた」研究者たちは間違っていた。「ここのところを隠してはいけない」。なるほど。
 なるほど、とさらに私は考えた。同様に、浅はかな凡人にとっては、ハイデッガーのナチスへの傾倒もまた、一時的な「政治的失敗」にしかみえないが、彼もまた、いや彼こそは、常識的知性なら敬遠するだけの神話的領域に、何ものをも恐れることなく踏み込んだ「思想的巨人」であって、賢治の「政治的活動」と「童話の創作活動」が「深くつながっている」ように、ハイデッガーの「政治活動」と「思想」とは「深くつながっている」のでもあろう。彼のナチズムへの関わりは、ある時代条件の中で、巨人である彼がまさにある領域に踏み込んだという思想的できごととして読み直されるべきである、ということになるのであろう、と。
 だが、またも私は、自分の浅はかさを知らされる。中沢は、ハイデッガーのナチスとの関わりを一時的な「政治的失敗」とした上で、それは、彼の思想の中に「痕跡を残していない」というのである。痕跡がないものは、彼の思想と「深くつなが」ることもできないし「隠す」こともできない。痕跡のないものを取り上げて論難したりするような評者は馬鹿である。
 分かっている。私は誤読しているのであろう。ハイデッガーや中沢氏が「傷ついた」「痕跡」とは「危険な政治思想」に「傾」いたことではなく、そのことを浅はかな凡人から<非難された>ことをいうのでもあろう。だが私は、そういう甚だ次元の低い話から救うために、太田にならって、敢えて誤読する権利を行使しているのである。ちなみにその権利については中沢氏も大いに賛成している。
 結局、ナチスとの関わりに触れないでハイデッガーを高く評価したり、オームとの関わりに触れないで中沢氏を高く評価し「思想界の巨人」と讃えるのは構わないが、宮沢賢治の場合は、田中智学との関わりに触れないで評価するのはダメだ、と、簡単にいえばそういうように私は読んだが、もちろんそれは、私の誤読であるか読みの浅さによるのであろう。とにかくそんなわけで、途中から何となく白けてしまったのを何とか騙して、一応最後まで読んでみた。
 すると、一番最後に、中沢氏は、次のことばで対談を締めくくっているではないか。自分は、「世界を変えたいという、狂気じみた願いにとりつかれている」のだ、と。私は最近とみに健忘症ではあるが、かつて、松本千津夫という、「世界を変えたいという狂気じみた願いにとりつかれた」男がいたということ位はまだ覚えている。
 太田光がこの本の中で執拗に問いつめようとしたのは、「世界を変えたいという狂気じみた願い」は、どこで、どうすれば、殺人や戦争に向かわないですむのか、すまないのか、という問題だった筈である。だが何のことはない。一時的に「傷ついた」がもはや「痕跡」が残っていないらしい中沢氏は、気の毒な宮沢賢治だけをまな板に載せていろいろしゃべった後に、堂々と松本某に戻って終わるのである。
 以上、浅はかにも、また心ならずも、思想界の巨人である中沢氏に対して、甚だ失礼な物言いをしてしまったことをお詫びしたい。大方私の誤読であろう。全体としては、かなり面白く読ませて頂いた。他人にも勧めたい本である、まじめな話。

   10月某日  社会の歴史

 中沢新一氏の叔父さんが網野義彦氏だそうで、そのことを書いた本の評判がよいらしい。中沢氏のつながりで、ということではないのだが、たまたま寝る前に読む本がなくなり、まだ読んでいなかった網野氏の『日本社会の歴史』を買ってみた。新書版で3冊である。  昔は唯物史観というのが一世を風靡していたが、いまは司馬史観に交代したように、史学方面でも昔は大塚史学というのがあったが、何といってもいまは網野史学である。「これまでの日本史の常識を次々と覆した」といわれ、研究者の世界を越えて、大きな影響を与えている。網野氏の名前を聞いたことがなくても、「もののけ姫」を見て、自分がもっていた「日本史の常識を覆された」人も多いであろう。
 そんな網野氏がはじめて書いた通史である。面白くない筈がない。新聞の書評などでも、「日本史の常識を覆した」という決まりことばがまたも使われている。というわけで、期待をもって読み始めた。ただ、そもそも肝心の「日本史の常識」そのものの持ち合わせが怪しい私には、網野史学のほんとの面白さが分かっているのかどうか、いささか心許ないのではあるが。
 例えば、「日本というひとつの国はない」というのが、網野テーゼのひとつである。日本なんてものは、昔からあったのではなく、ある程度のまとまりができてからも内に単一でなく、外にも決して閉じてはいない。あるいはまた、有名な「百姓は農民ではない」という網野テーゼもある。百姓は、一つの村に縛り付けられ営々として田畑を耕す農民ではなく、勝手に往来し勝手に生業を営み、多様な縁を結びまた縁を切りつつ、それぞれの時代を自由に生きてきた。
 でまあ、そういう予断が正しいかどうかは別して、期待をもって、「日本社会の歴史」というのを読み始めたのであるが。・・・ ところが、何だかどうも様子が違う。
 ところで、突然であるが、もとはマンガで映画のシリーズも作られた、『ビーバップハイスクール』というのは結構面白いらしい。いや別に、私が実際にみた映画ということで『スイングガールズ』でもいいのだが、やっぱりもうちょっとワルの方がよい。・・・などと書くと、一体何の話かといわれるだろうが、網野史観ビバップハイスクール説というのを、私は今思いついたのである。
 「百姓」という語を例えば『大辞林』でひくと、「農業に従事する人、農民」と出ている。ところで、同じように辞書で「生徒」という語をひくと、「中学校・高等学校で教育を受ける者」とある。百姓といえば「田畑を作る者」で作らせているのがお殿様、高校生といえば「教育を受ける者」で教えているのが高校教師。前近代社会は<領主−農民>関係で捉えられ高校は<教員−生徒>関係で捉えられる。余りにも当たり前の辞書的「常識」である。だが、当たり前の常識ほどつまらぬものはない。
 網野氏は、実に、そのような、面白くもない辞書的常識を覆したのであった。
 生徒は「教育を受ける者」か。生徒は教室で勉強しているか。トンでもない、と網野氏はいう。彼らは教室の外にこそいる。アメリカのスタジアムで球を投げたり、ネパールの田舎で井戸掘りの手伝いをしたりしているだけでなく、マイクの前で狂ったようにギターを引っ掻いていたり、コミケ会場を派手なコスプレでうろついていたり、コンビニ前の地べたに座り込んで携帯を見ていたり、出会い系サイトでひっかけた男と何かしていたり、中にはセーラー服で機関銃を乱射する女子生徒がいるかと思えば、鼻クリップを付けてプールでおかしな泳ぎをしている男子生徒もいるし、ゴクセンも交えて乱闘してる連中もいる、などなどなど。現代高校生百態に描かれるであろう連中は、至るところろにいる。  「高校生とは、高校の教室で学ぶ者である」という、教育学者や評論家を含めた「常識」を覆し、網野氏は、教室の外で、校則や社会規範の外で、他校の生徒や時には海外の生徒たちとも交流しつつ青春を謳歌する高校生たちの姿を、生き生きと描き出した。「高校生とは、教室で学ぶ者ではない」、というのが、網野史学の面白さなのである。(続)

   10月某日  社会の歴史(続)

 「全ての百姓は農民である」といった命題の脚を払うのは極く簡単で、農民ではない百姓をたったひとりでも連れてくればそれでよいのだが、もちろん普通の世界は論理学で動いてはいないから、ひとりではまずい。それでも、次々といろんな人々を紹介されると、いつの間にか、「百姓は農民である」という辞書的「常識」よりも、「百姓は農民ではない」という方がずっと本当らしく思えてくる。そこで、網野氏に批判された側は、当然、「<全ての>百姓は農民である、などとは一度もいったことはない。農民でない者も百姓に数えられていることなど、昔から分かっていたことだ」、と反論するわけである。それはそうだろうが、農民ではない様々な人々を紹介して鱗を落としてくれたのはやはり網野氏であって、だからいまさら論理学を持ち出すのはどうかと思う。思うのだが、しかし逆に網野氏の側からも、「<全ての>百姓は農民ではない、といってるのではない」、とやはり論理学に即した反反論をされると、素人は困ってしまう。ビーバップハイスクールを見て仰天した外国人に「みんなこうなんですか?」と質問されたようなもので、双方が「もちろんみんなというわけではありません」と答えるだけだと、「というと、どの位ですか?」とその先を聞きたくなるだろう。できればもう少し親切な答えをお願いしたいと思うのである。
 確かに「作る」ということにはケレン味がないので、単発のマンガや映画のように社会のある面に光を当てて面白く見せてくれる分には軽視しても全く問題ないのだけれど、全体像とか通史とかいうことになると、やはり素人ゆえに、面白みのない教室のことが少し気になる。例えばいつ頃から手形決済が使われるようになったかというような話は広々とした外の世界への広がりの中で面白く語ることができるが、いつ頃から牛が肩で鋤を曳くようになったのかというような話は泥田の中に足をとられるような話で面白くないのであろう。ダンス甲子園目指して頑張る高校生は面白く紹介できても東大を目指して頑張る受験生など紹介する気にもならないようなものである。素人的には、沢山作れるようになって、それで余所へまわせるようになって、という順序だと思うから、泥田の話や漁法の話などもちっとは聞きたいのだが、そういう関心が既にもう素人の古い考えなのでもあろう。
 どうせ思い付きで書いているので話はあちこちするが、しかし何故、歴史はそれでもなお政治なのだろうか。例えば限られた図表しかないのはやむをえないが、貴重なスペースを使って、最初から、天皇族や蘇我氏の家系、藤原氏の家系などなど、それぞれの時代の最高権力者の親族関係がこと細かく分かるようになっている。小泉某の孫の小泉の次に岸の孫の安倍なんてことは、現代「社会」の重要事項だとは到底思えないが、昔は血筋が重要だったのだろう。それにしても最高権力者の血縁関係が庶民の「社会」生活にとっても結構重要だったのかどうか、素人には見当がつかない。
 またもマンガと映画の話で恐縮であるが、例えば「三丁目の夕日」や「クレヨンしんちゃん〜オトナ帝国の逆襲」がある世代の人々をノスタルジーに強く誘うらしいのは、そこに、彼らの生きた歴史的「社会」が描かれているからであろう。しかし、ひろしとみさえが白黒テレビで懐かしく見るのは馬場やブルース・リーであって時の首相ではない。第一誰だったか私も知らない。まあそれも、「社会の歴史」を生きる庶民と「社会の歴史」を俯瞰する歴史家の視線の違いなのでもあろうけれども。
 いい換えれば、「社会」というのはつまり権力構造のことなのか、それとも権力というものはむしろ「社会」にとって「外」なるものだろうか。たとえ庶民はお上なんか知らないと思っていても、歴史家は結局前者のように考えているのかもしれない。「社会」という語は抽象的でわけが分からないところがあるが、とにかくそれは、人はどのように互いに関わり合いながら食い物を作りそして喰っているかというよりもむしろ、人はどのように人を支配しまた支配されているのかという人間関係のことをいうのでもあろう。どうもそのように考えているのではないかと思われる。で、食い物を作ることと人を支配することは、ある意味正反対のことだともいえるから、「百姓」が「農民ではない」その分だけ、「社会」が政治に傾くのかもしれないと、素人なりに納得してみたりするのであるが、もちろんそれは間違っているのかもしれない。(続)

   10月某日  いじめを少々

 いじめ問題が大きく取り上げられている。それでも、といっていいかどうか知らないが、中高生に、「いじめは、する方が悪いと思うか」、と問うと、「Yes」より「No」と答える生徒の方が多いというアンケート結果が出ているらしい。つまり、「いじめ」(と呼ばれる言動)は悪くない、と思っている中高生が多いのだ。
 いま、多くの家庭で、家族が集まるのは、夕食時だけだろう。で、大抵テレビがついている。仲の良い家庭なら、そこで、アイドルを見ては「この娘可愛いねえ」、芸人を出てくると「この人面白いねえ」、などといった話題が弾む。当然、「この娘ちょっとウザイよねー」「見て、この人キモい!」とかいって笑い合うことも含まれる。
 おそらく、テレビ時代の「団らん」とは、このような軽口評の共有に他ならないのではないか。いずれにしても、この種の会話以外に、「親しい家族の会話」シーンを想像することは難しい。
 こうして、話題になるタレントの基準もまた、突っ込まれ所をいかに多く持っているかという点に置かれる。「キモいウザいバカなデブなガリなチビな」(差別語)・・・タレントは、茶の間の会話を誘発することができる。それ故「カワイイ」のである。近所の人とは違って、彼らはタレントなのだから、「キモい」とかいっても、「そういうことをいってはいけません」とは叱られない。家族一緒になって、遠慮無く「こいつキモくて面白れえなあ」とかいって笑い合い団らんする。
 おそらく、子供たちは、学校でも、楽しく団らんしようとしているのであろう。

   10月某日  愛国心という卑劣な心

 これは絶対に見過ごせない。
 私自身が「きっこの日記」で知ったのだから、こんな塵芥ブログであえて取り上げる必要はないだろうが、たとえひとりでも「きっこ」さんを見ないでこのブログを見てくれる人がいるかもしれないことを考え、ここに転載させて頂くことにする。
 「"愛国心"とは、こんな卑劣な"心"なのでしょうか。」という 札幌テレビのニュースを見てほしい。
 そして、このニュースを、他のマスコミが全国版で取り上げるかどうか、フォローしてほしい。

   10月某日  社会の歴史(続続)

 内容の薄いことを書いているだけだが、(続)と書いてしまったので、もう少しだけ。  「"農"中心史観」はいかん、史的農本主義とうい「常識」を覆さなければいかん。おっしゃる通りであろう。「両親は新潟の田舎なんですよ」「ああ、それじゃいまは稲刈りで忙しい時期でしょう」「いえ、家は雑貨屋ですから」。新潟の田舎といえば米作り農家だと思うのは、貧困な常識に違いない。しかしなあ。「日本の社会」といわれると、つい新潟の全体像を、こしひかりのことも含めて知りたいと思うのは、素人読者の哀しさである。
 例えば、他ならぬ「社会」ということばが小見出しに使われている一節がある。1420年代の記述なのだが、支配者の代替わりのことは詳しく書かれ、僅か2年しか在位しない将軍の名前、夭折した年齢などなども教えてもらえる。一方「開闢以来初」といわれた「土民の一揆」の記述は僅か4行。「土民」という支配者側からの呼び名があるだけで、それは一体どういう人たちだったのかすら全く何も分からない。ちなみに、後の「山代の国一揆」についても、1行だけである。
 まあしかし、網野史観というのは、こういうものなのだろう。ビーバップハイスクールの面白さ。
 時には、「コンビニ弁当なんて添加物のかたまりですよ」、といったオーバーなキャッチフレーズも、われわれ素人を啓蒙教化するために大いに必要だろう。『コンビニ弁当の全貌』という題で中身は添加物の話ばかりといった警世書もありえよう。誤った「常識を覆」し世の覚醒を促すには、それ位の迫力がいる。そう思えば、私たちは、この本を含めどんな本にも、すべからく謙虚寛容でなければならない。私などは、通史というにしてはちょっと農の分が悪すぎないのかなあ、と思ったりするのだが、そういう「農本主義」的関心は、弁当を「食い物」としか見ない、素人の視点なのでもあろう。
 論理学の本ではないのだから、「コンビニ弁当は米の飯じゃない」とか、「百姓は農民ではない」とか、「高校生は勉強なんかしていない」とかいう人がいても、ちっとも構わない。要は、読者がそこから有効な警告を読みとるかどうか、ということなのだろう。  聞くところによれば、色川氏とか山折氏とか、この本を批判される専門家もいるとかで、それは多分当たっていよう。けれどもまあ、本は読みよう。勉強になりました。といっておこう。

   10月某日  日本語のリズム

 備忘のため、問題だけメモしておく。
 日本語4拍子説というのがある。単に音楽だけではない。私見の範囲内であるが多分4拍子説の最初の代表者である別宮貞徳氏においてもそうであるように、歌舞音曲のそれというよりむしろ和歌や俳句の57調リズムについてである。日本語の発語リズム単位は、シラブルではなくモーラつまり「拍」であるが、57調は、4拍リズムであって、佐藤良明氏が縦横に論じられたように、春歌から宇多田ヒカルまで、日本人の身体リズムに刻み込まれている。しかし、では、隣国の韓国でも伝統的リズムは3拍子であるのに、日本の伝統的リズムが4拍子だというのは何故か。こういう分野の第一人者小泉文夫氏は、騎乗のリズムである3拍子に対して水田農作業のリズムが4拍子ではないか、という説を提唱された。日本人も騎乗はするが、日本では馬までが「なんば走り」だったというのが補説になっている。
 しかし、素人ながら、もうひとつ納得できないような気がずっとしている。ひとつは騎乗と稲作という身体動作のリズムに関わることだが、それよりも、「日本語」リズムと「日本音曲」リズムの関係に関わる。マシンガン発語といわれる日本語の発語リズムそのものに、少なくともそこにも、4拍子の原型があるのではないか。この問題をもう少し考えてみたいと前から思っているのだが、最近たまたま片岡義男氏の昔のエッセイを読んだところ、まさに言語リズムをとりあげた文があった。そのことをきっと忘れてしまうだろうから、ここに備忘のため記しておく。いずれ、少し考えて書くかもしれないが。

   10月某日  忘れ物

 前にも書いたが、物忘れの名人である。ずっと前から、自分は余程ひどいという自覚がある。しかし世の中には、子供連れで外出してわが子を置き忘れて帰ったりするような人もザラにいるらしく、そういう人に比べれば、まだ足元にも及ばない。
 が、しかしそうはいっても。結構失敗ばかりして、周囲にも迷惑をかけている。
 メモを持ち歩けばいいじゃないかという人もいるが、そして試したことはもちろんあるが、そのメモを見忘れるから駄目である。パソコンや携帯のアラーム機能を使えばいいじゃないかという人もいるが、こまめにセットしたりするのを忘れるから駄目である。
 ところで、物忘れは紛失に通じる。自分のものをなくした場合は何とかなる。問題なのは、預かったものや借りたものをなくした時である。それでも、貸してくれた人のものをなくした場合には謝りようがある。一番困るのは、借りたものを又貸ししてくれた場合である。本のことだけに限っても・・。
 中学のとき、友だちが先生から借りた本を、君も読めといって貸ししてくれたのだが、その本をなくした。これには困ったが、結局、どうしようもなくて、友だちと一緒に、先生の家まで謝りに行った。
 高校のとき、友だちがお兄さんの本を貸してくれたのだが、その本をなくした。当然友だちはお兄さんから催促され、それでも返さないから叱られているらしく、大変困った。結局どうしたか忘れたが、申し訳ないことをした。
 中学のときの友だちはYといい、高校のときの友だちはSといって、こういうことは、いまでも覚えている。二人ともやさしい性格で、強くいわれはしなかったので、それがよけいこたえた。もう二度とそういうことはしないようにしようと思うのだが、でもまた繰り返す。どうも、こういうのは、もう直らないように思われる。

   10月某日  どこが「美しい国」か

 最近の発表によると、世界人口の1%の金持ちで世界中の総資産の4割を、2%で半分以上を占有し、逆に、人口の半数を占める貧困層は、みんなで僅か1%に過ぎない富を分け合っているとのこと(国連大学世界経済開発研究所)。この100年の人類史は、それまでには比類を見ない環境破壊や戦争死者などなどと同時に、天文学的な貧富格差を生み出してきた。この傾向は、悲しいかなまだまだ留まるところを知らないようだ。
 平均資産1位だというこの国の昨今も、いざなみ景気とかはもちろん企業の話で、多くのワーキングプアを作り出すことと引き替えの現象でしかないことを、誰もがようやく実感しつつある。思えば、ニートは働く気があるのかないのかといった議論をしていた時代はなお甘かった。大都市圏大学新卒者の就職率上昇というニュースの陰で、現代版日雇いであるワンコール・ワーカーも急増し、フルに働いても生活保護水準以下の収入しかなく、社会保障からも見放され、それも明日はどうなるか分からないワーキング・プアの人々が急増している社会。
 にもかかわらず、いまなお、この流れを作り出した、少なくとも決定的に加速したコイズミ「改革」の評価を変えず、「活性化」とは、働く者のそれではなく、逆に働く者を踏みつけることで儲ける企業家や投資家のためのことばであり、しかもそう考えるのが現代的なのだというイメージを、マスコミはもちろん、世間の人々も抱いたままであるようにみえる。
 一体どこをどう押せば、「美しい国」などということばが出てくるのか。

   10月某日  戦争ってどんなこと?

 憲法改正の声の高まりに対して、反対の声はなお弱い。もちろん狙いは9条にある。
 思うに、先進国「列強」に共通のことだろうが、人々の「軍」や「戦争」についてのイメージが変わってしまっているのも大きい。
 かつて、戦争といえば、体験した悲惨で過酷な時代の再現としてイメージされた。しかし今や、宣戦布告に始まる「戦争」は現実的でなくなり、「軍事力行使」ということばが喚起するイメージには、漠然とした不安が残るだけで、現実的な悲惨も過酷も含まれてはいない。
 時折「国連軍」の名を僭称する(注)「列強」の軍隊は、いまや大がかりな国際警察隊の如きものとしてイメージされ、たとえ戦争ということばが使われたとしても、それは、圧倒的な軍事力を行使して「不埒な」弱小外国を抑圧したり制裁することとイメージされる。そこには、自分や自分の家族にとっての深刻な被害のシーンなどは全く含まれていない。そしてもちろん、軍事力を「行使される側」の悲惨や過酷は「他人事」である。
 とはいえ、圧倒的な軍事力でも、必ず勝てるとは限らない。しかしそれも、かつての戦争では敗戦ほど悲惨なことはなかったが、今は悲惨は現地に残して、単に逃げ出すだけで済む。アメリカがイラクでしようとしているように。
 こうして、昔あったらしい悲惨で過酷な戦争の被害者になることはもちろん絶対ごめんだが、しかし国際的な武力行使は不必要だとは思わない、むしろ必要ではないか、と・・・多くの人々は、おそらく感じているのでもあろう。
 「9条を改正しようという連中は「戦争」を目論んでいるのであって、過酷で悲惨な時代の再現を望まないなら、改正に反対すべきだ」、といったいい方は、おそらく説得力をもたなくなっている。
 注)ちなみに。「国連軍」といういい方には問題があるのだが、あまり知られていないように思われる。
 国連の平和維持活動については、国連憲章の第7章に規定があり、「国連軍」は、第43条にいう「特別協定the special agreement」を結んだ国連加盟国が、安保理の要請によって提供する軍隊で組織されることになっている。ところが、この「特別協定」を結んでいる国は存在せず、したがって、国連憲章に基づく国連軍が組織されたことは一度もない。
 一方、これまで、マスコミなどが「国連軍」と呼んできたのは、安保理決議に基づいて各国が送る「平和維持軍」や「停戦監視団」を指すことが多いが、しかし、このような活動や軍隊については、国連憲章に規定はない。

   11月某日  ラスト・サムライ

 めったに、いやほとんど映画は(映画館だけでなくビデオ、テレビでも)見ないのだが、勧められて「ラスト・サムライ」を、今頃みた。史実や時代考証を無視すれば娯楽作としてよく出来てるし渡辺謙がかっこいい、といったところが一般評らしいという程度の予備知識しかなかったが、確かにそんな映画だった。そんな映画というのは、「そんな風に見られるのだろうな」、という意味である。
 しかし、大村益次郎や明治天皇はともかく、ラスト戦争が1877年で渡辺謙は参議ということだったから一応西郷などを借りているのだろうが、その肝心の主役が、正直どうも分からなかった。
 「高貴な野蛮人」の生活を体験するというのは、西洋では18世紀以来繰り返される旅行記のモチーフであって、そこには、失われた過去への郷愁や異文化への好奇心を通して、侵略的西洋文明の罪の意識が透けて見えるようになっている。その辺のところが、この映画では、トム・クルーズをアメリカ先住民虐殺のトラウマを背負った軍人とすることで、一応説明されている。で彼は、ラスト・モヒカンならぬラスト・サムライという「高貴な野蛮人」が、誇り高く闘って滅んでゆく歴史に、悲哀をもって立ち会うわけである。
 だが、その滅亡シーンを身に迫るものとして受け止めるためには、前もって彼らの「高貴で野蛮」な生活なり生き方なりに感情移入しておかなれればならない。
 おそらく、アメリカ人をはじめ外国人から見れば、冨士を頂く島国、湿度の高い山林、美術品のような甲冑を纏った武者軍団、魂の籠もった刀を使う武道、静謐で荘厳な仏教寺院、神秘的な天皇とその皇居、桜や雪で彩られる四季の田園風景、無表情の裏に情熱を秘めた従順な女たち、寡黙で無骨だが誇り高い男たち・・・などなどといった、「いかにも日本的オリエンタリズムのごった煮」から、何か分からないが「サムライ!」っというエートスを感じとり、なるほどあれが「侍」という文字か、あるほどこれがジャパン・サムライの剣術なのか、と感動するのでもあろう。
 だから、われわれもまた、同様に素朴に感動すればいいのだが、どうしても余計なことが頭をかすめてしまい、感情移入が難しくて困った。
 第一、彼らは一体何をどうしたいのか。いや多分、髷と刀も捨てたくないし、何も変えたくないのであろう。それがつまり「ラスト」なのだろう。
 だが、それにしては、例えば「尊皇」である。この時代、尊皇というからには、どこかで原理主義的変革思想にイカれた筈であり、それに、激しい殺戮戦で功あって今参議だというからには、「ラスト・サムライ」どころか、会津藩士のようなラスト・サムライらに向けて、錦切れ大砲のひとつも撃った官軍の将の筈であり・・・。
 まあしかし、全ては余計なお世話であって、そんなことに気を回さずに、ケン渡辺のかっこよさを感じればいいのだろう。・・・・・でも、<かっこいい>か? 肝心のそこのところが、申し訳ないがよく分からなかった。
 ちなみに、さっき見た夕刊によれば、いまは剣道も世界選手権が開かれる時代らしいのだが、国別対抗戦の方式で行われたその試合で、これまで優勝を続けて来た日本が、初めて準決勝で敗退したとのこと。しかも、その相手が何と、アメリカ。・・・・・だめじゃん、サムライ。

   11月某日  サムライ続

 なるほどと思ったので、少しだけ続きを。
 生井英考さんという人が、こちらも渡辺謙の評判が高いらしい、例の硫黄島2部作に関してこういっている(13日朝日)。「イーストウッド自身の意図はともかく」、イラク戦争に「最も忠実に付き合った」おかげで、「いまや米国にとって、世界中で日本だけがわかり合える相手、分かり合いたい相手なんだなあというのが、第一印象だ。」
 お互い、「悲しきサムライ」というわけですな。
 しかし、もちろん私は観てなくていうのだが、昔のサムライたちの凄まじい殺戮戦を観せる(=魅せる)映画が、監督や批評家の思惑通り、今に有効な「反戦」映画として観てもらえるのかどうか。

   11月某日  教育基本法

 何がどうなってるのか、重要なことらしいのに、もうひとつよく分からん、というのが、大方の感想ではないだろうか。分かろうとする努力が足りない? そうではない。大方の国民がよく分からないまま、分からないうちに、強引に早足でやってしまおうというのだから、けしからん内容に決まっている。
 国民には学習する(教育を受ける)権利があり、一方、国をはじめとする公権力は、国民の学習権を保障する義務を負っている。そして、その保障を確かなものとするために公権力を縛る法律が、教育基本法だ。ところが全く逆に、あたかも国家には国民を教育する権利があり、国民には国家の提示する教育を受けなければならない義務があるかのように、「教育の基本」方向を逆転しようとしている。愛国だの何だのいった具体的な条文変更は、付随問題である。
 それにしても、「繰り返されるいじめ」や「必修科目の大量不履修」や「ゆとり教育の欠陥」や「少年犯罪の増加凶悪化」などなど、昨今ことさら急に教育問題で騒ぎ立て、とにかく早く何とかしなければならないと思わせつつ、他方いま国会で何がどうなろうとしているのかについては、ほとんど記事にしないことによって、世論操作の片棒を担いでいるマスコミの罪は大きい。

   11月某日  渡り鳥

 「やらせ」ミーティングを金で買って教育の基本を変えようってんだから何をかいわんや、などといっても、ともかく通してしまった。都の話なんぞしたくもないから、違う話を。といっても何もないのだが。
 少し前の日曜日。海の見える小高い場所で、しかし海に背を向け、遠くの山に向かって椅子を置き、着ぶくれた男女が座っていた。それぞれ、横に立てた三脚に巨大な望遠レンズをつけたカメラをセットし、さらに首に紐をかけた大型の双眼鏡を膝に置いているのだが、別にそれを使うでもなく、じ〜っと座っているだけである。
 誰もが不思議に思うらしく、居合わせた人が、「何をしてるのですか」と聞いたところ、「渡り鳥を待っているんです」とのこと。遠くに鳥の姿が見えると、先ず双眼鏡で渡り鳥かどうかを確かめ、それから巨大レンズを向けて撮影するのであろう。おそらく、見ている先は渡りのコースになっていて、そして今がシーズンなのであろうけれども、それでも一日この寒風の丘に座って、どれ位の群に遭遇できるのだろうか。
 とうていできない趣味ではあるが、しかしその心境をちょっぴりうらやましいと感じながら、私たちはそそくさと車に戻ったのであった。

   12月某日  見下したい他人

 小泉はやめましたが、石原、細木などなど、とにかく他人を見下し無礼な口をきく人物を、人々は何故もてはやすのでしょうか。それがどうも分かりません。
 いや、分かっているのです。人々は、見下され罵倒される側でこそあるのに、心理的には逆に見下す側に立ち、それら人物どもと一緒になって、他人を見下し他人を罵倒して溜飲を下げたつもりになるのでしょう。おそらく、人々には、常日頃から「他人」に見下されているという自己妄想があって、だから「他人」連中を見返したいのに、それができない。そこで、無礼な人物の罵倒に身を寄せて、溜飲をさげているのでしょう。

   12月某日  釣りの楽しみ

 釣りが趣味だという人は案外多いようで、そういえば、私の数少ない友人知人にも、釣り好きの人が何人かいます。正確にいうと、いまは遠くにいる昔の友人なども含めてですが。
 私自身は、そういった人たちに何度か連れていってもらったことがあるだけで、道具もなければ知識も全くありません。でも、一口に釣りといっても、渓流釣りがあり磯釣りがあり海釣りがあり、またリリースする人もいれば食べるのが楽しみという人もいる、という程度のことは知っていました。
 ということで、たまたま先日、磯釣り食べる派の友人に、来年海が春になる頃に一度誘ってくれるよう頼んだのですが、これが失敗でした。さきほど聞いたニュースによると、どこかの海岸で釣りをしていた人が、何と800万円の入った鞄を釣り上げたそうです。そんな釣りがあるとは知りませんでした。初心者ゆえ大物はもちろん無理ですが、たとえ1枚だけでもそちらを狙ってみたいものです。しかし、餌は何を使うのでしょうか。
 ・・・・・いやいや、こういうことを書いているようでは、太公望には絶対なれません。小アジで充分。

   12月某日  暖冬

 小春日和の日曜日。
 建物の角度の関係で、冬至近いいまの時期だけは、林の向こうに沈む夕陽がここから見えるのだが、例年と違って、今年は、夕暮れもなお秋の風情である。
 聞くところによれば、ヨーロッパでは、何と1300年ぶりの暖冬だというから驚く。日本でいえば、古事記もまだできていない頃。

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