風 日 好 ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう
2006年2〜3月 Top Page 過去の「風日好」
2月某日 慶事?
歌会始に夫婦そろってコウノトリとは嫌味だなあと思ったりしたが、妊娠だそうだ。
さすがのコイズミも軌道修正したようだが、もしも男子ならややこしくなる。
長期的にみれば、憲法とか典範とかよりも、また議員や「識者」の声などよりも、巷の声が問題だろう。兄夫妻と女の子、弟夫妻と年下の男の子のいずれに、あるいは、父から娘へ、伯父から甥へのいずれに、巷の人々は納得感をもつのだろうか。「国民の総意」と端的にいえるほど、ひとつではない場合が大いにありうる。そのことが、追々ボディーブローのように効いてくるだろう。つまり、誰がということでも男か女かということでもなくて、制度のことである。
今さら原則論はいわないが、いずれにしても、当該する人たちにとっては過酷な制度だ。先日、板垣恭介という老記者が書いた本を読んだ。『明仁さん、美知子さん、皇族やめませんか−元宮内庁記者から愛をこめて』。結局、そういうことである。ただ「総意」という巷の声は、現在の残酷さに気付いて積極的に制度を終わらせるのではなく、むしろ制度を死に体に放置するという、より残酷な仕方で時代を続けさせるだろう。最低限、やめたい人にはやめさせてあげたいが。
2月某日 どちらでもない
『あれ以後も、いろいろ書かれてるねえ。
「食事は別にしてるとか。寝室も別じゃないかとか。たまったもんじゃないよなあ。
『やっぱり昔のように神サマでなきゃ、あの家業はやってられないよね。職業選択の自由も参政権もなくて、つまり人間扱いされていないし。じゃ神サマかというと、今は神サマじゃないっていわれるし。
「でも、昔からあの一族は人間くさいよ。近親相姦とか重婚とか殺し合いとかさ・・
『昔だけじゃなく、幕末から明治にかけても、毒殺されたとか、すり替えられてるっていう話まであるよね。
「明治天皇も大正天皇も、お妾さんの子だしね。
『でも、逆にいうとさ。すり替えらようが、お妾さんの子であろうが誰も問題にはしなかったっていうのは、<人間>じゃなく神サマだったからともいえるよね。
「確かに、大正天皇なんか、<人として>は差別的な視線で見られてたけど、<神サマとして>どうかとかは誰も問題にはしなかったようだしね。
『ところがいまは、<人として>自由な振る舞いをさせないでおきながら、公務をサボってるんじゃないかとか、夫婦仲はよいのかとか、<ひと>への興味の目で見られる。
「大変なことだよね。<人格を無視するようなことがあった>っていう発言があったけど、もともとあの家業の仕事は、自由な<人格>を予想していない。
『やっぱり半世紀前の人間宣言を、ちゃんと実体化してあげないと可哀相よ。
「でも、そうなるとますます只の人でしょ。今よりもっといろいろいわれるよ。あの家の跡継ぎとして誰が相応しいか。あの人の方が性格がよさそうだとか、この人は海外旅行に行きすぎるとか。あちらの家系の方がいいとか悪いとか。そういうこと言われると、ますますまずくない?
『でも、半分神サマで押し通すんなら別だけど、<人間>だっていうのに、憲法が規定する基本的人権も認められないっていうのは、やっぱりおかしいわよ。
「職業選択の自由をはじめ基本的人権を侵害されてるっていって、違憲訴訟とか賠償請求を起こせばどうなるんだろうね。
『我々は神サマか人間か、どっちやちゅうねん、どないせえっちゅうねん、ってね。
「あの人たち関西人なの?(^_^;)
『だって、もともとそうでしょ。・・っていっても、京都のお公家様だから、そんなことば使わないか(^_^;)。
「・・まあでも、あの人たちは、神様でもないし人間でもないってことで可哀相な境遇に縛られてはいるけど、一応毎日の生活では贅沢はさせてもらってるけどね。もちろん、だからこのままでいいいっていうんじゃないけど。
『・・そういえば、同じように、どっちでもない境遇に縛り付けられて人権を無視されてるといっても、メッチャひどいケースもあるよね。
「急に何の話?
『だからさ。いま問題になってる基本的人権っていうのは、日本国憲法の特売品じゃないでしょ。
「それは当然でしょ。
『実際には、人権侵害事件は世界中で起こってるけどね。でも一応、タテマエとしては、それはまずい、いけない、ってことになってる。例えば、世界人権宣言ってのは、例外なく、世界中の人間に適用される。当たり前だけど。
「ある意味、グローバル・スタンダードってやつね。だから、アメリカなんか他の国にイチャモンつけるときには、絶対、人権人権っていうよね。
『そうそう。でね。例えば、世界人権宣言には、<何人も、拷問されたり、残虐で非人道的な扱いや屈辱的な扱いまた刑罰を受けることはない>、って書いてある。ことばはちょっと違うかもしれないけど。
「<何人も>っていうのは、例外なく誰でもってことだね。
『そう。一般の人はもちろんだけど、例えば悪いことをした犯罪人でも、殺し合いをしてた戦争捕虜でも、拷問なんかしちゃいけない。犯罪人は国内法や国際法でそのことが規定されているし、捕虜も国際法で、非人道的な扱いをしてはいけないことになっている、というわけ。
「そういえばアメリカは、第二次大戦で捕虜を非人道的に扱ったという理由で、たくさんの日本人を戦犯として処刑したんだよね。
『そう。捕虜の虐待は、国際法に違反する戦争犯罪だといってね。
「BC級戦犯の中には冤罪もあったっていう声もあるみたいだけど。でも、捕虜虐待はいかんよな。
『ところが、ひどい抜け道を考えるヤツがいるのよね。軍隊が捕まえた外国人を基地に集めて檻の中に入れて、<ここにいるのは、宣戦布告で始まった戦争で降伏した敵国将兵ではない。つまり捕虜ではない。だから、捕虜は人道的に扱えという国際法の適用は受けない>、という。ところが、だからといって、<ここにいるのは、刑法に定められた罪を犯した者として警察機構によって逮捕された者ではない。だから、法に基づく被疑者や被告としての権利はなく、この者らを人道的に扱わねばならない法的義務はない>、って主張する。
「そんな馬鹿な。捕虜でも犯罪人でもないから、捕虜や犯罪人に対する拷問や虐待を禁止している国内法にも国際法にも抵触しない、なんていったら、したい放題、拷問したり虐待したりできるってことになる。それじゃ、何をしてもかまわないってことになってしまうじゃないか。
『まさにその通りね。どんな拷問しても虐待しても、<不法>ではない。捕虜として人道的に扱われることないし、犯罪者に認められた黙秘権とか弁護士を雇う権利とかも、もちろんない。
「そりゃひどいよ。全くけしからんね、それは。人権人権っていってるアメリカは、次はイランだなんていってないで、まずそこをやっつけなきゃ。
『アメリカがアメリカを攻撃するの?
「え?
『さっきからいってるのは、アメリカのグアンタナモ基地の話よ。
2月某日 逆 転
「お邪魔します。
「おう、君は確か三文新聞の記者だったな。
「三文は余計ですけど。・・ご無沙汰しておりましたが、お元気そうで。
「いやもう隠居は気楽で、太るばかりだよ。
「黒幕なんていわれていた頃より、かえってお元気そうですね。
「いや、そんなのは昔の話。いまはもうテレビ見るだけでね。君あれはすごかったねえ。ほら、江戸川。
「え?
「金だよ。金メダル。
「荒川でしょう。荒川静香。
「それだ。スケートとかスキーとか、いろんな種目でメダルとれそうだなんて持ち上げときながら、次々と期待はずれ。欲求不満になってたところへ、最後に金だからねー。逆転ホームラン。スカッとしたねえ。あの淀川は。
「荒川ですけどね。でもJOCもホッとしたでしょうね。あれがなければメダルゼロだったんですからね。
「それにしてもスケートは、優勝候補っていわれてた選手が転んだりしたのは可哀相だったね。淀川も、最後までハラハラして見とったよ。よかったよかった。
「オリンピックは、ずっと中継をご覧になっていたのですか。
「何しろ暇だからね。たいていの種目は見たね。ただあのフィギュアってのはちょっとね、困ることがある。
「というと?
「いや、君、ご婦人のスカートの下を覗いちゃいかんだろう。
「そりゃそうですけど。
「だから、ダブルスタンダードでね。混乱する。
「何の話をしてるんですか。先生。
「いやいや、最後に金メダルでよかった、という話だよ。
「ところで、最近の政界ですけど・・
「いや、もうオリンピックが始まってからは、そればかりでね。世の中のことはトンと知らない。
「ということは、オリンピック前は興味を持たれていたということでしょう。
「そりゃまあ、新聞の見出し位は見てたけどね。そういえば、結構いろいろあったわなあ。耐震手抜き問題も、始めは設計士だけの問題みたいだったのが、政治家の関与が追及されかかってたし・・
「違反牛肉発見問題も輸入再開した政治責任が問題になってたし、皇室典範改正も政治問題化してたし、天下り談合のけしからん実体も暴露されましたしね。まあ、次々とありましたね。
「それに、逮捕されたホリエモンと幹事長の関係が攻撃されて、弁明に必死だったしな。
「結構いろいろご存知じゃないですか。
「いやいや、新聞の見出しくらいは、誰でも目に入って来るだろう。でも、オリンピックが始まってからは、見出しにも目が行かなくなった。
「はあ。よっぽどオリンピックがお好きなんですね。・・でももう閉会式ですね。
「そうだなあ。ま、終わったものは終わったもの。・・それで君、政界の方は、オリンピックの間に、どうなっとるのかね。あれだけ追求材料が出てきてしまって、流石のコイズミも窮地に立っとったけど、そろそろ年貢の納め時かね。
「それがですねえ。オリンピックじゃないけど、逆転ですわ。
「ほう。そうかねえ。
「首相なんか、”窮地に立つと神風が吹きますねえ”、なんて、すっかり余裕でしてね。
「そりゃ君。たとえ三文であろうと、そんなことばにブンヤが騙されちゃいかんだろ。
「はあ?どういうことですか。
「いや、最近のことは全く知らんがね。しかし神風なんてものは、決して自然に吹いてくれるもんじゃない。それは何か仕掛けがあるかもしれんと疑わんといかんわなあ。三文の虫にも五分の魂だ。
「三文は余計ですけど・・。その、何か仕掛けがあるんじゃないかってのは、昔取った杵柄。黒幕の勘ですか。
「勘なんてものは全くないがね。まあしかし、我々が現役の頃だったら、当然いろんな仕掛けを考える。
「どういうことですか。・・例えば
「そうだなあ。勘の悪い三文記者にも分かるように説明すると・・・例えば、初歩中の初歩的な仕掛だけど、検察側の証人を立てるとかね。
「え?何ですか、それは。
「だから、アガサだよ。
「え?
「アガサ・フリスビー。最近の記者はミステリーも読まんのかね。
「クリスティーですね。確かにあんまり読んでませんが。それでその、検察側の何とかっていうのは・・
「だから、”検察側の証人”っていうのがあるんだよ。フリスビーに。裁判劇なんだけどね。
「はあ。ちょっと話が見えませんが・・
「しょうがないな。フリスビーも読んでないとはなあ。
「すみません。
「まあ、だから簡単にいうとだね。裁判劇だから、裁判してるわけ。で、被告がいてだね。決定的な証拠がないんだけど、いろんな状況証拠があってね。どうも有罪になりそうなんだ。でも検察側も最後の詰めができない。
「なるほど。
「そこへ、被告に不利な決定的証言をする証人が現れるのさ。
「あ、それが、検察側の証人、ってわけですね。
「そういうことだね。そこで、灰色だった被告は一挙に不利になって、有罪判決間違いなし、ってことになるわけね。
「そりゃそうですね。
「ところがだ。どんでん返しが起こるんだよ。次の公判で、突如、その証人は偽証していたってことがバレる。
「おやおや。
「検事の有罪論告がガラガラと崩れるわけね。で、大逆転で、無罪ということになる。
「そりゃそうでしょう。彼の証言で有罪間違いなしってことにされそうになった、その肝心の証言がデタラメだったってバレたんですからね。おかげで、裁判官も陪審員も、無実の被告を冤罪で有罪にしないですんだ、よかったよかった、ってことですね。
「ところがだ。実は、その検察側の証人というのが、被告を助けるために仕掛けられた罠だったってわけ。
「え?
「もともと被告は灰色だったんだけど、そこへ強力な有罪証拠が出されて、一挙に被告の有罪が確定しそうになる。ところが、その有罪証拠がガセネタだってことになる。でもって被告は逆転白になる・・・
「だから?
「だから? 君はやっぱり三文ブンヤだねえ。も一度いうからよく聞きたまえ。・・その証言が出る前は被告はかなり灰色だった。ところがガセネタ騒ぎで一発逆転、被告は完全白になる・・・
「あ、そうか。なるほど。見方を変えれば、その証言騒ぎで、灰色が白になったってわけですね。
「まあ、フリスビーの小説は、もっと複雑だし、更にどんでん返しがあったりするんだけどね。でも、大筋はそういうことだ。
「なるほど、灰色を完全無罪に逆転する仕掛けですね。なるほどねえ。・・・で、政界でも、同じようなことをやったんですか。
「いやいや、やったとはいっとらんよ。ただ、その程度のことは、いつも頭にいれていた、ってことだ。
「でも、政治は裁判じゃないですよね。実際には、どういうことになるんですか。
「だからだ。例えば、わが陣営が政権をとってるときにだね。いろいろ失策やまずい事件があったとしたまえ。マスコミは批判の論陣を張って追求してくる。わが方に敵対しとる党とか派閥とかも、こっちの陣営の弱みを突いて居丈高に攻めてくる・・
「はあはあ。
「で、わが陣営がタジタジとなってるときにだね。ひとつの作戦として、そういうこともあるってことだよ。まあ初歩的な作戦だから、実際にはほとんど使えないがね。
「どういう風にするんですか。
「だから、ひとつの策として、検察側の証人を仕立るって戦法もあるわけさ。
「はあ・・
「そうだなあ。おっちょこちょいの若い議員なんかがいいね。ただのおっちょこちょいというだけでなく、例えば既に何回か失敗して懲罰動議かなんかにかかったりしてね。それで、まずいと思ってるわけさ。何とか逆転金メダルがほしい。
「何回もエラーしたもんで、9回の裏に何とかホームランを打って汚名挽回したいと思ってる選手みたいなもんですね。
「そうそう。そういうのに目を付ける。
「う〜ん。何だかどうも・・
「そういったところに、ちょいとエサを撒いてみるわけだ。
「エサ?
「例えばだね。贈賄とか不正な政治資金の領収書とかね。何でもいいけど、わが陣営を攻撃できるような、決定的な証拠だよ。それを、その若手議員が偶然手に入れるようにもってゆく。
「そりゃまずいじゃないですか。
「だからさ。彼を検察側の証人に仕立てるってわけ。
「ははあ、な〜るほど。つまり、その証拠はガセネタってわけですね。
「そうそう。こっちの撒き餌だからね。で、魚がうまく喰い付いてくれればしめたものさ。こっちは、弱った、これはマズイ、しまった、っていうような弱音情報を流す。
「で、喰い付きを固めるわけですか・・
「そうそう。で、その証人が勇んで国会で証言ならぬ質問でもしようもんならしめたものさ。・・ね、あとは、分かるだろ?
「な〜るほど。ワルですねえ。・・でも、そんなこと、うまくゆきますかね。
「いや、ゆかんよ。そういっただろ。あっちだって策士がいるんだから。その程度のことは、大抵お見通しでね。
「なんだ、じゃ、実際にはそんな策は通用しないってことですか。
「だから、やったことはないっていったじゃないか。でもね。例えば、1アウトで3塁にいる逆転ランナーを隠し球で一瞬アウトにするなんて策もあるだろう。
「ありますね。実際にはめったにありませんけど。
「だろ? 実際には、そんな策はプロ野球じゃ通用しないし、だからやらない。でも、互いの監督は、当然そういった策も充分知っている。いろんな作戦や策略を分かった上で、虚々実々の駆け引きをするってのは、政界も同じさ。いや、政界の方が複雑だと思うけどね。
「はあ、な〜るほど・・
「君らブンヤは、すぐに政界は一寸先は闇だとか何とかいうけどね。闇なんかじゃない。互いに先を読みあって、縦横に罠を張ったり駆け引きをしたりしてるんだよ。三文ブンヤには見えないだけでね。
「はあ、なるほど。・・神風なんてのはないっていわれたのも、そのことなんですね。
「ま、少なくともわれわれが現役だった頃はだ。全ては仕掛けられた世界だと思って間違いないね。
「なるほどねえ。そういう仕掛けで、例えば政治家の汚職事件をチャラにするとか何とか、そんなことをいろいろしてこられたんでしょうねえ。三文ブンヤだってご指摘は受け入れますから、ひとつ、教えてもらえませんかね。時効になった事件でいいですから、実際に、あの時にこういうように検察側の証人を仕立てたっていうような話を。何ならオフレコでもいいですから、ひとつ。
「いやいや君、間違っちゃ困るよ。さっきからいってるじゃないか。実際にはそんなことしとらんよ。いま話したのは、三文ブンヤに分かり易いように、初歩の策を作り話にしただけでね。さっきいった程度の簡単な仕掛けで切り抜けられるほど、あの世界は甘くないよ、君。だいたい相手の党や陣営だってね、海千山千の策士がチームを組んで対抗してくるんだからね。そんな、たったひとつのガセネタでどうこうできるようなチャチなもんじゃないんだよ。私が苦労した政界ってところは。
「う〜ん。ますます聞きたくなりましたねえ。両方の策略が丁々発止やり合った昔話を。
「すっかり昔の話さ。
「じゃあまあ、昔話は是非またの機会にお願いすることにして。・・そんな経験を踏まえて、今の政界は、どうご覧になりますか。
「今? いまはもう、私のような者なんかが出る幕は全くないよ。みんな引退しちゃったしね。例えばほら。チルドレンって子供ってことだろ。今の政治は子供がやる世界だってわけさ。いいじゃないか、それはそれで。・・オリンピックなんか、10代が活躍するんだから。コッカイだって、10代でもいい位だよ。
「オリンピックも一発逆転金メダル。コッカイも一発逆転政権安泰ですかね。
「それにしてもよかったねえ、淀川の逆転金メダル。やっぱりすごい努力したんだろうね。努力の甲斐があって、最後に金メダル・・
「コイズミさんの方は、神風だっていってますけど。
「だから、そっちは神風なんだろ。ホントに。
3月某日 仕掛け
「失礼します。
「おう、なんだ。また来たのか。
「はあ、すみません。
「いや、こっちはどうせ暇だからいいんだけど。そっちはもっと他に行くところがあるだろう。こんな所へ来ても、情報なんかゼロだよ。
「いえ、情報をもらおうなんて思って来たのじゃありません。それより、なんだか先日お話しを伺った通りになって来たみたいで・・
「といわれても忘れたけど。どうせヨタ話しかしなかった筈だが。
「首相のいう神風のことです。
「神風?
「ニセ・メール事件ですよ。
「ああ。オリンピックも終わったので、新聞の見出しくらいは読んだがね。
「結局しかし、政府与党の完勝、野党の完敗ですね。
「野党? そんなものあったかな。おう民主党のことか?
「コイズミ首相なんか、すっかり余裕で、マエハラ氏の肩をたたいて、まあ気落ちせずに頑張ってくれたまえ、なんていってですねー。
「確かに、これで国会の後半は、もうドンドン行くわな。
「次々に問題が出て来てましたけど、これでもう、迫力ある追求は全くできないですね。
「うまくやったな。
「そのことですけどね。ほんと、余りにもうまく行き過ぎてますよねー。
「メール事件が救ったね。
「それで、この前伺ったお話しなんですがね。
「何だったかな。
「あれですよ。検察側の証人っていう仕掛け・・
「そういえば、そんなこと話したかな。
「若い議員にガセネタを掴ませて質問なんかさせて、それをバラして形勢逆転する、っていう・・
「ははは。そりゃあんまりできすぎだねえ。ほんとにいったのかね?
「いわれましたよ。
「でも、やったとはいってないだろ。
「ええまあ。そんな陰謀的な仕掛けはしてないだろう、単なる偶然だろうっておっしゃってましたけど。
「いまは、もうどことも子供みたいな政治屋ばっかりだからね。攻める方も守る方も。経験も策も度胸もある策士がいないんだから、両方に。
「でもですよ。だからこそ、もしも一人だけ、そういう人がいたとすると、逆にイチコロじゃないですか。
「まあな。
「だいたいあのメールですがね。あれが根拠のないニセモノだとすると、一体あれは誰が何のために作ったのか、ということになりますよね。
「まあ、確かに、誰かが作って、誰かがあの議員まで届くルートに乗せた、ということになるわな。
「でしょう? やっぱり裏がありますよ。罠を仕掛けた者が。
「まあ、意図は分からんがね。
「でも、結果的には罠になったわけですよ。
「ふむ。
「やっぱり、先生のいわれたような仕掛けですよ。絶対これはあやしいですよ。
「しかし君ねえ。何をいいたいのか知らないけどね。いくら三文でも、ブンヤだろ?
「は? まあそうですけど。
「間違っとるよ。君は。
「え? どういうことですか?
「今、なんていった? あやしいですよ、っていったんだろ?
「そうです。
「それで、いま何をしてるんだね。
「へ? だから今、こうして先生のところにお邪魔して・・
「で、どうするんだ。あやしいですねえって、雑談して帰るのか?
「いえ、それはまあ・・
「ほんとにあやしいと思うのなら、調べんかい! いやしくもブンヤの端くれなら、来る場所を間違ってるだろう。
「いえ。だから、それはこれから・・。だからその前に、先ず先生のご意見を、と思いまして・・
「じゃ、いってやろう。こんどのメール事件なんてものは、あれはガキの世界の出来事だ。仕掛けとか陰謀とか罠とかじゃない。正真正銘、ガキ議員の勇み足に、党幹部もガキみたいに乗っかったっていうだけの猿芝居。確かに誰かが作ったにしても、あのメールの出来の悪さもガキ並みだ。その上にな。いやそれ以上に、ブンヤも、君みたいなガキばっかりだからどうにもならん。命がけで自分で食い付きもしないで、出来事を面白がってるだけ・・
「いえ、それは・・
「反論したいなら、自分の脚でしてみろってんだ。政治をガキの劇場みたいにしてしまった一番の元凶は、君らが、ガキみたいなていたらくだからだ。何を聞こうと思って来たのか知らんけどな。君みたいなガキに、話すことは何もない。
「はあ・・すみません。
「・・まあ、ちっと言いすぎたがな。とにかく、こんなところには、なんにも落ちとらんぞ。・・今度来るときは、仕事ぬきの話で来たまえ。
3月某日 花屋さん(1)
「このカップも叔母さんが作ったんですか。
「ああ、そうだね。
「いいですねー。
「気に入ったんならもらって帰ってよ。そこら中そんなものばかりで困ったもんだ。
「そんなこといっちゃダメですよ。・・叔父さんはしないんですか。
「何を。
「だから陶芸。
「いやいや。私は働くのが嫌いでね。
「働くって、そんな。趣味は働くとはいわないでしょう。
「そうかね。やってることは茶碗屋の見習いみたいなもんだよ。
「違いますよー、それはー。
「違うかね。
「それは・・だから、お茶碗屋さんは仕事ですよ。
「なるほど。仕事でやってるおじさんはお金を稼ぐ。陶芸趣味のおばさんはお金を払うってか?
「またそんないい方をするー。
「それはまあいいとして・・アイちゃんの方は、うまくいってるのかね。お花屋さんは。
「ええまあ、何とかやってますけど。でも、やっぱりいろいろありますね。
「そういえば、今日は休みかね?
「いえいえ開いてますけど、最近はちょっと頼りになる店員さんができたので・・。
「じゃあ、少しは楽になったんだ。
「とんでもない。お店でお客さんの相手するだけじゃなくて、外でも、いろいろやらなけばならない仕事があるんです。
「ほお。優雅に見えるけど、やっぱり結構大変なんだ。
「今も、特注の仕事で近くへ来たので、ちょっと寄らせてもらえたんですけど・・お店はもちろん、お店にいないときでも、ほんとに休みなく働いてますよ。
「しかし、何ってったって若いのに自分でやってるんだから、えらいよな。
「でも、ほんと忙しいですよー。お給料もらって店員してた時は、週1か週2で休みもありましたけど、いまは休みなんかないし。いくら働いても、残業手当がつくわけでもないですしねー。
「じゃ、前みたいに海外旅行に行ったりなんかも・・
「もちろん。ぜーんぜん。
「でも、店がうまくいってるなら、そのうち余裕もでてくるだろう。
「それがねー。はじめたときの借金もあしますしねー。先行きチョー不安。
「そうかね。
「お店の花がぜーんぶ枯れてちゃった夢、しょちゅう見ますもん。
「まあ、やっぱり独立開業してやってゆくのは、そりゃ大変だわな。
「ほんと、そうですねー。前は気楽でよかったなあ。好きなお花に囲まれて、お店の人もみんな仲よかったしねー。仕事楽しかったですねー。
「そりゃまあ、気楽だっただろうけど。でも収入は違うだろう。
「そんなことないですよー。開店のとき借りたお金の返済なんかも全部計算したら、毎月私の手元に残るお金は、手伝ってもらってる店員さんのお給料より少ないんですよ。
「まあ確かに、しばらくは大変だろうけどねえ。・・でも、やっぱり、自分の店をもってよかったと思ってるんだろう。
「それはまあ、もちろんそうですけどね。
「・・でもさ。それ、なんでなんだろうね。
「なんでって?
「だからさあ。アイちゃんがいうように、前も、仕事は結構楽しかったんだろ?
「ええ。
「それで、今はどうかというと、前より仕事が大変で、時間も長い。自分で責任をとらないといけないから、当然ストレスも大きい。
「そうですそうです。
「それで、収入はというと。
「それが少ない(^_^;)。ほんとですよー。
「だったら、いいことないじゃない? 前に比べて。
「それはまあ、ある意味そうですけど。・・でも、どんなに大変でも、自分がしたいことをしてるんですからね。やっぱ違いますよ。
「したいことしてるねえ。・・でも、したいことって、何だろうねえ。
「えー?
「覚えてるんだけどね。アイちゃんは、こんなちっちゃい頃から、お花屋さんになりたいっていってただろ?
「そうですねー。幼稚園の頃から思ってましたねー。
「それで夢が叶えられたわけだけど。・・でもさ。幼稚園のとき思ってたお花屋さんって、どんなことする人だった?
「え?
「例えばさ。ママゴトでお花屋さんなんかしただろ? そのとき、どんなことしてた?
「それは・・その辺の小さい花を摘んできて並べて、お客さん役のともだちに売ったり、花束を作ったり・・・
「だから、花屋さんの店先のことだわな。当然。
「ええそうですね。
「でもさ。それだったら、独立する前、店員さんしてるときに、夢が叶ってたってことじゃないかい。子供の目から見ると、花を売っている人がお花屋さんだ。
「それはまあ、もちろんそうですけど。
「自分で店をするようになったら、仕事が増えた。で、その増えた仕事というのは、お客さんに花を売る仕事とは違う、いわば経営者としての仕事でしょ。例えば帳簿を付けたり、仕入れの交渉をしたり、バイトの店員さんを面接したり・・あとどんなことをするのか、私なんかさっぱり知らないけどね。
「はあ。
「幼稚園の頃夢だったお花屋さんの仕事ってのは、そういうことじゃなかったよね。
「それはそうですけどね。
「だったら、独立して、夢から少し離れたともいえる。
「う〜ん。なんかおかしいですねー。やっぱりやりたかったのは、自分のお店だったと思いますよ。
「でもさ。だいたい幼稚園児に、店主も雇われた店員も区別ないでしょ。
「そうかなー。お花屋さんっていうと、やっぱ自分のお店のことを思ってたと思うけどなー。
「それにしても、仕事そのもののイメージは、花を売るという仕事であって、いわゆる経営にまつわる仕事じゃない。
「それはまあ、そうですけどね。でも・・
「でも、何だね。
「でも、やっぱり、何というか、笑われるかもしれませんけど、<一国一城の主>というか・・
「お、古典的表現で来たね。なるほど。
「ほら、からかう。
「ごめん、そうじゃないんだけど。・・つまり、自立してるってことかな。
「そうですね。
「経営者は、いくら仕事が大変でも<一国一城の主>。雇われて働くのとは違って、自立してる、と。
「まあ、そういうことですよね。違いますか。
「いや、違わないよ。違わないんだけどね。たださー。なんでみんなそうなのかなーと思ってね。
「みんなじゃないでしょう。というより、安定した会社のOLとか公務員とかが気楽でいいという人の方が、ずっと多いと思いますけど。
「確かに、例えば<自立したキャリアウーマン>なんていういい方をするときには、OLも入るわな。自立という意味にもいろいろある。
「そうですね。
「だから、まあ、話をひろげないようにして。・・とにかく、アイちゃんは、なんで自分の店をもって苦労したがるのかな。
「そんな。別に苦労をしたがってるわけではありませんよ。ただ、いくら忙しくても苦労しても、自分のお店のためだからやりがいがある、といういことなんですけど。
「だからさ。元にもどるけど、一体その、やりがいがあるってのは、どういうことなのかなあ。・・花屋さんの仕事といえば花を売ることで、茶碗屋さんの仕事といえば土を捏ねて茶碗を作ることだって、少なくとも子供はそう思ってるよね。
「それはそうですけど。
「それなのに、店の切り盛りの苦労ていうか、経営の仕事の方がやりがいがある。・・ていうことは、逆にいうと、花を売ったり茶碗を作ったりという仕事は、何かちょい、やりがいが足りないのかねー。
「えー? 叔父さんのところへ来ると、なんでも話がややこしくなりますねー。
「ただいま。
「ああ、帰ったみたいだな。・・じゃ、アイちゃんのいうややこしい話の続きは、また今度ということで・・
「えー。まだ続きがあるんですかー。
「ああ、まだ入り口だよ。
「はいはい。じゃあ私も考えておきます。
「・・ああ、いらっしゃい。アイちゃん、来てたの。電話してくれたら、出かけなかったのにー。
「いえ、近所まできたので、ついさっきお邪魔したところです。
「聞いてる? こないだ、お母さんと一緒にね・・
「ああ、携帯の話でしょ?
「そうなのよー。もうほんとに笑っちゃうわね・・
「何の話?
3月某日 夢の国は塀の中(1) →(2)
「それにしても、きれいな公園ですね。
「あそこにsquirrel、・・え〜っと、日本語で・・
「ああ、りすですね。りすがいますね。
「そうです、そうです。
「小さい子供たちが楽しそうですね。・・そういえば、お母さんたちの姿が見えませんが・・
「でも、ベンチに人がいますし、私たちのように散歩している人もいます。もしひどく転んだりしても、必要なときには、だれかが手助けするでしょう。互いに助け合うということは、コミュニティの基本です。
「なるほど・・
「・・私たちも、このベンチに座りましょうか。
「・・春になりましたねえ。・・冬のオリンピックも終わりましたし。
「ああ、そのようですね。
「ということは、見なかったのですか。
「全然見ませんでした。オリンピックというのは、大衆のナショナリズムを煽ってメディアや各国が利用するという、国際イベントに過ぎませんからね。
「私も、国旗を振って熱狂応援するなんて光景は好きじゃないですが。・・でもまあ、<平和の祭典>ということばもあるように、スポーツは戦争ではないですから。
「でも、国と国とがスポーツで争っても戦争はしない状態が平和だ・・というのは、国家というものに囚われた平和観じゃないでしょうか。
「確かに、ほんとの平和は、すべての対立がなくなり、国境もなくなることでしょうからね。
「夢、ですけどね。
「オリンピックも、全部個人参加にして、国旗とか国歌とかもなくせばいいかもしれませんね。
「でも、それじゃ誰も見ないでしょう。・・サッカーのワールドカップなんかでもそうですが、大衆はスポーツそのものよりも、ナショナルな国と国との争いに熱狂参加すること自体が好きなんですよ。
「残念ながら、そうかもしれませんね。それをまた利用されるわけですが・・
「・・実際には、ここ数世紀の世界を支配してきた<国家の時代>は終わりつつあるのですがね。そのことに気が付いていないんです。政府やメディアに踊らされている大衆は。
「そうですね。
「とにかく、国民国家というLeviathan、え〜っと怪獣の身体は、もう衰え、壊れかけて、外にも内にも、その克服が課題となっています。
「・・国内市場の形成が近代国家を後押しした時代や、帝国主義国家が競ってブロック経済圏を構築した時代とは、いまは時代が違いますからね。ずっと前から、モノも、人も・・どんどん国境を越えています。
「情報も、資本も・・
「公害も、環境破壊も・・
「いろいろな面で、ますます国境が越えられてゆく時代に、国境の壁とは何であり続けるのか。今世紀の世界的課題ですね。
「いずれ国境は、行政区画以上の意味を失ってゆくのでしょうか。
「遠い将来にはね、確実に。でも、まだまだ簡単な道のりではないでしょうね。・・例えば、国連や国際的な取り決めなども、強国の国家利益追求を制約できずに、逆に利用されることの方が目立っています。
「あなただからいうのですが、アメリカなんか、ほんとにそうですね。
「おっしゃる通りです。但し、アメリカ政府は、といい直しておきますが。
「例えばEUのように、国民国家という強固な枠組みを外側に解体しゆこうという試みもありますが。・・でもあれも、難航していますね。
「ヨーロッパという、かなり高い同質性を支えにしながらも、やはり内部に多くの対立や異質性を抱え込んでいますからね。
「そうですねえ。
「国家という枠組みを外に開いてゆくといっても、そう簡単にはゆかないでしょうね。第一、世界各国で、どうしようもない政治家連中が国家権力にしがみついて手放そうとはしません。そして彼らを、スポーツですら国と国の勝ち負けに移し替えて熱狂する大衆が、支えているのですからね〜。
「だから政治家たちは、むしろナショナルな敵対関係を煽ることで、大衆の熱狂を自らの下に集めようとする。・・う〜ん。国家連邦とか世界政府どころか、政治道具としての戦争の危機の解消すら、まだまだ無理ということですか。
「現に、テロだ〜っていって撃ちまくってるじゃないですか。自分が撃たないでも、親分撃ちまくれ〜、っていったりね。そして、撃ちまくる者が、ヒーローとして国家権力を委ねられるのですから。彼らは威嚇はできても対話はできない・・また、する気がないのです。
「・・ほんとに、どうすればいいんですかねえ。
「その問いは、二通りに答えられますね。そのひとつ、この<時代の危機>をどうすればよいのか、という問いには、ノーコメントです。国家というビヒモスをそこに統合してゆくために、より巨大な怪獣を育ててようとか、そういった自分の手に負えない課題に関心をもつ時間は、私にはありません。でも、もうひとつ、この<危機の時代>にどうすればよいのか、という問いには、答えられます。
「・・もしかして、それが、コミュニティなんでしょうか。
「その通りです。・・ということで、これからもっとお話ししたいのですが・・もう4時ですね。
「ああ、そうですね。
「続きは是非家ですることにして、そろそろ帰りましょうか。
「となると・・、これも続きものになりますね。
「それはいいですけど。でも、これから全部<対談>式にするのですかねえ。ちょっと長すぎて、大変なことにならないでしょうか。
「う〜ん。そうですよねえ。どうなんでしょうか。
「まあ、私たちの知ったことではありませんが・・ →(2)に続く
3月某日 夢の国は塀の中(2) →(1)
「・・・・・でしょうか。
「・・まあそういう比喩が当たってなくはないかもしれませんね。虫だとちょっとイメージが悪いので、せめて寄生植物といってもらいたいですが・・(笑)。とにかく、ビヒモス自体をどうしようということには、さしあたり関心はないのです。
「寄生植物は宿主のためにあるのではなく、宿主が寄生植物のためにある・・。
「それはいい過ぎですねー(笑)。そこまで傲慢ではありません。・・もちろん、宿主が元気であるにこしたことはありません。いや、あってほしいですよ。でないと寄生植物は枯れてしまいますからねー。
「でも、宿主というか政府には期待しない。ん〜・・最近よく耳にする<小さい政府>とかいった、そういう指向なんかにも関係あるのでしょうか。
「いえ、さしあたり国家レベルの政治には特別の期待や関心をもたないという、単にそれだけのことだけですよ。問題は、あくまで自分たちの日々の生活のあり方にあります。私たちは、自分たちの生活を、生活環境を、自分たちの責任で、助け合いながら作り上げ維持してゆこうとしているだけです。
「その生活のあり方ということなんですが・・
「難しい抽象語は一切必要ありません。例えば・・この部屋でもそうですが、家の中のドアにいちいちカギがかっているなんてことは普通ありませんよね。一方、家の玄関のドアには、もちろんカギをかけるのが普通です。ところがここでは、家のドアにも普段はカギがかけない家が多いんですよ。部屋から庭へ出て、隣の家の庭を通って道まで出る、なんてことは、みんな自由にしています。
「それじゃ誰かが、勝手に家に入り込んでくるなんてことはないのですか?
「でも、誰が来るのですか? 知り合いや隣人の誰か? それなら大歓迎です。逆に来ては困る人とは? 戸別訪問のセールスマン? ホームレス? ・・では、あなたはここで、そういった人を見かけましたか?
「そういえば、一人も見ていませんねー。
「あなたがカギをかけないことに驚かれるのは当然のことです。おそらく、生活共同体にとって一番の問題は<安全>にあるのですから。そして、このコミュニティは、その一番重要な安全という課題を、100%実現しているのです。
もちろん、そういった消極的な安全確保だけでなく、防災や医療やまた様々な住民福祉といったことも含めて、非常に高度な相互扶助システムが機能しています。ただ一番分かり易い象徴的な例として、カギのことをお話ししたのです。
「・・確かに、日本の昔の田舎などは別として、今こちらの国でカギもかけないオープンな生活というのは、驚くべきことですね。でも、外から誰も侵入しないにしても、隣人どうしのトラブルはあるでしょう?
「お互いの敷地が充分広いですから、トラブルのようなものはほとんどありませんが、でもそれより、博愛あるいは相互扶助ということを、全員が当然のことと思っていますからねー。
「それでも、精神だけでは解消できない対立もあるのではないかと推測しますが・・
「・・あなたは、メンバーの間に対立関係がうまれたり拡大したりしないための、最も大きなモメントは何だと思いますか?
「さあ・・何でしょうか。
「間違いなくそれは<平等>ですよ。貧富の差がないことです。
「はあ〜! ・・例えばカルト的な、あるいは原始的な特別の宗教や、または特殊な信条をもった人たちが作る原始共産主義的な、極端に平等な生活共同体といったものがあることは知っていますが・・
「・・そういったカルト的な、あるいはそれと同質のコミュニティの類は、第一に、ほんとの意味での平等ではありません。例えば教祖とか、強いリーダーシップをもったメンバーなどが、必ず集団の中心にいますからね。第二に、そういった集団は、例外なく外に対して自らを心理的に遮断しています。心も生活も貧しい平等に過ぎません。
「まあそうですね。
「しかしこのコミュニティは、全く違います。みんなが貧しい平等ではなく、ご覧になった通り、どの家もみんな大変豊かです。運営についても平等で民主的な自治を徹底しています。コミュニティの運営のためのアセンブリーというのがあるのですが、回り持ちでメンバーが選ばれますので、今年は女子高生も入ってますよ。
「へえ、そうなんですか。回り持ちねえ。
「少しくらい効率が悪くても、リーダーや権威者が出現するのを防ぐためです。だから誰もが自由な主体だという自覚をもってます。もちろん、信仰や宗教などなどの差別などもありません。
「すばらしいですね。
「もちろんコミュニティは、閉鎖的ではありません。人々は、コミュニティの外の世界に対して、非常にオープンで多様な関りをもっています。例えば私は、ビジネスのフィールドが日本なので、常に日本の情報に最大の関心をもっています。また、私の友人のひとりは、世界のどこかで災害があったとき一番の被害弱者となるペットに対する国際救済チームの主宰者をしています。相互扶助というのは、狭い仲間うちの概念ではありません。絶えず連帯を通して広げてゆくべき理念なのです。
「なるほど・・しかしお話しを伺っていると・・自由、自治、連帯、平等、相互扶助・・つまり、無政府主義、アナーキズムのイデーを連想しますね。というか、そのものみたいですね。
「いえいえ、とんでもない。そんな過激なものでは全くありません。先ほどもいいましたが、私たちは、政府を支えることはあっても、政府を倒すとか革命とか、そんなことは全く考えていませんよ。とんでもない!
「はあ・・
「もしも革命ということばを使うなら、フランス革命なんです。来られる時には気が付かれなかったと思いますので、お帰りの際には是非、メインゲートの上に彫られた<自由・平等・博愛>とうい文字をご覧になってください。それがこのコミュニティのシンボルなのですよ。
「は〜、そうなんですか。ここでフランス革命が出るとは意外ですね。
「フランス革命の立て役者サン・ジュストはいっています。<フランスの領土内には、不幸な人も、また、他人を抑圧するような者も、一人でもいてはならない>・・。このことばの<フランス>を<コミュニティ>といい換えると、こうなります。<コミュニティの敷地内には、不幸な人も、また、他人を抑圧するような者も、一人でもいてはならない。>
「・・なるほど。
「いや、実際には、それ以上といえます。サンジュストは、<国家の中に、不幸な人や貧しい人が一人もいなくなったときにはじめて、革命がなしとげられたといえる>、といいましたが、それは、<いまだ革命はなし遂げられてはいない>というアピールです。でも、私たちのコミュニティでは、惨めな人や貧しい人は、現に一人もいないのですから、既に革命はなし遂げられているのです。
「まあねえ・・はあ〜・・
「・・あなたはいま、ため息をつかれましたね(笑)。
「いえ、<ため息>ではありません。すばらしいという<歎声>ですよ・・歎声、英語では、え〜っと・・
「いやいや、ことばはごまかせても、視線はごまかせませんよ(笑)。あなたの視線はいま、遠くの方に向けられていましたよ。・・あなたの気持はよくわかります。おそらくあなたは、あそこに見える塀のことで、複雑な気持ちになられたのでしょう・・。それは当然の反応です。
「はあ・・正直にいわせて頂くと、おっしゃる通りです。・・コミュニティのすばらしさを伺えば伺うほど、やはり、外の世界との関係がちょっと気になったものですから・・
「当然ですね。・・ミヤザワケンジという詩人はご存じでしょう? 日本には、本当にすばらしい詩人がいますね。彼は、こんなことを書いています。・・<世界に一人でも不幸な人がいるなら、私たちはほんとうの意味で幸福とはいえない>。・・実にすばらしい! 心に沁みることばです。
「宮沢賢治は、私も、童話などを読みました。<世界に一人でも不幸な人がいるなら、私たちはほんとうの意味で幸福とはいえない>。いかにも彼らしいことばですね。
「そうですね。その点、不幸な人をひとりもなくしたいという点では同じでも、<世界に>と書いたミヤザワケンジに比べれば、<フランス国家に>といったサンジュストのことばは、確かに、限界をもっています。
「はあ。
「けれども、そこが観念の世界の住人である詩人と、厳しい18世紀末の現実世界を命がけで生きた政治家の違いといえるでしょう。詩の中でなく現実世界で、不幸や貧困や抑圧からの解放を実現しようとしたサンジュストが、さしあたりの実現の場を、<国家の中に><フランスの領土内に>と限定したことを、誰が非難できるでしょうか。
「・・いえ、決して非難はしません。ただ、そのことですが・・サンジュストも確か詩を書いていたのではなかったでしょうか。それで、彼もまた、<世に富める者も貧しき者もあってはならない>というようないい方をしていたと思います。ことばは正確ではありませんが。だから、彼のことを、革命をフランス国家に<限定>して捉えていたというのは、失礼ながら、やはりちょっと違うのじゃないかと・・
「いや、これはやられました。おっしゃる通りです。サンジュストの思想そのものが、一国社会主義じゃありませんが一国的な限界をもっていた、と受け取られたのなら訂正します。もちろん<理性>による革命を目指したジャコバン派の理想、政治理念そのものは、あくまで普遍的なものです。人類の理想を掲げたものだったからこそ、フランス革命の理念は全ての人の胸をうつのですからね。・・ただ私は、そのような普遍的な理念もまた、いざ現実世界で実際に実現しようとすると、少なくともさしあたりは、一定の領域に限定せざるをえなかった、ということをいいたかったのです。
「失礼しました。そのことについては、私も異論はありません。
「・・そのフランス革命から200年以上がたちました。けれども、世界にはなお、実に多くの、救いがたい恐怖、貧困、対立、抑圧などなどが満ち満ちています。
「ほんとうに、その通りですねえ・・
「もちろん、私たちのコミュニティもまた、詩人ミヤザワケンジや詩人サンジュストを前にすれば、余りにも規模の小さい、限定的な世界に過ぎません。けれども、もしも、人類普遍の理想を抱く詩人サンジュストが、しかもなお現実世界で闘おうとする革命政治家サンジュストとしてやむをえずとった、<フランス国内に>という限定が許されるとするなら、・・21世紀のこの厳しい現実世界にあっても、あくまでさしあたりの限定として、せめて塀の中に、夢の国を実現しようという私たちの試みもまた、許される筈ではないでしょうか。
「まあ、・・少なくともおっしゃりたいことは分かります。
「そういってもらえてうれしいですね。・・あなたをここにお招きした甲斐がありました。
「こちらこそ感謝します。・・私のような黄色い肌の貧乏人には、一生、一歩も入れないような場所に入れて頂き、しかも大変流ちょうな日本語で長時間お話しを聞かせて頂けたのは、夢のような体験です。
「・・ほんとうに夢の国なんですよ、ここは。
注)富裕者だけで街を作り厳重に塀で囲まれた、「要塞都市」ともいわれるゲーテッド・コミュニティは、アメリカでは数万を数え更に増加中らしいが、実態についての知識はゼロであり、論じた本も一冊も読んではいない。というわけで、お断りするまでもないが、会話は完全な無責任無国籍フィクションである。 →(1)に戻る
3月某日 いまどきの若い者は
「ニートっていう流行りのことば、ご存じですか。
「馬鹿いっちゃいけませんよ(笑)。本は読みませんが、新聞くらい見てますよ。・・学校へも行かず就職もしない、というよりしようとしない若者が増えている、っていうんでしょう? でも、どうなんでしょう。いまの若い人たちはけしからんっていう大合唱も、どうかと思いますがね。
「『ニート、って言うな』とかいう本もありますが・・
「それは知りませんが、とにかくいまの時代、若い人は大変でしょうね。・・勉強しろ就職しろっていうけど、勉強を頑張っても就職口がない、就職してもほとんど臨時雇い、運良く正社員になれてもいつリストラされるか分からない・・
「確かに、いまいわれたように、若年失業率も、臨時雇用率も、中途解雇率も以前に比べて高いということは、統計で出てますね。
「ところが、大抵の人は印象だけでね、いまの若者たちは働く気がないとか根性がないとか。・・少年問題と同じですね。統計上は少年犯罪が増えてるってことはないというのに、印象だけで騒ぐもんだから、厳罰化の声が強くなっていますよね。
「でもまあ、働きたくても働けないようにしておいて働かないと非難するのはおかしいですが、やっぱりいまどきの若い人たちは、私らから見ても分からないところ、どうかと思うところがありますがね。まあ、それも印象といえば印象ですけど。
「それは何しろ、自殺者が急増しているという厳しい時代ですからねえ。年齢に関係なく、一握りの人たちを除けば、人生がうまく運んでいるという実感をなかなかもてない。そうすると、いろんな面で気持の余裕がなくなりますからね。不安や鬱屈もあるでしょうし、中には間違った方に発散しようとしたりする人も出るでしょう。厳しい時代に翻弄される弱者の、悲しい実情ですよ。
「確かに、子供や若い人は、いつも時代の影響をいちばん受ける被害者ですからねえ。
「・・だから、雇用の不安定や格差拡大などで世の中が殺伐としてきているといういまの社会のあり方が、子供や若い人たちの心にまで陰を落としている・・っていうようないい方なら、それなりに分かります。・・何とかこんな世の中でもつぶされるなよと子供や若い人たちに励ましの声をかけるとか、あるいは少しでも彼らが希望がもてるような世の中にしてやろうじゃないかと応援の声をあげるとかですね。・・そうじゃなくて、世の中が殺伐としてるのも活気がないのも若い連中のせいだ、というのは、矛先が逆というか、ちょっと可哀相じゃないでしょうかね。
「確かに、若い人たちを叩くというのはどうかと思いますが。でも、全てを彼らのせいにするつもりは全くありませんし、むしろ被害者だとは思うのですが、でもやっぱり、いまどきの若い者は・・といいたくなるような実態もありますよ。実際に若い人たちと日々付き合っていますとね・・
「それはまあね。付き合いがなくとも、私でも感じますけど。・・長いスケールでいえば、いわゆる堕落史観といいますか、堕落によって歴史がはじまり堕落が歴史を進めてきたんだ、といったミュトスは、世界中にありますしね。何でもエジプトの古文書だかピラミッドの壁だかにも・・
「ああ、<いまどきの若い者は>ということばが書かれていたというのでしょう? 本当かどうかは知りませんが。
「・・何しろ時代は絶えず動いていますからね。いつの時代でも、年上の者から見れば、若者は当然理解しがたい。いってみれば不気味な存在に見えるわけで。
「一体この連中は何を考えてるのか、とね(笑)。
「でもそこで、自分にはいささか理解しがたい、とだけいってればいいのですが、自分の基準が正しいと思っているから、いまどきの若い者は全くなっとらん(笑)、と非難する。・・自分がとり残されそうになってるのではなく、若い者が間違った方に行こうとしてるんだ、と。
「いや、なっとらんといおうとしても、だいたい年上の者に対する尊敬の気持などもってませんからね。オジさんやオバさんは無視されるか冷笑されるかです(笑)。
「まあね。いまの時代、年齢に応じて何かしら若い人に認めさせるものを身に付けてゆくってことが、普通の人にはなかなかできませんからね。いい意味でも悪い意味でも。・・ありていにいえば、若い者を叱りつけたりしてバランスをとることができなくなっている。で、老人や中年者には、若い人たちに対する鬱屈がたまります。・・そこに、新しげな言葉や小洒落たいいまわしで、若い者がいかに困った不快な存在であるかというようなことをいう輩が出現すると、そうだそうだ、ということになる。・・まあ、そんなところじゃないのですか(笑)。
「いやあ(笑)・・若い人たちに問題があるのか、見る側の方に問題があるのかということですが・・そういえば、ちょっと今日は、面白いなと思ったのがありましたので、コピーしてきたのですが。ええっと・・あ、これです。いまどきの若者は不快感をお金のように扱ってるんだ、というんです。
「これですか。・・<不快という貨幣>・・内田という人は流行ってるみたいですね。読んだことありませんが。
「・・これは短いですから、ちょっと読んでみてください。
「・・え〜っと・・なぜ若者たちは学びから労働から逃走するのか、という問題について考えた、というわけですか。よく学びよく働けというのは、近代資本主義のエトスですからねえ。学びと労働から逃走するとは頼もしい、最近の若者は何故そんなに頼もしいのかという問題について考える・・っと、そういうのではないのでしょうね(笑)・・
「ええ、そんなんじゃありません。とにかく、読んでみてください。・・その間に、ちょっとお茶でも煎れますから・・
「ああ、どうも。・・
・・・・・・
「・・いかがでしょうか。
「う〜ん。何というか・・ま、面白いですがね。でも・・うまいというかずるいというか。ヤな御仁ですね、この方は(笑)。
「はあ・・そうですかねえ。ちょっと面白いと思ったのですが。
「いやあ、確かに不快を貨幣として扱ってるというメインの思い付きは、小洒落た屁理屈というと失礼ですが、まあ、こういうのは読み物ですからね、それなりに面白いですし、流行るのは分かりますがね。
「私も、何となくちょっとひっかかるところもあるのですが、でも、なんかうまく説明してくれているように思えるのですが・・
「何をですか。
「だから、つまり、若い人たちに対する違和感というか。
「違和感というのは、ありていにいえば、不快感ということでしょう。
「いや、不快といってしまっては・・
「不快だとはいいたくない。でも違和感を感じる。・・つまり、連中が周りの全てに不快感をもっていらついているその姿に違和感をもつのであって、彼らが不快ないらだたしい存在だとか、自分が彼らに不快感をもつのだとかいいたいのではない?
「・・まあ・・そういういい方になるでしょうか。
「何だか、こちらは敵意をもっていないのだが、向こうが敵意をもってるのだ、というようなことに似てますかね(笑)。
「う〜ん。どうでしょう。
「しかし、うまいですね。この御仁は。確かに、いまどきの若いもんは不快だ、とは書いてませんよね。私は不快に思う、などとはね。
「そうです。書かれているのは、日々不快に耐えている若い人たちの姿です。評価ではなく、ある仮説に基づく分析というか、彼らの心理の解明ですね。
「で、その仮説の正しさを証明というか説明するために、引用も含めて、若い者がいかに周りに不快感を抱きその不快に耐えているかという、そんな場面が執拗に集めらていますよね。ただし、耐えるとはいいますが、実際には、黙って人知れず耐えているのではないのですね。むしろことあるごとに不快感をまき散らしながら暮らしているというわけです。え〜っと。ちょっとプリント貸してください。
「はいはい。
「・・この辺からですね。引用文もありますが、ひっくるめて拾い読みしますと・・え〜、比較的低い出身階層の日本の生徒たちは勉強しない方がカッコいいと思い・・やがて学校教育からドロップアウトした後、今度は働かないことにある種の達成感や有能感を感じる青年になる、と。で、こういう生徒たちの日常はというと・・トイレで煙草を吸っているところをみつかっても、教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張したり、・・授業中に私語を注意されると『しゃべってねえよ』と主張したりする。・・それで、何かあれば<むかつく>という言葉を連呼するというわけです。・・朝は母親に叱られて<げっ、たるいぜ>とのろのろ起きあがり、朝食の席で<めしいらねーよ>と告げる。<おはようくらい言え!>と父親に怒鳴られて<うぜーんだよ>と口答えし、<けっ>と家を飛び出して、家の玄関のドアを蹴り飛ばす。・・そんなふうにして一日不機嫌に過ごす、ですか。やれやれ。
「まあ、何というか、見てきたような描写ですね(笑)。
「もちろん、実際にこういう生徒も少なくないでしょうね。でも、こういうのを読むと誰でも、ほんとに、いまどきの若い者は、それも<低い出身階層>の連中は、どうしようもない、と感じるでしょうね。
「まあ、それはそうですね。<うぜーんだよ>と口答えして玄関のドアを蹴り飛ばして出てゆくような者を見て、愉快に思う大人はいないでしょう。でも・・こういう連中のことを、どうしようもないとか不快だとかは書かれていません。
「そうそう。この描写を読んだ読者の方が感じるだけで。・・でも、そのように読まれることを、おそらく十分計算に入れてますね、この御仁は。そこが曲者というかうまいところで(笑)・・いまどきの若い連中は不快だとか何とか評価することが私の主眼じゃないですよ。彼らが、<むかつく>とか<げっ、たるいぜ>とか、不快感を抱いて暮らしているのは何故なのかを、理解しようとしているだけですよ。で、どうです、この連中は?・・といわれて、もちろん読者は共感します。著者の不快感にです。
「・・但し、明言していない。
「そうそう。だから、いってませんよ、というかもしれない(笑)。・・ちなみに、親のことも書いてるでしょう?
「確かに、これはちょっとひどい描写だと思いました。そういった生徒の母親たちのことですが。ええっと・・現代日本の妻たちがが夫に対して示しうる最大のつとめは、夫の存在それ自体に現に耐えていることである。彼の口臭や体臭に耐え、その食事や衣服の世話をし、その不満や屈託を受け容れ、要請があればセックスの相手をする。これは彼女にとってすべて<苦役>にカウントされる。この苦役の代償として、妻たちは夫婦の財産形成の50%について権利を主張できる、と。
「いやはや。・・でも、まあそれも、冷酷な観察者の辛辣な表現に過ぎない、といえるかもしれません。問題は、この辛辣さが公平じゃないことですよ。著者の母親世代については、こうです。・・ちょっと貸してください。・・ええっと、ここですね。・・かつての主婦、私の母親の年代の主婦、にとって家事労働は文字通りの肉体労働であった。家族の洗濯物を洗濯板と石鹸で手洗いし、箒とはたきと雑巾で家の中を掃除し、毎食ごとに買い出しに出かけ、風呂の水を汲み、薪で風呂を沸かし、練炭を入れた七輪で調理し、何人もの子どもを育てるというような家事はしばしば彼女の夫が会社でしている仕事以上の重労働であった。子どもは母の家事労働の価値を、さっぱりした衣服や清潔な室内や暖かいご飯の享受というかたちでわが身をもって直接経験することができた。
「昔はよかった、というやつですね。
「確かに、かつての主婦はいまよりすごく働いていたというのは、間違いなくそうでしょうけど、でも、昔の夫は口臭や体臭がなくセックスもしなかったんですか。んなわけないでしょう。ある意味いまよりもっと亭主に耐え姑に耐えていたのじゃないですか。
「確かに、そういわれてみると、普通の算数では、かつての主婦は重労働プラス耐えること、いまの主婦は軽労働プラス耐えること、となる筈ですねえ。
「でも、そうではないんですね。耐えるということが同じじゃない。かつての主婦は無償で耐えた。でもいまの主婦は、耐えることを<財産半分>の<代償>のように考えているというわけです。そこが違う。それがけしからん、と。
「でも、けしからん、とは書いていません。
「失礼、そうです。・・その代わりにひどく辛辣に描写する。それでそれを読んだ読者が、いまの若い母親はけしからんと思うだろうことが計算に入っています。逆に、かつての母親は耐えることを当然のことと思って無償で奉仕した・・などとも書いていません。その代わりに献身的なその姿を描写する。
「一方は、<夫の口臭や体臭>を描き、他方は、<さっぱりした衣服や清潔な室内>を描く。なるほど、そういわれてみれば、確かに計算された不公平ですね(笑)。
「子供も同じですよ。ここにありますね・・私たち、つまり自分のことです・・は、子どものころに何とかして母親の家事労働を軽減しようとした。洗濯のときにポンプで水を汲み、庭を掃除し、道路に打ち水をし、父の靴を磨き、食事の片づけを手伝った・・
「それにひきかえいまの子供は。<げっ、たるいぜ><めしいらねーよ><うぜーんだよ>と叫んで、<けっ>と玄関のドアを蹴り飛ばして出てゆく。いや、えらい違いですね(笑)。どう見ても事例が不公平だ。
「普通の読者は、乗っかりますね。いまのガキどもときたら・・とね。
「・・私もですけど(笑)。
「そこがうまい。ある意味、見事ですねえ。」
「流行る筈ですね。
「昔はよかった。ところがいまの若者ときたら、主婦ときたら・・。そういう苛立ちや鬱屈に、うまくヒットしています。しかも、その物言いに昔オヤジ的な横暴さはない。
「ソフトですよね。自分では、いまどきの若い者は不快だ、などとはひとこともいわないで、しかし読者のそういった思いに乗っかっている・・
「芸ですねえ。(笑)・・だから、ちょっと世の中に批判的な人も騙されるんでしょう。
「いや、騙されるというと、それはまずいでしょう。
「や、失言取り消します。私も、純粋に芸を賞賛しましょう(笑)。
「それにしても皆さん、<いまどきの若い者は>という話題が好きなんですねえ。・・そういえば誰でしたっけ、<いまどきの若い者はなどとは決して申すまじく候>、といったとかいう話がありますよね。
「確か山本五十六の手紙だったと思います。ただ彼がはじめていったとは思えませんけどね。
「同じ芸なら、そういう気概の方がいいですね。
「まあ、彼は、その道ではトップまで行ったのですし。若い士官なんて、提督に口答えひとつしなかったでしょうからね。だから、<申すまじく候>なんていってみせられる余裕をもてたのでしょうけど。
「それはそうですね。私たちとは違います。・・私なんかが、時々、いまどきの若い者は・・などといいたくなるのは、結局、うだつの上がらない手前についての愚痴というわけですか。
「それにしても、若い者を悪くいうのが流行るとは、困った世の中ですわなあ。
3月某日 いまどきの連中は
「ほんと、恥ずかしいということを知らないんですかねー、いまどきの連中は。電車の中とか、人前でも、平気でお化粧してますよねー。何考えてんですかねー。
「ほんとですよねー。人前で恥ずかしい、なんてこと思わないんですよー。人通りのある道でも、平気で立小便してますもんねー。
「着てるものなんかでも、超ミニスカは当たり前。わざわざへそを出したり、目のやり場に困りますよー。ミセパンなんてねー、下着が見えても平気なんですからねー。信じられませんよねー。
「ほんとに、目のやり場に困りますねー。まあ、女の人が電車の中で乳を出すのはねー。みんな赤ちゃんの顔見てにこにこしてますからいいんですけどねー。男の人がちじみのシャツとステテコだけで歩いてるのなんて、そこら中にいますからねー。もろ下着なんですけどねー。そういえばこの前、こんにちわと玄関の戸を開けたら、奥さんがシュミーズ姿で出てきましたけどねー。女の人は、さすがにそれで外出はしませんけど、男の人は、ステテコなんて、普段の外出着と思ってるんじゃないですかねー(笑)。
「とにかく、まわりを気にしないというか何というか、あきれますよねー。まあ、着るものなんかは、人に直接迷惑かけるわけじゃないからまだマシですけど。一番困るのは、集団で傍若無人な連中ですねー。最近はメール見てるのが多くなりましたけど、それでも電車の中で携帯でしゃべりあってるギャルなんかいますよねー。キャキャア大声でねー。
「電車の中で大声でやられるのは、ほんとに困りますよねー。ひどいのは、座席を占領して煙草すって酒飲んで騒いで。電車の中を宴会場と思ってるようなオジサン連中ですねー。近くに若い女性なんかいたら、からかったりねー。目に余りますよねー。
「いやあ、ほんとに、いまどきの連中、特に若い女の子は、恥というものを知らないんですかねー。呆れたもんですねー。
「ほんとに、なんとも困った時代ですよねー。特に中年の男が目に余りますねえー。どうしようもないですねー。
「全く、世も末ですねー。
「ほんとにそうですねー。