風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     2005年6〜9月                                 Top Page  過去の「風日好」


   6月某日  物体X

 先日から、鳩が二羽でベランダに来ていると思っていたら、朝、白色で小さい、丸い物体がひとつ残されていました。巣らしきものを作るでもなく、ただ置いてあるだけ。
 ネットで調べると、そういう形で鳩が卵を生むというのは、そう珍しいことではないようです。
 ところが、そのまま巣を作らせたり、自ら卵を孵そうとしたりすると、実に厄介な衛生上の問題を背負い込むことになるらしいのですが、だからといって、野生の鳥の卵をやたら捨てたりするのは違法だそうで、どうせえちゅうねん事態です。
 但し、うちの場合は、その後鳩が姿を見せず、その白く丸い物体は卵ではない、という結論が下されて、法律問題が回避されました。

   6月某日  梅雨の入り

 入梅らしい。これから1ヶ月・・・と思ったら、今日は天気がよく初夏の日和。
 でも、なんだか行きがかりで少し考えてみないといけないことがありそうで、面倒な気分になっています。
 先日、近所の公園を歩いてきました。今回は、銅版のモチーフ探し。草の実を探して歩いたところ、面白い形のものを見つけました。これはもともと、どんな、何という名の草の実なのか、全く知りませんが、もしかすると使えそうなので、何本か持ち帰って、紙コップに挿してみました。そういえば、コップの中に入っているのが、いま制作中の実。これもまた、何の実やら。 →[picture]

   7月某日  指紋チケット

 ルフトハンザ航空は、乗客の指紋の電子情報を組み込んだ搭乗券を、来年2006年にも採用するという。おそらく、いずれ全航空会社が追随するだろう。
 例えば、外出時にIDカードを携帯することが義務となり、求められれば警官に提示しなければならない、などということになると、大騒ぎになる(外国人はさせられているのだが)。しかし私たちは、いま、外出時には自分のID情報が入った何枚ものカードを持ち歩き、僅かな利便さやサービスと引き替えに、自ら進んで機械にそれを通したり店員にそれを提示したりする。
 例えば、警官が通行人を片っ端から呼び止めて身体検査をし、持っている荷物を調べるために中身をぶちまけさせたりすると、大問題になる。だが私たちは、空港職員から同じことをされても、諾々としてそれに従う。搭乗させてもらいたいからである。顔写真でも指紋でも、嫌なら乗るなといわれれば仕方がない。
 名目は、いうまでもなく「安全対策のため」である。である以上、当然、航空会社は、日頃から安全管理当局つまり警察機構と、緊密な連携を取り合っているだろう。こうして、例えば私たちの指紋情報もまた、情報管理ネットワークの中で「有効利用」されてゆくのであろう。
 安全が、親しさや穏やかさではなく一元的に管理されることと結びついている世界、そういう世界を、私たちは当然のように受け入れている。

   7月某日  ロンドン

 ロンドンで爆発。痛ましい出来事だ。だが、イラクの至るところで、米英の兵士によって、はるかに多数の市民たちが殺されている、その痛ましさについては、誰もいわない。このアンバランスこそが、痛ましい出来事の真因なのだが。

   7月某日  フリーダ

 今頃になってだが、映画「フリーダ」を見た。この映画でフリーダ・カーロを知り、フリーダの人生のアウトラインやリベラをはじめとする人々との交流を知り、そして何よりフリーダの絵を知ったという人なら、多分別の感想をもつだろう。「ジュリー・テイモア監督の演出も力があるが、強いインパクトをもたらしたのはほかでもない、フリーダの絵そのものだ」(
ここ)。映画より「絵そのもの」が強いインパクトを与えたということは、絵描きの伝記紹介映画としての成功と、「映画作品そのもの」の失敗(少なくとも成功作ではないこと)を意味している。確かに、例えばスクリーンに彼女の絵だけを次々と映し、背後に淡々とした紹介ナレーションでも入れるなら、より力のある映像作品ができるであろう。ただし、それは映画ではない。

   7月某日  デビスカップ

 「デビスカップ」の記事が出ている。かつて、テニスといえばデビスカップだったが、いまその記事は、非常に小さい。世界を転戦するトッププレーヤーたちの試合を常時見ることができるいま、人々の関心はプレーヤーにあって国にはない。サッカーのようなチームスポーツは、まだそこまではいってはいないが、既に、すぐれたプレーヤーがいる国ほど、ナショナルチームは急造で編成されざえるをえなくなりつつある。いずれ人々は、そうしたナショナルチームどうしが戦うワールドカップを、必ずしも最高の試合とは思わないようになってゆくだろう。もちろん、勝れた試合を見たいということとは別に、ナショナルな対抗意識を発散させたいという気持は人々の間で根強いし、特にサッカーはその意味で[すぐれた]スポーツだから、国旗をフェイス・ペインティングするようなファンの熱狂は、まだまだ続くであろうけれども。
 もちろん、だからどうだ、という話では全くないが。

   7月某日  7時間

 子供の夏休みと連休が重なったからだろうか、万博の人気パビリオンは7時間待ちの盛況だったという。「待ち」といっても、予約札を配るとか工夫もあるのだろうが、しかしニュースには「7時間待ちの列」、とある。もしかして人々は、この炎天下に7時間、ほんとに列に並んでじっと待ったのだろうか。
 私には、宇宙人の行動のように思える。
 もちろん、人々の方から見れば、日曜日というのに7時間どころか丸一日一歩も外へ出ないで過ごすなどというのは、地底人の生活のように思えるだろう。
 地上に出て、本屋へいった。新刊書らしき本がテーブルに平積みされている。目に留まった本を手にとってみると、部分的に読んだ記憶がある。雑誌連載をまとめたものなので、雑誌で読んだのだろう。買って帰って読んだ。
 ところが、どうもおかしい。奥付きを見ると3月が初版である。平積みされていたのは、6月に重版が出たからだった。・・・前に買った本を再び買うということは何度もあって珍しくはないが、僅か3ヶ月で初版と重版を買ったというのは、多分はじめてである。印象度が高いと前に買ったことを覚えているし、印象度が低いと買う気にならない。雑誌連載のことがなければ、見てすぐ読んだことがあると分かった筈だ。というわけで、今回買われた本は、非常に幸運な条件に恵まれたわけである(^^)。
 しかし、ふり返れば、3ヶ月前を忘れることができたのだから、そのうち1ヶ月になり1週間になり・・・そして1時間になり10分になると、いつか、7時間待ちの列にも並べるようになるかもしれない。但し、そのときは7時間先の目的も忘れているだろうから、一体何のために立っているのかも分からないのであるが。

   7月某日  梅雨明け

 ロンドン事件の情報が輻輳している。侵入外国人組織だといわれたのが国内組織に変わり自爆だといわれたのが他爆に変わり犯人だとされた人々が騙されたのだということに変わって首謀者が逃亡したということになったが、なお不明点が多すぎる。<事件が起これば誰がトクをするか>という犯人探求定則からすれば、「対テロ結束」ということで現政権がトクをし、「テロ対策強化」ということで警備安全保障関連の組織や企業がトクをする。そのことから、ボンド氏の仲間がやったという説もあるらしい。
 もちろん、そこまでいえる根拠は全くないが、しかし逆に、私が、「西欧社会のアラブ、イスラムへの差別やとりわけイラクへの不当な軍事侵攻が今回の事件の真因だ」と書いたとき、私は、事件の犯人像に関する大方の先入見に加担していたことになる。
 談笑しながら地下鉄に乗った姿をビデオに残して死んだアラブ青年たちのリュックに、本当に爆弾が入っていたのか、あるいは、トクをする連中によってそういうことにされたのか。それさえ、まだはっきりしない。

   7月某日  暑い

 気象庁によれば、「世界の6月の平均気温が、統計が整備された1880年以降で最も高くなった」、とのこと。戦争なんかしている場合か。

   7月某日  杉浦日向子

 痛ましく残念な訃報。ご隠居だったとはいえ、いまの時代ではまだまだ若い。ナンシー逝き日向子も逝きて紅カンナ。

   8月某日  音楽配信

 私はiPodを持っていないが、今、非常に大きな変革が起こっているようだ。聴く場面は、とっくに「部屋」から解放されて持ち運び時代になっているが、入手場面についても、これからは「店舗」は関係なくなるのだろう。ネットによる音楽配信という新しいシステムが、古い利権体制に固まった音楽販売方式を圧倒して普及することは、大いに結構なことである。というより、止まらない流れであることは間違いなかろう。
 で、iPodだが、デザインといい機能といい、新しいシステムと一体となって独走する理由が十分にあるようだ。ということで、アメリカでシェア8割のアップルの音楽配信が、遂に日本にも上陸したと、今日の新聞に出ている。
 ただ、iPodなど持っていない者が外からいらぬ発言をするのは気が引けるのだが、その方面の人々は、どう思っているのだろうか。圧倒的に支持される機器と、互換性のない排他的音楽配信を両輪とするアップルの戦略が、世界制覇に向けて着々と歩んでいることについてなのだが。ある場面でゲイツが実現したことを、少し違う場面でジョブスが実現しつつあることは、例えば窓の極悪デザインとは比べようもなく林檎のデザインが素晴らしいというようなこととは、別の問題ではないのだろうか。
 ことさらアメリカだからというのではない。それにしても、音楽というシーンでも、世界的企業の圧倒的なグローバル「スタンダード」体制が既成事実となってゆきつつあるらしいことに対して、その方面の人々は、どう思っているのだろうか。ひとごとながら、少し気になる。

   8月某日  台湾栗鼠

 夜、ちょっとしたパーティーに顔をだした。炭火で蝦夷鹿の肉を焼いており、勧められて食べた。塩味だけで食べると、鯨の赤身のような味だ。傍らにいた女性が、「美味しい、でもちょっと可哀相・・」といったところ、勧めた人が、「可哀相じゃないですよ。食べてあげた方がいいんですよ」、という。「でも、鹿は可愛いし・・」「見かけは可愛いですがね。食べてあげないと、北海道では増えすぎて、いろいろ困ってるんです」。
 自然保護を仕事にしている人なので、説得力がある。
 「栗鼠なんかも増えて困っているから、食べられればいいんですけどね。あれは駄目なんです」「S公園で栗鼠を見ると、みんな可愛いっていうでしょ。でも今いるのは、台湾栗鼠でしてね。もともと日本にいた栗鼠は、みんな山へ追いやられてしまったんです。で、台湾栗鼠というのが、見かけによらず困ったヤツでしてね。やたら繁殖して、公園の木に巣を作っている野鳥の卵や雛なんかも片っ端から食べてしまうもんで、だからほら、今はもうS公園に野鳥がいないでしょ」。そういえばそうである。「連中は、栗鼠の皮を被ったドブネズミみたいなもんですよ」。
 そういえばリスの漢字は「栗・ネズミ」だ。ネズミ差別はいけないが(^^)。帰って、「台湾栗鼠」を検索してみた。もちろん、「可愛い」という視点の写真や文章も多い。だが一方、「台湾リスはもともと日本にいない動物だ。こうした帰化動物がいま繁殖し、自然の体系や人間の生活を脅かし始めている・・・」という視点の文もかなりある。例えば鎌倉市でも、台湾栗鼠が「地元のリスを蹴散らし」て増え過ぎ被害が続出、一時期は観光目的で餌付けをしてた市当局も、殺処分に乗り出したとか。  しかしまた、「そんな台湾リスも最近は、エサにありつけなかったカラスに襲われてしまう」という記事もある。

   8月某日  立秋

 立秋。暑さの極まりだからこそ気温下降のはじまりだといわれれば、それはまあそうではあるが。ともかく、暑いことこの上なし。
 たぶん海などには人が群がっている日曜日なのだろう。

   8月某日  解散

 開き直り不法解散。しかし、この期に及んでなおマスコミは、悪政極まりない史上最悪首相を、その施策に関してまともに批判しないどころか、自らの付与した「改革」イメージこそが彼の悪政を後押ししたのだということへの責任などどこ吹く風と、いまなお全事態を同じ用語で解説するしか能がない。そしてまた人々も、現実から何も学ばず作られたイメージだけに寄り掛かって、いまなおちゃちな参加幻想をもつか、あるいは、幻滅をトータルな非参加に直結させることで、結局事態を黙認し悪政に加担する。
 もちろん、この予想がはずれればいいのだが。

   8月某日  バーチャル政治

 例えば何が「争点」なのか。しかしマスコミは最初から、完全に行き詰まった外交内政の現状をめぐる深刻な対立軸をほとんど棚上げし、専らコイズミの視点に追随して、彼の固執する「争点」を軸にしか報道も解説もしない。その結果、今回の選挙そのものが、例えば与党と野党との闘いですらなく、自民党内のコイズミの私的なケンカに矮小化されたまま、それがいまの世界だとして提供される。結果は見えている。
 そんな従来型マスコミの一方的情報支配に対して、IT情報配信の双方向性が持ち上げられたりする。例えば日常的に、ポータルサイトなどを開いたついでにニュース情報を得る際には、ページは既にたいていカスタマイズされている。だがその結果、例えば政治ニュースより、スポーツニュースが社会ニュースが芸能ニュースが経済ニュースが趣味関連ニュースが・・優先して提供され、つまり、新聞的にいうなら、あらゆるジャンルが「<一面>化」している。その上画面上に提供されるあらゆるニュースは、イラクでのアメリカ軍の市民虐殺もタレントの不倫も区別なく、同じ数行に「見出し化」している。
 こう見てくると、コイズミによる「争点の単純化」「発言の見出し化」は、テレビの視点を当然のように受け入れ疑いもなく同調する人々にも、実際には甚だ無精受身でありながらカスタマイズ程度で主体的な参加幻想をもつ人々にも、大いに受け入れやすいに違いない。こうして、ますます結果は見えている。
 もちろん、この予想がはずれてほしい、はずれなければならないのだが。

   8月某日  バーチャル戦争

 暗い話が続いたので、映画の話。
 誘われて『宇宙戦争』を見た。映画館で映画を見るのは、『草の乱』以来である。
 ちなみに、秩父事件を題材にした自主制作映画『草の乱』は、街中の小シネコンT劇場で見たのだが、そこは、今月末で閉館するという。
 いまは、映画館でもレンタルのDVDやビデオでも、本編の前に必ず予告編が付いているが、テレビのない時代には、映画の前に、必ずニュース映画があった。1938年というから昔も昔、市内の繁華街に誕生したT劇場は、ニュース映画専門館として、当時中国侵攻中の日本軍の戦況ニュースなどを上映していたという。その後空襲で焼失、再建され、やがて小シネコンに改築されて、長年市民に親しまれてきた。  だが、全国各地で見られることだが、車社会とともに急速に市内繁華街の空洞化が進み、更に昨年暮れ、大型駐車場を備えた10スクリーンのシネコンが郊外に開業したことが決定打となって、とうとうその歴史を終えることになった。支配人がラストスクリーンに選んだのは、「戦後60年を考えさせるにふさわしい作品」という、戦争の悲惨さを訴えたアニメ映画「ガラスのうさぎ」。これで、最盛期には5館以上あった周辺の映画館は全く消滅したことになる。  ・・と書くと気がひけるのだが、昨日の『宇宙戦争』は、その郊外大型シネコンで見た。H.G.ウェルズの原作にほぼ忠実だというストーリーは単純だしエピソードも大味で疑問点もある。しかし、『インディペンデンス・デイ』は論外としてもアメリカ臭もそれほどないし、ともかく最近のこういう映画のすごい映像を大画面で楽しめた。

   8月某日  古典的権力

 東京杉並区では、教育委員5人のうち3人の賛成で、扶桑社版歴史教科書の採択を決めたという。  実際に教えている多くの教員どもが何といおうと、未来ある2000人の生徒児童などがどうなろうと知ったことじゃない。反対する連中の声など聞いていられるか。
 任命権者が、僅か3人を送り込めば、思い通りにできるのである。

   8月某日  8.15

 無謀きわまりない開戦はいわぬにしても、敗戦が決定的になってなお闘いをやめずに殺し続け殺され続け、沖縄広島長崎を経験してようやく、天皇の主宰する会議で天皇の助命免責だけを希望条件にしてポツダム宣言受諾を決定し、ラジオでももごもごと発表した日。
 無責任なマスコミがまき散らしてきたコイズミ「改革」というイメージが、錦の切れ端のように人々の無意識を支配する。何を突きつけられても「だから改革」という単語をぶっきらぼうに繰り返すだけ。それだけで、人々は、内政も外交も史上最悪の現状をもたらした元凶を、逆に現状改革者と見なし、反対する者らをすべからく旧守賊軍のように見なす。

   8月某日  大砲の町

 大友克洋「大砲の町」を見た。大友原作の3話オムニバス『Memories』の中のひとつであるが、これは彼自身が監督したもの。『スチームボーイ』の原型というが、どことなく宮崎に似てしまった『スチームボーイ』より、むしろこちらの方が単純で面白かった。もはやどことも知れない敵に向かって毎日大砲を撃つことだけが仕事となっている町の日常。ワンカットという実験はともかく、映像が実にすばらしい。

   8月某日  90歳の甘粕

 角田房子『甘粕大尉』ちくま文庫が新装で出ている。増補改訂版ということで、本文にも手を入れたらしく、「これを書いている今(2004年)、満90歳の私には〜」という箇所があり、敬服!

   8月某日  何をかいわんや

 騙すヤツ持ち上げるヤツ騙されるヤツ、もはや末期症状のようだ。
 コイズミになって、何が起こったか。格差の拡大であり弱者の切り捨てである。生活苦による自殺者の数が戦後最大になり、4年で10万人を突破した。これが、彼の偽「改革」がもたらした、苛酷な現実である。
 ところが、この現実に苦しむ人々が、マスコミに踊らされ、何と、この現実をもたらした張本人に、現実からの救済を期待し、今後更に人々を苛酷な現実に突き落とす彼の施策に、願いを託す。もはや何をかいわんや。
 かつて、やはり自殺や身売りが相次いだ時代、同じく煽り立てるマスコミに踊らされつつ、苛酷な現実からの脱出の願いを、短絡的で狂信的な指導者が叫ぶ単純スローガンへの熱狂的支持にすり替え、この国の人々は、更に更に苛酷な現実に突入していった。・・いま人々は、再び同じ歴史を繰り返そうとしている。

   8月某日  虚人

 ナベツネが星野招聘に熱意とか。優勝チームのエース投手や4番打者を金の力で掻き集めてきたのだが、低迷失速。そこで、同じ手法で優勝チームから監督やGMを、というわけだ。この分では、それでも浮上しまま、来年は阪神から、オーナーや顧問を招聘することになるに違いない。

 NEW  9月某日  アメリカ

 アメリカの災害。遠いところから無責任なことは言えないが、イラク侵攻で防災予算が削減され出動すべき州兵も不足し、貧しさと差別故に取り残されたままの住民たちの中には銃を使う者まで出ているという。
 こちらはこちらで、台風は北へ抜けて衰えたが、コイズミ人気は衰えずという報道しきり。
 久しぶりに動画を作った。「遠い火山」シリーズ。

 NEW  9月某日  マスコミ

 朝日26日「天声人語」。
 「まさか。そう思って、2度、3度と検算してみた。やはり正しい。うーむ。考え込んでしまう。先日あった総選挙での300小選挙区の票数のことである▼自民、公明両党の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票だった。一方の民主、共産、杜民、複数の新党や無所属を全部合わせると3450万票を超えている。なんと、100万票も与党より多いではないか▼小泉首相は断言していた。「郵政民営化の是非を問ら選挙だ」。(中略)ならば、この票数では民営化は否決されたことになりはしないか。(以下略)
 なに寝言をいっているのか。「天声人語」の筆者も、いずれ元記者なのだろう。選挙結果を分析するのなら、当選者数を計算すると同時に得票数も計算してみるなんてことは、中校生でも気が付く程度のことではないか。「コイズミ大勝利、郵政民営化が民意」なんて見出しの記事を打ちながら、「ただし得票数からみると・・」という中学生新聞程度の指摘もしていなかったのか。で、今頃になって、「まさか、うーむ。考え込んでしまう」とは。
 マスコミがコイズミ「改革」を煽り、そして勝った勝ったと大はしゃぎをしたのではなかったか。今頃「まさか」とは聞いてあきれる。
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