風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     2005年3〜5月                                 Top Page  過去の「風日好」


   3月某日  李さんたち

 「のだめ」と韻を踏むわけじゃないが、「ダメ連」というのをパラ読みした。先に触れた伏見、佐藤氏らの本と同じく、自分で買ったのではなく他人の読了本を手に取ったのであるが。まあ面白かった。
 ところで、昔の「主義者」関連の本などを読んでいて感じることのひとつは、当時の「インテリ」が明らかな特権社会層に所属していたということである。主義者が尾行巡査に、煙草を買いに行かせたり引っ越しの大八車を曳かせたりといったことも、連日の張り付き行動で生じた親近感だけによるのではない。雷鳥などに比較すれば思想的にも生活の上でもはるかに庶民的である筈の伊藤野枝でも、敢えて実際に労働者街の長屋で生活しようとしたとき、女工や労働者の妻たちから向けられる激しい「階級的反感」の壁に直面して、ほとんど彼女たちを憎悪しかける。おそらく金子文子なら、その壁を感じないですんだのだろうが。
 もちろんいま、そういった「インテリ階級」などはない。と、いうことになっている。
 だめ連は、「それなりに社会運動にかかわったり・・アート系のパフォーマンス活動をやったり」していた「プータロウ」たちの中から生まれたという。決まった職につかず貧乏の中で何かを目指すという若者たちなら、もちろん昔からいた。だめ連が彼らと違うらしいのは、何かを「目指す」ことこそを放棄した、といっている点にある。うだつをあげる「うだつ」やハクをつける「ハク」に背を向ける。といっても、肩肘張ってではない。つまり、だめ連な生き方とは、「お前はだめだ」という世間の指弾に居直ることで現状をやり過ごそうという生活技術であって、そう「考える方が楽しく生きられる」、ということらしい。
 だが、そういった「楽しい」逆転発想が<できる>ということもまた、ひとつの能力である。彼らは何よりコウリュウ(交流)を好むが、交流とは語り合うことであり議論でもあって、である限り、議論に入れなくて淘汰されてゆく人たちもいるようだ。別のいい方をすれば、<うだつやハクに背を向けた>彼らのコウリュウは、<うだつもハクもない>ドヤ街やガード下の住民たちとのそれなどより、むしろ<うだつやハクのある>インテリとのそれに傾いている。例えばうだつの点でもハクの点でも超のつくインテリ上野千鶴子氏とのそれのように。(それにしても上野氏はつくづく嫌味な人のようだ。<うだつハク>に背く人々の微かな矛先を察知するや、<うだつやハク>が幻だってことをほんとに分かるのはうだつをあげハクをつけた者(つまり私のような者)でしょ、といったことをいう。問題は氏ではなく、そういう人と交流しそういう言い逃げを許す人たちの側にあるとしても。
 もちろん、示唆に富んだゴッタ煮的な「だめ連」は大変面白い本だし、そのゴッタ煮の中には、上のようなジレンマを含め、だめ連的なコウリュウやいき方が抱える矛盾に対する自覚も、当然また含まれている。「だめ連なんていって遊んでいられる」のは、「たまたま」収奪する側に所属し寄生することができるという「運に恵まれている」からである(石原清志)。だめ連は「高学歴者のふきだまり」であり、<うだつハク>へのオルタナティヴないき方を示しつつも、なお「<はく・うだつ>の発生する基盤はそのまま温存されている」(t)・・・
 もちろん私は、だからイカンなどといっているのではない。身も蓋もない泥雑談などは聞きたくはない。吹き溜まりの矛盾に満ちた彼らのコウリュウ話だからこそ、面白く読める箇所もあったのであるが。

   3月某日  こういう時代

 新聞をひろげると、「序列化ストレス甘受を」という見出しが目に入った。橋爪大三郎という人物の発言記事だ。
 「しかし、階層的な序列で思い通りの地位を得られないストレスは、本来、自由な社会に伴うコストとして甘受すべきものだろう。階層差があろうと、それが本人のせいなら仕方がない。」・・「私から見れば日本では、階層化によるストレスより、実力があるのに旧来の組織の論理に縛られて能力を発揮できない人々のストレスの方が深刻だ。」
 橋爪という人については、吉本信奉者だったかな?という程度の知識しかないが、彼個人の問題ではおそらくないだろう。こういう発言をして恬として恥じない人がオピニオンリーダーの一人として新聞で扱われるらしい。もはや時代はここまで来ているのか、と、改めて暗澹たる気分になる。
 こうなると、だめ連なども、うまく「ストレスを甘受」する技術開発グループということになるのでもあろう(^^)。

   3月某日  旅先の床屋

 小旅行から帰った。
 昔から私は、観光というものがダメである。きれいな風景を眺めたり見知らぬ街角を歩いたり由緒ある何かを見たりしても、感動というか感慨というか、そういうことがあまりない。もちろん、まるでないというわけではないが、薄い。所用でどこかへ出かけ、すぐ近くに有名な観光地や史跡などがあるような場合でも、たいてい寄らずに帰る。
 もちろんこれは、わが家がよいとかいう問題ではない。例えば海外旅行でも、スケジュールに従ってあちこち見て回る種類の旅行ではなく、同じホテルに何日かあてもなく滞在するのがよいのである。しかし、実際にはそれは、いろんな意味で贅沢な話なので、結局、めったに海外へも行かない。
 ひとことでいえば、つまり不精者ということなのだろう。
 けれども、どうもそれだけでもないようだ。
 例えば、私は、旅行中に髪をカットしたことが何回かある。もちろん、わざわざ旅行中にそんなことをしなくてもよいのだが、かといって、旅先で時間が余った場合、感じのよい喫茶店とか大きな本屋とかがなければ、他にすることを思いつかず、そういう余計なことをしてしまったりするのである。
 今回も、帰りの空港に、出発の2時間以上前に着いてしまった。日頃の遅刻常習犯が嘘みたいな話である。しかし、さすがに小さい空港には床屋はなかった。

   3月某日  そうかね

 『ダ・ヴィンチ』が「のだめ」特集をしている。当然だが誉め記事ばかり。先月「のだめ2」に書いたのとは全く逆に、もともと「のだめ」は才能開花ドラマであって、だからいよいよ面白くなってきた、と見る向きもあるようだ。  「実力がある」者が「能力を発揮する」(橋爪)ようになってゆくドラマってか。面白いかね。そんなものが。
 て書いたけど、面白いのだろうなあ。そんなものが。才能ある者、「実力」ある者、強い者が、実力とか能力とかいうものを発揮して、ざまざまな場面で競争に打ち勝ちながらのし上がり、遂に栄光と権力を手に入れるドラマ。のし上がりドラマの愛読者諸氏は、自分にも実は埋もれた能力があるのだ、なんて密かに思っているか、あるいは思いたいのだろう。
 だから、それはそれでいいのだが、問題は、「のだめ」は才能開花ドラマとしても底が浅い、ということだ。前にも書いたが、『ダ・ヴィンチ』連載の山岸涼子と比較しても、格の違いが分かる。
 読むのをやめよう。・・て、いう程のことではないか(^^)。

   3月某日  昔は・・

 全く次元の違う話だが、小谷野敦『江戸幻想批判』というのを読んだ。小谷野という人は変わった形で有名になったが、この本には同感した。「学問」領域のことは知らないが、私は、例えば佐伯順子は感心しなかったが田中優子は悪くないと思ったし杉浦日向子の「江戸もの」などはむしろファンである。しかし、それはあくまで「幻想」を愉しんでいるのだと分かっている。何事にせよ<反近代>をいうのはいいとして、そこから本気で「昔は・・」などといってはいけない。蛍や目高や蜻蛉や蝶を本気で懐かしがる人は、群がる蠅や蚊や蛭や蚤を知らないか忘れているか敢えて切り捨てているのである。

   3月某日  昔は・・

 たまたま、物置にあった本を持ち出してきたというので、見ると中に、橋本治「江戸にフランス革命を」があった。上下2冊といっても薄いが、買ってきたまま物置に住んでいたらしい。で、江戸続きで読んでみると、これが面白い。買ったことを覚えてはいるが、どういう事情で物置に直行したのか。

   3月某日  人はそれをブラックジャーナリズムと言う

 なるほど、出ている。今朝の朝日朝刊の黒塗り広告である。一番右側の1行が問題の箇所らしい。縮小したので見難いが、[拡大]すればよく分かる。
 消費者金融「武富士」といえば、批判的なジャーナリスト宅などへの盗聴が発覚して逮捕者を出し、弁護士らの書いた批判本を名誉毀損で訴えて請求が棄却され、逆に違法な言論弾圧があったとして480万円の支払いを命じられたという、実にけしからぬ企業である。その「武富士」から、朝日新聞社の「週刊朝日」が、編集協力費名目で5000万円の提供を受けて長期の連載を掲載し、そのどこにも「協力・武富士」などのクレジットがなかった、ということが発覚した。
 で、『週刊文春』が早速その事件を取り上げたのだが、朝日にとっては困ったことに、その週刊文春の広告をとっていたので、掲載しないわけにはゆかない。そこで朝日は、広告の一部を黒塗りにしてしまった!
 けれどもネット時代には、黒塗りにしたことやその内容がすぐばれる。問題の箇所は、「人はそれをブラックジャーナリズムと言う」、となっていたらしい。朝日新聞側は広告代理店に削除を要求したのだが、文春側が拒否したため、広告代理店が黒塗りしたという。文春側は「編集と広告(資金提供)の峻別ができていない以上、ブラックジャーナリズムと言わざるを得ない。自社に都合の悪い事実の掲載拒否をする姿勢は、言論の自由、表現の自由の封殺につながりかねない」、といっているそうだ。
 文春にせよどこにせよ、現代のジャーナリズムに、正面切ってそういう資格があるかどうかは別の問題ではある。そうだとしても、朝日は、黒塗りすることで、文字通り「ブラック・ジャーナリズム」であることを認めてしまった。

   4月某日  よっぱらい研究所

 のだめはもう読まない、なんて書いたけど、のだめだけじゃなく、作者自身が、慣れない世界に行って窮屈なのだろう。「平成よっぱらい研究所」を読んだ。二ノ宮知子はこれでなくちゃ。

   4月某日  校長室の絵

 中学校に行ってきた。
 5年前に、誰かが言いだして、中学校の同窓会があったのだが、その席で、昔美術部だった女性が、一枚の絵のことで話しかけてきた。野島先生の描いた絵が、校長室に掛けてあった筈だけど、今もあるのだろうか・・・。それを、いま中学校の近くに住んでいる私に、確かめてきてほしいというのである。
 当時、もう個人名を書いてもいいと思うが、野島秀夫という若い美術の先生がいた。中学校のことなので、美術部といっても、はっきりした団体や活動があるわけではない。放課後、学内の適当な場所に、生徒が美術室から持ち出したイーゼルを立てて水彩画を描いたりしていると、野島先生が時折見に来て、ちょっとした助言をしてくれるという、ただそれだけのことである。それでも、野島先生は、時には学外のコンクールなどに生徒の作品を出してくれたりした。私も一度、ごやごちゃした職員室の中をごちゃごちゃと描いた水彩画を出品してもらったことがあって、その時にもらったメダルが、長い間机の引き出しの隅にころがっていた。
 野島先生は、あまり口数も多くなく、いつも美術室で絵を描いており、「学校の先生」というより「若い画家」といった方がふさわしいような雰囲気をもっていた。少なくとも、中学生の私たちには、そう見えた。
 ところが野島先生は、いつからか学校に来なくなった。やがて私たちは、野島先生が結核で亡くなった、ということを知った。
 そんなわけで、野島先生の指導を受けたのは、多分1年もなかったのではないだろうか。それでも、野島先生がいつも着ていた白衣の裾に、野アザミの花が描かれていたことを、私はいまも、その色まではっきりと覚えている。
 前回の同窓会から5年たって、約束通り、次回が開かれるという。先日届いたその通知を見て、野島先生の絵を中学校へまだ確かめに行っていないことに気が付いた。忘れていたのではないが、昔の学校へ行って校長先生に話すのが、何となく億劫だったのである。しかし、いい出した元女生徒は、校長室へ入ったことはあると思うが先生の絵は記憶がないという私に、こんな絵だったと、メモまで描いてくれている。そこで私は、そのメモと、万一絵があった場合のことを考えてデジカメをもち、中学校へ行ってみた。
 幸い、校長先生にお目にかかれた。大変親切に話を聞いてくれたのだが、話すまでもない。まわりの壁には、歴代校長の写真などはあるが、絵はかかっていない。美術室の倉庫かどこかに仕舞ってあるというようなことはないでしょうね、と粘ってみたところ、美術の先生にも聞いてくれたのだが、市の教育委員会の指令で、保管している絵など文化財を調査した時も、そういう絵はありませんでした、ということだった。
 野島先生の絵はない。私のメダルも、とっくの昔にどこかへ失くしてしまった。残っているのは、アザミ色の野アザミの花の記憶だけである。
 仕方がない。来週の同窓会では、元美術部女生徒に、絵がなかったことを伝えねばならない。代わりにせめて、野アザミのことを覚えているかどうか、聞いてみることにしよう。実はその後のクラブ活動の記憶もなく、自分が美術部だったのかどうかも覚えていない私には、他に話すことがないのである。

   4月某日  帰依する人々

 京都の牧師による、少女を含む多数女性暴行事件。実は、もうずっと、何年も前から続いていたことであって、内部では知られていたのだという。
 件の牧師が説教をする映像がTVで流されていた。
 単純なことを、短い言葉に込めて、強い口調で、繰り返し断定する。共通の敵をハッキリと示し、自分こそがその敵と闘うリーダーだということを強く打ち出す。疑問をもつ者がいれば、叱りとばすかはぐらかして応えず、あるいは手にした権力を最大限に行使して排除し、揺るぎない姿勢を見せる。・・・そういう人物に帰依したい、自分はそういう人物をリーダーとする集団に所属しているのであって、落ちこぼれではない。そういう確信をえたい、そういってもらいたい。人々は、そんな心理状態にあるのだろう。
 牧師は、ブッシュでありコイズミでありイシハラである。

   5月某日  失踪日記

 吾妻ひでお『失踪日記』があちこちの雑誌で取り上げられているが、『芸術新潮』にも、いしかわじゅんとの対談、というより会話記事が出ている。いかにもそれらしきブルゾン肩掛けカバン姿の公園写真がある。撮影のとき、「カバンを持ちましょうか」と声をかけると、「いや、この方がホームレスらしいから」といったという。が、いしかわとの会話では、「俺はホームレスではない」と強調している。ホームレスをしていても、配管工をしていても、「俺はこの連中とは違う」というプライド?があったというのである。もちろん、だからどうだ、というのではないが。
   5月某日  ミカド

 『噂真』記事や最近の政治的小回りもあって読まず嫌いだったのだが、文庫本になったので『ミカドの肖像』を読んでみた。それにしても分厚い。厚い分だけの労作ではあるし、それなりに読めた。が、何にせよユルいのは予想通り。

   5月某日  実在ではない

 文庫と新書と2冊読んだが、聖徳太子が実在の人物ではないということは、いまや「学会の常識」らしい。少なくともそう主張する人がいるらしい。といっても、まだ学校教科書は元のままだが。

   5月某日  実在するところ

 車で携帯電話を使うのは違法である。という以前に、危ない。というわけで、カーラジオを使って、携帯に触れずイヤホンも付けないまま運転会話できる器具を買って、車中に置いているのだが、やはり手軽には使えないし、音質も悪い。
 先日、見かけは胸元から細いコードで繋がれた小さいイヤホンだけ(ごく小さいマイクがコードの途中に付いている)で、携帯が手放しで使える器具を見た。もともとは車用らしいのだが、便利なので車外でも使っているという。難点は、町中で使っていると、独り言をいっているおかしな人のように思われてしまうことだとか。なるほど、確かにそう見える。特にイヤホンをつけていない側から見ると、まるで独り言だ。が、車で使う分にはそういうことはないし、確かに便利そうなので、どこかで探してみようと思う。
 携帯が普及して、町中で話している人が多い。身体は駅前に佇んでいたり歩道を歩いていたりしていながらも、そのとき人は会話先との共同世界にいる。いまはまだ、みんな携帯を耳に当てているが、イヤホン器具などが普及すると、かなり変わった光景になるだろう。多分、それほど先のことではなくて。
 しかし思えば、いまや実際の隣家の人より、毎日ブログ日記を読んでいる人の方が、隣人というに相応しかったりもする。
 いまさらいうほどのことではないが、私たちは、どこに実在しているのだろうか。

   5月某日  5月終わる

 5月も終わり。これからまた、梅雨の鬱陶しい季節に入る。それにしても、内外とも鬱陶しい時代。などと、他人事のようにいうのはいけないが。
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