風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     2004年6月                                 Top Page  過去の「風日好」


  6月某日  カネカネキンコ

 またも強盗が、「カネ・カネ・キンコ!」といいながら押し入り、出させた何万円かを奪って逃げたそうである。
 「カネカネキンコ」は、いまや強盗の合い言葉になっている。そしてまた、TVのニュースでも新聞記事ても、そのことばは必ず、「片言の日本語で」いわれたと伝えられることになっている。
 仮に私が、仲間を集めて強盗をしようと企んだとする。私なら、必ず仲間にいう。「足がつかないように、余計なことは喋るな。そうだ、『カネカネキンコ』とだけ叫ぼう。相手は怖ろしがってすぐカネを出すだろうし、それに警察も予断をもつから、捜査の手も逸れる」。
 そして実際、警察発表の下請けしかしないマスコミは、「カネカネキンコ」が「片言の日本語」だったのか「片言を偽った日本語」だったのか、ということを自ら検証することもなく、予断増殖の先棒を担ぐのである。
 昔、強盗事件などの新聞記事には、「いずれ主義者か不逞鮮人の仕業ならん」、という常套句の終わり方があったという。大逆事件で知られる朴烈、金子文子に、『太い鮮人』や不逞社の名を選ばせたのは、その予断への居直りだった。
 いまは、警察もマスコミも<洗練>されあるいは<巧妙>になって、「主義者」「鮮人」のような明示はしない。ただ、「カネカネキンコ」と「片言の日本語」で叫んだ、という「事実証言」を伝えるだけである。それがどのような予断の中で読まれるか、ということは十二分に知りながら。
 というわけで諸君。強盗をするときには、「カネカネキンコ!」、とだけ叫ぶのですぞ。

  6月某日  芒 種

 芒種。芒のある穀物の種をまく時期、ということらしい。これから、田面が変わってゆく。
 昔確か前田俊彦という人が、田を作る畑を作る、という表現のことを書いていた。人が米や茄子を作るのではない、ただ自然条件を整えるだけだ、というわけで、まあ当然のことではある。ほんとにそれが日本的表現であるかどうかは知らないが。
 予報に反してなかなか降らなかったが、そうはいっても、そろそろ雨天の日が続くのだろう。雨と気温と日照と。田を作る者も、ほんとうはやはり自然の他にはいない。
 せいぜい雨をも愉しむことにしようと思う。

new  6月某日  逡 巡

 タナダユキ監督の映画『タカダワタル的』が上映中らしいと知って行こうかと思っていたのだが、いつものことながら、躊躇し逡巡しただけで終わってしまった。  映画といえば、昨夜、『A』『A2』を撮った森達也監督がTVに出ていた。それもまだ観ていないのだが、彼は、逡巡のすすめだったか躊躇のすすめだったか、言葉は忘れたが、そういったことを語っていた。分かることは決めることであり、決めつけることである。オウムは悪だ、北朝鮮は悪だ、イラクは悪だ、と断定するところには、端的な排除や抹殺だけがあって、躊躇し逡巡する余地はない。対して彼は、私にはまだ分からない、という地点に立ち止まり、分かろうとする行為にこだわろうとする。
 その点で彼は、マイケル・ムーアにも不満がある。ムーアの映画もまた、逆の方向から、銃社会は悪だ、ブッシュは悪だ、と断定するプロパガンダになっている。ムーアその人の逡巡や躊躇が入っていない。
 確かにそうではある、と躊躇逡巡人間である私は思う。
 一方、『A』『A2』に対しては、映画を高く評価しながらも、「今も若い信者を獲得し続けるオウムの広報的側面 が皆無とはいえず、一筋縄では行かない」、と付記する評もある。森監督は、それは観てくれれば分かることだ、という。もちろん、観ていない私には、何ともいえない。
 例えば、ブッシュがイラクは悪だと断定して爆撃をする。圧倒的なメディアがその断定を垂れ流し、人々がその断定を受け入れブッシュを支持する。そのとき、支持をも分かろうとする表現と、支持は悪だと断定するプロパガンダがあったとして、いずれが、支持する人々をより多く躊躇させ逡巡させるか、ということは分からない。
 だがむしろ狙いは、人々を逡巡させるということでなくて、自らの逡巡を書き留めるというそのことにあるのでもあろう。
 教祖の断定が大量殺人行動を起こし、彼らは悪だという断定が日本中至るところで教団排斥の波を起こす。大統領の断定が侵攻行動を起こし、侵攻は悪だという断定が世界中にデモ行動の波を起こす。至るところで、様々な断定が錯綜し反転し、躊躇と断定、行動と逡巡が交錯する。断定が断定を呼び、あるいは、断定はよくないということさえもまた、ひとつの断定にもなってゆく。確かに全ては分からない。
 観もしないでこれ以上書くのは決めつけである。観ること自体を逡巡せずに、是非観てみたいものである。とはいえ、申し訳ないことながら、当面は逡巡して『タカダワタル的』に流れる予感がしないでもない。いや、それさえ流れるかもしれない。流れるだろう。

new  6月某日  黴 雨

 周知のように、梅雨は黴雨とも書く。黴菌の黴である。というより、むしろ黴雨を、きれいに梅雨と書くようになったのであろう。梅毒などもその類か。知らないが。
 いずれにしても、梅の季節で、そして黴の季節。雨は降らないが、どうもすっきり目覚めず、すっきりしないまま一日が終わるのは致し方ない。
 『バトル・ロワイヤル』を愛読する小学生少女が、バトル・ロワイヤルを真似た話を書き、バトル・ロワイヤルを真似たやり方で、友人の頸動脈をかき切ったという。今回はしかし、むしろネットでのやりとりの方が問題視されているようだ。加害少女のファンクラブができるようなネットの「異常」性が格好の話題になってゆく。「異常」なできごとが起こったときには、原因理由を被せられる分かり易いターゲットを見つけようとし、それがうまくゆかなければ、精神の領域に「異常」の原因を求める。おそらく、不安なのである。
 すっきりしない季節、あちこちに、不安が蔓延している。

new  6月某日  元気いっぱい

 メールが来た。前に厚生年金関連施設を利用したことがあるかららしい。
 「年金改革の報道によるイメージダウンを跳ね飛ばし」、「私共の施設は元気いっぱいに営業しております。」
 赤字いっぱいは基金で補填し、元気いっぱいは天下り理事らが高額のピンハネをしているのだろう。
 それにしても、「年金改革の報道によるイメージダウン」という曖昧かつ意味不明な言い回しを、「跳ね飛ばし」という過剰なことばにつなぐことを思いつくまで、コピー担当者はかなり苦心したに違いない。
 「・・『年金問題に関連するイメージダウン』ではどうでしょうか・・」
 「う〜ん・・それじゃ、やはり何か<問題>があった、というニュアンスだなあ。もうちょっと、そこのところ薄められないかねえ・・」
 「はあ」
 「それに、この『イメージダウンに負けずに』というのも、イメージダウンするような事実があったと認めた上で、でもそれに負けない、と読めないかね」
 「はあ・・でも実際イメージはダウンしてますので・・」
 「そりゃそうだけど、それは<報道>に問題があったからであってだね」
 「なるほど、報道のせいですね」
 「で、そんな誤ったイメージダウンなんか無視して元気だぞ、というようなコピーがほしいなあ」
 「じゃあ、・・『跳ねのけて』、なんかどうでしょうか」
 「う〜ん、まだ負けてるなあ。なんだか、容疑者がマスコミの追求の声を『おしのけたりはねのけたり』してるみたいで・・」
 「はあ・・・う〜ん。もう少し考えます」
 なんてね。・・ご苦労なことである。

new  6月某日  報道なし

 「小泉首相レイプ事件」なるものに関して訴訟が起こされ、国会でも質問があったという。だがやはり、マスコミは全く取り上げない。
 事件の真偽問題は、無視する理由にならない。訴訟と国会質問そのものは、明白な「事実」だからである。どういうスタンスをとるかという問題以前に、一国の首相に関わる重大な「事実」をとりあげることをしないマスコミは、死んでいる。まあ、もともと生きているとも思ってはいないが。

new  6月某日  ドキュメント

 前にも書いた通り、全く何も見ていない。だから書く資格はまるでない。のだが、書きかけたので、も少し書く。
 といっても、新聞に載っていた、『誰も知らない』の是枝裕和監督の文を紹介したいだけなのだが。
 氏もまたカンヌで、『華氏911』のムーアに対する熱狂的な拍手に加わりながらも、ある居心地の悪さを感じはじめる。上映中にわき起こった観客の笑いと拍手は、問題を自らの日常性にひきよせる回路を欠いたまま、相手を揶揄して一時的に溜飲を下げるという類のそれではないか。とすればそれは、ブッシュ自身の品性のない薄ら笑いに通底してしまっているのではないか。氏は、端的にいう。「実は『華氏911』は僕にとってドキュメンタリーではない。それがどんなに崇高な志に支えられていようと、撮る前から結論が先に存在するものはドキュメンタリーとは呼ぶまい。〜僕自身はそう考えてきた」。
 しかし、と氏は、そこから更にことばをつなぐのである。
 前作にはあった奥行きが、今回の作品でなくなっているのは、あるいはそれだけ、ムーアにとって世界の状況が緊急性を増しているからではないか。ドキュメンタリーであろうとなかろうと、何よりそこに込められた彼の怒りの切実さが、今回、多くの人々の心を揺さぶったのではないか。
 氏は不安になる。原則を守る余り、「ドキュメンタリーは世界と向き合うことを止めて、ジャンルに自閉してしまったのかもしれない。それは実は権力にとって大変都合のいいことだったのではないだろうか」。
 審査委員長のタランティーノがムーアを選んだのは何故か。それは、「映画が映画に自閉していられないほど、世界の病が深刻化してる結果」だとも解釈できる。
 だが、と是枝氏はいう。それはまた、タランティーノの中で、「世界と映画との関係について新しい発見があった結果」だとも解釈できる。だとすれば、その”ドキュメンタリー”体験のうちに、新たな可能性があるかもしれない。そんな解釈を発見して、ほんの少しワクワクしている、と氏は文章を結んでいる。
 文章につけられた、「ドキュメンタリーは世界と向き合っているか」という句の主語は、いま、他の全てに置きかえられうる。もちろん、古くからあるテーマである。だが、それはいまも、古いテーマではない。

new  6月某日  儀典元首役

 やんごとなき発言が、出るべくして出た。儀典元首家族であることに伴う特殊公務と特殊生活は、まともな人間には確かに余りに重い。儀典元首家族といえども、人格をもった「私人」でもありたい、という発言は分かる。
 しかし、儀典元首そのものが特殊な「公」人格である以上、外国の例でも分かるように、私的人格との折り合いをつけるのは、極端に難しい。生誕から死まで片時も役を降りられず、それどころかマルクスいうところの最大業務つまり生殖を通して、生涯を越えた責務を負わされる。
 いわゆる機関説は、戦前でも学的通説だったのであり、維新の元勲から自民党長老までが、いささか失礼ないい方ながら、「利用すべき便利な装置」だと明言している。もちろん彼らは、統治に便利だといったのであるが、それは人々もまた装置を支持しているからである。となると、すぐなくすのは難しい。で、当の私的人格に、片時も役を降りられず、子供を産むかどうかまで自分では決められないという、非常に大きな犠牲を強いることになっている。
 どうだろうか。しかるべき夫妻が、一定期間、儀典「公人格」を代演するというのは。水戸黄門などとは比較にならない、非常に名誉ある役となるだろう。さしずめ初代は、森繁久弥氏夫妻あたりか。もちろん名誉役者は、打診されて役につき、私人に戻りたければいつでも、最高の勲章をもらって、役を降りることができる。

new  6月某日  その日のできごと

 なるほど、などと今頃気が付くのは、私が世間からかなり遅れている証拠なのだが、一部の新聞雑誌のTV欄では、例えば深夜「1時25分」を「25時25分」というように表記しているようだ。ゲオルギウ『25時』は大昔のことで、いまや26時も27時も、<現実>の時間となっている。
 思えば私たちの生活は、月齢周期から完全に離脱し、季節周期をもかなりの程度まで無視するようになってきているが、昼夜周期もまた、今更いうことではないが、とっくの昔から同じ運命に晒され続けている。
 先日、確か15才かそこらの少女が、一人で買い物に来て店から出ていった後、しばらくして110番に掏摸の被害にあったらしいと電話し、応対の警官から近くの交番に届けるよう告げられたのだが、その後どういうことがあったのか、意識不明で倒れていることろを発見されたという。いうまでもなく、この件が記事となったのは、最終的に少女が見舞われた不運による。それ以前の15才の少女の行動はありふれたことだったので、店員も警官も、お釣りを渡したり近くの交番に届けるよう告げたりと、ごくありふれた応対をしたのだという。27時か28時頃だったというから、まだその日のうちのことだったわけである。

new  6月某日  戦争ではない

 いまこの国は、すでに参戦国である。つまり、戦争状態にある。
 戦争状態にあるとはどういうことか。双方が宣戦布告をしてから和平条約が成立するまでの間、軍隊と軍隊どうしがミサイルや大砲を撃ち合う、ということだけが「戦争状態」なのではない。
 例えば、武装した軍隊が外国に進出して基地を築くことは、軍事行動以外の何ものでもないし、軍隊が対外的な軍事行動を起こすことは「戦争」以外の何ものでもない。もしそうでないなら、ほとんどの戦争は戦争でなくなる。
 けれどもまた、昔も今も、殆どの場合、戦争は「戦争」と呼ばれはしない。例えば戦前、植民地支配していた台湾や朝鮮半島で大勢の人々を日本軍が殺しても、それは単なる「鎮圧事件」としか伝えられなかった。それどころか、外国の軍隊と大砲や戦車その他を使って大規模で本格的な戦闘を行ってもなお、それらはノモンハン「事件」満州「事変」などなどと呼ばれたのであった。
 こうして、当時の人々も、わが国が「戦争」しているのだとは思っていなかった。わが軍が外国に基地を築いて駐留しているのは、東亜を解放し平和を築くためだと思っていた。戦闘が起こると、それは平和を乱す匪賊の攻撃であり、だから撃退することが平和を守ることだと思っていた。そう説明されていたからである。
 人々が「戦争」状態にあることを実感したのは、日頃直接縁のない自国の軍隊が外国に駐留したときでも、その軍隊が戦闘行為をしたというニュースを聞いたときでもなく、それどころか自分の夫や息子が兵士として外国に送られたときですらなかった。夫や息子が戦死し自分の家が焼かれたときになってはじめて、人々は戦争を<実感>したのであった。
 そういう状態にならない間は、いつまでも「戦争」ではない。だから当然、「戦争反対」もない。

new  6月某日  戦争はない2

 昔、戦争があった。
 おびただしい人々が殺され、たくさんの町が壊され焼かれた。とはいえ広島長崎また沖縄を除けば、かなりの人々が生き残った。彼らは、夫や息子や父や恋人や友人らを死なせ家を焼かれた者として、したたかに打ちのめされた記憶とともに、戦後を生きることとなった。
 もちろん人々は、外地で、残虐に殺し壊し焼きもしたのである。だが、自らの手で殺した記憶とともに復員したいくらかの兵士たちを除けば、生き残った者らの圧倒的大多数にとっては、殺され壊され焼かれた記憶だけが、戦争の実感として残っていった。
 それから半世紀。戦争の実感は世代的に消滅した。もはや実感の次元に、戦争はない。
 昔、戦争があったらしい。だがいま、戦争はない。いまここにない戦争、生活実感のない「戦争」に反対する連中は、生活実感から遊離した連中である。 と、人々は思う。

  7月某日  梅雨曇り

 今年も半分。朝顔は、ひとつ咲いたきり、二つ目以下がまだ咲かない。
 新聞に「主権委譲」という大文字が踊っている。居座る外国軍隊の指揮権なく外交権なく行政すら実質的に外国人顧問の指導下にあって、それでどうして「主権」なのか。だが、選挙を狙ってブッシュがその語を使うと、日本のマスコミも、当然その語を大文字で使うのである。
 江戸時代、鉄砲が無用の長物となり鉄砲屋敷は朝顔屋敷として有名になった、という話をどこかで読んだ記憶がある。
 うちの朝顔は、いつ咲くのであろうか。
今月最初に戻る