風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     2004年12月                                 Top Page  過去の「風日好」


   12月某日  椅子の話21

 人間とは社会関係の総体であるといわれるのがどういう意味かは知らないが、とにかく私たちの相互関係は重層錯綜、それほど単純でも直裁でもない。「私、あなたの立場に立って思うのだけどね。もし私なら、夫や回りの人のことなんか気にせずに自分の思う通りにするわ。一番大事なのは、自己決定よ。あなたも自由にすればいいじゃない。何迷ってるの。悪いこといわないから、是非そうしなさいよっ」。これはリベラリズムなのかパターナリズムなのか。そんな対立は単なる図式に過ぎないと思えるほど、同じことだろうが、自由で自発的な自己決定なんてことはあるのだろうかと疑えるほど、人々は互いに関わり合い干渉しあいつつ生きている。その関わり合いを通して、支配、抑圧、差別への加担を共有しながら、そのことで協同、互助、連帯にも浸りながら、それでもあるいは辛苦呻吟しつつあるいは安逸さ親密さ気楽さを享受しつつ、なおかつたまには僅かな反抗なども愉しみながら、互いにひしめきあいうごめきあっている。・・それがおそらく、人々が共に生きている、ということである。
 こうして、何かを少し、あるいは大いに変えたいと思っても、私たちにできることは、そのつど僅かでしかない。だが、その僅かな可能性に賭けて、何らかの「イズム」言説を手に、日々実に真摯に、マイノリティの声を聴き取りつつ、何とかしようと運動している方々がいるわけである。大いに応援したいではないか。・・といいながらそうなっていないじゃないか、などとといわないでほしい。
 ただし私は、それと同時に、例えば舌にピアスをするといった行動にも驚嘆する。私がしないだけでなく、人にも絶対やめろと忠告するが、それでも、もしかすると運動の言説以上に、何かを変えてゆくのは、そういった行動なのかもしれない。
 いや、それだけではない。逆に殆ど何も変えないし変えようともせずに、一見ただ平凡に生きるだけのように見える人々もまた、日々新たに歴史を支え動かしている。繰り返すが、支配と抑圧と差別への加担と、しかしまた平穏や安逸や親和も含みつつ、渦巻き流れる生活の歴史をである。
 「難問」とは何か。もしかするとそれは、私たちが創り出した話題に過ぎないのかもしれない。時代を変えるのも、また変えないのも、人々である。(遂にあと1回)

 12月某日  椅子の話22

 「日頃からお客様に接するときに気を付けていることですか?・・そういわれても、特別なことはありませんが、そうですねえ、ひとつはやはり、「もし自分がお客様なら」、という気持ちで、お客様の身になってアドバイスさせて頂くということでしょうね。でも、もちろん押しつけになってはいけません。お客様の身になってアドバイスさせて頂きながら、でもお決めになるのはお客様ご自身だということを、一方ではいつもわきまえているつもりです。それにまた、そうやってお客様ご自身がお決めになるのを拝見することが私どもの勉強になり、次のお客様へのアドヴァイスに生かせて頂くということにもなります。そういった意味で、日々勉強ですね。同じ事の繰り返しではいけません。はい。
 ・・うちは私で17代目でして、いまはご覧のように椅子とか、そういった洋家具が主ですけど、もともと江戸時代からの老舗でしてね。昔からの家訓に、『商ひはわが身ひとごと押して引け』とあるのです。創業当初から、ひとつは、お客様を「我が身」と思って、つまり自分のことのように思って接客させて頂くことと、そしてもう一つは、「他人事(ひとごと)」というか、最後はお客さまご自身の自由にお任せするということと、つまり「押す」と「引く」のバランスですね、それが、商いの神髄だとされてきたのです。もちろん、これはうちだけのことではなく、商人(あきんど)なら、みなさん弁えていらしゃる筈のことですけど・・
 え?何です?「パターナリズムとリベラリズム」の?「ほどよい配分」? すみせんねえ。そんな難しいことは、手前どもなどにはチンプンカンプンで、さっぱり分かりません(笑)。・・
 そういう難しいことはなんにも分かりませんが、ともかく、「我が身他人事」というか「押して引け」というか、これは私、商人だけじゃなく、人として誰にも大事なことなんじゃないかと思うのですよ。私はあなたの身になって一緒に考えますよ、でもあなたはあなたですからねって。家族の中でも、お店の従業員との関係でも、近所付き合いでも、友人から相談を受けても、全部当てはまりますよね。・・いや、これはこれは、えらい先生に、私のような無学な商人(あきんど)なんかがいうようなことじゃありませんですね。はい。
 すみませんねえ。こんなありきたりのことしかお話しできなくて・・・・・」

   12月某日  年末

 長々と書いてしまった駄文を、読み返してみた。どうも後味が悪い。
 最初にも書いたつもりだが、私が読ませてもらった部分について先ずもった感想は、フェミニズムの現状について、大変分かり易く教えてもらった、ということであった。のだが、それがうまく伝わっていない。ごく当たり前のことを繰り返して書いているだけで、いや、そうだからよけいに、文体が嫌味だ。読ませてもらった最初の章の著者から消すなといわれているのでそうするが、読んで頂くのが申し訳ない。
 文体が嫌味だというのは、おそらく実は文体の問題ではない。考えが、というか考えの姿勢が、全く老化しているのである。ということが分かったのが収穫か。全く本は読まない雑誌も読まないTVも見ない人と話もしない、のだから当然であって、今更、といわれるであろうけれど(^ ^;)。
 少し追記を書こうかとも思っていたのだが、少なくとも今は、もうやめておく。
 さて、そういうわけで、年末である。それにしてもやけに暖かい。異変の夏が、そのまま秋になり冬になり、年を越すのであろうか。

   12月某日  冬至

 やけに暖かい冬至が過ぎた。これから、日照が長くなってゆくのに気温が下がってゆくという、感覚的にはちょっとおかしな季節が続く。もちろん毎年のことであり、科学的にはちっともおかしくはないのだけれど。
 今年の残りも一週間となった。何をした年だったかというと、これといって何もしなかった。まあ、これも毎年のことであるのだけれど。
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