風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     8月                               過去の「風日好」

  8月某日(1)  メキシコ〜トウキョウ

 メキシコの画家フリーダ・カーロを主人公にした映画が公開されているらしい(→掲示板)。彼女が痛々しい身体でなおも絵を描きそして死んだ家が、作品を集めた美術館になっている。行ってみたいと思ってはいるのだが、不精者にはちょっと遠い。さしあたり、その映画も見たいものである。
 最近見た映画といえば、篠田監督の「スパイ・ゾルゲ」だが、残念ながら失敗作だと思う。そのことについてはここに書かないが、そこに、宮城与徳という画家が、メンバーの重要な一員として出ている。その宮城の絵を、NHK「新日曜美術館」で取り上げたのがあって、見ていなかったのだが、この度友人らのご厚意により、見せてもらった。
 彼の作品は出身地の名護市(沖縄)に集められているらしいのだが、もちろん見ていない。だから、TV画面の印象だけでいうのだが、大変すぐれた才能だったと思う。が、「画家」というには、彼独自の個性やスタイルがまだ出ていない。惜しいことに、その前に死んだのである。
 ところで、彼は獄中で、アメリカ共産党の歴史について供述しているのだが、そこで先駆者の名を挙げている中に、「石垣榮太郎」という名がみえる。宮城は指摘していないが、彼もまた画家である。
 石垣榮太郎は、捕鯨で有名な和歌山県太地町の出身だが、1909年に渡米。画家を志して美術学校に学ぶが、やがて在米中の片山潜と親交を結び、初期アメリカ共産党にも参加する。
 ちょうど10才年下の宮城は、まるで石垣の軌跡をなぞるかのように、同じく10年後に渡米し、美術学校に入り、やがて社会主義に関心をもって入党する。但し、共にしばらくサンフランシスコにいたことがあるが、それも10年ほどの差があり、二人の間に直接的な交点はない。
 サンフランシスコの美術学校に在学していた宮城与徳は、23年、肺病の転地療養もかねて、サンディエゴの美術学校に移る。サンディエゴは、メキシコとの国境に近い、というより、アメリカ・メキシコ戦争の敗北によってアメリカに編入された街である。
 だが、宮城がここで、メキシコに関心を示した跡はみられない。3年ほど滞在した後、彼はロスアンゼルスに移る。(次回に続く)

  8月某日(2)  トウキョウ〜メヒコ

 (承前)1925年、宮城与徳がメキシコ国境に近いサンディエゴの美術学校を卒業して、ロスアンジェルスに戻ったその年、片山潜らとの親交を通じて社会主義者的な評論活動も行っていた石垣栄太郎は、インディペンデント展に「鞭打つ」を発表する。猛々しい馬に乗った男が、煙を吐く工場の門前で、鞭をふるって労働者たちを追い込んでいるこの絵によって認められた石垣は、その後も社会派的な主題を、力強い構成の中に描き続ける。そして、その延長上で、リベラ、タマヨ、オロスコらとの交流を通じて、メキシコ絵画に接近してゆく。
 一方、若い宮城もまた、ロスに戻って絵画研究所に入所し画家としての道を歩みと続け、個展も開くようになるが、そんな彼に33年、諜報員として日本へ行けという指令が下る。まわりは止めるが、党員である宮城は断れない。「1ヶ月位ですぐ戻る」といい残し、画業を中断して、横浜に向けて旅立ってゆく。沖縄から渡米した彼にとって、はじめての大和であった。
 その年、次第に社会派の画家として地位を築きつつあった石垣は、メキシコ絵画を思わせる「キューバ島の反乱」を発表しているが、宮城はもちろんそれを見ていない。
 石垣栄太郎は、片山潜にも信頼され、また、「スパイ・ゾルゲ」でも重要な登場人物の一人になっているアグネス・スメドレーとも親交をもち、アメリカ共産党の創設にも役割を果たした。だが彼は、貧しい人々への共感や彼らに鞭をふるう人々への怒りを、絵画の中で表現することを自らの道と定め、社会派画家としての道を歩んで行く。そこには、メキシコ絵画への共感と影響が、少なからぬ役割を果たしている。
 一方、メキシコ国境の街から引き返した宮城与徳は、自らの絵と社会的関心とを結びつける確かなスタイルを見いだせないまま、東京拘置所で生涯を終える。
 事件発覚前、宮城は、石垣の故郷和歌山へ何度か通っている。アメリカでのパトロンであった北林ともの帰郷先を尋ねて情報を得るためだったとされ、彼女もまた逮捕されて事実上獄死する。だが、田舎に住む彼女などから得られる情報など、もともとほとんどとるに足りない。実際、逮捕される寸前に彼女のもとを訪れた際にも、宮城は滞在中ずっと、近くの寺に通って絵を描いていたという。
 題材に選ばれたのは、彼が巻き込まれた謀略の世界から遠くはなれた、あくまでも静かな田園風景であった。
 (謝辞:石垣榮太郎の年譜については、和歌山近代美術館「アメリカにおける日本人作家回顧展1972」カタログ(年譜、解説=学芸員酒井哲朗氏)をお借りしました。)
 (追記:フリーダ・カーロが、ちょっとしたブームになっているのだろうか。映画と展覧会だけでなく、NHK「日曜美術館」でもとりあげられた。たまたま後半を見ただけだが、何だか矮小な「愛と自立の物語」になっていた。短い番組では仕方ないのだろうが。)


  8月某日(3)  たかが植木

 昔、野良猫が出入りしていたことがあります。一応名前がついていましたし、まあ飼っていたようなものですが、ある時いなくなったと思ったら、数日後、哀れな姿で家の前の下水道に潜んでいるのが発見されました。早速マチェックというあだ名が付いたのですが、もし猫が映画通なら、「地下水道」と「灰とダイヤモンド」を混同するな、といったことでしょう。大怪我をしていたので、動物病院へ入院させたのですが、何しろ半野良猫なので、先生を困らせたそうです。
 もちろんしかし、その猫も、世話をしていたのは私ではありません。
 というわけで、いまは、部屋に少しばかりの植物があるだけです。といっても、例えば一番昔からあるベンジャミンという植物にしても、ご承知のように、取り立てて芸のない木です。芸がないから、傍らにあっても気にならないのが、取り柄と言えば取り柄でしょうか。
 ところが、虫が付きました。どうやら、梅雨で締め切っていたので、風通しが悪くなっていたのでしょう。
 さて、どうするか。とりあえず外に出して、殺虫剤を買ってきたのですが、たかが部屋の樹に薬剤を撒くのはどうかと思います。そこで、鋏で、虫の付いた枝を剪ることにしました。
 というわけで、私はこの樹を護るためにその枝を剪っているのですが、思えば、ある人々は、企業あるいは国あるいは組織などなどを護るために、枝を剪るべきだと考えて、躊躇なく実行するのでしょう。馘首、処刑、虐殺、暗殺エトセトラ。人々は時に、虫けらのように殺されて、いや殺してゆきます。もちろん枝と人は同じではない、という理屈は付けられます。けれども、問題は理屈ではないのかもしれません。
 たかが一鉢の植木程度で、何をいっているのでしょうか。ともあれ、私の手になる「選別と排除」によって、本体はひとまず安泰なようです。実は外に出している鉢植えのパセリにも、二匹の巨大な青虫が取り付いているのですが、こちらはまあ虫の食い尽くすにまかせてやりましょう。

  8月某日(4) 戦争の大義(1)

 取り上げたついでに、宮城与徳のことを書いてみる。
 42年の4月、東京拘置所での検事取調べ中に書かれた手記に、宮城与徳は開戦の日のことを、次のように書く。
 「十二月八日の晩、拘置所の外に時ならぬ「君ガ代」の合唱と聖寿万歳の轟が聞かれたので、何事か重要な事が起きたと直感しましたが果して日、米英戦の宣戦布告でした。日、米の開戦によつて日支事変、欧州戦争が完全に世界動乱に突入する事になりました、又私にとつても感慨無量なものがあります。」
 そして彼は、この開戦により「日本民族の発展方向が判然と正しい軌道に乗つた」、と書くのである。
 例えばゾルゲは最後までコミンテルンの諜報員であり続け、「赤軍万歳」「ソ連共産党万歳」といって死んだようだが、尾崎秀実は獄中でこれまでの自らの思想と行動を深く反省し、戦争の勝利を願い、更には天皇を賛美することばまで書いている。ために、いわゆる「偽装」だという人もいるのだが、「深く反省」しているということば自体は事実である。
 対して宮城は、「被疑者は現在でも共産主義を正しいと信じて居るか」、という検事の質問に、「左様に信じて居ります」と答えている。そして、「私達の諜報活動」の目的は、結局、「我国に於ても世界革命の一環としてプロレタリヤ革命遂行に寄与することであり、従つて我国体たる天皇制とは相容れない活動であります」といい、更に、「私達の仕事が日本の国防上の利益を害することは有り得ると思つて居りました」と、はっきり認めている。自らの思想についても行動についても、間違っていたと「反省」したりはしていない。
 その共産主義者宮城が、12月8日の開戦に「感慨無量」といい、「日本民族の発展方向が判然と正しい軌道に乗つた」という。
 もちろん、いわゆる「北進」即ち対ソ連戦の阻止を最大の目的としていたゾルゲ諜報団にとって、「南進」とその結果である対米英蘭戦争は、当然歓迎すべきものであったろう。「私は今次、日本対米、英の大戦によつて私達が永年回避すべく努カして来た「日、ソ戦」が最早第二次的或は第三次的な意義しか持たないものになつた事を喜ぴとして居るものであります」。
 しかし、それだけではない。宮城は、「日、米英戦」そのものが「世界史的に重要性を持つ」戦争だと考え、自分もまた「全面的にこの戦争の勝利に協力を惜まないものであります」、と書くのである。(続く)
 
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