風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     7月                               過去の「風日好」一覧

  7月某日 新聞記事

 今日の夕刊に、イラクのバグダッドで、「米軍が日本人記者を拘束」したという記事(BBCによる)が掲載されていた。
 「駐留米軍が」、「フセイン元大統領の親類が潜伏しているという情報で、家宅捜査をしていた」らしい。だが、「逮捕者はなかった」というのだから、誤報だったのか、いずれにしても危険な状況ではなかったわけである。
 ところが、「外に出た兵士が近づいて来た乗用車を止め、運転手らが出てきたのを銃撃した」という。「5人のイラク人が死亡」。「死者の中に子どもが含まれているとの情報もある」。
 「乗用車を止め」たというのだから、制止の合図に従ったのであろう。「運転手らが出てきた」というのだから、反抗したわけでも攻撃したわけでもなかろう。ところが、米軍は、彼らを銃撃し、子供を含む(らしい)5人を殺してしまった。
 それだけではない。「この時、現場で取材していた日本人ジャーナリスト」が「米兵に暴行され、カメラを取り上げられて軍用車両の中で1時間拘束された」という。日本人ジャーナリストは何をしていたのか。「米軍が張った非常線の外から」、兵士らが乗用車から遺体を引き出しているのを「テレビカメラで撮影していた」だけである。つまり、正当な取材活動をしていたに過ぎない。
 ところが、彼は、「後から米兵にけ倒され」「続けて5,6人の兵士に銃口を突きつけられてけられたり、銃口で顔を小突かれたりし、その後、後ろ手に縛られて軍用車に連行された」。米兵は、他のメディアが集まってきたので、ようやく彼を「解放した」らしい。
 イラクの米軍にとって、こういう殺人は日常茶飯事となっている。また彼らは、気に入らないメディアの記者を撃ち殺しもした。だから、ニュースそのものには驚きはしない。
 問題は、上のニュース記事を私が読んだのが、夕刊10面だったということである。アメリカの「大義」が問われ、にもかかわらず日本が自衛隊を送るということが大きな問題となっているそのいま、この記事は、朝刊1面トップにならない。朝刊ではなく夕刊。しかも、1面でもなく2面でも3面でもなく、10面!
 そういえば、先日、イラクに医療面の人道支援を行ってきたNGOが支援中止の危機に直面している、という記事を見た。政府が援助を打ちきったからである。小泉政府にとって、「イラク復興支援」とは、単に、武装兵士を送り込むための名目に過ぎないことが、このことからも分かる。
 ところが、この記事も、もちろんトップ・ニュースどころか1面でもなく2面でもなく、ほとんどの人が見過ごしてしまう、ほんの小さな記事扱いであった。
 新聞が、もしもなお批判性をもつとすれば、それは、毒にも薬にもならない社説や論説の文章によってではない。強国や政府の情報操作を暴く、「事実の報道」によってである。
 ときおり、「それでもなお政府の支持率が下がらないのは不思議だ」、といった趣の論説を見かける。何をいっているのか。新聞の「報道」が誘導しているのである。

  7月某日 竜舌蘭

 知り合いの方から、「60年に一度咲くという竜舌蘭の花が咲きそうなので、見に来てください」というメールを頂いた。
 竜舌蘭(りゅうぜつらん)。龍の舌というのはどんな形をしているのか知らないが、英語では century plant というのだそうで、つまり1世紀に一度開花するということになっているらしい。以前から、お宅の庭に巨大なサボテン状の植物があったことは知っていたが、それが世紀の植物だった。何でも、葉が枯れてきたなと思っているうちに、茎が高く伸びて蕾を付けたのだそうである。つまり、60年だか100年だかの時が来て、それまで巨大な葉の中で作り貯めてきた全ての栄養分を集めて天高く茎を伸ばし、そしていま、蕾を付け花を咲かせようとしていることになる。
 見せてもらうと、なるほど確かに壮観である。(クリックすると大きいサイズになります)
 
 で、咲いた。バナナのような蕾から黄色い花がこぼれている。世紀の花。
 
 しかし・・・、この花がしおれるとき、竜舌蘭はその一生を終えて枯れるのだそうである。

  7月某日 ピアノの死体

 さて先日、何年か怠っていたピアノの調律をしてもらった。お願いしたのは、知り合いのジャズ・ギタリストにして本職は優秀な調律者、という方である。ついでに、サイレント・ユニットを付けてもらった。レバーを押すと電気ピアノになるという装置である。アクションはそのままなので、タッチは同じで、イヤホンやスピーカから聞こえる音はスタンウェイ、ということになった。大変ありがたいことである。
 たまたま時期を同じくして、ピアノを壊した。といっても、もちろんリストや山下洋輔のように演奏で壊したわけではないし、またもちろん、バスター・キートンのようにパフォーマンスとして壊したのでもない。
 実は先日、何年も放置されていた崩壊寸前の家屋が遂に解体されることになったのだが、そのとき、中にあった古いピアノもまた、運命を共にしたのである。もちろん私の土地でもなく私の家でもなく私のピアノでもないのだが、ただ、私が子供の頃に触ったことがあるピアノだという縁がある。その頃既にかなり古いピアノだったが、製造されてからは1世紀とまではゆかないにしてもかなり経っている。彫刻も付いた外国製のピアノで、見かけだけは骨董品である。
 が何しろ、超重量級の巨体である。小さくて保存し易いものなら、駄菓子のオマケでもコレクターが欲しがるらしいが、ピアノだけは、コレクターも名器以外は集めないそうである。一応まだ錆びてはいず、調律は別とすれば弾くこともできるのだが、しかし名器ではない古ピアノなど、厄介極まりない粗大ゴミでしかない。
 というわけで、哀れブルドーザーの手にかかったのだが、せめてここに、彼女いや彼の往年の雄姿を保存してやりたい。実際にはそうではなくて、壊す寸前に撮った「最晩年の無残な姿」であるのだが。合掌。
 
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