風日好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう    Top Page 旧稿一覧

 試行版(3〜5月)

 3月某日 サットン=スミス氏の"26"

 DEの法則発見者にしてたゆまぬ探求者サットン=スミス氏は、65才にして、1年が10ヶ月で1月が26日という単純な暦を作り、それを用いることにしたのだという。月の名には、彼が18才になるまで住んでいた、あちこちの土地の名が付けられていると、W.バロウズは書いているのだが、しかし、1ヶ月の日数である26という数を、スミス氏は一体どこから持ってきたのであろうか。もちろん26という数は、そのときも朦朧としていたであろう作家の書き誤りであって、スミス氏が採用したのは、例えば28つまり7の4倍という、いかにもDEにふわわしい数であった可能性も捨てきれないが、おそらくそうではなくて、スミス氏はもはや神のための安息日などに気を配ることをやめ、何であれ彼自身の立てた理由に従って、26という数を導き出したのであろう。だがその理由が分からない。
 それにしても、人は何故、今日は何月何日であると、そのつどあれほどの確信をもっていうことができるのであろうか。例えば、そのことについて尋ねられたとき、幸運にもたまたま新聞紙を手にしていたとしても、少なく見積もっても、その新聞が古新聞でなく、日付に誤植がないという確証を、人はもっていなければならない。ところが、そのような確証をもっている程の人なら、今日が何月何日であるかということを、わざわざ新聞などに頼らずとも答えられるであろう。だが私は、そうではない。
 こうして、これまで囚われてきた煩わしさから遂に解放されるために、実は私もまた、この際改めて自分の暦を作成するのがよいかもしれないと、密かに思い立ったのである。だが、最初にぶつかった謎が、26という数であった。一体何故、サットン=スミス氏は、その26という数を採用したのであろうか。
 月の公転と自転をあれほどまでに同調させることができた創造主は、まあそういった存在がいたとしての話だが、しかも何故か−あるいは突如自らの万能に飽きたのか−月と地球の諸周期の相互関係については、全く考慮の外においてしまった。こうして、世界秩序を昼間の支配者である太陽に委ねるために夜の月を躊躇なく犠牲にし、更には例えばOctつまり「8」を10月にずらしてしまうなどという横暴をあえてしてまで天の運行を自らの支配する人工秩序に組み込んでしまおうとした皇帝でさえも、1月の日数を最終的に統一することはできなかったのである。こう思えば、サットン=スミス氏のしたことは、人類にとって、実に画期的な一歩だったといえよう。
 しかし何故、26なのか。・・それが分からない。
         * 写真は、備前焼ビールジョッキ(松本頼明)/N.Cusanus 設立の養老院(St.Nikolaus Hospital)で作られたワイン 

 某日 「大島メモ」と絶望の戦後

 夕方、根本敬「電気菩薩」はまさかないだろうがと思いつつ寄った本屋で、一冊の本を見つけた。何を今頃、と思われるだろうが、最近は近所の小さい本屋で文庫本を買う程度なので、昨年末に出たこの本を知らなかったのである。大橋良介『京都学派と日本海軍』。過半の頁を占めているのは、この度発見された「大島(康正)メモ」の翻刻である。
 抵抗が翼賛となり翼賛が抵抗ともなった時代の思想のあり方は、「「翼賛」であるよりは、むしろ----「反体制」の行動であった」というように簡単には表現できないと思われるが、それはともかく大橋氏は、「大島は『実存倫理(の歴史的境位)』の脱稿とともに絶望してしまった」、と書いている。但し、「若すぎる絶望」であり「本当の絶望」ではなかった、というのであるが。ともあれ、大著を脱稿し、以後、絶望の戦後を生きる他なかったとき、著者はまだ30代の若さであった。
 メモの部分は、まだ読んではいない。

 原谷苑
 4月某日 「スタンダード」
 
 かつて占領地での抵抗はレジスタンスと呼ばれたが、いまそれはテロと呼ばれている。かつてある人々は自由の戦士と呼ばれたが、いま彼らはテロリストと呼ばれている。呼び変えの基準、それを「スタンダード」というらしい。

 6月某日 つるばら

 ある人が送ってくれた写真で、はじめて、「つるばら」とはこういう花だったのかと知った。
 「つるばら」の名に出会ったのは、大島弓子の作品によってである。もう細部はほとんど忘れたが、最後のページを雑誌で読んだときの強い印象は、いまも記憶に残っている。身体の崩壊に整形が追いつかなくなり、もはや客も取れなくなったホモ老人が、なおも幻の恋人を待ちながら、「つるばら、つるばら」とつぶやく。読んだとき「蔓薔薇」つまり「蔓の長い薔薇」だとばかり思っていたのだが・・・

 6月某日 哀悼、ナンシー関

 ナンシー関が急死した。
 彼女は、当代きっての名文家であり批評家であった。
 彼女が選んだのはテレビの中の世界、つまり他ならぬ現代世界である。彼女は、見続けた。
 ナンシー関が繰り返し書いてきたのは、書いてみせたのは、ただひとつのことである。それは、徹底的に受容させられるその世界が、実は、われわれが「見る」限りでの世界なのだ、ということである。
 だが、そのためには、徹底的な受容者にならねばならない。主体であるがためには受容を徹底する他ない。それが、彼女の選んだ方法であった。それが悲劇であった、とはいわない。
 彼女は6台のビデオレコーダーを使っていたという。映像を垂れ流すテレビの前に、彼女は座り続けた。あるとき彼女は、デーブ・スペクターに啖呵を切った。「伊達に太ってるんじゃねぇっ」。そう、彼女は伊達に太っていたのではなかった。それが彼女の方法だったのである。
 そのようにして、彼女は死んだ。
 
 6月某日 「ミーハー」は国境を越える、か?

 買い物にゆくと店内で、「ニッポン、ニッポン、ガンバレ、ガンバレ」と繰り返すだけの歌を聞かされる。「おれたちの国、ニッポン」、だそうである。新聞を開くと、「もはやサッカーという種目の問題ではなく国を挙げての闘いなのだ」といった主張をする人物のコラムが載っている。「テレビの視聴率が80%以下の国は参加する資格がない」、のだそうである。少なくとも私は、こういうのには辟易する。
 だが無論、サッカーの責任ではないし、私自身は加わるつもりはさらさらないが、楽しんでいる多くの人々にけちをつけるつもりもない。
 サポーターといえばたいてい男たちであり他国チームへの対抗心を隠さないヨーロッパなどの国々からみれば、日本のサポーターはいささか奇妙なのだという。例えば若い女性が多いこと、例えば他国チームを応援したりすること、などなど。
 「全米」に過ぎない野球の「ワールド」シリーズなどとは違って、サッカーの「ワールド」カップは、少なくとも僭称ではない。単純な道具、単純なルール。確かにサッカーは、貧しい国の貧しい人々でも楽しめるスポーツである。道具やルールだけではない。「ワーワーキャーキャーいってるだけですが、それが楽しい」という中年女性の新聞投書があったが、「ミーハー」といわれようとどうしようと、サッカーの強さのひとつは、そういった単純な楽しみ方もできることである。
 アメリカやまた日本などでこれまで庶民の熱狂を集めてきた種目の代表に、野球がある。野球が大衆熱狂種目になったローリング20'sは、ラジオと映画が大衆メディアとして拡がった時代でもある。27年の秋、人々はルースの60本目のホームランを、ラジオで聞き、新聞で読み、そしてニュース映画で見たであろう。
 もちろん、野球はテレビ時代に入っても人々を大いに熱狂させてきたし、サッカーもまた、長い歴史をもっている。けれども、野球というゲームは、何層にも区切られた状況の積み重ねでできており、アナウンサーにせよ記者にせよ、1球毎のプレーを、<ことば>を用いてかなりのところまで描写できる。対してサッカーは、「単純」であるにもかかわらず、いな「単純」であるがゆえに、<ことば>とは相性が悪い。「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」などという表現とは違って、「ドリブル5人ぬき」といったことばでは伝説となったプレーのすごさは伝わり難い。サッカーの熱狂的なコミュニケーションを支えているのは、サポーターたちが共有するのは、ことばにし難い映像である。
 いま、貧しい国々の人々も、全員ではないにせよ、少なくとも街頭ではテレビで試合を見ることができる。また、ルールを知らないような人々でも、テレビの前で、シュートが決まった瞬間に躍り上がることができる。戦術やシステムなどなどに詳しい年季の入ったサポーターたちは眉をひそめているかもしれないが、今回のW杯を盛りあげているのも、「ミーハー」たちであることは間違いないだろう。
 1球毎に区切られた状況の積み重ねでできている野球を長年見慣れた(私もそのひとりだが)ファンたちは、往々にして、サッカーは「慌しい」ゲームだなどという。よくもあしくも、サッカーに熱狂するすることは、ことばでは描写できないゲームの流れに、<じかに>身を浸すことだからである。そして人々は、繰り返されてきた無数の落胆によって蓄積されたエネルギーを、ゴールの瞬間に爆発的に放出する。
 ・・・サッカーに詳しい友人によると、盛況を誇るW杯あるいはサッカーにも、巨大利権と汚職の横行、組織的守備重視による魅力の低下、欧州への有力選手の集中、クラブの経営悪化などなど、いくつかの不安材料があるという。それらについては何もいえないが、野球との比較で私に思い浮かぶのは、唐突のようだが、高校野球のことである。
 かつて、春や夏の大会中に、仕事をしながらラジオに耳を傾け喫茶店でテレビに歓声を挙げていたおじさんたちは、県内の予選にも大いに関心をもち、大会となるともちろん郷土の代表高を応援していた。同県人とか同郷の友とかいうことばが、普通に使われていた時代のことである。郷土意識に支えられた高校野球の様相を変えたのは、おじさんたちからミーハー扱いされるコギャルたちであった。彼女たちはラジオ中継などは聞かない。ただテレビを見て、他県の選手でもおかまいなしに「大輔さま〜」などと騒ぎはじめたのであった。その背後には、県代表チームといっても、監督はあちこちの県を渡り歩く他県出身の有名監督であり、選手も必ずしも自県出身者とは限らず、そして有力選手は必ず卒業後は県外に出て活躍するといった、状況の変化があった。
 タイガースの熱烈なファンである私の友人は、「お父さんはどうしてサッカーの日本を応援しないの?」と聞かれ、「みんながサポーターになったら戦争になるでしょう?」、と答えたそうだ。確かに、W杯に当然伴っているナショナリズムに便乗したり、それを強調したりする輩には辟易するし、そして実際、くりかえし人々は、自国の軍隊の熱狂的な「サポーター」にもなってきた。また、県と国を同類に扱うのは余りにも乱暴過ぎる。だから、例えば今回日韓の距離が確かに少し縮まったりしたとはいえ、にわかサポータであるミーハーが国境を越えつつある、などとは、もちろん決していわない。
 けれども逆に、いつの日かミーハーが越えなければ、といって悪ければ人々がミーハー的に越えなければ、遂に国境はなくならない、ということだけは間違いなかろう。
  (追)ところで、山本敦久という人は、例えばセネガルのチームなど対して「高い身体能力」という語が用いられることに注目している。例えばカーンの素晴らしい身体反応にゲルマン「魂」といったような語が割り振られる一方で、アフリカのチームや黒人選手などの優れたプレーについては、その「高い身体能力」が賞賛されるのはなぜか。それは、ピッチを見る側に、例の「精神/身体」「文明/野蛮」という図式的な<目>が成立しているからだ。そう氏は指摘する。そういえば、ドイツとブラジルの決勝戦も、「緻密な」組織的守備と「奔放な」攻撃との闘いだといわれているようだ。・・・とすれば、「奔放な野蛮」が勝てばいいのだが。
 
    ページ最初に戻る