風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

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NEW  12月某日 Hikki

 9.11.の後のコメントが心にとまったので、時々Hikkiの日記(Message from Hikki)を見ているのだが、昨日たまたまそれを読んだ。
 そこで彼女は、家永三郎の死について書いている。
 彼女は、アメリカの学校で非検定の『新日本史』を読んで、これだけは伝えたいという家永のメッセージを受け取ったという。「・・どんな規制を受けても、こうやって、この本の話は彼のメッセージとともに広がっていくんだもんね。」

NEW  12月某日 Left Alone

 マル・ウォルドロンが死んだ。
 昔、ソロを聴いたことがある。曲の合間に静寂が訪れると、同じビルに入っている他の店の音楽が侘びしげに聞こえるような、小さく狭苦しいライブハウスだった。
 レコードを持ってきており、買うとジャケットにサインをした。帰りには、狭い出口に立って、僅かな客の全てに握手をした。はにかんでいるような表情の、物静かな黒人だった。
 後になって、別のところで、ジャッキー・マクリーンも聴いた(ピアノは別人)。もちろん?「レフト・アローン」もやったが、思いなしか、それで商売しているというような感じだった。時の流れのせいもあったのだろうが。

NEW  12月某日 「サキ」再考

 先日、「「サキ」の逆転」で、頂いたメールを紹介したが、それを読まれた別の方から、またメールを頂いた。
 で、その後少しくメールの往復があったので、ご了解を得て、対談形式にリライトして載せさせて頂くことにした。
 ・・のだが、ちょっと長くなりすぎてしまった。
 余りにもバランスを欠くので、「LONG」の
ここに移すことにする。

NEW  12月暮 「風日好」再考

 題名横にあるように、「風日好」を「今日は日和がよいけれど」と訳してみたのだが、この頃日和は良くはない。そろそろ止める潮時かもしれない。
 そのつもりではなかったのに、不徳の致すところ、良くはない日和につられて、時折時評的な駄文を書いてしまう。それがいけない。何かについて書くことで、何かについて書かないことが意味をもってしまうからだ。
 年が改まったら、「風日好」を再考しよう。
 
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