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越後湯沢のリゾートマンション


トンネルをぬけるとそこはマンション群だった。

と言われるほど、バブルの頃、越後湯沢にはリゾートマンションができました。

私がピステ石打の一番狭い部屋を買ったのは、1990年。

バブルの真っ盛り。

越後湯沢に最初にリゾートマンションができたのはその数年前で、布場スキー場という越後湯沢駅から歩けるところ。

数年で資産価値は倍近くになっていました。土地神話が生きていた時代でした。

私が越後湯沢にリゾートマンションを買いたいと思ったのは、1989年。

そう、栄達よりもマイホームパパへ、と軌道修正した年です。

そのころ開発されていたのは、越後湯沢からタクシーで2000円ぐらいの距離の、岩原スキー場と石打丸山スキー場でした。

両方見て回って、ピステ石打に決めて購入を決定。

1年後の1990年に引渡し。

越後湯沢周辺にはその後もマンションが建設中で、1年前より高い値段で売られていました。

「いい時期に買いましたね」と担当者に言われたのを覚えています。

その後程なくバブルははじけました。

山一証券の社長の会見を青山病院の透析室で見ていたのはその3年後でした。

今、ピステ石打でぐぐると不動産屋のHPが出てきます。

私のとまったく同じ間取りの部屋が80万円で売られています。

売りに出している人は80万円が必要なのではなく、毎月管理費1万7千円を払い続けたくなくなったのではないでしょうか。

私の部屋も、電気水道代や、固定資産税を含めると年間20万円くらいかかっています。

価値は15分の1になってしまったわけですが、家族4人でカローラに乗って越後湯沢に行った時期は家族の絆を強めるのに役立ってくれたはずです。

これからは孫(まだ生まれていません。というか子供達は結婚してもいません。結婚が出産より先とは限りませんが)が使うかも知れませんので、手放さずに持っておこうと思います。

でも、私はどうして土地神話を信じてしまったのでしょう。

香港が間もなく中国に返還されるので、欧米の大企業が、支店を移すために東京の土地を欲しがっている、

という話を、テレビで報道していたのを記憶しています。

この報道が私に「土地は不足している」と信じさせたのではないでしょうか。
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