月待供養塔
暗夜に貴重な明かりをもたらす月のもつ神秘さは、仏教を始めとするさまざまな宗教思想と結びついて「月をめぐる信仰」へ発展してきた。
石塔に“〇〇夜(待)供養”とあるものを総称して月待供養塔としていますが、月待板碑の後をうけて、江戸期から明治期にかけて続々と誕生し、特に江戸中期から後期にかけて造立のピークを迎えています。
現在知られているものでは、十五夜、十六夜、十七夜、十八夜、十九夜、二十夜、二十一夜、
二十二夜、二十三夜、二十六夜などの供養塔があり、地域によってかなり偏った分布を示しています。
このうち、十九夜待と二十二夜待は女人講による如意輪観音を主尊とした安産祈願の行事が主流をなし、地域によっては明治・大正時代まで供養塔の造立が続きます。
月待塔における主尊の選択はほとんどが仏教の教義に基づいており、十九夜と二十二夜では如意輪
観音、二十三夜は勢至菩薩、そして二十六夜が愛染明王とほぼ決まっています。これらは石造物としての形態の変化とともに時代背景や石工の技量ともあいまって、実にさまざまな像容を表現しています。