Tulip Reference Data


ARP Pro-Soloist
 ●外観写真  米ARP Instruments社が1973年に発売したアナログ・モノフォニック・シンセサイザー。  30種類の音色から選択する「プリセット」型であり、自由に音色を作れない反面、演奏中  に素早い音色変更が可能であった。また、鍵盤を強く押すことで音量やピッチを変えたり  ビブラートを加えたりできる「アフタータッチ」機能も、当時としては珍しい機能であっ  た。1VCOであり、3VCOのMini-Moog等と比べるとやや音が細く感じる。  1978年には音色セレクターを電子スイッチ化した「Pro-DGX」にモデルチェンジされて、  1981年のARP社倒産まで生産された。  (筆者はPro-DGXを所有しており、TULIPのシンセ音色等を研究している)  本機の愛用者としてはGENESISのトニー・バンクスが有名。1973〜1977年頃のLIVE/ア  ルバムの両方で多用していた。  またWINGSの1976年Tour「ALL OVER AMERICA」では、Mini-Moogと共に本機が使用され  ている。「JET」で故リンダ・マッカートニーが弾いている「抑揚のないリード音」は  本機によるもの。  TULIPが本機を使い始めたのは1974年暮れ、アルバム「無限軌道」のレコーディングから  と思われる。ステージでの使用が確認できるのは1975年のTourからで、以降、79年の第  一期終了まで長く愛用された。  シンコーミュージック刊ムック本「季刊ポッポ No.12 チューリップ 小さな世界」には  1975年前半と思われるステージ写真が掲載されている。この時期は生ピアノの上に1台、  Solinaの上に1台と、計2台のPro-Soloistが使用されていたことが確認できる。  本機を含め、TULIPはシンセサイザーをLeo Musicという業者からレンタルしていた。当時  のシンセは壊れやすく、壊れたらすぐに交換/修理に応じてくれる専門業者からレンタル  する方が、TULIPのようなプロミュージシャンにとっては都合が良かったためと思われる。  「ライブ!!アクト・チューリップVol.2」のブックレットの中に、「Leo Music's No.1」  と大書きされた本機の勇姿が写っている。  Leo Musicの逸話を含む日本のシンセサイザー黎明期についての情報は、ASCII出版局か  ら出版されている「電子音楽 イン・ジャパン」(著者:田中雄二)に詳しい。
Solina String-Ensamble
 ●外観写真  オランダのB.V.Eminent社製のストリングス(弦楽器)音を出せる電子鍵盤楽器。  発売は1974年であり、米国ではARP Instruments社のブランドで販売されていた。  ARPブランドのSolinaは背面にARPロゴシールが貼られているが、TULIPが使用していたも  のにはこのシールが貼られていない。このことから、TULIP使用のSolinaはB.V.Eminent  社純正のものと推測される。  TULIPが本機を使用し始めたのは1974年暮れ、アルバム「無限軌道」のレコーディング  から。「私は小鳥」「愛のかたみ」「サボテンの花」「人生ゲーム」の4曲で、澄んだ  ストリングスサウンドを聴くことができる。  1/25/75の富山音源ではシングル発売に先駆けて「サボテンの花」を演奏しており、ここ  で最もステージ初期のSolinaの使用を確認できる。  中高音域の豊かさに加え、内蔵のコーラス・エフェクトによるリッチな揺らぎを感じる  「ソ〜〜」というサウンドがSolinaの特徴。第1期TULIPを彩る代表的な楽器である。  線の細いHammond L-112の音と容易に聴き分け可能。
Rickenbacker #331
 ●外観写真  米国Rickenbacker社が1970年から販売していたエレクトリック・ギター。  弦を弾く強さに反応し、ボディに内蔵した4色の電球が半透明のパネル越しに光るのが特徴。  テールピース横のツマミで感度を調節可能で、絞りきるとOFFになり、一杯に回すと電球が  つきっぱなしになる。電飾用の電源は専用のDCケーブルで別途供給する必要あり。  ボディにはバーガンディー・グローというRickenbacker社独特の塗装が施されている。木目  が透けて見えるワインレッドで、ステージでは赤く、それ以外では黒ずんだ茶色に見える。  販売価格の高さと実用性の低さであまり人気がなく、正式な製造は1974年で終了している。  ただし、70年代後半までは受注製造品としてオーダー可能であった。  生産本数が非常に少なく、中古市場では値段が100万円以上に暴騰している。  初期型は透明な電球に色のついたプラスチックキャップを被せただけのもので、すぐに電球  が切れてしまったり、熱で基盤が溶ける等の欠点があった。後期型は電球が発光ダイオード  に、基盤が耐熱性のものに替わっている。初期型は電球が一列、後期型はランダムに並んで  いるので、外見でも容易に判別可能である。  財津がこのギターをステージで使用し始めたのは1975年からであり、おそらくは74年生産の  正式最後期のモデルと思われる。(電球の並びも一列ではない)  インタビュー等で「業者の人が『面白いギターがあるよ』と言って持ってきた」と語ってい  ることから、正規輸入代理店(当時は黒澤楽器?)扱いではなく、シンセ等の輸入/レンタ  ルを手掛けていたLeo Musicが並行輸入したものと思われる。  シンコーミュージック刊ムック本「TULIP '77」の記事の影響か、TULIPファンには「ネオン  ・ギター」と呼ばれているが、Rickenbacker社が呼んでいた愛称は「Light Show Guitar」  である。また、この本には「日本で1本しかない」との記述もあるが、同じ頃に宇崎竜堂氏  が使用していたのをTVで見た記憶がある。わざわざ照明を消してギターが光るところを実  演して見せたから、決して見間違いでは無い。  「非常に重くて肩が凝る」ことを理由に、77年後半からはFender Telecaster Thinlineが  財津のメインギターとなった。以降はアンコール等でたまに使う程度となる。  財津がこのギターを光らせる見せ場は、私が確認している限りでは「愛のかたみ('77)」  「夢中さ君に('85)」「私のアイドル('97)」の3曲。  ちなみに筆者は数年前、同型のギターを楽器屋で試奏した経験がある。  手にとって、まず、その重さに驚いた。内蔵している電飾のための仕掛けがかなり重いので  あろう。さらにボディーの厚みもかなりあり、330等の同社のホロー・ボディー・ギターに  比べて1センチは厚かったのではないだろうか。  プラグインして軽く弾いてみたが、非常に貧弱な音であった。そもそも同社のギターはブリ  ッジの構造上ほとんどサスティーンが無いのだが、そのポコポコした軽い音には笑ってしま  った。電飾も、明るい店内では「ホントに光ってるの?」というくらいの暗さであった。
Greco MR1000
 ●外観写真  神田商会が70年代中期に発表したエレクトリック・ギター。  同社のブランド「Greco」はコピーモデルが大半だが、MRシリーズは完全オリジナルで価格も  コピーモデル以上の高級品であった。MR1000は高級なメイプル材を使用し、ハムバッキング・  マイクを2個搭載した、シリーズ最上位機種。(当時の定価は10万円)  姫野はチェリーサンバーストのMR1000を「'75 全国縦&横断ツアー」から1977年前半まで使用  している。量産品はストップ・テールピースだが、姫野のものはES-335等と同じブランコ・テ  ールピースが使用されている。  シンコーミュージック刊ムック本「TULIP '77」によれば、姫野は国内メーカーからEギター  を何本かモニター提供されていたという。MR1000もモニター品だとしたら、テールピースの違  いは「試作品だから」という可能性もある。
Gibson ES-335
 このギターについては専門のホームページ等のご参照をお薦めする。  補足情報として....  安部の335はフロント・ピックアップが「上下逆」に取り付けられている。  「中古で購入した時点からそうなっていた」とのことだが、これにより通常の335と比べて  微妙なトーンの違いがあることが想像できる。  また、標準のペグ(糸巻き)がプラスチック製であったのに対し、安部の335はグローバー  社の金属製のものに交換されている。操作性や耐久性を重視してこのタイプへの交換を行う  ミュージシャンが多い反面、「ヘッドが重くなる」「サスティーンが悪くなる」という理由  で嫌うミュージシャンもいる。  シンコーミュージック刊ムック本「季刊ポッポ No.12 チューリップ 小さな世界」に1975年  前半と思われるステージ写真が掲載されているが、スペアとしてもう1本、赤いES-335がス  テージに置かれているのが確認できる。背面から撮影されているため、メーカー名や詳細な  スペックは不明。  モデル名の"ES"とは"Electric Spanish"の略。ちなみに"SG"は"Solid Guitar"の略。
博多時代の自主製作盤
 4曲入りのコンパクト盤。知らない世代の方々に説明すると、45回転用シングル盤を33  回転で使用することにより収録時間を伸ばしたもの。  当時のメンバーは財津/吉田/末広信幸/宗田慎二の4人。  レコーディングは福岡KBCテレビのスタジオで、KBCの名物ディレクター岸田氏の  陣頭指揮のもとに行われた。モノラル録音設備しかないスタジオを2つ使ってステレオ  録音したという逸話がある。レコード盤のプレスは福岡のキングレコードに委託した。  福岡のイベンターで実家が博多織メーカーであった安川義治氏が製作費用を負担した。  2000枚プレスし、当時売れたのは1000枚程度だったという。  レーベル名は「スター・ヒル」で、THE BEATLESの愛飲するコーヒー名から名付けた。  収録曲は以下の通り。  ・柱時計が10時半    (作詞:末広信幸 作曲:財津和夫)VOCAL:末広  ・ええとこの子のバラッド (作詞:財津和夫 作曲:宗田慎二)VOCAL:宗田  ・鼻毛の唄        (作詞/作曲:財津和夫)     VOCAL:財津  ・ママがパパを愛したように(作詞/作曲:財津和夫)     VOCAL:財津  「柱時計が10時半」がいわゆるA面的な扱いであり、博多ローカルでそこそこにヒット  したと言われている。皮肉なことに、リードボーカルは財津ではなく末広。  演奏は全て生楽器(ギター/ベース)。後に聴かれるようなポップなサウンドではなく、  PPM等を彷彿させるカレッジフォーク的なものである。
フェイズ・シフター
 元音に対して位相をずらした音を生成し、元音とMIXして出力する機械。  原理はともかく、マイクや楽器をこの機械に通すと「ショワショワしたうねりのある音」を  作り出すことができる。  姫野はフェイズ・シフターを使用していたとしか思えない「ショワショワの音」でEギター  を弾いている。  ただ、シンコーミュージック刊ムック本「TULIP '77」では「アタッチメントはステージで  は使わず....」という記載があるのが不思議。  ステージで姫野がフェイズ・シフターを使用している映像/写真を探しているが、現在のと  ころ確認できていない。
Mini-Moog
 ●外観写真  米Moog Music社製のアナログ・モノフォニック(単音)・シンセサイザー。  発音源であるVCOを3基装備しており、その組合せによる独特の太い音が特徴。  使用ミュージシャンは数知れず。70年代におけるプロ・キーボード奏者の殆どが何らかの  形で使用していたと言って過言ではない。  1970年に初生産され、1981年まで約12,000台が生産された。昨今のヴィンテージ・シンセ  ブームに押され、再生産が開始された。(実売価格は約40万円)  TULIPのファンクラブ会報No.23(1982年8月発行)における姫野のコメントが正しければ、  TULIPが本機を使用し始めたのは、アルバム「ぼくがつくった愛のうた」のレコーディング  から。「アンクルスパゲティー」で聴こえるオーボエ風の音がそれと思われる。  本格的に使い始めたのはアルバム「日本」のレコーディングからで、ポルタメント(無段  階の音程変化)を効かせてフィルターを開いた「いかにもシンセ」というような音色を好  んで使っていた。「ライブ!アクト・チューリップ Vol.2」のオープニング曲「ハーモニ  ー」でのシンセがその典型例である。  昔のアナログシンセは、音色をエディットするとチューニングまでが変わってしまうこと  があった。特にMini-Moogはチューニングが安定しないことに定評があり、ステージでは  殆どのミュージシャンが音色を変えずに使用していたと言われる。  (YesのRick Wakemanは、音色の異なるMini-Moogを数台並べて使用していた!!)  逆にARP製品はチューニングの安定度に定評があった。特にPro-Soloistはワンタッチで  音色が切り替わり、チューニングも安定していたと言われる。  (筆者も後継機種のARP PRO-DGXを所有しているが、チューニングはかなり安定している)  よってTULIPは「いわゆるシンセ風の音にはMini-Moog」、「ちょっと変わったシンセ音  にはPro-Soloist」というように両機を使い分けていたと推測される。
Gibson Dove
 ●外観写真  米Gibson社製のアコースティック・ギター。  貝で作った鳩(英語で"Dove")のレリーフがピックガードに刻まれており、派手なチェリー  サンバースト塗装と相まってステージ映えするギター。  独特のブレージング(ギターに内貼りする板)構造による、シャリシャリした固い音が特徴。  ストローク向きで、アルペジオ等の繊細なフィンガー・プレイには不向きと言われている。  アリス時代の谷村新二が、ナチュラル仕上げのDoveを愛用していた。  現行のモデルは樹脂あるいは牛骨製のブリッジ(弦を根元で支える台)だが、財津のものは  弦高やオクターブ調整可能な金属製の「Tune-O-Matic」ブリッジが付けられている。このタ  イプのDoveは1962年から1969年までしか生産されておらず、非常に希少。  写真等で使用が確認できるのは1975年からで、1978年にOvationに持ち替えた。以降、なぜ  か姫野がステージで使用していた。  1975年前半のTourではマイクを立てて集音していたが、同年後半からは小形のコンタクト・  マイクをブリッジ近くに張り付けて使用していた。  財津はステージでこのDoveを空中高く放り上げ、観客をハラハラさせながらも無事キャッチ  するというパフォーマンスを行っていた。Ovationに持ち変えてからも行っていたようだが、  札幌公演でキャッチに失敗!床に叩きつけられたOvationはバラバラになってしまった。  (筆者はその惨劇の一部始終を、ステージ前で目撃していた)
Hammond L-112
 ●外観写真  アメリカのローレンス・ハモンド氏によって発明された電子オルガン。複数の歯車が高速回転する時に  発生する正弦波を、ピックアップで拾って発音する仕組み。ドローバーと呼ばれる複数の棒型ツマミを  前後にスライドさせ、音色を設定する。レスリー社の回転スピーカーと組み合わせて使用することで、  広がりのある荘厳なサウンドを創り出すことができる。  当初はパイプオルガンの代用品という位置付けであったが、1960年代あたりからジャズの分野で使用さ  れるようになり、1970年代にはロックバンドにおける必須アイテムとなった。DEEP PURPLEのジョン・  ロードやYESのリック・ウェイクマン、ELPのキース・エマーソン等、日陰者だったキーボーディストを  バンドの中心に据えるのに大きく貢献したのがこのハモンド社のオルガンである。  TULIPが使用していたのは「スピネットタイプ」と呼ばれるカテゴリーのL-112という機種。主に家庭で  の使用を前提としており、上記のミュージシャンが愛用していたB-3/C-3といったものに比べてひとま  わり小型であった。また、レスリー社の710という型番の回転スピーカーと組み合わせて使っていた。  この楽器の使用例としては、「ライブ!アクト・チューリップ Vol.2」の「マイ・ボニー」「ここはど  こ」等が分かりやすい。
PILOT
 Scotlandのエジンバラで73年に結成されたポップス系バンド。  メンバーはウィル・ライオール(Key & Vocal)、デビッド・ペイトン(Vocal & Bass)、  スチュアート・トッシュ(Drums & Vocal)、イアン・ベアンソン(Guitar)の4人。  英EMIから74年〜77年に4枚のアルバムをリリースし、80年に解散した。  スチュワート・トッシュは後に10CCのメンバーとして有名になる。  「Magic」は74年のデビューアルバム「PILOT」に収録された、彼らの2ndシングル曲。  ピンク・フロイドのエンジニアとして有名なアラン・パーソンズがプロデュースを担当  しており、英国のみならず米国/日本でもヒットチャートの上位に登った。  アルバム「PILOT」を聴くと、彼らがTHE BEATLES、特にPaul McCartneyのフォロワー  であったのが判る。生ギターでリズムを強調し、ポルタメントの効いたモノシンセでカ  ウンターメロディーを加え、品の良いコーラスで厚みを付けるという手法は、70年代中  期のWINGSの十八番であった。  上記の手法は、実のところ70年代中期のTULIPの手法そのものである。  PILOTとTULIPのサウンドが酷似していることはTULIP自身も意識していたようだが、同  じルーツから発生したバンド同士であれば当然のことと思われる。  ただ、偶然ながらもバンド名までそっくりなのが興味深い。PILOTをひっくり返すと...  「TOLIP」。一字違いだが、不思議な符合である。  「MAGIC」が収録されたアルバム「PILOT」は現在でもCDで入手可能。  CD番号はTOCP-3427、発売元は東芝EMI株式会社である。
Combo Organ(機種不明)
 ビデオ「TULIP GREAT HISTRY Vol.1」には「'75 全国縦&横断ツアー」の大阪厚生年金  ホールで収録した「夢中さ君に」の映像が収録されている。  オープニングでステージ背後から撮影した映像が一瞬写るが、鉄パイプ製のスタンドが  付いたCombo Organ(可搬式の電子オルガン)の姿が確認できる。  下半分が木目調で上半分が黒、2段鍵盤で白いタブレット状の音色セレクターが付いて  いるが、これに相当する機種を現時点で特定することができない。  また、このツアーでOrganを演奏している箇所をどうしても特定できない。  「せめて最終電車まで」「青春の影」は後年Hammond L-112で演奏するのが常であったが、  名古屋音源ではSolinaで演奏している。  「TULIP VIDEO CLIPS」には、同ツアーにおける「せめて最終電車まで」の演奏シーンが  収録されているが、姫野がSolinaを弾いていることがバッチリ確認できる。
断片的な公式映像
 「'75 全国縦&横断ツアー」の映像は、私の知る限り以下のものがある。 (1)ビデオ「TULIP GREAT HISTRY Vol.1」   「歌は生きている」をBGMに大阪駅に降り立つメンバーの映像から始まり、ステージ前   の会場設営風景やリハーサルを挟み、「夢中さ君に」のライブ演奏途中までが収録されて   いる。会場は大阪厚生年金ホールとされている。   財津は鼻下にヒゲを生やしており、白いウエスタンシャツを着ている。 (2)ビデオ「TULIP VIDEO CLIPS」  「せめて最終電車まで」と「あのバスを停めて!」が収録されている。会場/日付は不明。  財津は白いジャケット姿であり、他のメンバーの衣装も異なるため、(1)とは異なる公演  と推測される。