勝倉城(ひたちなか市)


 勝倉城は、金上館同様、那珂川北岸の台地が続く台地上にあります。
城は方形の単郭式で跡は現在の勝倉小学校・幼稚園です。北東には東
に続く谷があり(人口の堀切にも見えます。)南側を含め三方向は谷となっ
ていて要害となっています。また西側は現在は県道になっていますが、
ここが西の堀跡の様です。
遺構跡ですが、勝倉幼稚園の県道沿いに土塁らしき盛り上がりが続いています。
また、那珂川・水戸城などを眺めることのできる南側に古墳を利用した物見台
といわれるものがあります。
 勝倉城は金上館同様、那珂川以北や流域を防御する役割があったと思います。
また眼下の延長線上には吉沼の渡しがあり、水戸への交通・水運の掌握なども兼
ねていた拠点だったと思います。
 城は、嘉禄2年(1226年)平井越後守明綱が築城し、江戸氏水戸城主後、飯島氏
が城主となり佐竹軍水戸城攻略のとき落城した。


場所  ひたちなか市勝倉字富士山
築城年 1226年
築城者 平井越後守明綱
遺構  土塁・空堀?跡

北東にある東へ続く谷  天然の谷か?人工の空堀跡か?
古墳を利用した物見台跡
県道沿いの土塁 遠方より見た勝倉城跡(矢印が物見台付近)


                                         戻る