1974年 2月 3日(日) カルメンマキ&OZ
at 渋谷ジャンジャン


1972年にカルメン・マキが春日博文らと共に「カルメン・マキ&OZ」を結成。
1974年11月にキティレーベルからシングル"午前1時のスケッチ”でデビュー。
翌年の1975年1月にはファースト・アルバム「カルメン・マキ&OZ」を発売。
そのレコード・デビュー前のメンバーが流動的だった頃のライヴ。

メンバー
  • カルメンマキ(Vo)
  • 春日博文(G)
  • (B)
  • (D)
  • (Key)

  • 第1部
    No.曲名コメントCD
    1.Wake Up Your Mind
    (M.C.)曲を紹介。
    2.六月の詩1998年8月26日に発売されたアルバム「SPIRIT」から。
    (M.C.)お礼。
    3.セント・ジェイムス病院導入部のみ春日が歌い、マキに引き継がれる。
    (M.C.)曲を紹介。節分の話し。
    4.Rock'n Roll Hoochie KooRick Derringerの曲。
    5.Come On Everybody
    (M.C.)東京キッドブラザーズという劇団の話しを。
    6.Mother House
    (M.C.)お礼。

    第2部
    No.曲名コメントCD
    (Acoustic Set)
    7.And You1971年7月に発売されたアルバム「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」から。
    (M.C.)お礼。
    8.Rolling On The River
    9.振り子のない時計1976年10月に発売されたアルバム「閉ざされた町」から。
    英語の歌詞。
    (End Of Acoustic Set)
    10.1977年12月に発売されたアルバム「カルメン・マキ&OZ 3」から。
    (M.C.)次の曲を紹介。
    11.Image Song1975年1月に発売されたアルバム「カルメン・マキ&OZ」から。
    (M.C.)チューニング中、話しを。
    12.私は風1975年1月に発売されたアルバム「カルメン・マキ&OZ」から。
    [SONGS]
    Total Time: 90min
    [COMMENTS]
    10年位、段ボール箱にしまわれたままのモノを断捨離し始めた2021年7月。

    1974年11月に発売されたシングル"午前1時のスケッチ”のレコーディング時に残っていたのはマキ、春日のみ。
    当時の生き証人、そして当事者たちの本やWebサイトからの情報を並べてみます。

    鳴瀬喜博さんの2015年の本「ナルチョのおれにもトコトン言わして」によるとそのレコーディングは1974年9月に呼ばれてベースに鳴瀬喜博、ドラムは西哲也、鍵盤は後からダビングを深町純らしい。
    1975年1月に発売されたファースト・アルバム「カルメン・マキ&OZ」内のクレジットには成瀬ヒロとクレジットされたとのこと。

    Webサイト「大人のMusic Calendar」にダディ竹千代さんが寄稿された内容から。
    1973年3月に玉川区民会館で高校卒業記念コンサートで初代カルメン・マキ&OZは演奏したとのこと。
    1973年、OZの初代のメンバーはベース鳴瀬喜博(後スモーキーメディスン)ドラムに樋口昌之(後CREATION)であったがBBAが来日した1973年5月頃に脱退。
    1974年6月、青山タワーホールで"六月の詩"を初お披露目。
    ポリドール傘下のKITTYレコードでレコーディングの話しが。
    1975年1月に発売されたファースト・アルバム「カルメン・マキ&OZ」の前半のメンバーはDr.古田たかし14歳、Ba千代谷晃17歳、Key石川清澄20歳、春日博文20歳らしい。
    しかしレコーディングの後半にさしかかる頃、LIVEのアンコールの事で揉めメンバーがマキと春日以外やめてしまった。
    これから1974年11月に発売されたシングル"午前1時のスケッチ”のレコーディングをするため鳴瀬喜博に頼んだとのこと。

    この複雑な構成の楽曲の数々を簡単に出来るわけはなく、この日のメンバーは1975年1月に発売されたファースト・アルバム「カルメン・マキ&OZ」のレコーディング前半までのメンバーであるDr.古田たかし14歳、Ba千代谷晃17歳、Key石川清澄20歳、春日博文20歳だと思うのですがいかがでしょうか。

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