自分で決めたい 生き方、死に方 
(山形県立日本海病院一柳邦男院長言)






 尊厳をもって生きること 



  尊厳死、すなわち平和で威厳のある死に方をするには、いくつかの条件がある。 まず第一に、自ら肉体的に過度に苦しまないことが一番大事なことの一つ。がんな  どの痛みは、人間の尊厳にとって大きな敵となる。                  第二に、死ぬ間際に、多少なりとも社会に貢献したという充実感、高揚感を持て    るかどうかということだろう。貢献といっても別に大げさなものではなく、市民とし ての務めを果たし、人に迷惑をかけず、人に嫌われず、安らかに逝くだけのことでい い。それが普通の人のできる社会貢献だ。子供を育てることだけでも立派な貢献にな る。     第三にあh、残された者に過度の悲嘆や負担を負わせないことが大事な条件に なる。幼子を失った若い両親のように、残された人間が四六時中嘆いていなければ   ならないような状態では、尊厳死とはいえないだろう。              
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 「人間は生まれた時から死に始める」ということわざがある。もし、死が一生の一部では
なく生が死の一部で、生は死に向かっての長い過程であると考えると、尊厳死 は尊厳生に
なってしまう。だから、尊厳死とは「尊厳を持って人生を生きることだ」 と考えることも
できる。                               
しかし、今は病院の図体が大きくなって中身も高度になりすぎ、医療の水準が上がったばか
りに、患者さんが尊厳を失った状態でただ生かされていることがしばしば ある。「スパゲテ
イー症候群」といわれるように、点滴や鼻から入れる栄養チューブ、人工呼吸器につながれ、
そのため患者さんは死にたくても死ねないという目に余る 状態が今も続いている。そういう
スパゲテイーにまとわれつかれながら死ぬのは嫌だ ということで、尊厳死を望む人も増えて
きている。                



では、スパゲッテイのようになって死にたくないなら、どうしたらいいのか。遺言を作って
それを実行してもらうこともできるが、多少の法律や医学的知識が必要だ。  そんな手のこ
んだ難しいことをしなくとも、手軽で実効性に富んだのが日本尊厳死協会による「リビング・
ウィル」(尊厳死の宣言書)という形で遺言を残しておくことだ。 



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