老後をしあわせに暮らすヒント「夫婦について」 


 社会福祉法人 一灯園理事長 宮 内 博 一 氏 記 
(私学年金速報 9 平成10年1月1日発行から抜粋)



 夫婦というのは、どいう関係なのだろうか。
 
 結婚という形式がなければ夫婦と呼ばないが、男と女の共同生活を営む形態であることは
間違いない。共同生活のなかには、経済的相互扶助もあり、性にかかわる生活もある。恋愛
で結ばれた夫婦もあれば、見合いで結ばれた場合もある。

 希望に燃え、性のなかで熱愛する生活も、そう長くはつづかない。子供が成長し、老いを
感ずるようになると、新鮮さを失い、倦怠が生まれてくる。

 あれほど燃えた性生活も色あせて、男と女であることは変わらないが、心象風景は豹変す
る。この関係をどう表現したらいいのだろうか。友愛のある生活のパートナー(仲間、相棒、
共同者)とでも表現できるだろうか。



 性を共有し、生活を共有し、思い出を共有した長い歳月である。愛情の振幅は、睦みあえ
ば天国であり、憎しみ合えば地獄である。それも相手の死を願うほどの振幅である。

 色香のあった妻も、老いを向かえだすと、逞しい女に変わり、夫にとってみれば、頼りに
なるパートナーとなる。

 男は定年をすぎると体力的にも自信を喪失し、生きがいがみえなくなる。大抵はいわゆる
粗大ゴミと化すのである。

 これに反して、妻は、共同生活者として根をはり、夫のボデイーガー(護衛、用心棒)に
なっていく。

 

 これは、生理的な男と女の違いである。男は純情可憐なピーターパン(この場合、子供ら
しさを失わない大人の意味)と化あい、女は、いじわるばあさんでなかったら、鬼婆とまで
いかなくとも、生活対応能力のある逞しい存在になっていく。

 童話の「兎と亀」といったらいいだろうか。人生のレース(競争)では、女は男に勝つの
である。夫にとって、老後に信頼できる唯一の存在である妻を、もっと大切に扱ってもらい
たいというのが、私の希求である。

 関白だった亭主も老いて駄馬となるのだから、妻を大切に扱い、思いやりのある老後をす
ごすべきである。

 ときどき、妻にプレゼント(贈り物)をして優しさを表現すると、その効果は、生活のな
かに反射する。プレゼントは、非日常性があるから、妻の喜びは一段と増し、夫へのサービ
スに転化されていく。



 妻に遺産を残す心があるなら、遺産が多少減っても、生きているうちに、生きた使い方を
すべきである。「老いた犬と老いた妻は主人を裏切らない」という言葉がある。私は、この
精神で妻に報いている。

 いずれ、どちらかが先に死ぬのだが、それまでにさほど余命が残っていない。不平より感
謝で夫婦は生きるべきである。

 夫婦が同時に死のうと思っても、航空機にでも乗って事故に合わない限りできないことだ。
伴侶を失ったあと、大抵の夫は孤独に耐えられず、数年後に死亡する。妻は孤独に強く、ス
トレスにも強くて、夫の死後でも長く生きられる。

 せめて、妻に看とられてしにたいものである。



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