東京の車窓から・・・東京のローカル線を訪ねて

東武亀戸線








東京のローカル線を巡るこのシリーズ、今回は東武亀戸線です。
東武鉄道は今の業平橋駅を浅草駅と呼んでターミナルとして開業したのは、
明治35年のことです。
それまでは、北千住−久喜間が明治32年に開業していました。
伊勢崎まで開業したのは明治43年のことです。
さて、東武鉄道としては何とか隅田川を越え、都心に乗り入れをしたかったの
ですが、ままならず、この東武亀戸線を先に開業させました。
明治37年のことです。それから東武電車が松屋デパートと一緒の、
地上7階建てのビルの中から発車するという、当時としては大変斬新な、
現浅草駅の開業する、昭和6年まではこの亀戸線が、当時の総武鉄道の
亀戸駅と連絡するという重要な役割を持っており、
本線の扱いとなっていたそうです。



そのおかげかどうか、全線複線のこの亀戸線ですが、今は電車は2両編成。
朝5分間隔、日中10分間隔の運転です。
JRに接続する亀戸駅から東武伊勢崎線の曳舟駅まで途中3駅、
たった7分の小さな旅です。
明治37年の開業当時から昭和3年までは途中駅はありませんでした。
途中3駅の開業は関東大震災後、工場が増え、利用客が多くなった
昭和3年になってからのことです。


さて亀戸駅は、現在はJRは高架線上にあり、東武線は地上から
ひっそりと出発します。JRの駅との落差は激しくまるで地方の
ローカル線の趣です。



この亀戸、学問の神様の亀戸天神で有名ですが、周辺には
老舗のうまいものどころも多い一帯です。
さて、電車は亀戸駅を出てJR線と別れ左に大きく曲がると
亀戸水神駅です。(かめいどすいじん)と読みます。
この駅名は、近くの亀戸水神社からとったもので、近くの学校にも
同名のものがあります。
この神社、16世紀享禄年間の創建といわれ、このあたり海に近く
湿地帯でその開墾のために作られ、この名があるそうです。


さて中川の支流の北十間川を越えると次は、程なく
東あずま(ひがしあずま)駅です。



ここの駅名もおもしろく、
東あずま駅利用者 Mr.Nさんからこんなご紹介を頂きました。

「東あずま」駅の由来ですが,明治時代,墨田区一帯は「吾嬬町」と呼ばれていて,
その後東京の区制や町名変更で名前が変わったようです.吾嬬町の東にあるから
東あずま・・・だと思います.その名残かどうか,隅田川を挟んで浅草の対岸は「吾妻橋」の
地名が現在でもあります.また,東あずま駅の近くや曳船,向島あたりには「吾嬬」の付く
小・中学校が点在しています.名が変わった後も駅名は変えなかったのでしょう.

その次の明治通りの袂にあるのが小村井(おむらい)駅です。
両駅名とも今の住所とは何の関係もありませんが
おそらく、駅名を残して、住所表示がかわってしまったのでしょうね。


さて、電車は京成押上線の下をくぐり、あっという間に曳舟駅に到着です。
このあたりの駅名、押上・曳舟となにやら、押したり、曳いたりしていたようですね。
余談ですが、この曳舟駅の次の東向島駅は昔は玉ノ井駅といい、
周辺は遊郭で有名な一帯でした。今も路地の一部に当時の面影があります。
今は東武博物館があります。


さてほんとにあっという間の(何せ7分ですから)亀戸線の旅、
いかがでしたでしょうか。
地元の方以外はあまり利用することのない、東京のローカル線ですが、
亀戸にでも降り立ったときは、一度7分間乗ってみてください。
下町の工場の中を縫って走る、視線が一階建ての小さな旅が
味わえますよ。

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