ここにはないもの

夜になって街の喧騒も闇に吸い込まれて 僕はやっとホッとして 着ていた鎧を脱ぐ

それは大人たちに虚勢を張る姿じゃなくて 思い悩み背中を丸める無防備な自分

と言って嘆こうにも具体的な不満なんて何にも思い当たらないんだ 次の朝が来る前に 予測変換の日々リセットできないか?

昨日と同じ景色は もううんざりだ ホントの空の色を きっと僕はまだ知らない

サヨナラ言わなきゃ ずっとこのままだ 微笑む瞳のその奥に 君は瞬きさえ我慢しながら 涙を隠してる

寂しさよ 語りかけるな 心が折れそうになる 人間(ひと)は誰もみんな 孤独に弱い生き物だ

それでも一人で行くよ まだ見ぬ世界の先へ 夢とか未来を 僕にくれないか? ここにはないものを

 

カ−テンを閉め太陽とか社会と向き合わなきゃ 僕は悩むこともなく安らぎを覚えるか?

だけどどこかに希望の風が吹いている気がして 開けたドアに わがままなクラクションが押し寄せる

誰かを盾にして生きていれば 自分は安全で傷つかないと思ってるけど この手にズシリと重い汗や結果を味わうこともないだろう

だからその道が荊(いばら)だと知りつつも 裸足で歩いて自由を見つけてみたくなった

ごめんね これから 出て行かせてくれ 後ろ髪を引かれたって 君に甘えたりはしないように いつも前を向こう

悲しみよ 泣き出すなよ 強がりとバレてしまう ジタバタしながら 生きてくことは愚かだけど

いつの日かわかるのかな この決心の答え合わせを 大切なその手を一度離したって また会える日まで

 

生きる (生きる) 理由(理由)君に(君に)教えられた ここに (ここに) いても (いても)青い空は見えるでも

空がどれくらい広いとかどれくらい高いかは 見上げて初めて わかる

そばにあるしあわせより 遠くのしあわせ掴もう 君がいてくれたから 素敵なサヨナラを言える

寂しさよ 語りかけるな 心が折れそうになる 人間(ひと)は誰もみんな 孤独に弱い生き物だ

それでも一人で行くよ まだ見ぬ世界の先へ 夢とか未来を 僕にくれないか? ここにはないものを

− 乃木坂46 −

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る」 ・ ・ ・ お馴染みの「茶摘」の歌である。1日は立春から88日目に当たる 「八十八夜」

。この日に摘んだ茶を飲むと長生きすると言われる。県内最大の茶の産地、宇部市小野の藤河内茶園では、新茶の収穫作業が最

盛期を迎えている。山口県産のお茶の9割を生産する藤河内茶園。小高い丘に広がる約70haの茶畑は、一か所での茶畑面積とし

ては西日本最大で、その景色には圧倒されます。冬に小野湖から湧き上がる濃い霧がお茶の生育に適した環境とされ、ほどよい苦

みと渋みが調和した宇部のお茶が出来上がります。10日ごろまでは一番茶、6月中旬まで二番茶の収穫作業が続く。今年は約30万

キロを収穫する予定で、特産品 「山口茶」 として出荷される。

子供の日は端午の節句である5月5日に制定されている。1948年のことである。 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとと

もに、母に感謝する」 ことが趣旨である。最後の 「母に感謝する」 はなぜ親ではなく、母親なのだろう。制定された戦後まもないこ

ろは、父親が外で稼ぎ、母親は家庭を守り、子育ては母親まかせだったからか。又は子供を産めるのは母親だからだろうか。

5日は子供の日である。各地でこいのぼりが見られます。子どもの数が42年連続減少しています。15歳未満の推定人口は1435万人

で、82年から42年連続減少し、過去最低を更新した。子供の総人口比は11.5%で49年連続の低下。いずれも比較可能な1950年

以降の過去最低を更新し、少子化に歯止めがかかってない。内訳は男子735万人、女子700万人。総人口に占める子どもの割合

は11.5%と前年比0.2ポイント減で、75年から49年連続で低下した。一方で、65歳以上人口は3619万人(29.1%)と、子どもの数の2.5

倍以上となり、人口構成のアンバランスが顕著だ。これは国家の興廃にかかわる大変な問題である。子どもを、いかに、すこやかに

,そしてたくましく育てるか。それによって、その社会の将来が決まってくる。

四月は入学や入社の時期である。五月病というのがあるそうです。環境の変化に適応できないことに起因する症状で、「適応障害

」 や 「気分障害」 をいう。入試突破だけに邁進してきて、目標を失った人、緩んだ学生気分から、急に厳しい実社会に適応できな

い人などである。せっかく入った会社を早々と辞めてしまう人がいる。「石の上にも三年」 という言葉がある。不満があるからとか向い

てないとかですぐ投げ出すのではなく、三年ぐらいは頑張ってみることだ。ただ三年間漫然と過ごすのではなく、天命と思って死に

物狂いでやってみることだ。石にかじりついても三年間は投げ出さない気持ちが持てるかだ。途中で投げ出す人は何をしても長続

きはしないもの。若い頃に転職回数が多い人はこの種のタイプ。若いうちはあえて困難に立ち向かい、苦労してみることだ。イ−ジ

−で楽な選択をした人との差は歴然だ。遠回りしたようで、実は貴重な経験をしたのだ。実感はなくとも、血となり肉となっている。親

の側にも責任の一端がある。過保護の親も子を弱体化する。いつまでも子離れのできない親である。自立心は育まれず、自分で考

え、自ら道を切り開いていこうとしない依存心の強い子になる。石の上にも三年である。邪心を抱かず、一心不乱にやってみよう。

若い人にエ−ルを送りたい。

田起こしも終わり、水を引くのをまつ田んぼ

4月はとうとうホトトギスの鳴き声を聞けませんでした。遅い年では5月の連休後の13日に初めて鳴いたこともあったようだ。初夏を告げ

るあの鳴き声です。「てっぺんかけた 」 「 特許許可局 」 とも聞える鳴き声で高らかに鳴く。ホトトギスが鳴くと田植えの合図、あちらこ

ちらで田を掘り起こすトラクタ−の音が聞こえます。

畦塗りは、田んぼを取り囲んでいる土の壁に田んぼの土を塗り付けて、割れ目や穴を塞ぎ、防水加工をすることです。モグラやケ

ラが開けた穴から水が漏れるのも防ぎます。水が漏れると、水の管理が困難になるだけではなく、除草剤や肥料の効果も低下しま

す。畦塗りは、田植えの1〜2ヶ月前に行います。昔は畦塗りをするために牛や馬に牽引させていましたが、いまではトラクタがその

役割を担っています。トラクタは、トレ−ラ−や道路機械・農業機械などを牽引する原動力車のことで、畦塗りにも欠かせない車で

す。米作りでは、農作業の目的に応じてインプルメント(道具・用具)を取り付け牽引します。

トラクタは作業機を牽引するだけではなく、回転や上下動など、農作業に応じてインプルメントを動かすことができます。トラクタの

エンジンは、走行のためのタイヤだけではなく、取り付けたインプルメントにもパワ−を伝える装置が装備されています。この装置

をPTOと言います。農作業に応じて工夫されたインプルメントを取り付け、PTOで駆動することにより、トラクタは米作りのなかで、さ

まざまな役割を担うことができます。トラクタに付けた畦切り爪が回転して、前年の畦の土を、上から下に細かく砕きながら削ります

。畦切り爪のディスクが下から上向きに回転し、細かく砕かれた土を押し付けて、堅く締まった丈夫な畦を作ります。土が細かく砕

かれているため、隙間のない畦ができます。

田んぼに水入れが始まると、乾いた田は水の世界になります。豊北町はこれからだが、お隣の長門では多くの田で水が張られてお

ります。各農家の農作業の段取り、スケジュ−ルにより、水を入れる行程も様々です。日程に余裕がある場合は、数日かけてゆっくり

少しずつ入れて土になじませていきます。日程が詰まっている場合は、一日で一杯にします。水路の取り入れ口で調整するのです

。田んぼに水入れが始まると、乾いた田は水の世界になります。田植えが始まった田んぼには生き物たちの小宇宙があります。トン

ボの生地は田んぼである。ヤゴは10回の脱皮を繰り返し、羽化して成虫のトンボになります。日増しに増える昆虫を求めて鳥たちが

集まってきます。田んぼに入ってくるものは昆虫や鳥だけではありません。メダカ、フナ、コイからドジョウ、ナマズのようなものまで入

ってくる。目的は子孫を残すこと、産卵のためである。初夏の田んぼは、さまざまな生き物たちでにぎわいますが、同時に命をかけ

た壮絶な闘いが繰り広げられます。

田んぼには水が張られ、田植え機が入るのを待っています。なぜ田んぼに水をためるのでしょうか。稲はもともと熱帯の作物で、日

本の土壌はお米を育てるのに向いていたわけではありませんでした。しかし、水を溜めるということで、全てを解決したのです。それ

以外にも日本は温帯にもかかわらず、熱帯並みの暑さと、雨量の多さが稲作を可能にしているのです。

5月に入り、抜けるような青空が広がります。木々の新緑が映え、涼しげな風が緑の香りを運びます。この初夏の快さを大宗は 「薫

風自南来 」 薫風南より来る) と詠み、南から匂うように吹く快い風を薫風と称えた。香しい五月の風は、いかにも薫風と名づけるに

相応しく、そこから 「 風薫る 」 という言葉も生まれました。この風はいくつかの移動性高気圧が重なって、帯状に大陸まで東西に長

く伸びた五月晴れのときに吹くようです。

田植えの二週間〜十日前に水が抜けるのを防ぐ 「代掻き」 を、更に田植えの1週間〜4、5日前に 「植えしろ」 をして、いよいよ田植

えとなります。「五月晴れ」の元の意味は、梅雨の晴れ間をさすという。梅雨に入ればもうあらかた田植えは終わっている。それでもま

だ少し苗代から移した苗が植え付けを待っているし、鋤きかえしたばかりの田んぼもある。一昔前のごちゃごちゃした水田に比べ、

近頃の水田は整然としてきれいになった。農村の風景が変わったのは昭和38年からはじまった国の圃(ほ)場整備の影響だ。「21世

紀型水田農業」の基板整備を目指して、田畑を整然と区画し、農作業の機械化、省力化を推進してきた。長方形の区画は一回り大

きくなったし、畦畔も蛇行せず、幾何学的な一直線になっている。一昔前に牛が鋤いていたものがトラクタ-に、人海戦術で植えてい

た田植えが田植え機に変わった水田風景が広がります。昔は短い期間に多くの労働力を集中する田植えは、稲作全労力の四分

の一強、10ア−ル当たり二十五時間を要した。この単調で長時間の重労働であるから、大勢で一緒に行い、田植唄や田植えばやし

によって激励・強調をはかって進めた。だからこの重労働を機械化によって省力化することは永年の農家の夢であったわけだ。機械

化に拍車がかかってからは、手植えの十分の一の時間で、しかも1〜2人の家族労働だけで田植えをすますことが可能になった。今

や田植えの時期は、のどかな田植唄の昔に代わり、エンジンの轟音とともにわずか数日で終わってしまう。人々はあわただしくまた

町に働きに出てしまい、静寂さをとり戻した水田には、カッコウ、ホトトギスが鳴くみである。

長門市の青海島にさくらの里というのがある。長門で入院していた父親の関係で行ったことがあった。二十年以上も前のことである。

最後に行って17、18年経つ。今回、長門へ行ったついでに行ってみた。生長の早いソメイは20年も経てばかなりの大木になるはず

だが、想像していたより大きくなっていなかった。あくまでも当時と同じ道路伝いの高い所からの光景である。多くの樹木が桜の間か

ら生えており、大きくなってない原因がこれかもしれない。草は冬には枯れるが、生えてた樹木は毎年毎年大きくなって桜の生長を

妨げる。桜は植えてしまえば終わりではなく、手入れが必要なのである。最近手入れが行き届かない我が桜山も例外ではない。他

山の石として肝に銘じたい。

田植えといっても前準備が必要です。荒起こしはトラクタで硬く固まった土を砕き、空気や水を入れて柔らかくすることで、保水力

・排水性・通気性がよくなり、微生物の活動も活発になり、稲が育成しやすくなります。また雑草の発生を減らすと共にわらを埋没さ

せ、分解を促進します。耕うん作業は荒起こしでざっくりと混ぜて乾かした状態の土をさらに土を細く砕き根付きのよい土壌にして

いきます。

イネの苗を育てるためモミを苗代に蒔く、20日で10cm に育つ。稲は雑草に比べて弱く、田んぼにそのまま播種すると雑草に負け

てしまったり、発芽しないこともあるため、育苗箱で確実に苗を育てます。播種作業では播種機に種もみと土を入れ育苗箱に種も

みをまいていきます。まとめて育て、生育を揃えることでその後の管理も楽になり、刈り取り時期も揃います。また育苗箱で育てるこ

とで機械による田植えが可能になります。

連休も後半戦になりました。朝5時を過ぎますともううっすらと明るくなっています。あと一ヵ月半もすれば夏至ですからね。いつ初夏

を告げるホトトギスが鳴くか興味があります。春告鳥のウグイスは3月初旬に初音を聞いていますが、今年はウグイス同様の春告鳥コ

ジュケイの鳴き声が聞かれません。

桜の開花予想はソメイヨシノが基準となります。標本木(基準木)が5〜6輪咲いた時、開花宣言します。現在は気象庁による桜の開花予報はなくなり、かわって民間の気象情報会社が発表することになった。 桜の開花は立春以降の暖かい日が続くだけでなく、落葉後の最低気温の推移もポイントになります。このことは一番早く開花してもよさような南国鹿児島の予報がいつも遅いことをみればうなずけます。日本のソメイの南限は種子島といわれております。あくまでも平地に限ってのことですが、地球温暖化で種子島のソメイの開花は年々遅れてきているようです。このままだと冬の冷え込みが足りないため、いずれソメイが開花しなくなるかもしれません。こうしてみると休眠打破は避けて通れません。 開花の最速は3月23日の高知で開花しました。平年より1日遅く、昨年より6日遅い全国でトップの「開花宣言」となった。今年の桜前線は、早いペ−スで列島を駆け上がっています。29日の下関の開花で関門海峡を渡った桜前線は、北陸4地点の昨年は開花の最早記録を更新しましたが、今年はさらに早く開花し、満開もそろって統計開始以来最早を更新しています。4月に入ってからも、桜前線は速いスピ−ドで北上しています。7日に山形、10日に秋田、12日に盛岡、15日には青森で開花しました。三週間で列島を駆け上がったことになります。さらに津軽海峡を渡り、函館18日、札幌は18日に開花した。さらに北海道稚内、釧路でのエゾヤマザクラの開花で終着駅を迎えます。厳寒の地の標本木はソメイではなく、エゾヤマザクラです。5月1日、稚内で開花が発表されました。釧路でも3日開花したようです。今年の桜前線は、これでゴ−ルインとなりました。3月23日に高知で最も早くソメイヨシノの開花が確認されてから一ヶ月半強かけてゴ−ルに到達した。1月5日に宮古島で緋寒桜が 開花宣言が出されてからは、桜前線は約4か月間かけて日本全土を駆け上がったことになります。

下関市の初夏を彩る「しものせき海峡まつり」(実行委員会主催)が2〜4日、関門海峡沿い一帯で繰り広げられる。5年ぶりに新型コロナウイルス感染拡大以前の形に戻しての開催となる。  安徳帝正装参拝や源平船合戦、巌流島フェスティバルが復活する。源平船合戦は今回から市民参加型イベントに一新し、従来の甲冑(かっちゅう)姿の武者役ではなく、事前に応募した市内の小学生とその保護者が手製の段ボールかぶとなどを身に着けて海上パレ−ドをして盛り上げに一役買う。  祭り最大の呼び物、先帝祭上臈(じょうろう)道中・上臈参拝は3日に行われ、絢爛(けんらん)豪華な衣装を着た5人の太夫が独特の足さばき「外八文字」を披露しながら市街地を練り歩いた後、同市阿弥陀寺町の赤間神宮に特設された天橋を渡って参拝する。4月26日夜には天候の関係で急きょ天橋を渡るリハ−サルが前倒しされて行われ、暗い中で太夫ら奉仕者たちが本番に向けて入念に稽古を重ねていた。  昨年は上臈道中や上臈参拝、八丁浜総踊りが4年ぶりに復活し、約31万人の観光客らでにぎわった。今年はさらに人出が増えると実行委は見込んでいる。

ツバメが低く飛ぶと雨が降るといわれます。低気圧が近づいて空気中の湿度が高くなると餌となる虫が高く飛べなくなるからです

。 天気予報には数値予報を使用した現在の科学的なものの他に、昔の人は観天望気といって、空の状況を観察して、天気の予

測をします。 雲の形や流れ、風の吹き方や太陽や月の見え方などから経験的に予想するという方法です。また、動物や植物の

行動や観察から短期間の天気や季節の予報を行うという方法、天気のことわざといったり、天気俚諺(てんきりげん)というのもあ

ります。

ツバメは、ある意味では鳥の代表であるといえる。というのは、鳥とは空を飛ぶ動物であり、ツバメは空中を飛び続けながら餌をと

る数少ない鳥の代表といえるからである。大多数の鳥にとっては、主食は植物の種子や実であり、地上や樹上にいる小動物であ

る。だから、彼らは枝や茎にとまったり地上を歩いたりして餌をとる。彼らが飛ぶのは場所を移るためであって、餌をとるためではな

い。だが、ツバメは飛びながら餌をとるし、飛びながらしか餌をとらない。彼らの細長いつばさや弱い足といた形態はそれと関連し

ている。これこそ空を飛ぶ動物としての鳥の代表にふさわしいといえよう。ツバメは空中を飛んでいる小さな昆虫を食べている。空

中には小昆虫が予想外に多いことがわかってきている。それらは温帯や寒帯では冬には極端に少なくなってしまう。だからこそツ

バメは秋になると南方へ渡り、春にまた帰ってくるのである。

D51

JR山口線の新山口(山口市)―津和野(島根県津和野町)間を走る観光列車「SLやまぐち号」が3日、2年ぶりに運行を再開した。修

理のため休止していた蒸気機関車2両のうち、「デゴイチ」の愛称で知られるD51形の200号機が復活した。新山口駅1番ホ−ムで記

念式典があり、鉄道ファンや親子連れなど約800人が集まった。村岡嗣政・山口県知事は「SL、山口の魅力を感じて、幸福感あふれ

る旅を」とアピ−ル。汽笛を響かせながら津和野へ向けて動き出すと、子どもたちが「バイバ−イ!」「いってらっしゃ−い」と声を上げ

ながら見送った。

11月24日までの毎週土曜・日曜・祝日を中心に計57日間、新山口(山口市)―津和野(島根県津和野町)間を1往復する。もう一つ

の主力蒸気機関車で「貴婦人」の愛称を持つ「C57」は、運行中に異音が発生して以来、修理が続いている。D51は少し前まで客車

としてわが町の山陰線で走っていた。D51は本来は貨物用で動輪が4対だ。牽引力はあるがスピ−ドはでない。Dは貨物用、Cは客

車用、各々の最強はC62、D52。貴婦人の愛称を持つ「C57」は客車用で巨大な動輪が3対だ。スピ−ドはでる。姿としてはC57に軍

配が上がる。最後に登場した特急列車「つばめ}を牽引していたC62はさらに大きく、その勇壮な姿に惚れ惚れしたものだ。

C57

全国各地で田植えが集中するゴ−ルデンウイ−クもまもなく終わります。息子夫婦に手伝ってもらっている農家も多いはず。祖父母

ら地元で暮らす家族が田植えで帰省してきた子や孫と再会を喜び、共同で作業する光景が見られます。のどかな田植唄の昔に代

わり、エンジンの轟音とともにわずか数日で終わってしまう。息子、娘家族はあわただしくまた都会に戻り、静寂さをとり戻した水田に

は、年寄り夫婦とホトトギスが鳴くのみである。そのホトトギスの鳴き声がまだ聞かれない。

季節の変わり目を迎えて木々のが芽吹き、新芽の淡く薄い黄緑色はとてもやわらかく感じる。これから一雨ごとに緑が濃くなり、気温

が上がるごとに山の表情も変化していきます。変化すのは自然だけではありません。人の生活も変わります。私たちは過ぎ去った季

節をひきずったり、あるいは次に来る季節に心を向けながら日々を過ごしている。これは年齢によっても違ってくる。若い人は気温

の上昇とともに、無意識のうちに夏を期待している。お年寄りは明日を思うより、昨日の思い出に浸っていたいのだろう。若い人なら、

思い出は浸るものではなく、つくるものと思うかもしれない。

野イチゴが見られます。赤い実を見つけると、腰をかがめ一粒食べる、そしてもう一粒ときりがない。とても甘いもの、少し酸味がある

が甘いものと食べつくせないほど広がります。野いちごなのか、ヘビいちごなのか見分けは難しい。見分け方は、花が白か黄色、ト

ゲの有無、甘みの度合いによりわかります。ヘビいちごはいかにもヘビの出そうなところにあり、ヘビが食べるからヘビいちごの名が

ついたという。花は黄色で美味しくない。トゲが気になり、実に穴があり、甘さが強いのは野いちごになります。花の色は白になります

。ひもじい子ども時代には、よく食べたものです。あるものは甘く、あるものは甘酸っぱく、独特の味わいがあって、学校帰りのみちく

さの思い出とともに、味の思い出としていつまでも残っています。

風薫る五月は春と夏との二つの季行き交う時だ。うららかな春を待つ身には早春ばかり長く、陽春はあっという間に初夏に移ってし

まう。桜が散り惜しまれつつ春が行くとき、新しい季節の夏がすでに始まっている。香し爽やかな五月の薫風が、新緑を揺らします

。同時に強い日差しが降り注ぎます。新緑の初夏は日本列島が一年のうち最も生き生きとして美しい季節である。新芽の淡く薄い

黄緑色はとてもやわらかく感じる。これから一雨ごと、陽光を浴びるごとに緑が濃くなり、山の表情も変化していきます。まもなく満目

これ濃い緑になる。 むせるほどの葉に覆われた夏の盛りの桜や楓は濃く深い緑である。春が見渡す限り黄緑色、薄緑色である 「

萌黄や新緑の春」 とすれば、これからは 「万緑の夏」 と言えます。

道のわきの崖や田んぼの畦にハナウドが咲いています。食べられるウドににているのでハナウドと名前がついたようだ。ハナウドは

川に近い場所や、常に湿潤な土手などに生え、群生していることも多い。春の花が一段落し、少し花の少なくなった晩春に、人の背

丈ほどにもなり白い花を咲かせるので遠目にも目立ちます。拙者は食べたことはないが、このハナウドの若葉と葉柄が食べられよう

だ。定番はてんぷら。揚げたらタラの芽の味がするという。茎(葉柄)は文句なしに美味で、パリッと揚がった緑の葉も、なかなかのも

ののようだ。これら野に咲く野草は、園芸家や農家の人からは草刈機や除草剤の標的され、目の敵にされる厄介者。それでも天寿

を全うしようと懸命に咲き続ける姿に感動を覚えます。道行く人々を和ませてくれることは間違いない。

連休後半は荒れ狂う強風に見舞われました。春の嵐「メイスト−ム(5月の嵐)」です。県下では、徳佐27b、須佐24bの強風が吹いた

ようです。日本付近に北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい空気がぶつかりあって上昇気流が生まれることで、温

帯低気圧が急速に発達するのである。ここ1、2年で植えた桜の苗が真っ二つに折れるのではないかと気をもむ日が続いた。過去に桜

の大木が十数本も倒れたのを経験している。ざっと見回したところ、3bの山桜が倒れていた。小雨の中、修復した。

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る」 ・・・ お馴染みの「茶摘」の歌である。一日は八十八夜、八十八夜が 「夏も近づく

」 なのは、四日後の五月五日が暦では立夏になるから。とはいえ日中はともかく、朝はまだ寒い。農作物の多くが芽を出したり、若

葉を開いたばかりで、寒さの被害を受けやすい。 「八十八夜の別れ霜」の言い伝えは、実状に即していると言える。一方で、「九十九

夜の泣き霜」という言葉もあります。この言葉の前段が八十八夜の別れ霜、そして九十九夜の泣き霜となります。春の霜は農作物に

は大敵。農家の方々は遅霜には神経を尖らせている。先の諺はそうした遅霜に関する諺で立春から数えて八十八日(5/2頃)になれ

ば霜の心配は大概無くなる(別れ霜)ということと、それで安心して気を緩めると、九十九日頃(5/13頃)までは遅霜で被害が出ることも

希にはあるということ(泣き霜)を示した言葉です。連休以降朝の冷え込みは厳しく、六度台が続く。一方で昼間は25度前後まで急上

昇、高齢者にはきつい日が続きます。

県内最大の茶の産地、宇部市小野地区で6日、「お茶まつり」が開かれ、新緑広がる茶園で親子連れが茶摘みを楽しんだ。西日本

最大級の約30ヘクタ−ルを誇る藤河内茶園での茶摘み体験には午前と午後で約50人が参加。JA山口県の職員から1本の茎に3枚

の茶葉がついた「一芯三葉」で摘み取ることを教わると、参加者たちは一つ一つ丁寧に手摘みをして袋に詰めていった。積んだ茶葉

は各自持ち帰り、製茶したり調理したりする。同まつりは新茶の時期に合わせ、小野地区で生産される「山口茶」の消費拡大などを

目的に、市や小野茶業組合などでつくる実行委員会が主催し35回目。

アサギマダラ  スナビキソウ

春と秋に日本列島を縦断し、長距離の旅をする蝶(ちょう)アサギマダラ。翅(はね)を広げた大きさが10aほどで、アゲハチョウくらい

の大きさである。翅に淡い浅葱色(あさぎいろ、薄い水色に近い色)のまだら模様があることから、この名前が付けられている。アサギマ

ダラは、地上付近ではふわりふわりと優雅に舞うように飛ぶが、鳥などに捕食されることはほとんどない。それは体内に毒をもっている

からである。毒と言っても誤って食べた鳥が嘔吐(おうと)する程度で、人がさわっても問題はない。春には沖縄・台湾から本州・北海

道へ北上することや、秋には北海道・本州から沖縄や台湾まで南下をすることが明らかになり、その移動距離が約2000`を超えるも

のもあることが分かってきている。地上で優雅に飛ぶアサギマダラは、一度舞い上がると、ワシやタカのように翅をはばたかず、上昇

気流にのっている姿から、うまく風に乗っていることで長距離移動を可能にしていると考えられる。当地でもこの生態を研究する御仁

に粟野海岸でお会いしている。山陽小野田市のアサギマダラの会会員、福村拓己さん。初夏のアサギマダラは海のそばの草むら(ム

ラサキ科の海浜植物、スナビキソウ)の花の蜜をもとめて飛んでいる。北上中に卵を産み、それがふかして今度は秋に南下するなど薀

蓄をかたむけはじめ、しばし会話が弾んだ。

今年は麦の生長も早い傾向です。黄金色に輝く麦がそよ風に波打っている。5月21日は小満です。小満とは立夏から数えて15日目

頃を指す。陽気が良くなって、万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち始めることから小満といわれます。ようやく暑さも加わり、

麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れます。梅の実がなり、西日本では、走り梅雨がみられる頃。田植

えを始める頃でもあります。具体的には秋に蒔〔ま〕いた麦などの穂がつく頃で、ほっと一安心(少し満足)すると言う意味で、麦などに

穂がつくと 「今のところは順調だ、よかった」 と満足したことから小満と言う名前が付いたようです。季節は夏でも、秋を百穀成熟の期

とするので、麦の熟する時を麦の秋・麦秋(ばくしゅう)といいます。また、このころの野を吹きわたる風を麦の秋風ともいいます。

麦穂(バクスイ)たゆたう麦畑

長門市日置町

豊浦町川棚

キショウブが咲き出しました。キショウブは西欧から輸入された帰化種で、日本の風土に適応して野生化したもの。早咲きで一般の

花菖蒲より一ヶ月ばかり先行する。遠目にもはっきりわかる鮮やかな黄色の花、水辺に群生する姿かなか美しい。ただ環境省の 「要

注意外来生物」 になっている。繁殖力が強く、水辺の在来種と競合・駆逐の恐れがあるというのがその理由のようだ。確かに花菖蒲

に比べ、根の張りようも強力で茎も太い。その立ち姿も華奢な女性を思わせる花菖蒲と比べ、いかにも逞しいおっかさんといった感じ

だろうか。

フェロ−です。この家に来て今年の9月で9歳、11月で9年になります。僕は救急車のサイレンの真似をします。昼の時刻を知らせる

町のサイレンも同様です。救急車に限らず、パトカ−、消防車もしかりです。真似をするのは、やることがなく、手持ちぶたさから?

特段の意識はなく、ほとんど衝動的なものです。飼主はそれは僕がオオカミが祖先だからと言ってました。群れで生活するオオカミ

のコミュニケ−ションの一つのようで、オオカミの遠吠えと言うそうです。遠くまで聞こえるように高音になります。僕の遠吠えも首を

締め付けられたような高音のようです。サイレンの周波数が、遠吠えのそれに似ているから、本能を刺激され、呼び起こされているの

だろうと薀蓄を聞かされました。僕の飼主は何でも教えてくれる物知りで面白い人ですが、怒られることがあります。僕が犬小屋を噛

み砕くことです。屋根の板も抜け、入り口のクギやボルトも抜け、ぐらぐらしています。飼主は怒り心頭のようで壊したらもう買わないよ

と釘を刺されています。わかちゃいるけどやめられない!壊したところに、あごや脚を乗せるのに最適ではありませんか? 楽でい

い気分だよ。ちなみに僕のニックネ−ムは、デストロイヤ−destroyer 壊し屋。

高温多湿の日本では、すぐに雑草がはびこります。そのため、昔は米作りの所要時間の半分近くが雑草取りと言えるほどでした

。今日は、稲を痛めずに雑草だけを選択しながら防除する除草剤があり、広く使用されています。田植えの7日〜10日後、苗が活

着した頃に1回目の除草剤を散布します。除草剤には、液状のものと粒状のものがあります。散布方法で威力を発揮するのが背

負動噴です。田んぼの中に入って粒状の除草剤を手でまくのは大変です。背負動噴なら、畦から遠くへ飛ばすこともできます。

畦道の雑草には除草剤を使わずに、鎌や刈払機で刈り取る場合がほとんどです。これは雑草の根が張り、畦を強化しているか

らです。除草剤を使うと、根まで枯らしてしまい、畦が弱くなって崩れたり、水が漏れたりする原因となります。

田んぼの畦に生えた雑草を刈り取る作業が終わると、刈り取った雑草を燃やす光景も見られます。虫の防除だけでなく、刈り取った

雑草をいつまでも放置しておくと次の刈り取りの妨げになる。高温多湿で生態系が豊かな日本の農業では、その分数多くの虫や菌

が発生し、農家は一年をかけて防除・防虫・殺菌といった対策に追われます。米農家の場合、カメムシの防除は必須といえます。とい

うのも、カメムシ類が吸汁した米は変色して黒い斑点が生まれ、「斑点米」 として市場価格が下落します。田んぼの畦の草を刈るのは

、見栄えをよくするためだけではないのです。これから田んぼでは、トラクタ−や田植え機のエンジンの音で賑やかになります。

田んぼに水入れが始まると、乾いた田は水の世界になります。水田には鳥のサギが集ってきます。サギの多くは魚やカエル、ザリガニ

などをエサにするため水辺をすみかとしています。近くのため池の林などにサギ山と呼ばれる集団繁殖地(コロニ−)を形成していま

す。サギの他にカモもいます。田植えが始まった田んぼには生き物たちの小宇宙があります。トンボの生地は田んぼである。ヤゴは

10回の脱皮を繰り返し、羽化して成虫のトンボになります。日増しに増える昆虫を求めて鳥たちが集まってきます。田んぼに入ってくる

ものは昆虫や鳥だけではありません。メダカ、フナ、コイからドジョウ、ナマズのようなものまで入ってくる。目的は子孫を残すこと、産卵

のためである。初夏の田んぼは、さまざまな生き物たちでにぎわいますが、同時に命をか>けた壮絶な闘いが繰り広げられます。

田んぼには水が張られ、田植え機が入るのを待っています。なぜ田んぼに水をためるのでしょうか。稲はもともと熱帯の作物で、日本

の土壌はお米を育てるのに向いていたわけではありませんでした。しかし、水を溜めるということで、全てを解決したのです。それ以外

にも日本は温帯にもかかわらず、熱帯並みの暑さと、雨量の多さが稲作を可能にしているのです。

アンコウの供養祭  水揚量は22年連続の日本−

水揚量は22年連続の日本一です。 シ−ズンの終了にあわせ10日、下関市でアンコウの供養祭が行われました。 下関漁港で開かれた供養祭では、下関水産振興協会の波田慎治会長が慰霊のことばを述べました。 (下関水産振興協会・波田慎治会長)「アンコウは健康と美容に良い魚としておおいに脚光を浴びています。」 アンコウは2隻の漁船が一組になって網を引く「沖合底びき網漁」で漁獲されます。 下関漁港の去年の水揚量は229トンで、統計を取り始めた2002年から22年連続で水揚げ日本一となりました。 ただ、水揚量は2006年の1072トンをピ−クに年々減少傾向にあり、去年は前の年よりも60トン減少しました。 (県以東機船底曳網漁協・宮本洋平組合長)「いま燃料費も高いですから。アンコウは比較的遠い漁場に行かないととれない。なるべく近場の漁場でとれる魚を狙うというのはもちろんある。我々がとっている漁場で少し資源が減ってきているなという感覚はある。」 次のシ−ズンから操業する漁船が2隻増えて12隻体制となることから、水揚量が増えることが期待されています。

稲の害虫ウンカの被害に振り回され、作況指数が全国最低タイの67だった当地下関。あれから四年目になる。この害虫ウンカの被害

は今に始まったことではなく、江戸時代末期の享保・天保の飢饉の原因になったともいわれる。日本国内でイネに害を与えるウンカに

は、トビイロウンカ、セジロウンカ、ヒメトビウンカのおもに3種類いる。秋の収穫前に坪枯れをひき起こし、もっとも被害が大きいのはトビ

イロウンカだ。中国大陸から風に乗って飛来するため、被害を受けるのは九州・中国地方など西日本が中心となる。今年も暑そうだ

が、暑さと大発生が関係があるのかはわからない。なにしろ原因が大陸での大発生だから。徹底した薬による駆除しかないのだろう。

早期発見、早期駆除である。ホトトギスが鳴き声はまだです。ホトトギスが鳴くと田植えの合図。まもなく田植えが本格化します。あちら

こちらで田植え機のエンジンが聞こえてきます。

ホトトギスが日本へ渡来するのは5月中旬頃。他の渡り鳥より渡来時期が遅いのは、ホトトギスには、他の鳥が作り終えた巣に卵を

産みつけ、子育ても全て任せてしまうという「托卵」の習性があるためで、托卵の相手はウグイスが多いようです。ホトトギスの親は、

ウグイスが巣から離れている隙に卵を産みつけ、卵の数が不自然にならないようウグイスの卵を巣から落として数を合わせます。ウ

グイスはそれに気づかず、ホトトギスの卵も一緒に暖めていきます。数日後、ウグイスよりも先に、ホトトギスのヒナが産まれると、ホト

トギスのヒナは、まだ生まれていないウグイスの卵を全て落としてしまうのです。それでもウグイスは、ホトトギスのヒナにエサを運ん

で育て続け、やがて巣立っていくのです。人間の社会からすれば、こうした習性はとても許されないものです。そのホトトギスの鳴き

声が聞かれない。本日は5月半ばの12日、ぼちぼち田植えが始まります。年によっては遅く21日ごろに鳴いたこともあるようです。

文献を調べて新しいことを知りました。ホトトギスの仲間は南アジアから日本の夏にやってくる渡り鳥の中では比較的遅くやってくる方

である。日本に4種いるその仲間ではツツドリが一番早くて4月の中・下旬で、これはほかの夏鳥と大差がない。その次のジュウイチが

5月上旬、カッコウはそれより遅く5月20日前後で、ホトトギスは最後に5月末ごろにやってくると。この渡来の順序はきちんと定まって

いて、決して前後することがないようだ。半世紀も前の古い文献である。近年は温暖化で季節が進んでいるとはいえ、一昨年の4月

22日の初音の説明は難しいね。

毎年5月の連休を前後にタケノコが多く出ていましたが、今年は極端に少ないように感じる。孟宗竹の竹林を伐採して、4年目の初夏を迎

えます。長いカマで切っていく。昨年までは1日に十数本は切るから、二日間くらい放置するともう大変だ。一日で1bも延び、放置すると

一年で伐採前の竹林が再現される。経験則では、8年くらいこまめに切り詰めると生えてこなくなる。やっと切り詰めている効果が出てきた

のだろうか。瓦礫が積み上がっており、元々あった竹の根元から切ることができないことがネック。瓦礫の中でまだ葉が生えている。

14日午前10時過ぎ、ホトトギスが鳴きました。昨年は5月17日でした。「てっぺんかけた 」「 特許許可局 」とも聞こえる鳴き声で高らかに鳴

く。昼間だけでなく夜間でも鳴きます。その姿をみることはほとんどありませんが、二羽で鳴きながら飛行しているのはときどき見られます。

全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。ホトトギスが鳴けば、田植えの合図!近郊でも水が引かれ、田植えの準備

が始まっています。

我が家の近郊でも田植えが始まります。田んぼに水が張られますと田植えの二週間〜十日前に水が抜けるのを防ぐ 「代掻き」 を、

更に田植えの1週間〜4、5日前に 「植えしろ」 をして、いよいよ田植えとなります。

一昔前のごちゃごちゃした水田に比べ、近頃の水田は整然としてきれいになった。農村の風景が変わったのは昭和38年からはじ

まった国の圃(ほ)場整備の影響だ。「21世紀型水田農業」の基板整備を目指して、田畑を整然と区画し、農作業の機械化、省力

化を推進してきた。長方形の区画は一回り大きくなったし、畦畔も蛇行せず、幾何学的な一直線になっている。一昔前に牛が鋤い

ていたものがトラクタ-に、人海戦術で植えていた田植えが田植え機に変わった水田風景が広がります。

最後の植えしろをする前に田んぼに肥料を撒きます。その後にトラクタ−でよく土壌とかき混ぜます。背中に担いでいる背負動噴は

万能機、これで一台で粒状農薬・肥料・粉剤を散布できまる。田植え前なら、肥料や藻の除去のための薬剤散布。田植え後であれば

、除草剤を撒いている。

田植えが始まりました。田植え機、何とも素晴らしい農機具である。見れば見るほどほれぼれとする。人間の英知の凄さを感じます。

昔は短い期間に多くの労働力を集中する田植えは、一昔前に牛が鋤いていたものがトラクタ-に、人海戦術で植えていた田植えが田

植え機に変わった水田風景が広がります。昔は短い期間に多くの労働力を集中する田植えは、稲作全労力の四分の一強、10ア−

ル当たり二十五時間を要した。この単調で長時間の重労働であるから、大勢で一緒に行い、田植唄や田植えばやしによって激励・強

調をはかって進めた。だからこの重労働を機械化によって省力化することは永年の農家の夢であったわけだ。機械化に拍車がかか

ってからは、手植えの十分の一の時間で、しかも1〜2人の家族労働だけで田植えをすますことが可能になった。今や田植えの時期は

、のどかな田植唄の昔に代わり、エンジンの轟音とともにわずか数日で終わってしまう。

稲作は農家の事情により、早く済ませるところもあれば、のんびりと遅い家もあります。長門方面は当地よりも早い傾向のようです。豊

北町では、今がまさにたけなわです。今頃になって荒起こしをしているところもあれば、田植え機で稲を植えているところもあります。あ

ちらこちらでトラクタ−が稼動して田んぼは賑やかです。滝部や田耕ではもう田植えが終わっているところもあります。我が家近郊の田

植えはまもなくでしょうか。

本格的な春の嵐「メイスト−ム(5月の嵐)」です。16日、下関では県下一の強風が吹き荒れました。下関で21.9m/s、宇部で20.1m/s

を観測し、宇部は5月の観測史上最大の記録にもなりました。日本付近に北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい

空気がぶつかりあって上昇気流が生まれることで、温帯低気圧が急速に発達する。気象衛星による雲画像では、日本海に台風みた

いに渦を巻く雲がみられました。上空に強い寒気を伴う低気圧、「寒冷渦」と呼ばれる雲の渦で、昨夜から今朝にかけて中心気圧が

急激に下がるなど、急速に低気圧が発達したことで、不安定な天気とともに、その周辺で激しい風が吹き荒れる状況にもなりました。

桜の3bの苗が折れるのではないかと気が気でない。葉が茂っているから、風力のバイアスは想像以上だ。

18日、あと一か月もすれば夏至です。朝5時前から薄明るくなります。ホトトギスの鳴き声で目が覚めます。キジの鳴き声もよく聞かれ

ます。三年半前に裏山を伐採してから鳴き声が聞かれない夏鳥がいます。アオバズクです。フクロウの仲間でホ−ホ−と物悲しく鳴

きます。

豊浦町では、黄金色に輝く麦の刈り取りが始まってます。6月初旬頃までには収穫されるから、6月のことを麦秋といいます。最近は早

い傾向のようです。昔は麦踏みといって足踏みでしたが、今日ではロ−ラ−をつけたトラクタ−で行います。霜柱を防いで根張りをよ

くするための麦踏みの風景は、早春の風物詩でした。麦穂(バクスイ)たゆたう麦畑をコンバインが刈り取っていきます。一方となりの水

田には水が張られ、田植えが始まります。これから刈り取るものと植えるものが、同居している不思議な光景が広がります。麦刈りと田植

えの取り合わせ。 色即是空 空即是色  実りの世界があり、種を撒く世界があります。すべては自然界の大循環と思えば、しわと白髪

の増えた我が身を嘆くこともありません。