春へのプロロ-グ  「紅梅」

「 春 」 という 字は種から出た芽が、地上に出きらないでむずむずしている様子を示すのだそうです。

種の力 が 張るから 発る 状態になったのが、即 「 立春 」 となります。 あと一ヶ月もすれば冬

ごもりしていた虫たちも地上にはい出てくる 「 啓蟄 」 です。 初春、二月の別名には如月、麗月、初花

月などがあります。 初花月は、かって梅を年の初めに咲く花としたことから名づ けられた。 極寒の

季節ではあるが、伸びてくる日脚が春の訪れを告げている。 この春の光に誘われて、寒風のなかに梅

がほころび始める。梅は万葉の頃に、遣唐使が中国からもたらした花木です。 万葉の時代は梅とい

えば白梅であったが、平安時代になると、紅梅が好まれた。

「木の花は濃きも薄きも紅梅」 − 清少納言 枕草子 −

春の花前線は南から北へ、山麓から山頂へ、秋の花前線はその反対になります。春の花前線の初陣は

梅から始まります。当地で桜に先立つこと2ヶ月、一月末に開花した梅は、凡そ3ヶ月以上かけて終着駅

である北海道に渡ります。面白いことにそこでは梅と桜は同時に開花いたします。南と北の開花期日の

ズレは、植物によっても異なります。梅、桜の場合、桜は梅より2ヶ月遅れで出発しますが、東北地方

ではその差は縮まり、5月にはスクラム組んで手を取り合って津軽海峡を渡るようです。終着駅では春

が遅いかわりに梅、桃、桜その他の花が一斉に咲き乱れ、北国の春 は爆発したように始まるのです。

道元禅師は曹洞宗の開祖で、1245年に永平寺を建てられました。何故、このような越前の山奥に建てら

れたかは松尾芭蕉が 「 奥の細道 」 で、 " 貴きゆへ有りとかや " と記 しております。これは京都のような

賑やかなところでは修行に後々支障が生じると、あえて遠くの越前の山奥に建てた、その配慮が " 貴い "

ということのようです。道元禅師は13才で出家、24才の時に中国に渡り、4年半の修行の後、日本に教

えを持ちかえりました。全ての修行の根本は座禅にあり、「 身心脱落( しんじんだつらく ) 」 の境地を説

かれました。 道元禅師は厳寒の永平寺での厳しい修行のなか、残雪の境内に咲く " 梅の花 " を殊の

ほか愛でたと申 します。 道元禅師は禅の心を四季の移ろいのなかに思いだし、詠じられました。

" 春は花夏はほととぎす秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり " −道元禅師−

 

リヒャルト・シュトラウスは " 交響詩の父 " として壮麗な管弦楽曲の分野で有名です。管弦楽法の巨匠

だけあり、どれも精緻でバランスがよく、間然するところがないオーケストラの美学の典型となっています

が、リート(歌曲)にもその真骨頂を見ることが出来ます。 崇高で気高く、陶酔的な美しさに満ち溢れて

います。あすの朝、子守唄、献身、四つの最後の歌等165曲ばかりあります。 世界の三大子守唄とい

えば、モーツァルト、シューベルト、ブラームスですが、シュトラウスのはその崇高さ、芸術性、比類なき

美しさで、これらを凌駕 しています。( 現在でもモーツァルトの子守唄として有名ですが、実は作曲は

別人のようで、フリースとのこと。 念の為! )

 

子守唄

夢をみなさい、私のかわいい生命。 花をもたらす天国の夢を。

そこでは花は輝き、母さんの歌う歌に身をふるわせている。

夢をみなさい、私の愛の花よ。 静かな夜、きよらかな夜の夢を。

そこでは彼の愛の花は、この世を私のために天国にかえてくれるのだ。

− リヒャルト・シュトラウス −