何もなかったけど・・・みんな夢があった

 

DANCE IN THE LIGHT

白い防波堤 腰かけて 飽きもせず 砕け散る 波を見てた

夏のきらめきと 笑い声 夢だけが 俺たちの すべてだった

海鳥の群れが 夕陽に 翼を染めて 翔び立つよ

吹きすさぶ 潮風の中で聴いた あの歌を 忘れない ・・・・・・

Let's dance in the light  (dance in the light

走り出せ ゴ-ル めざして 孤独な レビュ‐ 誰もが主役さ

So dance in the light  (dance in the light

選んだ 道は 違っても 胸に秘めた 想いは同じさ

とびきり いい顔して また逢おうぜ!

 

傷つくことを覚えて みんな 淋しい大人になってゆくけど

あの頃のまま 君だけは 変わらずにいて ほしいのさ

恋とさえ 呼べずに消えた 青い季節 あざやかな残像さ

Let's dance in the light  (dance in the light

誰よりも 輝きたいね 思いきり 現在(いま)を踊れ 心のままに

So dance in the light  (dance in the light

どんなに 時が流れても 夏の海で また逢えたなら

素敵な 笑顔を見せてくれよ

 

Let's dance in the light  (dance in the light

誰にも 渡せない 夢が どこまでも 俺たちを 導いてゆくから

So dance in the light  (dance in the light

選んだ 道は 違っても 胸に秘めた 想いは同じさ

とびきり いい顔して また逢おうぜ!

− TUBE −

エヒメアヤメが自生する南限地として国の天然記念物に指定されている防府市西浦地区の自生地で4日、一般公開が始まった。今

が見頃で多くの人が訪れ、青紫色で直径4センチほどの愛らしい花を楽しんでいる。一般公開は15日まで。地元の人たちでつくる「

西浦えひめあやめ保存会」と市文化振興課によると、市が管理する自生地の斜面約5600平方メ−トルに約1700株が自生している。

エヒメアヤメは中国や朝鮮半島を中心に分布する小型のアヤメで明治時代に愛媛県で見つかったことからその名前がつけられた。

本名を誰故草(タレユソウ)、地方によっはヒメアヤメ、イッスンショウブなどの呼び名があるようだ。防府市の西浦地区の自生地は、

1925年にエヒメアヤメ自生南限地帯として国の天然記念物に指定され花が咲くこの時期だけ一般に公開されている。

防府市の西浦地区

我が家から30分程度で行けるところにもエヒメアヤメの群生地があります。昭和5年、響灘に面する本州西端、豊浦町小串の低山の

ふもと3カ所を自生地として指定したが、戦後の混乱期に管理がされず、生息環境が悪化し絶滅したため、平成3年に追加指定した

一カ所だけが指定地として残っている。指定地は低山の西向きの斜面で、面積748.8u、適度に乾燥している。丈夫な柵で囲み、

草刈りを行うなどして保護増殖に努めており、四月上旬に1000株以上のエヒメアヤメが青紫色のかれんな花を咲かせる。

下関市豊浦町小串

県内有数の米どころ、山口市阿東地域で田植えが始まった。阿東地福下の水田では11日、中山ファ−ム(中山隆之社長)の従業

員らがコシヒカリの苗を植える作業に追われた。中山ファ−ムはスマ−ト農業を取り入れ、大型機械を使って約6haの田で米を栽培

。この日は大型の田植え機を使って約2haで作業を行った。水を張って湖のように見えていた水田は、田植え機が通過すると早苗

の緑色に染まっていった。コシヒカリの苗植えは5月末まで続き、順調に成長すれば8月終わりごろ新米が収穫できる見通し。コシヒ

カリの後、加工用米、もち米、飼料米の順で田植えを進めるという。コシヒカリの新米は8月下旬に阿東生雲東分の「米の駅あとう直

売センター」で販売する。

5月のゴ−ルデンウイ−クまであと少しです。青空に鯉のぼりが泳いでいます。新緑の初夏は列島が一年のうちで、最も生き生きとし

て美しい季節です。日本の夏は三つの季節を含んでいます。むせ返るばかりの若葉が山野に満ち、鯉のぼりが泳ぐ五月から、来る

日も来る日も曇天が続き、雨に濡れて紫陽花のひっそりと咲く梅雨を経て、炎暑が列島をおおいつくす七月へ ・・・・・・  この豊かな

季節は自然をたたえ涼を求める懐かしい風物詩に彩られます。桜が散り惜しまれつつ春が行くとき、新しい季節の夏がすでに始まっ

ているのです。五月の青空にひるがえる鯉のぼりの由来は、水中の魚を大空に泳がせるという、江戸の庶民の奇想天外な発想であ

った。鯉のぼりはやはり初夏の薫風がふさわしい。春風でも秋風でもふさわしくない。皐幟(さつきのぼり)とも言う。五月の風をはらん

で魚体をうねらせ、形なき風を捕らえて大空の画布に風の姿を描く。

四季折々にこまやかな情趣を醸し出す日本の自然の中で、秋の山野に最も美観を添える紅葉と春の新緑は甲乙つけがたい美の

極致だろう。カエデの新緑は萌黄美の代表であり、この美しさは筆舌に尽くしがたい。萌黄とは、草木の若い芽が萌えいずるような、

わずかに青みがかった黄緑のこと。早春を感じさせる清々しい伝統色名。平安時代から用いられてきた。新緑の初夏は日本列島が

一年のうち最も生き生きとして美しい季節である。若葉はまだ薄く葉脈が透いてみえる。徐々に淡い緑が濃くなっていく。山桜のよう

にわずかに赤茶色を帯びた葉もある。新緑の色彩の配色美はこの時季なればこその妙趣か。緑色は今の季節がいちばん美しく輝く

。光合成に際して緑だけは吸収されずに反射する。新緑美のゆえんである。徳富蘇峰に、新緑の季節を紅葉と対比させた名随想

「緑陰幽草」 がある。二つを日本の代表的な美としながら、美の本質の違いを述べたものである。新緑は大なる未来を予測し、紅葉

は大いなる過去を感知する。新緑は勢いよく沸き起こる生気がみえるのに対し、紅葉は老熟が深々としたようすだとする。そのうえで

、共に反映の妙観ありと。

芽吹きの季節も過ぎ、本格的に春が訪れると、野山の雑木林をはじめ里の庭、公園などで色鮮やかに咲くツツジ。眩しいまでに輝

き、あたり一面を錦に飾るその花色には、ほかの春の花とはまた違った華やかさがある。ツツジは古くから日本中に自生し、我々

には馴染み深い春花のひとつである。ツツジの漢字は 「躑躅」。音読みなら 「てきちょく」 と読む。少し歩いては止まるという意味

だ。見る人の足を引き留めるほど艶めいているということか。ツツジヶ丘のツツジも大きくなりました。間隔をとって植えていたが、

葉同士が重なり合っている。拙者は剪定するのを好まず、自然のままにしていた。ツツジは重なり合うのを嫌う傾向があるらしい。

忙しくて移植する時間がとれないのが悩みである。夏の間、つる性の植物が伸びてきてツツジに覆いかぶさる。日射を妨げ、花

芽の形成の支障になる。夏の間、これを取るのは難しい。ツツジヶ込み合って中に入るのも至難の技。無理に入れば、殺人ダニ

「マダニ」 の餌食になる。地面に這いつくばれば、毒ヘビのマムシの危険がある。だから手入れは冬の1、2月になる。

今年2月、地面に這いつくばってツル性植物を除去したのに、花の間から新しい葉をだしているツル性植物がいる。見落としたものが

どうしてもでてくる。もう殺人ダニや毒ヘビの「マムシ」がいてもおかしくないが、決死の覚悟でツツジの中に入って取り除いた。

本州最西端の地として知られる下関市吉母の毘沙ノ鼻にこいのぼりがお目見えした。色とりどりのこいのぼり28匹とミニこいのぼり約50匹が響灘から吹き抜ける風に乗ってたなびき、早速、記念写真を撮る市民や観光客がいた。吉見地区まちづくり協議会吉母部会が「こどもの日」(5月5日)を前に設置。地元住民10人が近くの山から約10bの竹6本を切り出し、節を一つ一つ削って整えた後、毘沙ノ鼻公園駐車場横の広場に立てて、こいのぼりとのぼり旗を掲げた。いずれも「子どもが成長して出番がなくなった」と市内の家庭から寄付されたこいのぼりで、最も大きい真ゴイが全長8b。毘沙ノ鼻は海風が強く、豪快に空を泳ぐ姿は迫力満点だが、風にさらされて毎年傷みも激しいという。修理をしながら大事に使っており、同部会では家庭などで不用になったこいのぼりの提供を呼びかけている。 こいのぼりの設置は今年で8年目。清田幸男部会長(78)は「海が眼下に見えるこいのぼりはあまりない。毎年楽しみに来られる方も多く、既に問い合わせも入っている。子どもを連れてぜひ見に来てほしい」。5月中旬まで掲げる予定だ。

この琵沙ノ鼻から響灘に浮かぶ蓋井島を望むことができる。蓋井島の周囲は海食崖をめぐらし、南岸の小湾頭にわずかに砂浜海岸

があり、ここに84人の半農半漁が立地する 。晴天快晴時にはこの 琵沙ノ鼻より 「蓋井島」 の右端の海上に、沖島(沖ノ島とも)がか

すかに眺められる。「沖ノ島」 は周囲4Km、玄武岩からなる山島で、切り立った断崖が海に臨んでいる。古来大陸航路の要衝であっ

た。無人島で、神官だけが駐在し、「海の正倉院」 といわれる。

ここ数日、九州北部と中国地方では、広い範囲で黄砂を観測しており、視程が10キロメ−トル未満となる見込み。また、視程が5キロ

メ−トル未満になる所もあるという。遠くの山々も霞んではっきりと見えない。桜山から俵島がほとんど見えないほどの黄砂到来であ

る。元来中国大陸からの黄砂の飛来は、なぜ春だったのか。発生源の黄土高原やコビ砂漠など中国内陸部奥地で、雪が溶け大地

が乾燥してから巻き上げられた砂ぼこりが、偏西風に乗って遠く日本列島にまで運ばれていた。今春は降水量が少なく、乾燥して

低気圧で空へ巻き上げられやすい状態が続いていた。

黄砂にけむる俵島

澄んだ日の俵島  桜山より

豊田〜菊川間の橋のたもとに「中山渓」という看板が出ている。いつか行ってみたいと思っていた。菊川町大字東中山にある全長

約600mの美しい渓谷です。渓流に沿って遊歩道が整備されているので、椿や紅葉、樫などの木立に囲まれる中、川魚を探したり、

せせらぎを楽しみながら散策できます。途中の「雌滝さま」、「雄滝さま」では、迫力ある水の流れを見ることができます。渓谷に架か

る橋「河鹿橋」は、朱に塗られた姿が深緑にとても映えます。水量が多くなる雨上がりは更に迫力ある滝が楽しめます。頭上に大き

な岩が迫り、落ちてきたら一巻の終わり。愛媛、高知地方で震度6弱の地震があったばかり、当地でも震度3で揺れたから、ときどき

頭上を見ながらの散策になった。帰りに免許証と財布を忘れていたことに気づいた。歳をとると忘れっぽくなる、困ったものだ。

渓流をせきとめた池に沿って遊歩道がある

雌滝さま

雄滝さま

本来、無色、無味、無臭である空気が動いた風に色香があるわけはない。風に色や光や香りを感じるのは、詩人の心である。が、

新緑には、詩とは別の意味で、たしかに香りがある。それは植物体から発散される芳香性の微粒子によるものである。この微粒子

はフイトンチッドと呼ばれ、細菌類を殺す作用を持っているといわれる。この匂いは本来、害虫や病原菌を寄せつけないようにと、

植物の自己防衛のために発散される。漢詩の世界では夏の風が薫風だったのが、5月のさわやかな風になったのは、大陸とは違

う日本独自の天候によるもの。香しい五月の風は、いかにも薫風と名づけるに相応しく、そこから 「 風薫る 」 という言葉も生まれま

した。すでに田んぼに水が張られているところがあります。傾向として隣り町の長門油谷では田植えが早いようだ。農事暦の夏は田

植えに始まる。昔は旧暦五月が早苗月とも呼ばれ、田植え月であった。

もうフキが伸びています。太いと皮をむく必要があり、はぐ手間がかかるのと指先が黒くなる。まだ細いから、その必要はない。魚のア

ラを煮た汁で煮るのがベストだが、アラがなければ醤油、日本酒、砂糖、ミリンで煮る。熱いご飯と食べてもよし、酒の肴としても最高。

3月のフキノトウに続き、自然からの贈り物をいただくことになる。

桜が終わった桜山でアザミが咲いています。アザミは何の変哲もない見過ごしてしまいそうな花だが、なぜか紫が印象深い花。紫は

清楚で高貴な色。葉には深い切れ込みがあり、トゲがあるから触ると痛い。花のにおいはトゲのある花には似つかない芳香を放つ。

アザミの中に同じ紫色?むしろライトブル−に近い花が咲いています。アザミが孤独な一本なのに対し、これは夥しい数で群生して

います。同じブル−系のネモフィラの群生地を見るようですが名前はわかりません。これら野に咲く野草は、園芸家や農家の人から

は草刈機や除草剤の標的され、目の敵にされる厄介者。それでも天寿を全うしようと懸命に咲き続ける姿に感動を覚えるのだ。道行

く人々を和ませてくれることは間違いない。

ネモフィラ

農事暦の夏は田植えに始まる。昔は旧暦五月が早苗月とも呼ばれ、田植え月であった。田植えには日平均気温が十五度あたりが

必要で、地方によってはウツギ(卯の花)や花菖蒲などを田植え花といって田植え開始のめやすにした。ホトトギスにせよウツギや花

菖蒲など大昔から村人は田植えの合図・サインとみたのである。当地の田植えは、5月の連休明け頃になります。田んぼでは田植え

に備えての準備が稼動しています。

昔は稲作は重労働だった。その稲作が我が家が分家した理由であった。朝3時に起床してする田んぼの作業、寝過ごしたらと夜もろ

くろく寝れなかったという。これに堪え兼ねて体を壊し、実家に帰った祖母。祖父は大百姓の長男を放棄し、分家して役場で働くこと

で祖母を呼び戻した。勘当されても親の近くに住みたいと今の地に居を構えた。我が家のル−ツの始まりである。田んぼでは田植え

の準備が始まっています。祖母が音を上げた稲作の重労働が、トラクタ−、田植え機、コンバインであっという間に終わってしまう時の

流れに思いをはせると、隔世の感を禁じえない。

春に三日の晴れなしといわれます。晴天は続かず、2、3日おきに雨の日があります。週末からまた雨になります。週初めの火曜日ま

で四日間も続くようです。3月頃の長雨を「菜種梅雨」と言いますが、4月下旬頃は「たけのこ梅雨」と言っていいでしょう。春の晴天は

三日と続かず、天気変化が早いのが特徴です。それは春は日本列島の上空を流れている偏西風が強いため、高気圧や低気圧の

移動速度が速く、高気圧に何日も覆われることはあまりないからです。

この時期、気ままな春の天気が安定し、雨がわずかながら多くなるのが通説です。その雨も強い雨ではない。万物の身に親の愛情の

ように染み入る慈雨のようである。二十四節気の穀雨は穀物の成長を促す雨。草木や花なども命の芽吹きを感じるときである。二十

四節気の春は立春に始まり、この穀雨で終える。穀雨が終わる立夏の直前に、茶摘みの八十八夜を迎え、ゴ−ルデンウイ−クに春

は行く。晩春にその初夏を呼び込むのが、優しく柔らかく降る穀雨である。行く春を惜しみながら、この優しい雨に触れたい。五月の

日差しは真夏並みだが、気温は十月とだいたい同じである。五月と十月とでは、季節感は随分違う。五月は新緑、十月は紅葉、五

月は短夜、十月は夜長。

今年は一初が咲きません。イノシシが掘り起こしたためです。一初はアヤメ科のなかで一番早く咲き出すのでこの名前がついたよう

だ。咲く前の蕾がスッと立っている。花のところから白い鶏冠状のもじゃもじゃが出ているのが特徴。乾いたところに咲くのも他の花

と違う。20年以上も同じ場所で、しかも手入れもしないのに毎年咲きます。長年の連作もなんのその。少し後に咲くキショウブも同様

です。ところが花菖蒲はこうはいきません。連作障害に弱く、充分な手入れが必要です。同じアヤメ科でもこうも違う。さしずめ一初や

キショウブは頼もしいおっかさんといったところ。山の仕事で忙しく、花菖蒲の栽培はやめました。

季節の変わり目を迎えて木々のが芽吹き、新芽の淡く薄い黄緑色はとてもやわらかく感じる。これから一雨ごとに緑が濃くなり、気温

が上がるごとに山の表情も変化していきます。変化すのは自然だけではありません。人の生活も変わります。私たちは過ぎ去った季

節をひきずったり、あるいは次に来る季節に心を向けながら日々を過ごしている。これは年齢によっても違ってくる。若い人は気温

の上昇とともに、無意識のうちに夏を期待している。お年寄りは明日を思うより、昨日の思い出に浸っていたいのだろう。思い出は

浸るものではなく、作るものだというのは、年齢とともに薄れていく。

桜山からのぞむ岳山はいつも同じ姿ではありません。四季折々違う表情を見せます。大寒を過ぎたころの姿は暗く厳しい。春が訪

れ、香しく爽やかな五月の薫風が吹き渡る岳山は、椎の淡黄色の花で彩られます。そしてむせ返るばかりの若葉が山野に満ち溢

れます。

ダンディに 「フランスの山人による交響曲」 がある。彼の音楽が演奏される唯一のものといっていいもの。仏のセヴェンヌ地方の牧

歌に基づいて着想されたもので、セヴェンヌ交響曲という別名はそれに由来している。交響曲としては異例なことに独奏ピアノの存

在がある。ただ協奏曲ではなく、ピアノはオ−ケストラに寄り添う協奏交響曲に近い効果をもつ。3つの楽章からなる30分ばかりの楽

曲が桜山のイメ−ジと合うのである。オ−ボエより低い音が出せるコ−ラングレの牧歌的な旋律から始まる。神々しい朝日を浴びる

山々の朝が浮かぶ。グリ−グのペ−ルギュントの 「朝」 と似ている。三つの楽章は、循環主題を中心に有機的に結びつけられ、循

環的な統一が図られている。桜山の構想の基となったベ−ト−ベンの田園交響曲の第五楽章(終楽章)9分弱は、桜山の春をイ

メ−ジしたもの。この30分の楽曲は、朝から晩までの丸一日、一年の四季をイメ−ジしたものといっていいかもしれない。

タケノコが伸びてきてます。ただ昨年の同じ時期に比べ、かなり少ないように感じます。孟宗竹の竹林を伐採して、4年目の初夏を迎

えます。長いカマで切っていく。昨年は1日に十数本は切るから、二日間くらい放置するともう大変だ。一日で1bも延び、放置すると

一年で伐採前の竹林が再現される。経験則では、8年くらいこまめに切り詰めると生えてこなくなる。瓦礫が積み上がっており、元々

あった竹の根元から切ることができないことがネック。瓦礫の中でまだ葉が生えているから、根を淘汰できないのだ。

ひばりが高く高く、鳴きながら舞い上がり、羽ばたいています。羽ばたくだけで、ほとんど進みません。ヘリコプタ−みたいです。スズ

メほどの大きさの鳥が上空高く飛ぶので、いくら空を探しても、「声はすれども姿は見えず」 のことが多いのです。ピ−チュク ピ−チ

ュクと、休みなく繰り返して鳴きます。 「ピ−チクパ−チクヒバリの子」っていう歌の文句が有りますが、うるさくおしゃべりするかしまし

といったところ。阿川ほうせんぐり海浜公園で日常見れる光景です。鳴きっぱなしの様子は、シュトラウス2世の常動曲を聴いている

ようです。常動曲とは、休みなく常に鳴っていること、つまり 「音楽の永久運動」 です。

羽ばたきといえば、山でケッケ−ンというキジの鳴き声が聞かれます。その鳴き声の後に、ドドドドッと羽を打ち付けて音を出す 「ほ

ろ打ち」 と呼ばれる動作を繰り返します。キジは飛ぶのは苦手のようで、もっぱら走って逃げる。すぐ近くまでじっとしていて、急に

飛び立つからこちらのほうが驚く。図体が大きいから他の鳥と迫力がまるで違います。頼みごとに無愛想に拒否することを 「けんも

ほろろ」 というが、「けん」 はキジの鳴き声、「ほろろ」 は羽音といわれており、無愛想なキジの様子からきているらしい。

岳山から伐採した山を臨む

ため池側

伐採した山の桜の木が大きくなって茂っています。まる三年経つと桜の苗も大きくなっています。裏のため池側は二年になります。

冬の間、広々とした空間だったのが、桜の葉が茂って狭く感じます。十年経つとどんな感じになるか、思い浮かべることがあります。

種を植えて数ヶ月すれば花が咲く園芸、秋に種をまき翌年に収穫する麦、立夏に田植えして秋に収穫する稲作などと違って、桜

山のようなものは気の遠くなるような年月がかかります。桜の苗を植えて20年、30年経ってやっとそれなりの景観を有するようになる

のです。その間、管理、手入れが不可欠で植えてしまえば終了ということにはなりません。桜山などは収入になることではありません

から、植えるだけで終わってしまうことが多い。収入になるものでも、開墾とか植林とかいうものは直ちに現金収入に結びつくもので

はない。先祖から受け継ぎ子孫へ伝えてゆく地道な営みが不可欠だ。四季のめぐりに望みをもって大地に根をおろす土着の魂を

失えば、たちまち荒廃してしまう。不動の信念、崇高な哲学に立脚したものでなければ、永続性なく瓦解してしまうだろう。

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る」 ・・・ お馴染みの「茶摘」の歌である。一日は八十八夜、八十八夜が 「夏も近づく

」 なのは、四日後の五月五日が暦では立夏になるから。とはいえ日中はともかく、朝はまだ寒い。農作物の多くが芽を出したり、若

葉を開いたばかりで、寒さの被害を受けやすい。 「八十八夜の別れ霜」の言い伝えは、実状に即していると言える。岳山のうっそうと

茂る木立に隙間があるとは信じ難いことであるが、朝日がイルミネ−ションがきらきらと点滅するかのように、一筋の光となって昇って

いくのがわかるから不思議である。やがて煌々と輝く太陽が顔を出しました。昨年の冬至から稜線を数百b移動してきている。桜山

からのぞむ大浦岳はいつも同じ姿ではありません。四季折々違う表情を見せます。大寒を過ぎたころの姿は暗く厳しい。やがて春

が訪れ、香しく爽やかな五月の薫風が吹き渡る大浦岳は、椎の淡黄色の花で彩られます。

日本の夏の始まりを暦の立夏とするならば、日本のは三つの夏があるといえるだろう。第一の夏は、五月の初夏、日差しは強いが、日中の気温は、関東以西では22〜24℃ぐらいで、薄暑の感じであっても、熱帯なみの暑さではない。ヤマブキ、ライラック、シャクナゲなどの初夏の花が咲いている。新緑の林にはセミの声は聞こえず、雑草はなよなよして、静かな夏である。 ヨ−ロッパのサマ−が、まさにこの第一の夏と同じ気候なのである。第二の夏は梅雨である。一年中で一番日の長い季節だというのに、日光は低くたれこめた雲にさえぎられしまう。東京の六月の日照時間は134時間で、一年中で最も日の短い十二月より34時間も少ない。第三の夏は、梅雨が明けた後の七月後半と八月の盛夏である。通常、われわれが夏と呼んでいるのは、この期間である。 亜熱帯を思わせる青空に、太陽はギラギラと輝き、熱気につつまれた林の緑は、日に日にくろずんでいく。第一の夏を温順な自然とすれば、第三の夏は、雑草や害虫にまで 「恵み」 の及ぶ生命力に満ち溢れた自然である。セミが鳴き、蚊やハエが飛び交い、ちょっとほおっておくと庭に雑草が生い茂る。ヨ−ロッパのサマ−とくらべた場合に、第二、第三の夏は、日本に独特のものである。 熱帯並みの暑さの分だけ、日本では農耕期間の季節幅が広いのである。そして日本で稲が作られるのは、その季節幅 の広さと、雨量の多さのゆえんである。稲の発芽から成熟までの日々の平均気温を積算してみると、3800℃で、稲の栽培にいかに大量の熱が必要かわかる。第三の夏の存在が、稲の栽培を可能にしているのである。

道端にアザミと黄色の花が咲いています。一面に咲き乱れています。アザミは何の変哲もない見過ごしてしまいそうな花だが、なぜ

か紫が印象深い花。紫は清楚で高貴な色。葉には深い切れ込みがあり、トゲがあるから触ると痛い。花のにおいはトゲのある花に

は似つかない芳香を放つ。道端の畑で作業をしているおばあさんにこの黄色の小さな花の名をきいてみた。これは外来種で農家

の厄介者らしい。嫌われても何のその、たくましく繁殖している。秋にやはり黄色に咲くセイタカアワダチソウも外来種だ。農家の人か

らは草刈機や除草剤の標的され、目の敵にされる邪魔者でも道行く人々にはきれいで楽しませてくれる。こういう野生の花は、控え

目で決してスタ−とはなりえませんが、素朴さと道行く人々を和ませてくれる清涼感がある。人懐っこいこのおばあさんも、野に咲く花

のような素朴さと爽やかな清涼感に満ちていました。

 

野に咲く花のように

野に咲く花のように 風に吹かれて

野に咲く花のように 人を爽やかにして

そんな風に 僕達も 生きてゆけたら すばらしい

時には 暗い人生も トンネルぬければ 夏の海

そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです

 

野に咲く花のように 雨にうたれて

野に咲く花のように 人を和やかにして

そんな風に 僕達も 生きてゆけたら すばらしい

時には つらい人生も 雨のちくもりで また晴れる

そんな時こそ 野の花の けなげな心を 知るのです

ルルルル ・・・・・・・・・・

− ダカーポ −

若葉が山野に満ち溢れます。桜やカエデの葉は茂り方がすごいから、人によってはうっとうしいと思う人もいるだろう。一年中こうだとう

っとうしいと思うかもしれないが、落葉樹だから、晩秋から春までは落葉してあたりはすっかり広々して明るくなります。落葉樹と常緑

樹では新緑の形態が違います。落葉樹は木全体が新緑で覆われますが、常緑樹では古葉の間に新葉が混じる新緑になります。こ

れは葉の寿命によるもので、例えば葉の寿命が三年なら、ほぼ三分の一が新葉で、残りは古葉、つまり三分の一の新緑となります。

この風薫る五月は、四季を通じて最も華やかな時期になります。

バラが咲いてきました。高貴な香りが漂います。バラの魅力は色、形が 完璧であること 「 色彩のシンホニ

− 」 といわれるほどの色彩美の極致。バラを素材として唐詩で名高いのは、高(こう)べんの七言絶句 「

山亭夏日 」 です。" 緑樹陰濃やかにして夏日長し 楼台影を倒にして池(ち)とうに入る 水晶の簾動いて

微風起こり一架の薔薇満院香し "

(みどりしたたる夏木立の影、楼台をさかさまに映した池の面、吹きくる微風が水晶のスダレを動

のような素朴さと爽やかな清涼感に満ちていました。

かすと一棚のバラの香りが中庭に満ちあふれる )  このとき山中の 「あずまや」 は俗塵を離れた

清涼の世界であり、人は炎暑の何物 たるかを知らない。

フェロ−です。僕は寒さが苦手です。まもなく5月というのに、夜は寒くてまん丸になって寝ています。足も腹の下に入れる念の入れよ

う。これで僕のスタイルの出来上がり。飼主は犬は寒さに強いと思っているようです。たぶん雪という唱歌に感化されたのだと思いま

す。「犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」 という条(くだり)です。ただポカポカ陽気は好むけれど、これからの暑い直

射日光は避け、ビワの木の下に移動しています。

我が家の犬は周りで作業をしている拙者をずっと見ている。子供の頃の自分も大人の仕事をじっと見ていたっけ。物憂げな目で何

かを見つめていることもある。見ているというより、何かを思い浮べているのかもしれない。何を想い、何を考えているのだろう。子供

の自分もそんなところがあった。興味のないときは、いつも決まって寝ています。ときどき寝言ともうわ言ともとれる声を発します。何を

想ってのことだろうか。もう八歳半、人の年齢では60歳前半ぐらいでしょうか? 若い頃ほどではないが、それでもときどきみられます。

朝のドッグフ−ドの食欲がない。昼前には食欲は戻るようだが、理由がわからない。夕方の食事は、ドッグフ−ドを半分にして拙者の

食事と同じものを与えている。これに原因があるのかもしれない。無味乾燥なドッグフ−ドより味のついた人の食べ物のほうがいいに

きまっている。

道草とはもともとは道端の草のことだが、使われる意味は目的の所へたどりつく途中で、他のことにかかわって時間を費やすこと。「

寄り道」 ともいう。そんなはっきりとした目的もなく、途中の草むらにある野イチゴを採ったり、木にのぼり、崖をよじり、林に分け入って

、木の実を食べ歩いた学校帰りのあの寄り道、即ち道草の記憶はありませんか。食べることだけではなく、道の途中である風景を見

たいという衝動に駆られ、せっかくだからと道をそれるようなこともです。我が家の犬も道草が好きです。散歩中に草むらに入ります。

桜の花が終わって日が経たないのに桜の葉の食害が起きている。毛虫の仕業だろうが、その毛虫が見当たらない。毛虫といえば、

一番被害があるのがモノクロシャチホコ。ただこの毛虫は晩夏の8月頃の毛虫です。桜の花が終わった直後の食害としては、オビ

カレハ、ドクガがある。 「オビカレハ」 は枝のつけ根に白いクモの巣状の巣をつくるからすぐわかる。この巣がないから、オビカレハ

ではない。ドクガも毛虫だから、目視できるはずだがこれも見られない。3年前に伐採して移殖した場所の数本のソメイに集中してい

る。この一帯は5〜6bの大きなソメイを移殖したところ。

毎朝、丹念に桜の葉を調べているが、毛虫らしいものは見つからなかった。一匹だけだが、毛虫を見つけた。写真から、ドクガのよう

な気がする。たった一匹だけだから、これが犯人かどうかはわからない。

桜山は鹿との葛藤の歴史であった。鹿被害のため、本来あるべき進捗が半分程度もいってないだろう。都会から帰ってきた二十数

年前には、鹿など家の周辺でみることはなかった。サルも同様である。人家に出没するようになったのは、過疎化による人口減少、

森林整備の衰退だろう。温暖化による山の幸が不足する自然崩壊もあるかもしれない。鹿出没以前にやらなければならない作業が

あった。荒廃した桜山の整備である。桜守の祖父はすでに他界しており、すでに13年が過ぎていた。深く広大に進入した千本近い

孟宗竹の伐採、大きく成長した椎の木などの雑木の伐採である。多くのヒノキを伐採し、山も購入して桜を植えてきた。鹿の出没は

その頃からである。以後ずっと鹿被害は続いている。三年前に購入伐採した山も鹿対策は避けては通れない。桜は植えれば自然

に育つものではない。しっかりした管理が必要だ。鹿対策、害虫(毛虫)対策水対策、雑草対策等々。夏の渇水対策、鹿対策がメイ

ンだが、一昨年からイノシシの被害が急増している。鋭い牙で1b近くも根の周辺を掘り上げる。

フグシ−ズンの終わりを告げる供養祭が、下関市で行われ、フグに感謝するとともに来シ−ズンの豊漁を祈願しました。 ふく供養祭には、関係者らおよそ300人が参列し、下関ふく連盟の郷田 祐一郎理事長が慰霊の言葉を述べました。 (郷田理事長) 「コロナウイルス感染症も昨年5月に扱いが第5類に格下げとなり、それに伴って、ふくの消費量もさらに増加に転じております」 下関唐戸魚市場によりますと、天然のトラフグは、シ−ズン前半は、不良が続いたものの、去年12月中旬頃るの寒波で水温が下がったこともあり、養殖のトラフグと共に取扱量は、前のシ−ズンよりも増加したという事です。 (郷田理事長) 「取り扱い数量も金額も増えてますので、全体的には良いシ−ズンだった。 今からどんどん需要もありますし、観光客も増えてますので、来季も期待しています」 ただ、気候変動の影響からか、、天然トラフグは、全国各地で水揚げされるようになり、産地の分散化が進んでいる他、養殖は飼料の高騰などにより生産コストがアップしているということです。 慰霊祭の後、地元の子供たちがトラフグの稚魚を海に放流しました。

4月も終わりました。4月の春の嵐で陽光桜1本が倒れました。本格的な春の嵐「メイスト−ム(5月の嵐)」はこれからだ。日本付近に北

から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい空気がぶつかりあって上昇気流が生まれることで、温帯低気圧が急速に発

達する。10年前くらいに桜の大木が十数本も倒れたのを経験している。これも5月の爆弾低気圧だった。これは倒れたから修復がで

きたが、幹が折れてしまえばもう終わりだ。山の上は平地に比べ、かなり風が強い。三年前に伐採してからというもの、毎年強風で折

れるのは数本ある。不思議と夏から秋の台風ではなく、この春の嵐である。桜の木はもろく、衝撃に弱いのだろう。