ツクシシャクナゲ

新緑が初夏の光に輝きだす頃、深山ではシャクナゲが人知れず華麗で清楚な花を咲かせる。リュックを

背負い、山中を何時間も歩き続けたのちに出合うこの花の美しさは、登山家たちを魅了してやまず、

「 山の女王 」 とたたえられてきた。昔、亡き祖父に連れられ, 当地の天井ヶ岳の奥地に分け入ったこ

とが思出されます。もう四十年近くになるが、あの群生地は今どうなっているのだろうか。

" 本格的な梅雨を前に、シャクナゲが霖雨に濡れる卯の花腐しの風情 "

糸のような雨にシャクナゲの花が濡れる五月下旬、この梅雨の走りの雨模様は 「 卯の花腐 し 」 とも呼

ばれる。五月は陰暦四月にあたり、別名を卯の花月という。この頃咲くウノハナ(ウツギ)を腐らせるかの

ように、しとしとと降りつづける雨という意味。五月下旬は天気の悪い日が多く、卯の花腐しや、卯の花曇

りと言われる曇り空の日も多い。とはいえ、初夏の花々や青葉が、そぼ降る雨に濡れる美しさは、この頃

ならではの風情といえましょう。

ツクシシャクナゲ

 シューマン − 花の曲 −

この "花の曲" は柔らかく流麗で甘美、それでいて感傷的でもある、そして夢見心地の気分に満ち溢れている

のである。シューマンは野に咲く花を見て作曲したのだろうか、それとも深山にひっそりと咲く野バラ、シャ

クナゲを思い描いたのであろうか ・・・ 、きっと初夏の花々の命の輝きをこの短い曲にこめたのだろう。

実に寛いだ雰囲気の、それでいて芸術的な香りも高い作品だ。シューマンならではの微妙にからみあう旋律線

のポリフォニックな書法からは、彼一流の綿々としたロマン的な情緒が息づいている。同時期に書かれた「ア

ラベスク」「フモレスケ」や短く簡素なスタイルながらどれも即興的で愛らしく、深い抒情美を湛えた珠玉の

一篇とも言うべき「音楽帳」、中でも第16曲「子守歌」なども同様だ。こうした小品にもロマン派のピアノ詩

人 "シューマン" の違った顔を見ることができる新しい側面を示す作品である。更に「子供のためのアルバ

ム」全43曲も題名からして、又わかり易い各曲のタイトルとそれに従った内容、短く簡素な演奏技巧といった

特色からも、「お子様教育用」と偏見視されがちだが、実は大変に優れた、多彩な内容を持つロマン派キャラ

クターピースの傑作集であり、意外と知られてない新しい側面といえる。シューマンは音楽評論の執筆にあた

って、行動的で情熱的な自身を表すフロレスタン、詩的で瞑想的な性格をもつオイゼビウスという二通りの筆

名を用いたが、シューマンのピアノ曲も自身の外向性と内向性の異なる性格を色濃く表わした二つの側面があ

る。

一つは「交響的練習曲」「幻想曲ハ長調」「クライスレリアーナ」「ダビィット同盟舞曲集」「3曲のピアノ

ソナタ」などの情熱的で雄大な構想と堂々たる内容をもつ作品群だ。ピアノの限界を超える交響的な広がり、

つまりオーケストラの表現にまで迫る広がり、詩的な奥行きの方向にその枠をぎりぎりまで拡大したピアノ

書法なのである。「幻想曲ハ長調(実質はピアノソナタで、大ソナタと呼ばれる傑作)」「3曲のピアノソ

ナタ」の激しい情熱、壮大な調べはあのベートーヴェンの傑作「テンペスト」「熱情」以来のもにであろう。

ベートーヴェンはピアノの可能性、限界に挑戦したパイオニア(先駆者)なのです。幻想的で劇的な 「第17

番、テンペスト」、鍵盤を叩きつける激しさの「第23番、熱情」、深遠な宗教性、壮大かつ堅牢な構築性の

「第29番、ハンマークラヴィーア」はこうして生まれたのです。シューマンのこれらの作品群は、あのショパ

ンも及ばない前人未到の世界なのです。ショパンのピアノ書法の本質は、ピアノという鍵盤から結晶したよう

な純粋のピアニズムなのである。ですからシューマン的な独創性や激しく渦巻き、ほとばしる情熱をショパン

に求めるのは彼の本質からはそれるのです。ショパンの気質はスラブ気質、イタリアオペラ愛好などむしろリ

ストに近いのかもしれない。とはいえ、ショパンの「バラード/スケルツォ」各4曲を聴くと、思わずウーン!

と唸ってしまいます。さすがショパンだ! 脱帽! やはり天才だ!! シューマンはショパンに会った時、バ

ラード第1番ト短調をショパンの全楽曲中で一番好きだと述べたといわれております。しかし彼の作品のなか

では、最も怜悧な作品とはいえない、とも述べている。天才が天才を評した興味深い言葉だ。有名なピアノソ

ナタ「第2番、第3番」の華麗でメロディアスな調べ、華やかな演奏効果はショパンならではのもので、これら

はまさにショパンの独壇場、古今独歩のものなのである。演奏効果が上がるか否かは、ショパンとシューマン

の音楽的評価、人気の大きなファクターとなっている。シューマンには実質的なピアノソナタであり、リスト

に献呈された名作「幻想曲ハ長調」(リストは返礼に唯一のピアノソナタである有名なロ短調ソナタをシュー

マンに献呈したという)、管弦楽のない協奏曲とも、シューマンの "熱情ソナタ" との別名のあるピアノソナ

タ「第3番」のような豪華絢爛で、華麗な技巧を駆使した極めて演奏効果の上がる曲もありますが、偉大な彼

のピアノ作品の多くが低くみられがちなのは、ショパンほど確実に演奏効果が上がらないためである。ショパ

ンは多彩な和声とペダルの効果を知り尽くしていたのであり、めくるめくようなカンタービレ風の旋律は、お

そらく彼のイラリアオペラ気質からきているのだろう。ショパンの舞曲といえばポロネーズ、マズルカ、ワル

ツ(円舞曲)エコセーズであるが、充実した内容をもつ傑作ながら、世に余り知られてないシューマンの「ダ

ビィット同盟舞曲集」と聴き比てみれば、聴衆の反応は明白だ。緩急ある弾むようなリズムカルな旋律、優雅

で華麗、それでいて「内奥の詩」ともいうべき内省的で悲傷的なにび色の色調、気宇雄大、想念の高揚さ、楽

想の壮麗などからショパンに軍配があがるのです。シューマンの音楽もショパンと同様の傾向はあるのだが、

決定的なのは大衆性がないのである。芸術性、楽想の独創性、心の琴線に触れるなどは、ショパンに勝るとも

劣らない。高音域のきらきらする宝石を鏤めたような装飾はシューマンはやらないのです。20才のシューマン

が世に問うた最初の作品「アベック変奏曲」作品1では、若書きとはいえ簡素なフォルムの中に若い詩魂を鋭

敏な感性で結晶し、聴くものに爽やかな感興を与えくれるが、右手の装飾的な旋律はいかにもショパン的とも

いえる。この簡素なフォルムの中に詩魂を鋭敏な感性で結晶するのがシューマンの特質なのであって、ヴィル

トゥオーゾ風の流麗で華やかな技巧を誇示する作風は彼は好まなかったのだ。最初の頃はショパンと同じ方向

を歩んでいたのであろうが、やがてショパンとは一線を画する独自の独創性はまたとないものになっていく。

華麗で優美、時代の寵児でもあったショパンに比べ、シューマンは世の評価をも超越した孤高の境地に独自の

世界を実現していくのだ。おないどしである二人は芸術観の相違から深い親交の形跡は残されていない。ブラ

ームスとワグナーの不仲は有名であるが、それとて互いの才能は認めていたのである。シューマンは「クライ

スレリアーナ」をショパンに献呈し、ショパンは返礼に「バラード第2番」をシューマンに献呈したことが残

されている。

もう一つは子供のような純度の高い感性から生み出された「子供の情景」に代表されるトロイメライ(夢想)

の世界。自身童心にたち帰って、子供の世界での出来事や感情を描き出したものある。更に彼ならではの感情

がひときは豊かに開花している傑作「謝肉祭」や「蝶々」「ウイーンの謝肉祭の道化」「森の情景」「幻想小

曲集」などはシューマン独特の綾なす書法に一層みがきがかかり、ロマン派の智将の作品に相応しいものであ

る。愛聴曲「ダビィット同盟舞曲集」「フモレスケ」の交響的な響、珠玉な詩趣ともいうべきシューマネスク

な味わいはひとしおだ。これらの作品群は何曲かの小曲を連ねた組曲形式になっているのがシューマンの特徴

であり、絵巻物というか一つの物語りを見るようである。小曲ごとの完成度も高く、佳曲ぞろいで独立して演

奏されることもあるが、出来れば全曲をとおして聴きたいものだ。何故ならシューマンはこれらの小曲をただ

羅列して1曲を構成したものでなく、基本的なモチーフで統一し、調性関係も考慮して有機的な結び付けを実

現しているからで、やはり連続した1曲として楽しみたい。シューマンは音楽において "詩的" なものを表現

しようとした音楽家だった。詩と音楽との調和こそが最高の芸術世界を創造するとした。彼のピアノ曲で、

言葉による標題的な添え書きやアルファベットを読み込む象徴表現が見られるが、それらはシューマン独自

の "詩的" イメージから発しているのである。シューマン独自のものといえる夢想的なまでの想像力の奔放さ

は驚くほどの深さをもっており、各曲が有機的に結び付いて作り出す世界はまたとないものだ。