桜山の早咲き八重

「 たき火 」

垣根の 垣根の まがり かど        さざんか さざんか 咲いた道        こが らし こが らし 寒い道

たき火だ たき火だ おちばたき      たき火だ たき火だ おちばたき      たき火だ たき火だ おちばたき

あたろう か あたろう よ            あたろう か あたろう よ            あたろう か あたろう よ

北風 ぴいぷう 吹いている       しもやけ おててが もう かゆい         相談 しなが ら 歩いてく

鉛色の雲が垂れこみ、北風がピューピュー吹 く 木枯らしの季節、北の方から足早に冬がやってくる。

一陣の風に落ち葉が舞い、枯葉の燃える匂いが漂ってきます ・・・・・・ 。 ひっそりと咲き、ほのかに香る

冬の花 "サザンカ"。 清らかに、凛々しく、風のないのに花びらが一枚ずつこぼれる。 落ち葉焚きの

けむるなかに、サザンカ、"絞笑顔" が見え隠れする。しとしとと降る雨にも似合います。 この初冬の

頃の長雨を山茶花梅雨と申します。夏の前、梅の実が熟す頃の長雨を梅雨と言いますが、一年を通し

て長雨にはほかにも 「 走り梅雨 」、「 戻り梅雨 」、春の 「 菜種梅雨 」、秋の 「 秋霖 」 などがありま

す。冬枯れの景色の中、木枯らしにさらされながら、紅に白い星が入る絞笑顔が見え隠れする。サザン

カは大半が11〜1月頃に咲きますが、絞笑顔は新年以降に咲き始めるハルサザンカ。葉形はサザンカで

すが花形は半八重咲きで椿のようです。花びらが一枚ずつこぼれるというより椿のように花ごとポトンと

落ちる感じです。ですから分類として、椿に入れることもあるようです。椿と違って遠くからでも鮮やかに

見えますから、サザンカに近いのでしょう。一般にはハルサザンカとしてサザンカの分類に入ります。

さざんかの原産は日本にしかなく、寒さに弱いので、北限も限られます。九州、四国西南部、山口県に自

生し、自生の北限は山口県萩市指月山とされ、純白の一重だ。園芸品種は百種類近くあるとされるが、

一般には余り知られていない。代表的なものとして、白色八重咲きの 「富士の峰」 が挙げられるが、個人

的には赤色のものがときめく。花期はヤブツバキより早く11〜12月で、花にはかすかな香りがあります。冬

の寒いときにたくさんの花を咲かせますので、庭をにぎやかに彩ってくれるかわいい花ですが、一輪だけ

をとって近くで見ると、椿と違ってなんとなくものたりない。従って庭木や生垣として、遠方から楽しむ花とい

えます。実際さざんかは遠くから見ても良く映えるが、椿は遠くからではほとんど見えない。一つには椿の

花が葉の下に隠れて咲くこともあろう。やはり椿は茶花としての一輪挿しが最高だ。さざんかは葉は小さく

密につき枝は立性で、この点からも生垣用に良い花木といえます。さざんかは和風、洋風のいずれの庭

にも調和する。生垣では枝葉が密生し潤いが出るのです。椿との相違は他にもあります。冬の乾燥に弱

い椿に対し、さざんかは夏の乾燥に弱い。花ごとポトンと落ちる椿、花びらが一枚一枚散るように落ちるさ

ざんか、葉を透かして見ると、椿の葉脈は白っぽいのに対し、さざんかは黒っぽいなど ・・・・・・ 。 さざん

かはひめ椿とも呼ばれ、椿の仲間、いとこ同士なのです。どちらも花や葉が美しく、樹形も良く、冬も葉を

落とさない常緑樹であることなど、日本が世界に誇る花木だ。

赤松の間に二三段の紅を綴った紅葉は昔しの夢の如く散ってつくばひに近く代わる代わる花びらをこぼ

した紅白の山茶花も残りなく落ちつくした。三間半の南向の縁側に冬の日脚しが早く傾いて木枯らしの

吹かない日は殆んど稀になってから我輩のひるねの時間も狭められた様な気がする。

                                       − 「我輩は猫である」 より −

ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

この大曲は名作「第九」のポピュラリティには及ばないものの、その偉大さは勝るとも劣らない。この作品は

バッハの「ロ短調ミサ曲」を唯一の例外とすれば、古今のミサ曲中最も偉大な作品である。自身も「この荘厳

ミサ曲は私の最大の作品である」と述べているし、音楽そのものに絶対の自信をもっていたことからもわかる

ように大規模な編成から奏でられる音楽は、雄大なスケール、重厚な響と高貴な美しさ、起伏に富んだドラマ

チックな表現など宇宙的とも言える音楽的拡大の世界がある。人間讃歌を越えた生きとし生けるもの、万物へ

の讃歌がひしひしと胸に迫るのである。総譜のキリエ冒頭に自身が記したように「心より出て、そして再び、

心にかえらん」が全曲の根源になっている。合唱の扱い方は生涯、尊敬してやまなかったヘンデルのオラトリ

オ「メサイヤ」から学んでいる。壮大で重厚、劇的起伏をもつ第3章クレド、高貴な美しさや神へと近づく高

揚感が、みなもに生じた波紋のごとく徐々に輪を広げ、法悦境をうみだしてゆく第4章サンクトゥス ・・・

、こうした壮大な外面的効果と大らかで広々とした曲想、生き生きと明快に聴衆に訴えかけてゆく楽想は、い

かにもヘンデル的と言えなくもない。自身「第九」が完成するまでは一番良く出来た交響曲と語っていた、若

き日の技法上、構成上の革命となった「英雄交響曲」、彼の音楽がひとつのモチーフを寸分の隙もない堅牢な

構築力で、巨大なピラミッドを造るような音楽とすれば、その典型の「ハ短調交響曲」、交響曲の金字塔とな

った「第九」などと並び、ベートーヴェンの最も雄大でオーケストレーション的な作品となっている。