美しい山桜

" 蝶鳥の浮つき立つや花の雲  − 芭蕉 −

3月末から4月始めにかけて桜が見頃になります。心浮き立つのは人も同 じす。世の中が平和になった

せいか、各地の桜の名所は近年ますます賑わいをみせているように思えます。桜は正直なもので、日頃

手入れが行き届き、大事にされている桜ほど立派な花を咲かせると申します。しかし天候の不順だけは

いかんともしがたい。寒い日や強い北風が続きますと、日頃の労も報われません。日本人は花見を大勢

で楽しむ。そして花見酒 がつきものである。   「 京は九万九千群集の花見かな 」   − 芭蕉 −

俳人芭蕉はこう読んだが、現代でも花見の時は民族の大移動が始まるのです。この大勢で花を愛でたり

、花の下での花見酒は西洋の文化にはない現象です。農耕民族の習性なのでしょうか。

花見が行楽として定着したのは平安時代とされる。桜の和歌には 「散る」 という重要語が詠み込まれ、

はかなさに情趣を見いだすものが多くあるが、そんな風雅な美意識は平安朝の貴族たちに好まれた。

武士の花見といえば豊臣秀吉。徳川家康など総勢五千人を引き連れたとされる吉野山の花見、

また一ヵ月半で醍醐寺に七百本の桜を植えて催したという醍醐の花見。

江戸時代になると、庶民にも広まってきました。しかし平安貴族よりももっと前から花見を楽しんでいたの

は農民だった。農業では桜は始まりの合図でした。「苗代桜」 と呼び、桜の咲き具合で苗代作りの期日

を決めた。桜の開花期を 「花月正月」 と呼ぶのも、稲作の一年が始まることからで、四月始まりの 「年

度」の発想に重なります。

「 サクラ 」 の 「 サ 」 は早苗、早乙女の 「 サ 」 などと同じく " 田の神、穀物に宿る霊 " をいい、「 クラ 」

は、その神が宿る場所 「 座(クラ) 」 をさす言葉 だったという。神宿る花木 " サクラ " の開花期は短

い。一瞬、一斉に無数の花を咲かせ、あっという間に散ってしまう。光りきらめき、清らかな春の気を揺

らして甘く ほころぶ野のサクラ。光りきらめくといっても、霞たつもやっとしたおおらかで柔らかい春

光りなのです。桜はこのもうろうと、ぼおーとした " 曖昧さ" が良いのだ。立春の頃のまだ凍てつく冷

気のの中に、はっきりと、キリっとした佇まいの梅とは趣を異にするのです。咲き誇るサクラに心躍り

、淡いピンクに囲まれていると異空間に迷い込んだ錯覚を起こさせる。あっという間こ散るから、咲き

はじめから散る姿まで、この目に焼き付けておきたいと思うのだ。この季節、静かにゆったりした気分

で、心ゆくまでサクラを味わいたいものです。

" さまざまの事 思い出す桜かな  − 芭蕉 −

 

ヴァイオリン ソナタ第5番「春」  ― ベ−ト−ヴェン ―

「春」 という標題は作曲者自身によるものではなく、いつ誰とはなしに呼ぶようになった愛称だが、明るく

暖かい幸福感とうららかな気分に満ちたこの曲に相応しい名である。冒頭からヴァイオリンが爽やかで

瑞々しいロマンの香気にむせかえるように滑りでてきます。それはもう幸福感に満ち溢れています。

滝廉太郎には、「花」 以外にも桜を歌ったものに 「荒城の月」 があります。 故郷の月光のさす荒れた

古城で、夜桜を愛でかっての栄華を想い、盛衰のさまをただ月だけが知っている、と歌われます。

 

春のうららの 隅田川  のぼりくだりの 船人が

櫂のしずくも 花と散る  ながめを何に たとうべき

 

見ずやあけぼの 露あびて われにもの言う 桜木よ

見ずや夕ぐれ 手をのべて われさしまねく 青柳を

 

錦おりなす 長堤に 暮るればのぼる おぼろ月

げに一刻も 千金の ながめを 何にたとうべき

            ― 武島羽衣・詩 滝廉太郎・曲 ―