春を告げる花としては椿がありますが、冬から春にかけて長く咲き続けますので、春の予感はどうして
も蝋梅、梅 となります。 中国では雪中の四花としてロウバイ、ウメ、スイセン、ツバキを選んでいま
す。 鮮黄色の花を咲かせるロウバイはウメより早く咲き、香りもウメに劣りません。 訪れる春をどんな
花よりもいち早く察知し、人々に教えてくれる。ちなみに花言葉は「先導、先見」というからむべなるか
なである。英語では 「ウインター・スイート」 と呼ぶ。スイートには甘さとともに香りを示す意味があると
言えば、なるほどと思う。寒気の中をただよう澄んだ芳香はまさに 「冬の香り」 である。でも風が冷た
ければ冷たいほど、春は近いー 寒中の芳香がそう告げている。立春の頃、早春に咲く花たちは冷た
い土のなかから少しずつ芽を出し、あるいは木の枝で芽をふくらませ、暖かい日が来るのを待ってい
るのです。「 梅一輪、一輪ほどの暖かさ 」 は日ごとに春めく 喜びを梅一輪の咲く姿に表現 したもの
である。暖かい日、ウメ 独特の香りを放って 「 ああ春がきた 」 と感 じさせてくれる。ウメの名は昔、薬
として果実をくん製にしたものが、中国から鳥梅 (中国読みでウメ)の名で万葉の頃に日本に伝来した
といわれます。花の香りを楽しむのは勿論だが、梅干にするのが目的であった。平安期には貴族たち
の食べ物として、また鎌倉期以降は武家の食膳にも上がるようになり、兵糧食としても用いられように
なる。梅の産地といえば和歌山みなべ町、おいしい梅の条件とされる 「皮が薄く、種が小さく、果肉が
厚くやわらかい」 という要件をすべて併せ持ち、ミ ネラル分も多い 南高梅 のメッカだ。この地が大生
産地になったのは歴史的な背景と自然環境がある。江戸時代に藩主が梅の栽培に興味を持ち、梅畑
の税を免除したことや八代将軍吉宗が紀州藩主時代に梅干の保存を奨励したことなどによる。この
地は紀伊水道に流れ込む黒潮の影響から気候が温暖で、一年を通して降水量が多く、日照時間が長
い。土壌が炭酸カルシュウムを多く含んでいて、中性質の土壌を保つ。成長時にカルシュウムを多く
必要とする梅にとって、みなべ町の土は生育にうってつけだったわけだ。梅は白梅、紅梅に分けられ
ますが、例外を除いて白梅は紅梅より開花が一週間位早いといわれております。そして立派な梅の実
が取れるのは白梅の一重咲きに限られているようです。ウメの名所は水戸の偕楽園が有名ですが、
当地では防府天満宮や大宰府天満宮が有名である。
「 東風(こち)吹けば匂いおこせ梅の花 主なしとて春を忘れそ 」 ー 菅原道真 ー
菅原道真が筑紫へ下るとき、愛培 していた梅への惜別の歌。 このうちの一枝が主を慕ってはるばる
大宰府まで飛んでいったと伝えられる 「 飛梅 」 の伝説では、邸内に植えられたウメには主 (あるじ)
があることを意味するものといわれます。中国では、文学が盛んになると、美しく香る花を咲かせる 「好
文木」 の俗名があるという。早春に咲く 「自知春」 、花の季節に先立つところから 「花の兄」 の別称も
ある。立春を過ぎましても " 春めく " とはいきません。 暫くは厳しい寒さが続きます。当地では、百年の
歴史を辿っても最低気温はほとんど2月に記録されたものです。 とはいえ木の芽はふくらんできており
、春への鼓動が始まっています。 恒例 の 「 秋吉台の山焼き 」 も始まります。 あと少しで雛祭りです。
「 灯りをつけましょぼんぼりに ・・・・・・ 」 は誰もが知っているなつかしい歌のひとつです。 弥生三月、
幼な子とともにこの歌を歌う時、人は皆、のどやかな顔をして過ぎし日の 「 お雛祭り 」 を思いおこし、
白酒、ひなあられ、ひしもち、ちらしずし ・・・・・・ が目に浮かびます。