サヨナラ my home town

Hey Hey, May be someday, gonna make it

Hey Hey, See you someday Keep on dreamin'

そう誰もが super star 夢見ていたよ なにもかも この手に できそうな seventeen's night

なじみのサテンで ふかす銀の煙 どこまでも 続く 気がしてた

年をくらうほどに 遠くなってく夢 決められた行先に Oh なすすべない eighteen's night

手探りで歩くほど 若くなくなっちまった Thank you my friend 今夜町を出るよ

サヨナラ my home town イカした仲間達 地図にない道 きっと baby

もう一度 my heartbeat この手につかむまで 振り向くな 立ち止まるな

 

けんかナンパばかりで あけくれた毎日 イキがってた teen age でも気がつきゃいつも

背中がとても寒くて 泣きたくなっちまう夜 Good by my friend 今日で おさらばさ

サヨナラ my home town イカした仲間達 地図にない道 きっと baby

もう一度 my heartbeat この手につかむまで 振り向くな 立ち止まるな

You've gotta take it

希望の one way ticket 胸にしまっているだけじゃ いつまでたっても 何も baby つかめないぜ

今度逢う時 顔が輝いてたら 僕等は Heysuper star

‐ TUBE ‐

角島大橋    橋長 1,780 m

一面のコバルトブルー、エメラルドグリーン  ハングライダ−から撮った角島

 

角島は豊北町の沖1.5キロの響灘に浮かぶ周囲およそ17キロの島で、千人近い人がここに暮らしてい

ます。 近世においては響灘と日本海のカドの島として北前船の海上交通の難所として知られ、現在で

は日本海に突き出した牛の角のような形状から角島(つのしま)と呼ばれています。 豊かな自然と温か

い人情が何よりの自慢です。 変化に富む海岸線、ハマユウの群生する浜辺、美しく澄んだ青い海 ・・・

渡り鳥 たちの楽園でもある天恵の島。 角島特有の風土に恵まれた歴史の再発見 と大自然が織りなす

風、光、波のページェントをお楽 しみください。

 

「 平城京若海藻上進之地 」

角島は万葉集にも詠み込まれており、古くから角島のわかめが都 平城京( 奈良の都 )へ献上さ

れていたことを物語っています。

" 角島の迫門の稚海藻は人のむた  荒かりしかどわがむたは和海藻 "

− 万葉集 巻十六 −

1963年秋、奈良市平城京跡の天皇の佳居の内裏の東北方の発掘で、土器などと共に木簡を検出した。

木簡には 「 都濃島 」 と刻まれ、その中の一つに長門国角島から都へ送られた 「 わかめ 」 につけた

木礼 ( 縦273ミリ、横36ミリ、厚さ7ミリ )の送状が含まれていた。 それには天平18年 ( 746年 ) 329

と日付が書かれている。 これはその当時豊浦郡の郡家 ( 都の役所 ) にいた人がそれぞれの花札を書

いたもので、いまから1200年以上も前に聖武天皇以下宮延の人たちが、角島の海士ヶ瀬戸のわかめが

おいしいことを知っていて、毎年島に住む人々から税金として差出させていたことがわかる。

「 故郷を遠く離れて思うかな、夢さきの波、牧さきの風 」 − 中本たか子 −

郷土が輩出した女流作家、 中本たか子が故郷の角島を思い歌にしたものです。

日本海・響灘の風と波と陽が奏でる 「 角島への新海道 」

角島は橋の完成により、本土西端となる春告の島として、又島の原風景を残す島として、多くの人々を魅

了する山口県の新たなポイントとなっています。角島灯台は明治9年、日本海最初の石造りの灯台とし

て、初点灯し現在も活躍し続けています。この灯台は平成10年度に 「あなたが選ぶ日本の灯台50選」

にも選定され、その美しさは日本一といわれております。