春分を過ぎますと渡り鳥は北へ飛び立ちます。秋分の頃、北から渡ってきた雁は、この春分の頃、故郷

へ帰るそうで、この季節を 「 雁の別れ 」 と申します。カギ形になったり、一列縦隊になったりして飛ぶ姿が

みられるでしょう。これを 「 雁行 」 と申 します。雁は去来期が正確で、代表的な渡り鳥です。この習性

に由来している様々な言葉があります。陰暦8月を<雁来月>、陰暦9月に吹く風を<雁渡し>、ハゲイト

ウを<雁来紅>などです。手紙を<雁書><雁信><雁礼>というのは前漢の将軍、蘇武が匈奴に捕

えられ、雁の足に手紙をつけて放し、故国に便りをしたという故事にもとづいており、これも渡り鳥としての

雁の習性に発したものである。当地の阿知須町きらら浜にこの冬6羽のマガンが飛来したとのことです。

前年は5羽でしたから二年連続の一桁にとどまりました。一昨年が26羽でしたから大幅に減少しました

一昨年が多かったのは北海道、東北の記録的豪雪が原因のようです。雁の南下の限界は島根県と聞い

ておりましたが、最近は雁も少し羽を伸ばしてきたのでしょうか。マガンは体長70cm、翼を広げると150

cmにもなります。雁は秋にシベリアからはるばる日本や朝鮮半島に渡って来ます。日本には5万羽くらい

が訪れると言われておりますが、その数は年々減少していると言われております。そして冬を過ごし、春に

はまたシベリアに向けて5千キロ以上の長い旅に出発するのです。

春北帰行と前後 して南国からは、ツバメが渡ってきます。ツバメは前年の古巣に必ず帰るそうです。その

期日は毎年10日とかわることがありません。それは桜の花が春のある日を定めて、一斉に咲きだすのと

同様に正確なのです。ツバメは昔から日本に春をもたらす鳥として知られておりました。 ウグイスと同様、

「春告鳥」 なのです。ツバメは人との関係が深い。巣は必ず人家かその近くにあります。 それは天敵の

カラスから守るためのようです。益鳥として一日に300回も羽のある昆虫をとり、雛に与えるそうです。

ツバメは人の暮らしにうまく溶け込んで、身を守ってきたのでしょう。気象観測官が自然を見ているのは

桜だけではありません。ツバメがいつ渡ってくるか( 視見日という )、いつも空を観察しています。 九州

では3月中旬、下関では25日、東京4月3日、函館29日頃とされます。今年の下関は3月20日だったそ

うです。 桜前線と似た北上をいたします。この日、ソメイの満開とイチョウの発芽も発表されました。

下関を通過したツバメ前線は、ほぼ1ヶ月かけて北海道に渡るのです。やがて木立の若葉が一斉に萌え

立ち、つぼみの暗褐色から徐々に開きながら黄緑色に変化 してきます。これを 「 萌黄 」 と申 します。

このあとむせ返るばかりの若葉が山野にみちあふれ、棚田にも水がひかれます。その頃には、南方から

ホトトギス( 時鳥 )が飛来 します。昔の村人たちはその独特の鳴き声を聞きますと、「そろそろ田植えの

準備を始めなければ 」 と思ったといわれております。 「コブシの花が咲き始めたら苗代に稲のタネをまく

んだよ」 も聞いたことがある。鳥や花を農耕の指標とするのを自然暦とでも言ったらいいか、今はもうす

たれる一方だが、自然暦の伝統はなんらかの形で今も私たちの血の中に流れているのではないか。

天地の暦に目を配る発想には、融通無碍の柔軟さがある。 こうして日 一日と夏に近づ いていきます。

 

「やまぶき」

山吹は4月頃に薄緑色の若葉に混じって、黄色い5弁の花を咲かせる。 一重が普通で、小さい実をつ

ける。 八重は変種で、庭植えに多く結実は稀である。 歌の題材としては、八重咲きがほとんどである。

それゆえ 「花咲きて実はならねど ・・・・ 」 などとされるのである。 大田道灌と山吹の故事は有名である。

道灌がある日、鷹狩りに出かけ雨に出会った。 付近の農家で蓑を借りようとした時、乙女が無言で、

やまぶきの花一枝を差し出したが、道灌はその意味がわからず、後になって 「七重八重花は咲けれど

も山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」 という古歌で答えたことを知り、己の無学を恥じ、以来発奮して

和歌の大家になったという故事である。 この歌 「後拾遺和歌集」 に伝えられる兼明親王の歌で、文盲

が多かったその昔に、この歌を知っていたというからよほどの才媛であったのだろう。 きみどりいろに映

えるやまぶきの黄色はひときは明るい、清涼感溢れる花なのである。

 

 シューマン 交響曲第一番「春」

シューマンは生涯に四つの交響曲を作曲しました。その第一番が「春」で、生涯の中でも最も幸福な時期で、

新しい年を迎えて希望に燃えていたその気分に相応しい交響曲がここに生まれたのです。それはベートーヴェ

ンの第四交響曲が婚約(眉唾物)を始め、生涯にとって一番幸福な時期の作品であったことと類似します。

曲は詩人ベトガーの "春の詩" から霊感を受けて書かれたものだともいわれ、<春の交響曲>という名を与え

、各楽章には各々「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」といった標題をつけたこともあ

ったが、後にシューマン自身によってとりのぞかれたようだ。シューマンはこの曲の初演を指揮することにな

ったメンデルスゾーンにあてて、次ぎのように述べています。作曲当時に抱いていた春の憧れに似た気分を管

弦楽で描いてみたかった。冒頭のトランペットは高いところから呼び起こすように自分には響き、それに続く

序奏では、すべてが緑色を帯びてきて、蝶々が飛ぶのさえも暗示するようで、次ぎのアレグロはすべてがしだ

いに春めいてくるのを示すともいえるが、こうしたことは作品が完成したあとで、思い浮かんだことなのだ。

そのメンデルスゾーンもイタリア旅行の印象に基づくイタリアの風物からインスパイヤーされた交響曲第四

番「イタリア」があります。メンデルスゾーンを「音による第一級の風物画家」と評しましたは、のちのワ

ーグナーですが、曲は事実その言葉どおりの音による見事な風景描写であり、その印象を素晴らしいタッチ

でオーケストレーション化しています。好きだったイギリス旅行のスコットランドの風物から触発された交

響曲第三番「スコットランド」「フィンガルの洞窟」なども同様です。その「イタリア」ですが、標題を「春

」としても少しの違和感もないほど、春への憧れや幸福感、そして春めいてしだいに芽吹きを迎える生命(

いのち)の息吹が感じられる、明朗で明快な気分に満ち溢れた曲である。