松前紅豊

俳句の世界で花といえば、もっぱら桜の花のことをいう。例えば花見、花冷、花の雲、花の山、花吹雪、

初花、花に風、残花、落花などである。 俳句に限ったことでなく、一般でも花見といえば桜に限っている。

サトザクラ( 里桜 )は園芸品種で花期が遅いのが特徴である。紅の関山、松前紅豊、白色の松月一葉

、淡黄緑のウコンなどが山を彩ります。里桜は色彩と花形の多種多様な面白味を生かすべきで、五色

桜というように色彩の異なったものを配置するのが良い。樹の丈が低く、花が大きいから本来は字の如

く、里( さと ) 即ち 庭など近くで見られる場所に植えるものである。里桜は山桜党としては、けばけばしく

" いかがなものか " と思いますが、中でもウコン、一葉などは雅趣のあるものでしょう。「ウコン」 は二百

種類以上ある桜の品種の中では数少ない変り色の桜で、その満開の花姿は透明度の高い爽やかな レ

モン・イエローなのです。日に輝く八分咲きのこの桜を見ていると、黄金の花が咲いているようで、それで

いて黄金色の持つ俗臭がなく、清らかな豊麗さというものを感じさせる。花の終わりごろになるとレモン・

イエローから白色そして淡い紅色を帯びてきます。淡い紅色を帯びてくるのは松月も同様です。 江戸後

期の里桜の逸品である。「一葉」 は晩春の明るい日差しを浴びて咲き輝くこの巨木の美しさは音楽的な

陶酔にも似ている。関山(カンザン)の濃い紅に較べると、その淡々とした風情は室内楽的であり、生涯

ピアノ詩人 " シューマン " を尊敬 してやまなかったあのドビュッシーの世界だ。里桜の中では早咲きの

ため山桜、ソメイヨシノ の花とのコントラストを楽しめる。早咲きといえば、松前早咲き松前紅豊(一般に

は紅桜と呼ばれる) も遅咲きの山桜、ソメイ などの白い桜との対比を楽しめる。 八重桜としては異色の

豊かな重弁の紅紫色の花をつけ、花弁も15〜18片で少ない。 (松月、関山は30〜35片、一葉は20

片) 北海道松前町で生まれた品種で、わが家には多く山を薄いピンクで埋めます。 八重咲きの里桜の

花見といえば、大阪財務省造幣局が有名ですが、当地ではその造幣局から移植された広島造幣局の八

重桜の花見が有名です。桜は日本人の心の花である。民族の花、国花として日本人の国民性を象徴し

ます。 桜はおおらかで優美な枝に 「 うららかなる身体 」 の花を華麗に咲かせ、いかにも 「 春爛漫 」

の趣きを醸 し出す。

レモン・イエロ−のウコンとピンクの楊貴妃とのコラボ

桜は満開の花を愛でるだけではない。花吹雪となって舞う落花の美に限りない感動をいだく。散華の美

学や散る花にもののあわれや有為のはかなさを感じとるのは、自然に親 しむやさしい日本人の心情か

らなのだろうか。桜は一瞬、一斉に無数の花を咲かせあっという 間に散ってしまう。その淡白、思いきり

のよさ、散りぎはの潔さは武士道の鏡であり、「 花は桜木 人は武士 」 の喩え は、命をかけた武士に相

応しい言葉であった。花を愛する極致は花を食べることだというが、キクやフキの花を食べ、サクラの花

弁の塩づけは、正に、" お湯の中にも花が咲く " のである。 日本人の美意識を 「 花鳥風月 」 の言葉で

表現するが、例えば、良寛 辞世の歌 「 形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋は紅葉 」、 道元

禅師の 「春は花夏はほととぎす秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり 」 などの歌をみても日本人の花

に対する自然観 ― 時の流れ、時の移ろいの折り目切れ目を尊び、自然と融合一体化することに喜びを

感じる日本人― が、しみじみと読みとれるのである。

春らんまんの季節、桜の開花前線が、日本列島を一気にかけ上がってゆく。木々の新緑も萌えだし、

野山は生気に満たされるのです。

松月

スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

「チェコ近代音楽の祖」といわれるスメタナは祖国の栄光と没落を描いた交響詩を思い立ち、交響詩集を完成

する。スメタナの命日に開幕される「プラハの春」のオープニングには必ずこの6曲からなる連作交響詩が演

奏される。これはスメタナが 「チェコスロバキアの国民主義音楽のパイオニアであり、国民的英雄として敬

愛されているのと、チェコの風土や歴史を題材にした愛国的な内容をもった作品であることからであろう」。

「わが祖国」全曲は、ひとつの統一体として計画されたにもかかわらず、長い年月をかけて徐々にまとまって

いった。全曲初演は1882年についに行われ、耳の聞えぬ作曲者は熱狂と尊敬とを同時に受けることになった。

何故なら、彼は人々のために無類なこと、即ちチェコ独特の神話、歴史および風景を音により賛美したからで

ある。 連作交響詩曲の大体の構成は、標題に従っている。そのため、標題を知っておくことがこの曲を理解

する上に必要なことである。「高い城」、「モルダウ」、「シャールカ」、「ボヘミアの森と草原より」、

「ターボル」、「プラニーク」の6曲である。

「高い城(ヴィシェフラード)」 1874年。詩人は高地にそびえる古城 ヴィシェフラードを見て吟遊詩人の竪琴を心の中にきいた。 その城にはかって王侯貴族が住み権勢をほこっていた。 が激しい戦闘が起り、王座は互礫と化した。 廃墟となった古城から、再び吟遊詩人の竪琴が幻想のうちにきこえてくる。 といったプログラムにそったノスタルジックな音楽だが、この頃のスメタナの耳は悪化の一途、「ほとんど何も聞えない」と、悲痛なメモを残している。

「モルダウ(ヴルタヴァ)」 1874年。ふたつの水源から流れ出したモルダウ(チェコではヴルタヴァ)川はやがて合流して水量を増していく。 狩猟の角笛がこだまする森をぬけ、踊りでにぎわう農村地帯をすぎ、月の光に照らされ舞いたわむれつつ流れゆく川、流れは聖ヨハネ像のある急流となり波が砕け散る、そして堂々たる大河となってプラハに流れこみ、ヴィシェフラード城をあおぎ見つつ平原の彼方に去っていく。 メロディアスで大変美しい曲、6曲中一番有名でしばしば単独でも演奏される。

「シャールカ」 1875年。 シャールカというのはアマゾネスの名。 恋人の裏切りによって全ての男に復讐を誓ったシャールカは、自分の身体を木にしばりつけて苦しむふりをする。 通りかかったツティラートという兵士は彼女の美しさに惹かれて恋をする。 シャールカは、彼とその仲間の兵士たちを挑発し酒を飲ませて眠らせる。 全員が寝静まった時、シャールカは仲間のアマゾネスに合図、男どもを皆殺しにする。 情熱的な激しい曲。

「ボヘミアの森と草原より」 1875年。森や草原から、楽しい歌や淋しい歌が聞えてくる。 森はホルンであらわされ、エルぺの谷の豊かな低地は喜ばしい主題で描かれる。 だれども自分の好きなようにこの曲を聞き、各自のイメージを描くことができる。 詩人も、詩人なりの幻想でこの曲を聞き、細かいところまで思い描くことができるだろう。 と平明でのびやかなこの曲についてスメタナはこういう解説をしている。

「ターボル」 1878年。 この曲と次の「プラニーク」の2曲は15世紀に起った宗教戦争にテーマを求めたもので、具体的なプログラムは付けられていない。 ターボルというのは南ボヘミアの町の名。 宗教戦争の発端となったフス教徒の本拠地である。 フス教徒は反カトリック、宗教改革ののろしをあげ、チェコの独立運動と結び付いてドイツ系の国王一族と戦ったのだ。 フス教徒が歌ったといわれる讃美歌を用いて、彼らの不屈の信念と戦いを力強く描いた音楽。

「プラニーク」 1879年。 プラニークとはフス教徒がたてこもって戦ったと伝えられるボヘミアの山の名。 「ターボル」の最後のフレーズがそっくりそのまま、この曲の冒頭に用いられていることからもわかるように、 「プラニーク」は「ターボル」の続編をなす曲である。 中間部に美しい牧歌をはさんで、フス教徒の勝利とチェコの明るい将来を壮大に歌いあげるのである。 行進曲の形をとったこの勝利の讃美は連作交響詩<わが祖国>のフィナーレに相応しい壮大なクライマックスをむかえ曲は終了する。

関山