お彼岸を迎えようとしています。春彼岸はしっとりしている。秋彼岸はさらさらしている。暑さ寒さも彼岸まで

とは古今の名言で、日本の季節の春秋二つの折り目を、もののみごとに言い表している。秋の日ざしはま

だ強いが、空気はさわやかで肌ざわりがいい。朝寒、夜寒には身がひきしまって、落着いた気持ちにな

る。落ち葉舞う秋の哀愁さはまだないが、そろそろ自然の万物が休息し始める頃でもある。色づき始めた

稲穂の波を見るだけで心強く、秋の心は豊かなのである。秋晴れの日はキラキラしたものが降っているよう

で、底抜けの青空に吸い込まれそうな心地がする。天高く馬肥える秋というが、天は低く、猛暑の夏は去

り、馬はともかく、人は着実に肥えつつある。それなのに低く垂れこめた空から霧雨が小止みなく降り注い

で、まるで梅雨のようだ。秋雨前線が居座って、秋の長雨 ( 秋霖 )が続いております。秋というとカラッと

乾いた秋晴れを連想するが、今年の秋は入り口に立ち止まったまま。晴れ晴れとした空を見せるまでは、

もうしばらく時間がかかりそうだ。ものの本に寄れば、秋分の日は 「祖先を敬い、亡くなった人々をしの

ぶ」、春分の日は 「自然をたたえ、生物をいつくしむ」 とある。世知辛くなった現代は祖先や故人を思う

ゆとりもなくなってきてるのだろうか。ふだんはそれでよい。が、年に一度や二度は祖先や故人を顧みたい

ものである。彼岸が近づくと、彼岸花の茎がすくっと伸びて赤い花をつける。美しいが毒をもつこの花の

球根を、昔の人はねずみ退治に使ったという。田んぼの畦道には、秋の日に映える赤い花が静かに、音

もなく幾重にも燃えひろがっている。彼岸は梵語の波羅蜜多の訳語で、かなたにある理想の世界、あるい

は悟りの境界に行きつくのが波羅蜜多だ。彼岸の中日(秋分の日)には、太陽が真西に沈む。真西には

阿弥陀の浄土があるという信仰からか、死者の霊がぶじ浄土に行きつけるように、祈りをささげる。海の彼

方にこそ理想の世界があるという信仰は、私たちの血にとけこんでいるような気がする。

コスモスは平凡な花だが、日本の秋には欠かせないものだ。 澄みきった秋の空気の中で咲くコスモス

は、日本の秋の象徴といえる。 春の代表は桜、コスモスは秋に咲きますので 「 秋桜 」 という 和名もある

ほど、日本人の感性にぴったり。 キク科の一年草の短日植物で、日が短くなる秋になると咲く。 原産はメ

キシコ花言葉は「 乙女の真心 」 、コスモスとはギリシア語で美しいという意味で、美しい花姿から名付けら

れたようです。 化粧品のコスメティックもこれに由来しており、コスモス衛星というように宇宙の意味もある。

最近は早咲き系統のコスモスが出まわって、真夏にも拘らず花が見られます。 この種は日長に関係なく、

種をまいてから、2〜3ヶ月で咲くという種類である。 季節感が薄れてしっくりしません。 やはりコスモスは

秋の花として楽しみたいものだ。 コスモスは日当たりと水はけが良ければ、どんなやせ地でも咲き、そして

こぼれ種で毎年咲くという生命力の強い植物でもあるのです。 最近はブームもあって各地で丘陵地、道

端、休耕田等に植えられており、秋の風物詩を楽しむ人々で賑わいをみせているようです。 透き通るよう

な秋の光の中を赤トンボが流れていきます。 小春日和 の穏やかな日、陽溜まりに秋桜が揺れながら光に

はじけ、一層濃く 鮮やかな色彩を見せてくれます。 この頃には全国各地でコスモス祭りが始まります。

当地、豊浦町川棚では十月六日より コスモス祭りが催されます。 13種類以上100万本のコスモスが

咲き乱れます。

初秋にもなりますと、モズが木のこずえにとまり、尾羽を上下に動かしながら独特の鋭い声で 「 キィー、

キィー、キチキチキチ 」 と鳴きます。スズメよりやや大きい鳥で 「 百舌鳥 」 とも書かれ、巧みに他の鳥の

鳴き声をまねることで有名です。他の小鳥に比べ目が鋭く、クチバシはワシやタカなどの猛禽類と同じく

鋭いカギ状になっておりますが、猛禽の仲間ではありません。 冬の間、その鋭いクチバシで捕らえた動物

を小枝やとげにつきさして乾燥させます。これを 「 モズの早にえ 」 と申します。後で食用にして用いるわ

けでもなく、不思議な習性です。この頃には大方の夏鳥たちはすでに繁殖も終え南国へ帰る準備に入り

ます。 平素見かけない小鳥が庭先に姿を見せるのもこの頃です。深い山のなかで生まれたこれらの鳥は

まだ人の怖さを知らず、ハエや虫を追って平気で家の中まで入ってきます。しかしこれらの鳥は庭の常客

ではありません。南の国への長い帰途の一時の立ち寄りにすぎなく、二、三日はいてもまたすぐに立ち去

ってゆきます。夏鳥が旅立ったあとには、山の中に残っていた留鳥や漂鳥も、迫る寒さや餌の不足に見

切りをつけて山をいっせいにおりてきます。 時をあわせるように、北の国からは沢山の渡り鳥 ( 冬鳥 ) が

がやってまいります。 このころの山里は春とはまた違った鳥の賑わいがあります。

 

ベ−ト−ヴェン 「熱情ソナタ」

「楽聖」 ベートーヴェンが生涯を通して心血を注ぎ、打ち込んだ領域は交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲の分野であろう。

これらの作品群には、他の追随を許さない、前人未到の偉大さと価値を持つものであり、同時に彼の人となりを語るに相応しい

人生の縮図なのである。 5つのピアノ協奏曲もこの範疇に入るかとも思いますが、最後の第5番 「皇帝」 は1809年頃、最後のピ

アノソナタが1822年、最後の弦楽四重奏曲が1826年、交響曲第9が1824年ですから、ピアノ協奏曲は中期までの作品群となれ

ば、生涯にわたってと言うわけにはいきません。ベートーヴェンが書き上げた32のピアノソナタはピアノ音楽史上、燦然と輝く金

字塔であり、ピアノ音楽の新約聖書と呼ばれるほどの高い価値を持つものである (ちなみにバッハの平均律クラヴィーア曲集第

1巻は旧約聖書にたとえられる)。 時代と共にピアノソナタの限界に挑戦しつづけた作品だ。ピアノ音楽の発展史を物語ってお

り、ベートーヴェン57歳の生涯を縦につらぬいており、彼の様式的変化の縮図である。第8番 「悲愴」、第14番 「月光」、第17

番 「テンペスト」、第21番 「ワルトシュタイン」、 第23番 「熱情」、第26番 「告別」、第29番 「ハンマークラヴィーア」 が特に知ら

れているが、なかでもハ短調 「熱情」 は最高の傑作だろう。ポピュラリィティーでは 「悲愴」、「月光」、劇的な緊張感と情熱的で

幻想的な 「テンペスト」、流麗で輝かしく完成度の高い 「ワルトシュタイン」、唯一の標題ソナタで透明感のある深遠の境地を聴

かせる 「告別」 長大さやシンホニックな規模において空前絶後の 「ハンマークラヴィーア」 と各人各様の評価がなされるが、我

々が抱いている気難しく、激しい気性のベートーヴェンらしさをあらわす作品として見れば、第5番ハ短調交響曲 「運命」 と同様

、極めて偉大な作品と言えよう。彼は長い作品が多いが、これらは長くないのが良い。「熱情ソナタ」 22分、「運命」 34分。 緊張

の糸が切れない程よい長さなのである。また 「熱情」 が 「運命」 同様、ベートーヴェンの 「宿命の調」 であるハ短調であることも

意味深い (バッハのロ短調、モーツアルトのト短調も宿命の調と言われる)。ハ短調という調性はベートーヴェンが特に好んだも

のだ。ハ短調の作品には特有の運命的、悲愴的なものだけでなく、情熱的なところもあり、より内面性を重視したものとなっている

。「悲愴」 もハ短調であり、「月光」も嬰ハ短調である。「熱情」 の両端楽章に闘争的な情熱が熱風のように吹きまくり、あるいは波

打っている、そのまんなかに厳かな安らぎの旋律が横たわっている、この中間の静かな佇まいと両端楽章の激しさとの対照は見

事と言うほかない。「悲愴」 の第2楽章ほどの気品と優雅さはないが、変奏の妙味を堪能できる。変奏の大家としてはバッハ、ブ

ラームスが挙げられるが、ベートーヴェンの前ではその輝きを失うであろうほどベートーヴェンは変奏の巨人なのである。唯一の

欠点としては変奏が緩徐楽章の場合、長すぎる、繰り返しが多くてくどいのである。 第9の3楽章、大公トリオの3楽章、クロイチェ

ルソナタの2楽章など長い。「熱情」 では緩徐楽章の変奏も長くなく、すっきりとしているのが良い。彼の音楽はモーツアルトや初

期ロマン派のシューベルトそして後期ロマン派のチャイコフスキー、ドボルザークのような新しい旋律が次々と涌き出てくるようなメ

ロデイーメーカーではなく、一つのモチーフを寸分の隙もない堅牢な構築力で巨大なピラミッドを造るような音楽なのである。その

典型がハ短調交響曲であろう。自身 「運命はこのようにして扉を叩く、タタタターン」 と言ったいわれるこの冒頭の動機が全楽章

に循環動機のように用いられて、寸分の隙もない堅固な構築力で巨大な交響曲に仕上げている。前記の作曲家たちが旋律でも

たせるものを、彼は堅固な構成力と変奏芸術の極みで対抗する。ですから変奏形式は彼の音楽にはつきものなのであり、変奏と

リズムの天才なのである。何回も練り直し、書き換えるから誰よりも筆は遅くなるのである。若い日、モ-ツァルトに教えを受けていた

時、その筆の遅さに、モ-ツァルトは 「これでは生涯に交響曲はせいぜい10曲書くのが精一杯だろう」 と語ったと言われる。短命

であったが、50曲の交響曲を書いた言われるモ-ツァルトだったが、当時としては長生きだったベートーヴェンは9曲の交響曲で終

わっている。とはいえ、彼の名誉のために言っておきますが、作曲に苦しんだわりには作品数はチャイコフスキー、ドボルザークよ

り多いようで、しかも駄作が少ないのもこの作曲家が不世出の天才で、「楽聖」 と呼ばれる所以なのであろう。 彼の作品の偉大さ

(堅固な構成力、緻密さ、完成度の高さ) などから、非の打ち所がない完璧主義者、几帳面で、完全に自己抑制された私生活が

想像されますが、演奏会当日になってやっと曲が完成し、楽団員がほとんど初見で演奏するという場合も多く、楽団員泣かせの

作曲家だったようだ。 指揮やピアノパートは自分で演奏するから未だしも、ソロ独奏者やオーケストラの楽員は大変だっただろう。

作曲そのものに苦しんだだけでなく、大酒のみで生活も荒れていたとの話しも残っており、天才によく見られる斑(むら)っ気、期

限が迫り、追いつめられないと筆が進まない性格だったのかもしれない。ところでモ-ツァルトから指摘された交響曲だが、第2番

あたりから先輩ハイドン、モ-ツァルトを越えた域に達したと思われ、第2楽章のモ-ツァルトをしても書けなかっただろう至上の美し

さ、第1番でもその素地はあったのだが、当時の慣例であったメヌエットにかわり初めてスケルツォを用いる、第4楽章のフィナーレ

に向かう緻密な構成力などで ある。そして重要なのは彼の音楽が常に " 進化している " ということである。彼はいかなる伝統をも

ものともせず、大胆に音楽の改革を実践したパイオニアだったのである。 一作ごとに新しい境地を切りひらいていった彼の音楽

は、ピアノ協奏曲でも顕著である。 第一番(実質は二番目にあたる)のピアノのダイナミックな扱い方、長大なカデンッア、夢見る

ような緩徐楽章からしてモ-ツァルトを越えているし、最後の第五番まで一作ごとに常に新しいことにチャレンジしており、しかもど

れも前作を越える傑作となっている。幼少の頃、この 「熱情」 ソナタをロベール・カザドシュの25p盤で聴いた時 、「一体、これ

はなんじゃ?」 と鍵盤を叩きつけるような余りの激しさにびっくりしたものだ。 この曲を理解するには幼すぎたのかもしれないが、

初演当時からも運命や英雄交響曲などと同様に、当時の聴衆の理解をはるかに超えた独創性のため、モ-ツァルトの音楽と比

べればまさに破天荒の前衛音楽だったのだから。