ホソバシャクナゲ

日に日に青葉、若葉の緑も深まり、日差しも強くなってくるそんな初夏の頃の少し暑さをおぼえる気候を

「 薄暑 」 と呼びます。 季語で 「 夏めく 」、「 夏きざす 」 というように本格的に夏が近いことをうかがわ

せます。 メイストリーム ( 五月の嵐 )、青嵐などと呼ばれる強い南風が木々の青葉を揺らし、湿気を帯

びたこの風が吹き抜けたあとは、日毎に蒸し暑さが増して、夏の兆しが深まっていきます。 下旬 ともな

れば、糸のような雨がシャクナゲの花を濡らします。 この本格的な梅雨に入る前のこの頃ふる雨を

「 走り梅雨 」 と申します。 下旬は天気の悪い日が多く、そぼ降る雨に濡れるシャクナゲが一層鮮

やかさを増すように思えます。 五月は新緑が初夏の光に輝きだす上旬から霖雨に濡れる下旬まで

、シャクナゲの多種多様に変異する姿を堪能できそうです。

" 石楠花の花さくとても 故郷遠き草枕 思はなにか慰まむ "  ー 島崎藤村 草枕 ー

ツクシシャクナゲ

「シューマン クララ ブラームス」

シューマンは幼い頃から音楽と文学に埋もれていました。家庭環境とはいえシューマンの内には音楽心と文学

心が培われ、教養も充分に身につけられ、豊潤な知性と非常にセンシティブでデリケートな感性、そして鋭い

批評眼も持ち合わせるようになってゆきます。それが長じて狂気の沙汰に変わってゆき、最後にはライン川に

投身自殺を図るまでになります。シューマンとその最愛の妻クララ・ヴィークの恋愛は音楽史の1ページを彩

るものとして名高いが、シューマンの愛弟子であるブラームスを加えた三角関係はこれまた音楽史上、一番の

恋愛事件でもあります。シューマンにはクララへの激しい恋情が書かせた作品も多い。「詩人の恋」「リーダ

ークライス」「女の愛と生涯」 などはその最高傑作である。ナイーブな神経と繊美な情緒を内包しており、

クララへの激しく燃えさかる情念も一行一句に漂い、まさに渦を巻いているといえるほどなのである。クラ

ラへの愛と芸術の昇華の激しさは、それを受けとめるべき器としてのピアノ曲はいかにももどかしく、代っ

て言葉(詩)と人の声によってより具象的な感情表現が可能な歌曲に新たな活路を求めたのだ。ピアノパー

トの微妙細美な感情世界を含め、" 歌曲の王 " シューベルトを越える芸域をみせるのである。昔から男は女

によって己の才能を左右され閉され拓かれるといわれますが、女性の力に最も素晴らしい形で影響を与えられ

たのはシューマンをおいて他にはないだろう。悪妻ゆえに名作を生み出したハイドン、モーツァルト、チャイ

コフスキーなどとは対照的です。クララは夫シューマンの作品の演奏もたびたび行い、芸術家としてその作品

の良き理解者であった。彫刻家、詩人、歌人である高村光太郎と最愛の妻である智恵子に似ていますね。シュ

ーマンやブラームスを虜にしたクララの美貌と知性とはどのようなものだったのでしょうか。マリリン・モン

ローのようなかわいい女性ではなく、デボラ・カーのような女性ではないでしょうか。マリリンに知性を求め

たら酷ですが、タイプは違ってもどちらも究極の女性の理想像ですが ・・・ シューマンが投身自殺を図った

原因は音楽的なゆきづまり、つまりロマンチィシズムがますますその色を深め、限りない夢幻の世界が広がる

のと、一方で古典的な形式への回帰という矛盾が主因とされていますが,ブラームスを含めたクララとの三角

関係にあるという説も強ち否定出来ない。まあこんな "下衆の勘繰り"などどうでもよいことで我々はお蔭で

多くの名作にふれられるわけですから。ただブラームスがクララに特別の感情を持っていたのは事実のようで

ある。恩人であるシューマンへの哀悼の気持ちと日増しにつのるクララへの思慕と葛藤がピアノ協奏曲第1番

の第2樂章に込められています。1853年 シューマンとの出会い、1854年 自殺未遂事件、クララとの深まりゆ

く思慕と葛藤、1856年 シューマンの死。ブラームスはシューマンの死後、その恩に報いるためクララの良き

相談相手として、残された子供達の面倒をみるなど援助を惜しまなかったと言われる。若いブラームスはリス

トを訪問している。リストの慇懃だがプライドが高く、高慢ちきな態度に失望したようだ。失意のブラームス

をシューマンに会わせたのは大ヴァイオリニストのヨアヒムであった。シューマンは若いブラームスを暖かく

もてなし、ブラームスは人の温もりを感じたといわれている。以後シューマン家に入り浸りになる。ブラーム

スを広くこの世界に紹介した恩だけでなく、シューマン夫婦の家庭的な暖かさもその後の生き方の一因になっ

ているのであろう。一生独身で通し、クララへの思慕も赤裸々には告白せず、その音楽の中で想いを綴ったの

であります。告白せずと申しましたがクララへ綴った多くの手紙には、尊敬、気遣い、励まし、親しみが込め

られているが、恋文ともとれる感情の高まりが感じられる。シューマンの死はブラームスと14歳年上の未亡人

クララの間の障害を取り除くのでなく、むしろ二人の夢を醒まし、悩みを振り払う役目を果たしたのかもしれ

ません。聡明なクララはブラームスとの間に引いた一線を決して越えなかったし、ブラームスにも越えること

を許さなかったのである。クララはブラームスの愛を「真の友情」とよびながら、ふたりの関係を大切に、永

く守り育てようと決意していたのであろう。つまるところブラームスとクララが結ばれなかったのは、クララ

の貞淑さだとか、ブラームスの恩師への後ろめたさより、家庭をもつことが重荷になりはしないかという不安

― ブラームスらしい慎重さや臆病と言うよりはむしろ彼特有の一種の狡(ずる)さが当たっているかも ―

をついに克服出来なかったことが一番の理由かもしれませんが、真偽のほどはわかりません。シューマンがそ

うであったようにブラームスも若き才能ある無名の音楽家を人々に紹介し、楽壇にデビューさせました。その

中にはボヘミアのドヴォルザークがいた。