" 秋高く馬肥ゆ 天高くして気清し"

こうべを垂れ、たわわに実る黄金の稲穂。稲田一面に金色の波が立ちます。暑さの残るなか、他に先駆

けて収穫の秋本番を告げるのです。金色の稲穂を干す 「はぜかけ」 が広がります。1週間から10日位、

天日干ししますが、機械干しより太陽の力を借りた方がおいしいとのことです。最近は機械化が進み、稲

作の準備から田植え、刈り取りまですべて機械がやりますから、誰でも簡単に稲作が出来るのです。刈

った稲を乾かすのも機械がやりますので、天日干しも見られなくなりましたが、家族で1年間食べる分だ

けは刈り取って、天日干しする農家も見かけます。「はぜかけ」 は是非とも残しておきたい風物詩の一つ

です。昔は農繁期に学校が休みになり、子供達も稲作を手伝ったものですが、人海戦術で数日かかるも

のが、機械だと半日か一日で出来てしまいますから、稲作も昔のような苦労がない分、喜びも半減し味

がなくなったともいえます。農家の人々の歓声とか、豊穣への感謝の気持は機械化以前の話しのようで

す。

とはいえ台風だけはどうしようもありません。穂が出て、35〜40日位で刈り取りにな<りますが、台風で

稲が倒れ冠水しますと芽(穂発芽)が出ますし、刈り取りに手間がかかり、品質も落ちる心配があります

からこの頃が一番神経を使う時期となります。あちらこちらの稲田の畔に赤い彼岸花が咲くのもこの頃で

す。収穫の終わった稲田は子供達の遊び場になりますが、猪の出るところは重要な作業が残っておりま

す。それは刈り取ったあとに 「ひこばえ」 が発生し、稲穂が実るため猪が出没し、餌がある学習効果で

来年もやってくるからです。ですから刈り取ったあとは早めの秋ずき(荒起こし)を施し、「ひこばえ」 を発

生しないようにすることが重要なのです。今年、山口県の水稲の作況指数(平年を100)は まだ未発表

だが、やや不良が予想される。平年より二週間、昨年より一ヶ月も遅い統計史上最も遅い梅雨明けとな

りました。長雨、日照不足で作柄不良が心配されたが、梅雨明け後に日照が戻ったため被害が軽微に

すんだ。

青い "いが" の栗も茶色にかわり弾けそうです。 遠目には青柿も少し色づいて光沢が出てきたようで

す。この夕映え色の果実のなる光景は、日本の農村風景をあらわした代表的なもので、郷愁を誘うもの

です。やがて紅色またはいわゆる柿色にかわり、樹上になったまま熟 しきると、色も光沢もルビーのよう

に 真赤に輝いて美しくなります。 熟柿(じゅくし)と呼ばれ、半透明になり内部がどろどろになって、ぶど

うの実と同じく、食うというより吸うといったほうが適切かもしれない。この熟柿が鈴なりになっている光景

はもう晩秋の風物詩となります。残った澄んだ光の中を赤トンボが流れ、ツクツクボウシが残り少ない晩

夏を惜しんで鳴きしきります。金色の稲穂を干す棚が広がり、一本の小道がはるか向こうの山々まで続

いています。あの山々のふもとに学校があるのです。仲間と朝夕通った学校までの数キロの道は苦痛で

はなかった。始業の一時間以上も前に学校へ行って、野球に興じた日々 ・・・ 、 帰りの家路も楽しかっ

た。田んぼの畔を走り回り、水路を競ってジャンプ 跳び越えたり、小川のせせらぎを背に、水溜まりのメ

ダカを掬い上げたり ・・・・・ 、 木に登り崖をよじり、林に分け入ってグミ、クワ、アケビなどの木の実を食

べ歩いた学校帰りの道草の思い出。 小高い丘に登れば、紺碧の秋空に瑠璃色を溶かしこんだような

冴えた 青色日本海響灘 が広がります。 すべてから解放された中で見るこの色はなんと清冽なこと

か 、まさに清き一刻であった。この青さはひとつ山を越えた母親の実家へ遊びにいった時に見たあの青

さと同じだった。 連なる田の畔を走り、棚田を越え、やがて現われる杉やヒノキの木立ちの薄暗い山道

を登る。獣や妖怪の出そうな子供には怖い道であった。恐ろしさを紛らすため大声で歌いながら登った。

立ち止まり、ふと来た道を振りかえると、彼方に真青な日本海が広がってみえます。このような感動はそ

の幼少の時ではなく、その像がいつまでも心に残っていて、その後ずっと経った大人になって、その像が

目に浮んできたり、改めて見て感じたことなのです。そんなご経験はございませんか?  日本のどこにで

もみられた稲田の風景、このようなのどかな田舎の風景、 ・・・・・・遠い日の郷愁が蘇えってくる。