萩(ハギ)

朝夕のかすかな涼気に、忍び寄る秋の気配が感じられる。炎暑を耐え忍んだ花々も、そよ吹く風に、よう

やく生気をとりもどすものもあります。ヒマワリの花がぐったりと頭を垂れ黒い種があらわになっています

。北の釧路ではこれから庭先をヒマワリ、ユリ、ダリアが彩ることでしょう。海霧が消え、日毎に夕焼けの

美しい北の街が冬を迎える前に出会う花の季節なのです。秋の花 "萩″が 桜の花の終着駅を出発 し、

桜の花の始発駅に向かって日本列島を南下していきます。当地の通過は九月中旬 頃で しょうか。梅雨

明けと共に北に去ったジェット気流が南下し、再び日本上空を流れるのもこの頃です。日本の四季の移

り変わりに寄り添うかのように流れ具合が変化 いたします。まもなく始まります秋の長雨 ( 秋霖 ) も、こ

のジェット気流と関係があります。この頃日本に上陸する台風の速度がはやくなるのは、このジェット気

流に押し流されるからです。ジェット気流が北にとどまり日本上空を流れませんと、台風の速度もゆっくり

となりますから、被害が甚大になるのです。 花の南下のスピードは北上のそれより 2倍といわれており

ます。紅葉前線が北から南へ紅葉の便りを運ぶのは、桜前線よりかなり早いようです。萩、ススキなども

同様なのです。やがてその紅葉前線が秋の花 "萩" を追いかけるように桜の花の終着駅を出発し、桜

の花の始発駅に向かって南下してゆきます。

田んぼのあぜや野原にはススキ(尾花)が穂を出しております。秋風でススキや荻そして萩がゆれていま

す。秋の七草であるススキは、十五夜のお月見にはかかせません。お月見の由来は旧暦8月15日の満

月を 「十五夜」 や 「中秋の名月」 と呼び、団子やススキをお供えして、お月見をする習慣。元来中国の

宮廷行事で、平安時代のころ日本に伝わり、イモ類などの収穫を感謝する祭りと結びついたといわれ

る。地方によっては 「芋名月」 と呼ぶのはその名残です。ちなみに、日本で餅つきをするウサギに見え

るといわる月の模様は、中国では大きなカニ、西欧では女性の横顔など、国によって見え方が違うようで

す。中秋の名月に月の模様がどのように見えるか、皆さんも想像を巡らせてみられたらいかがですか。

万葉の昔から、萩に日本人は心ひかれてきました。しなやかな枝、紅白に咲き分けた可憐な花、雨

に打たれ、朝露ぬれ、秋風にそよぐ姿、こぼれるように散った美しくも哀しい情趣、萩の良さは淋 しげな

その佇まいである。月影に揺れ動く萩も、散り敷くこぼれ萩の風情にも、人びとは心ときめく。侘び、さび

の境地をこの花に求めようとしたのだろうか。田舎の山野ではいたるところにある萩だが、何故か禅寺、

尼寺に萩の名所が多いのも故なしとしない。

フヨウは秋を飾る花木。夏の終わりに淡紅色の柔らかい色合いの一重、清楚で上品な純白の一重、妖

しいまでに艶やかなスイフヨウ(酔芙蓉)など、秋の花とは思えぬほどふっくらと華麗な花を咲かせる。暑

さも盛りを越す頃から主だった花々が姿を消す晩秋から霜降の頃まで、つぎつぎ大輪の美しい花をつけ

るのです。この花は美しさの中に一抹の憂いがある。朝咲いて夕べには凋む薄命の一日花だ。美しさと

はかなさが同居 している。花言葉は「繊細な美、しとやかな恋人」、「芙蓉の顔」 は薄命の美女の形容に

ぴったりといえる。

フヨウ同様、同じアオイ科であるムクゲの花も印象深い。緑濃い生垣に白や淡紅色のムクゲの花が目に鮮

やかな残暑の日々。この花を見ると、まだ残暑は厳しくとも、秋に向わんとする気配を感じる。夕暮れともな

れば、風呂を焚く煙が生垣のムクゲの花のあたりを、青白く静かに漂っている風情は深い心のやすらぎを

与える。この花のはかなさと可憐を茶花として珍重したのが日本人だ。だがこの花が代わる代わる咲き続

ける期間は長い。むしろその粘り強い生命力が生む美を愛し、「無窮花(ムグンファ)」 として国の象徴に

したのが韓国人。日本のムクゲもムグンファが語源ともいわれる。又、日本語のムクゲは木槿と書き、漢名

の 「木槿」 から訛ったものということが、貝原益軒の 「大和本草」 に 「ムクゲハモクキンノ 転語ナリ」 と出

ている。