春の訪れを告げるフキノトウが地面から顔をのぞかせるニュースが届いております。フキの根茎から葉

っぱより先に生える花の蕾がフキノトウである。裏山に頭をもたげたフキノトウをとってみそ汁に入れて

すする。てんぷら、みそ汁の実、フキみそなど、古くから日本人の食卓に春の息吹を伝えてきたフキノト

ウの香りと苦味だ。特に冬になった体を引き締める苦味はポリフェノール類などのせいで、実際に新陳

代謝を高める効果や健胃作用があるそうだ。「二月は逃げる」 とかいって、いつのまにか過ぎてしまっ

た。三月の声をきくとさすがに春めく。食卓の青いものといえばほうれん草くらいだったが、春菊、京菜、

からし菜なども出て、青いものが豊富になった。 生命が動いているからだろうか、春先の野菜はみな

新鮮な香りがする。京菜の白い茎、シャリットとして歯切れのさわやかな食感である。蜜柑はもう萎びて

きたから、夏蜜柑を搾って、一息に飲みほすと歯がキュッキュッときしみ、はらわたの中の細胞が生き

返ったような気になる。ものの芽が土を割ってニョキニョキ出てきた。ヒヤシンスもチューリップも昨年の

場所を忘れずに頭を出した。ヒヤシンスはもう青い泡粒のような蕾を重ねている。雪柳は冬の間も気紛

れに粉雪みたいな花をチラホラさせていたが、青い葉は芽吹いてきた。沈丁花は早くから赤い唇を見せ

たまま用心深く開かない。連翹は固い蕾は満を持し、一気に花ひらく 時を待っている。 日溜りの野すみ

れは紫の色を濃くしてきた。水仙は北風にもめげずに新春早々から咲いている。同様に早くから咲く花

として少し高いところに目をやれば、春の花木 「椿」 が咲き乱れている。サザンカが11月から1月一杯

でほぼ終わりますと、椿と主役交代です。この時期、バカ陽気が続いたと思っても、又寒さがぶり返す。

恋心をじらすように、行きつ戻りつしながら、春は近づいてくる。南風がどっと吹き込んだかと思うと、手

のヒラを返したように、大雪を降らせたりもする。それでも屋根の雪がとけてチョロチョロとささやく 雨だ

れの音が春の予告のようにも聞こえるのです、「一陽来復」。人々が春を感じるのは、温かさよりも北風

にふと気づく 「 日脚の長さ 」 である。春は日長、夏は短夜、秋は夜長、冬は短日。暮れそうで暮れない

のが 「春」、暮れぬようで暮れるのが釣瓶落としの 「秋」 なのです。

春の便りである 「春告鳥」 のウグイスの声が聞かれるのは例年、わが家では20日過ぎ頃には聞かれて

ました。今年の初音は遅く、3月5日であった。わが家の梅の開花は昨年は雲竜梅の2月1日でした。寒い今

年の開花は?と思っていたが、1月30日と昨年より早かった。立春から2月一杯までの寒さを 「余寒」 、3月

から4月頃までの寒さを 「寒の戻り」 、寒さがぶりかえすのを 「冴返る」 と申します。

これが桜の咲く頃では 「花冷え」 となります。この時期のしとしと降る長雨を菜種梅雨、春霖と申します

が、この雨は春の芽吹き、桜の開花などを促す恵みの雨で、即ち 「催花雨」 なのです。ところで早咲き

の桜である寒緋桜、啓翁桜、彼岸桜そしてサンシュウの花芽が随分膨らんでいます。人の身にはまだ寒い

早春ですが、自然界では早めに春を予感してるのでしょうか? この冬は早く来て、しかも長く 厳冬で

したから落葉樹の休眠も早く始まり、それだけ春の目覚めも早かったのでしょう。反対にサザンカ、ツバキ

などの常緑樹の開花は遅れており、すいせんも遅れております。ただ品種によってはハルサザンカの

絞笑顔などのように例年より早く開花しているのもあります。「暦の上の春と、気候の春とは或意味で

は没交渉である」 とは寺田寅彦の言葉。春の訪れは必ずしも暦通りではないという意味だが、 それに

しても今年の花前線は暦と 「没交渉」 すぎる。

ハクモクレンが満開になりました。巨大な木で隣の山桜に引けをとりません。近郊ではもっと早かったものがありますが、この大木は

谷間にあり、しかも山桜やカエデに陽光をさえぎられるから遅れます。少し離れた山の頂上にもう1本大木があります。二年前に伐採

する前の境界線にあり、他の樹木のため横に伸びることができず、上空だけに伸びたモクレンです。伐採後は空間ができたので横

に伸びてくるだろう。桜やカエデが脚光を浴びる前のこのハクモクレンの威容には圧倒されます。モクレンは、地球上で最古の花木

といわれており、1億年以上も前からすでに今のような姿であったらしい。香水の材料としても使われ、欧米では椿、ツツジと共に三

大花木とされています。我が家はモクレンの数は少ない。補充すべく苗木を購入するのだが、鹿の被害で全滅だ。網で囲む時間も

なく、大木は高価で二の足を踏む。

 

シューベルト 弦楽四重奏曲 第14番 D. 810 「 死 と 乙女 」

章即興の天才 " シューベルト " としては、異例 ともいうべき長い時間が、この曲にはかけられている。題名 「死と乙女」 は第二楽

の変奏曲の主題が、自作リート 「死 と乙女」 の伴奏部の旋律によっているので、この愛称で呼ばれている。曲の核心がこの楽章

にあることは疑いなく、死神の声をきく少女に象徴されるような、人間の底知れぬ不安と絶望に全曲が覆い尽くされた異常な音楽

なのである。その気分の濃さといい、集中性といい、弦楽四重奏曲の分野におけるシューベルトの創作の頂点ともいえるもので、

傑作としてあまねく知られている第13番 「ロザムンデ」 とは異質の作品かもしれません。それでもシューベルト本来の、彼でなけ

れば書けなかっただろう美しくロマンチィックな情感、そして豊かな幻想をたたえた音楽は、きき手の心の最も深いところに浸透し

、その悲しみと不安の中から、真に美しい慰めに満ちた世界を開いているのである。弦楽四重奏曲の分野での金字塔であるベ

ートーヴェンの古典的完成や深奥な内面性の音楽にせまるものがあるばかり か、別の方向のロマン的 な感情の彩りが濃い新し

い芸術性に立った作品と言える。初期ロマン派の二大巨匠であるシューベルトとシューマンのロマン主義の相違は、前者がナイ

ーブで神秘的であり、個人的告白として表明されるのに対し、後者はドイツ文芸に根づいた理性的なもので、子供のような純度

の高い感性から生み出されるトロイメライ(夢想)の世界と独創的な楽想であり、一部の特権階級を越えた多くの人々に語りかけ

るもの (音楽の大衆化をはかった) であった点であろう。更に抑制された理想主義 とも、スリムなロマン主義とも、あるいは大人の

哀愁のロマンともいうべきメンデルスゾーンが加わり、初期ロマン主義は結実 していくのである。古くは楽聖 ベートーヴェンから

産声を上げたロマン主義の胎動 は、これらロマン派音楽の化身ともいうべき天才たちによって引き継がれ、大きなウェーヴとなっ

て更なる天才たちを生み出すのである。シューベルトはいわば楽聖の意志を継いだトップランナーだったのである。 八重奏曲

、弦楽五重奏曲、交響曲 ハ長調 「グレート」 などをみるにつけ、改めて " 歌曲の王 " にとどまらないシューベルトの底知れぬ

偉大さを感ぜざるをえないのである。