西南海観光鉄道
ジャンクの部屋

 1976年、鉄道模型の世界に足を踏み入れました。なけなしの小遣いから完成品を買っていましたが、なにせお年玉で年に1回買えるかどうかの財政状況です。当然、キットに比重を移すほかありません。自分の腕を顧みず、半田ごてを握って文字通り悪戦苦闘しました。2002年7月、実家の押し入れから、これらの車両を救出してきました。錆でぼろぼろかと思いましたが、結構きれいに残っていました。いつか、これらの車両を復活させてやりたいと考えています。
C型コッペル(乗工社)
 多分、1977年のころの購入。箱には11,000円の値札がついている。台枠やボイラーの半田付けにてこずった記憶があります。ドロップ製の材料が多く、十分材料を加熱してこっちの部品を半田づけすれば、あっちの部品がとれるという繰り返しで、嫌気がさして、とうとう模型からも離れてしまいました。さて、復活するには、まず、かのキャラメルモーターの換装は必須でしょう。いまの台枠を使ってうまく伝動装置を作ることができるでしょうか。ムサシヤから出ているコアレスモーター付きの換装キットを利用した方が賢いかもしれませんが、木曽シリーズの客車なら2両買える値段ですからねえ・・・。
丸山型単端(乗工社)
 これも、1977年のころの購入。箱には7,000円の値札。これは、当時の技量としては比較的健闘した方だと思う。ま、今から見れば、ボロはいくらでもあるのだけど。挫折のきっかけは、集電ブラシをとめるプラねじの紛失。代替品を見つければ済むことだが、当時は部品を失って途方に暮れていたのである。モーターに直接コントローラーをつなぐと、下回りは一応順調に動いていたので、台枠などは上手く組めたのであろう。これも、復活させるには、モーター換装からか。台車もピィコ製のNゲージ貨車のものを流用するようになっているので、ちょっと工夫したいところだが・・・。
頸城鉄道ニフ(乗工社)
 これは、上の2両にさきがけて組んだはず。こいつも下回りがピィコの貨車用下回りを使うのでややこしい半田づけはない。上回りも簡単そうなので、半田付けの練習ということだったろう。これも当時はなかなか上出来と思っていたのだが、今見るとやはり粗が目立つ。屋根なんか浮いているもんねえ。もう一度最初から組み直そうかと思案中。ガスコンロの上にアルミ箔を敷いて熱したら解体できるということなので、解体の練習台にいいかなあ。
ポーター 亀の子(乗工社)
 もっと気軽に組めるキットはないかと、思っていたところ、乗工社が出してくれました。瞬間接着剤で組めるシリーズの「はしり」ではないかな。上回りはエッチング製で接着剤で組み、下回りはプラ製でパチパチとはめるタイプなのでスイスイと組み立ても進んだはず。塗装前にいったん下回りも合わせて試運転するとすこぶる快調。だが、落とし穴が。上回りの塗装後、再度組み立てると、ウンともスンとも言わない。じっーと、下回りを見つめても、答えは出ずじまいで、ついにギブアップしたまま。さて、どうしますか。
木曽C型客車(乗工社)
 簡単に半田付けの訓練ができるキットはないかという期待に、ちょうどぴったりの製品でした。組み立て自体はスムースにいったと思います。ご覧の通りマッハカラーの旧国鉄客車のぶどう色で塗装も済ませています。ちょっと厚ぼったいですね。屋根はタミヤカラーのグレーを筆塗りしています(我ながらすごい記憶力)。黒っぽくなっているのは、ろうそくの煤でウェザリングをしようとしたものですが、指先で直になすりつけたものですから、指紋の跡がべたべたとついています。このままでもいいのですが、色を塗り替えてカプラーも朝顔型に代えたいですね。
木曽B型客車(乗工社) 草軽ホロハ(乗工社) 沼尻サハ(珊瑚)
 面倒なので、客車3両をまとめて。たぶん、上回りの組み立てが簡単そうにみえたので、客車で半田付けの訓練をしようと思ったのでしょう。沼尻サハ(右端)は、記念すべき半田付けキットの組み立て第1号。最後まで組んで塗装までしたけど、ご覧の通り。内板と外板の張り合わせが難敵でしたねえ。B型客車(左端)は、上回りは比較的うまくいったが、台車で挫折。ドロップ製の台車枠は、片方をつければ、片方が落ちるという繰り返しでした。草軽ホロハ(中央)は、なんといっても、床板を取り付けるアングルの半田づけに翻弄されました。まず、位置決めに苦労するのは当たり前。半田めっきしたアングルを車体にくっつけて一生懸命こてで熱するのですが、治具を使うとか、クリップで固定するとかいう発想もなく、失敗を重ねて挫折。自分で工夫できなかったことを今も情けなく思います。

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