他山の石


周の時代(?〜前256)の詩歌を集め、戦国時代に編集された『詩経』

その中に収められた詩の数々は、純粋な人々の素直な喜怒哀楽の表現といった内容で、非常に素朴で人間的な味わいがある。日本の万葉集がこれによくたとえられるのももっともな話。
 孔子が、この『詩経』を君子の教養として身につけるようを熱心に勧めたことは、論語にも見える。それゆえか、その後の儒学者たちが、儒教教育の道徳主義のためにその詩の本意に合わない解説や解釈をつけ、その形で後世に普及してしまったため、『詩経』とは聖人君子の本、儒教の経典、などと思い込んでしまっているところがある。
われわれも学校の世界史などで、“詩経は「五経=儒教のもっとも重要な教典」のうちの一つ”、とのみ習う。原文と比較してもなんでこの詩がこんな説教くさい書き下し文になるんだ? と思うこともあり、やや残念であるところだ。
繰り返すが、『詩経』は古代の人々の素朴な生活感情が盛りこまれた、中国最古の詩集である。

 で、詩経の構成は「国風(民謡詩歌)」「大雅・小雅(宮廷人の詩)」「頌(祖先を讃える詩)」からなる。昔から、詩を作ったり詠じたりまた詩歌の遊び全体を「風雅の道」などといったりするが、この風雅という言葉は詩経の「国風」の「風」と「大小雅」の「雅」に基づいている。(頌は掲載が少なく、大多数の詩歌が「国風」と「大小雅」であるためであろう)

さて。

この「小雅」のなかの一篇に「鶴鳴」と題された詩がある。(書き下し文は様々なものが存在し、より儒教的な文章が一般的だが、上記の理由により、ここでは私の好みで竹内照夫氏のものを掲載する)

 「鶴鳴」
鶴九皐に鳴いて、声野に聞ゆ。
魚潜んで淵にあり、あるいは渚にあり。
楽し、かの園、ここに樹檀あり、その下これタク。
他山の石、以って錯となすべし。

鶴九皐に鳴いて、声天に聞ゆ。
魚渚にあり、あるいは潜んで淵にあり。
楽し、かの園、ここに樹檀あり、その下これ穀。

他山の石、以って玉を攻むべし。

+++++++++同じ内容を言葉を変えてうたう++++++++++
鶴は深い谷間の沢にいても、その声は上の野原に響いてくる。
魚は、今は水に潜っていても、やがて水際に姿を見せる。
私が庭で育てている檀(まゆみ)の木もやがて見事に伸びて人目をひくだろう。それが楽しみだ。
その木の下にはタク(他の木の枯れ枝や落ち葉)を埋めて肥やしにする。
枯れ枝や落ち葉も若木を肥やす役に立つ、
よその山で取れた粗悪な石も、砥石とすることができるということだ

鶴は深い谷間の沢にいても、その声は天まで届く。
魚は水際に遊ぶが、あるときはまた深く水に潜ってしまう。
私が庭で育てている檀の木もやがて見事に伸びて人目をひくだろう。それが楽しみだ。
その木の下には穀(からたち)などの雑木を植えて支えにする。
雑木も使い方では役にたつ。
よその山で取れた粗悪な石でも、玉を磨くために使うことが出来るということだ。


他山の石、という成語はここから生まれた。

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・自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。
原文を見る限りでは、おそらく「他山の石」という言い方はこの詩ができる前から存在しており、そしてこの詩は人間の知恵では計り知れない自然の有り様を称えている歌のように思うのだが、
儒家はこのように解釈している。
・鶴を歌った部分→賢者が野に隠れていてもその名は自ずからあらわれる
・魚を歌った部分→賢者が野に自適するありさま
・庭を歌った部分→明君がいたとしてもそのもとには小人がいないとはいえない
・最後の部分→君主に賢者を迎えることを暗喩している
つまり、この詩は野にある賢者を歌い、その賢者たちを迎えて「他山の石」とすることを、君主にすすめた詩なんだって。(~_~;)



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