瓜田に履を納れず李下に冠を正さず

漢の時代の民謡(=楽府 漢代の楽府を古辞という)、“君子行”に
「君子は未然に防ぎ
 嫌疑の間に処(お)らず
 瓜田に履を納(い)れず
 李下に冠を正さず

 嫂叔は親授せず
 長幼は肩を並べず
 労謙にして其の柄を得
 和光は甚だ独り難し
 周公は白屋に下り
 哺を吐きて餐に及ばず
 一たび沐して三たび髪を握る
 後世、聖賢と称せらる」

とある。・・・なんでこれが民謡なのかわたしはちょいと疑問なのだが(^^ゞ

君子は禍の起こらぬよう未然のうちに防がなければならないし、嫌疑を受けるような状況に自分の身を於いてはならない。瓜畑で履をはきなおしたりすれば瓜盗人と思われてもしかたがない、たわわに実ったスモモの木の下で冠を直せば李盗人と思われても仕方がない。 ---以下略 (^^ゞ
要するに、前半で「人から疑いをかけられるような行為は慎むべし」と説き、後半では「功労を誇らず謙虚であるべし」と、君子たるもの処世訓を述べている。

が、「瓜田李下」というのはなにも君子だけに対する心得ということではなかったらしく、女性の場合にも当てはまるという例があったので、長くなりますがその話をば。


紀元前356年、斉の国では威王が即位する。
が、この威王、即位したのに国政を大臣に任せきりで一切自分はタッチしようとしない。
・・・実は凡庸なふりをしてじっと臣下の行状を見極めていたのである。
そんな中、王が国政にかかわらないのをいいことに、『周破胡』という大臣が好き勝手に国を動かしていた。彼は取り巻きに囲まれて私腹を肥やし、清廉潔白な人々を嫌ってかたっぱしから排除した。
これを見かねた威王の寵姫『虞氏』は、
「どうぞ『周破胡』を除いて、賢者として名高い北郭先生を起用されますように」と進言した。
ところがこれを知った『周破胡』、逆に
「『虞氏』は後宮に入る前、北郭先生と関係があったのだ」と讒言したのである。
彼の讒言を信じた王は彼女を幽閉し、係官に訊問させたが、この係官も『周破胡』の息がかかった人物で、彼女の供述をことごとく捻じ曲げて王に報告した。
さすがの王もなんかへんだぞと不審に思い始め、彼女を召しだしてじきじきに問いただしてみた。
すると、『虞氏』は
「磨けば玉となる名石は、たとえ泥にまみれて汚れたといえども卑しめられず、また柳下恵というお方は、冬の夜に凍えた女を寝床にいれてその体を温めてやったからといって、男女の道を乱したと他人に非難されることはこれっぽっちもなかったと聞き及んでおります。これは日頃から行いを慎んでいたればこそ、人に疑われずにすんだのでございます。
わたくしに罪があるとすれば、
瓜田に経るには履を踏み入れず、梨園を過ぐるには冠を正さず、という戒めを守らなかったことがその一、
幽閉されている間、誰一人わたくしの真実の声に耳を傾けて下さらなかったということでわかったように、私が日ごろから人々の信頼を得ていなかったということがその二、でございます。」
と、まず自己の不明を王に詫びたのである。
そして、『周破胡』が国政をもっぱらすることの危険性を切々と王に訴えた。

即位してすでに9年、威王は親政に乗り出すべき時のきたことを悟り、彼女の幽閉を解く一方で、『周破胡』を煮殺し、国政を刷新したのである。
以降、奸臣を一掃して賢臣を起用、一挙に国政を盛り返した名君として後世に名が残ることとなった。


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おまけ:『柳下恵』とは周時代の七賢人の一人。
日本の文学に見える彼は、こういったエピソードからか、「女性に言い寄られても眉ひとつ動かさない意志の強い人物」、または、「男女の色事の心を解さない朴念仁」というような使われ方もしている。
たしか、南総里見八犬伝の八犬士の1人犬田小文吾が「柳下恵か小文吾か」といわれていたと記憶している。



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