三年鳴かず飛ばず   鼎の軽重を問う

※長文御免※

紀元前613年、楚(=荊)の国では、莊王が即位した。
んが、この王、変わり者だった(笑)。
王位につくやいなや
「わしにむかって意見をするものは死刑にする」と宣言した。
それからめちゃくちゃに遊びはじめた。美しい女を絶えずそばにはべらせ、口から杯を放さない。即位してから3年間、一切の政治に見向きもしなかった。

・・・とここまで来て、あれ、この話どこかで読んだような、と思った方!
そんなにこの私めの『故事成語を語る』を熟読してくださっているのですか。
ううう。ありがとうございます。*感涙*
そのとおりでございます。
即位してしばらくの間遊び呆けていたのは、もう一人、斉の威王。(「瓜田に履を納れず李下に冠を正さず」参照)
実はこの故事、この二人が遊び呆けているときにできたもので、『史記』にあるのが斉の威王バージョン、『春秋』にあるのが楚の莊王バージョンでございます。
どっちのバージョンでもいいのですが、1項で故事成語を2つ書ける、という管理人 の無精さから、ここでは楚の莊王バージョンを取らせていただきます。
なに、内容はそう変わりません。
つまりは、こういった語り伝えが一般に存在していたということなのでしょうな。

話を戻しまして。

3年も続くこの状態を、見るに見かねて、ついに王に意見をしようという臣下が現れた。成公賈という人物である。
王は不機嫌になった。
「私は諫言を法度としているのに、なぜお前はわたしを諌めるのか?」
成公賈はいった。
「いえ、私はお諌めいたしているのではございません。王がお好きな謎あてをしたいとおもっているのでございます」
「そうか、ではその謎をいってみるがよい」
そこで成公賈はなぞなぞを出す。
「鳥がおります。南方の丘に止まっています。なんとこの鳥3年の間動きません。飛びもしません。鳴きもしません。さてこの鳥はな〜んだ」
ま、早い話がこの鳥は莊王のことをあてこすったのである。きつく言えば、
「王位について3年、王は何をしたというのだ、何もしてないじゃないか!」と言ったのである。
しかしこの真意に気づかぬほど莊王は凡庸ではなかった。直ちにそのなぞなぞに答えて曰く、
「鳥がいて、南方の丘に止まったまま3年動かないのは、意志を固めようとしているからだ。また、飛ばないのは、羽や翼が十分に生えそろうのを待っているからだ。この鳥は飛ばぬとはいいながら、いったん飛んだら天に達しよう。鳴かぬとはいいながら、いったん鳴けば人を大いに驚かすだろう。成公賈よ、退出するがよい。わたしにはわかっているのだ」

このなぞなぞのあと、莊王はただちに官吏の粛清を行い、諸政を刷新し、軍を強化して諸侯に反撃、ついに巨大な王国、周をも脅かすようになったのである。
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鳥有り。南方の阜に止まる。三年動かず、飛ばず、鳴かず。 是れ何の鳥ぞや。
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あ、さてー。
3年鳴かず飛ばずだった、楚の莊王だが、確かに“一鳴驚人”で、あっというまに諸侯中の実力者となった。周辺の蛮族を伐ち、さらに洛水にまで遠征し、楚の兵を周国の境付近に陣取らせた。
周を脅かさんばかりのその勢いに周の定王は大いに驚き、王孫満をつかわして莊王をねぎらわせた。
自分に対する周のその対応に、すっかり周を見下し調子に乗った莊王、不遜にも、周に神器として伝えられる鼎の大小、軽いか重いかをたずねた。
つまり、『自分には帝位をねらう下心がある』ということをアピールしたのだ。
で、その莊王に答えて王孫満の曰く、
(この答え、王孫満という人物の気骨や品格や強い意志がずしずしと伝わってくるような文章になっています。訳するともたもたした感じになりますが、書き下し文は軽快! 気持ちいいです)

「鼎の大小軽重はそれを持つ人の徳によって決まるもので、鼎自身の問題ではありま せん。
昔、夏の王が徳を備えていた時代、献上された金属で鼎を鋳てあらゆるものを かたどり、それをつかって人民に神と怪の区別を教えました。 それゆえに人民は、川や山にはいっても邪を避け、魑魅魍魎に会わずにすみました。 そのことによって夏の王はさらに天の恩恵を受けることができたのです。
しかし傑王は徳に欠けたためその鼎は殷(商)にうつりました。
そして600年たっ て紂王が暴虐であったために鼎は周にうつりました。
徳が大いに明らかなときには小さい鼎も重く、よこしまででたらめなときには、大き くても軽いのです。
もっとも天が明らかな徳に幸いするといっても限度があり、周の成王が鼎を安置する ときに王が何代続くか占ったところ、30代と出、何年続くかを占うと700年と出 ました。これが天命なのです。
今は周の徳が衰えたとはいえ、天命はまだ改まっては おりません。だから、まだ鼎の軽重を他人が問うべきではないのです!」

(・・・周の成王が即したのが前1025年、で周室が滅びるのは紀元前256年)

で、この王孫満の熱き言葉を聞いた莊王は、武力を行使して周に攻め入ることをしな かったんだそうな。
へ〜。

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徳の休明なるときは小なりと雖も重し。その姦回昏乱なるときは、大なりと雖も軽し。(中略)今、周徳衰えたりと雖も、天命未だ改まらず。鼎の軽重、未だ問う可からざるなり。
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・三年鳴かず飛ばず
これといった結果も出さず、さえない状態でいること。
現在では「鳴かず飛ばず」とだけいうことが多い。
また別の意味では(故事に近い意味で)、大器晩成と同様に使うこともある。


・鼎の軽重を問う
権威、権力のある者をあなどって、その実力のほどを問う、という意味。




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