1995年11月某日に多摩川の河原で遭遇したこと(世の中には変わった人がいるものだ)


 多摩川は拝島橋の上流から二てに別れ、北に多摩川本流、西に秋川となる。此処の出会いのすぐ下流には堰堤があり、休日には上流下流側ともに釣り人で賑わう。
上流の出会いは6月からの鮎釣りで、堰堤の下は通年、鯉とか鮒釣りの人がいる。たまに鰻を捕りに来る人もいるが、釣ったという話はあまり聞いたことがない。

 さて、先日の休みの日に1年ぶりぐらいで、此の河原に遊びに寄った。高尾にキノコを見に行った帰りにちょっとより道をしてみたのだ。
久々に来たら、景色が変わっている。どの様にかというと、まず水が少なくて河原が後退してしまっている。そして、以前は水遊びをしながら渡れた、浅い流れのところが無くなり、自然遊歩道とか称する道が出来、脇にはベンチ代わりのつもりなのか、大きな平たい石が沢山置いてある。(自然遊歩道:コンクリで作った、木に似せた柱に書いてあった。ウ〜〜〜!相変わらずセンスがない)

 以前、よく来ていたときは、此の河原に出ると、ホッとした気分が味わえたものだが、先日は此の無粋な人工物ができていたので、興ざめしてしまって自然の中に来た気が全然しなかった。多摩川の自然が、ドンドンお上の手によって、破壊されていく。いつもながら行政は、くだらないことに税金を浪費するものだ。

 おっと、大分横道にそれてしまったが、そんな訳で上流の方は汚くなっていたので、堰堤下の中州に行くことにした。 犬を先頭にゾロゾロと歩いていく。子連れの家族が堰堤の下で、遊んでいるところを過ぎ、中州の草むらの中へと続く踏み跡を辿っていく。
すると、大きな水たまりになった脇の草むらの開けたところから、煙が上がっていて、男の人が焚き火を棒で突っついている姿が目に入った。

 近づくにつれ、「ウ〜ン!何か変だ。」と、思いが巡る。足は素肌が出ているのが解る。そして、その上はとスキャンしながらよくよくみると、お尻がむき出しなのがやっと解った。
何もはいていないと、すぐに気がつかなかったのは脹ら脛からお尻までが、まるで同じ色の茶褐色に灼けていていたためと、上のタンクトップのシャツが、黄色というか黄土色というか、体色に近いので、そういう服を上下着ているのかと考えてしまったのである。

 つまり、自分の既成概念に沿った思いこみが、現実を受け入れるのを拒み、下半身が裸だと認識できるまで時間がかかってしまったのだ。

 しかし、もっとビックリしたのが、焚き火を棒でいじっているその御仁が、こちらを振り向いた時に見えたカラフルな股間だった。
そろそろと近づきつつ股間をよく見ると、チンチンを筒状に覆うブルーの編み物、それを同じ素材でひも状になったもので、チンチンを首から提げているではないか。

 こういうときの心理というものはおかしなもので、温泉などでチン列されていても、どうということはないのだが、お天道様の下、そんなものがあるはずがないところでみせられると変に動揺してしまうものである。
見てはいけないものをみてしまった感じで、見たこちらが悪くて、相手に失礼なことをしたような気分になってしまう。こちらの股間までが、何かむず痒くなってくる始末だ。

 後ろの連れが、「ここ行くの?」という。どうやら、ブルーのチンチンサックに気がついたようだ。「行きたいから行くよ。」と、意味の通らない返事をして前に進む。
 彼の御仁に近づいて、脇を通り抜けようとしたときに目があった。「今日は!」と、挨拶をすると、「アラ!」と、仰った。
「???」とにかく進む。

 草むらをかき分け、多摩川縁に着いて思わず一言、「おいおい、見たかよあれ?」、「なんだあれ?」 もう一人の連れの女性は見なかったという。「ウ〜ン、このカマトトめ。」と思ったが、「本当に見ていない。」と言う。「でも、顔がおカマッぽかった。」とのこと、そんなことはチェックしていたみたいだ。

 服のようなものが水たまりのところに置いてあった。しかし、その水たまりは、水浴びできるほど深くもなく、また、綺麗でもない。
そんなところで、一体何をやっていたのか、私には理解できない。連れは儀式をやっていたと言うのだが? なんとも???

 帰る段になって、写真を撮りに行こうとか、一緒に記念写真を撮ろうとか、インタビューすればとか、意見は出た。でも、何か恥ずかしくて、実行に移すものが誰もいないので、結局、遠目に見ながら帰ってきてしまった。

 その時も、未だ焚き火をしながら、火を棒で突っついていた。何故かこちらの気持ちは依然恥ずかしがったままなので200mmの望遠で写真を撮って失礼してきたが、未だ現像には出していない。
出来上がったとしても、いかにせん遠いので、また腕が悪いので、明瞭に写っていないと思う。出来上がったときにはアップするが、期待できそうもないですね。

 また、どうしても詳しく知りたいというむきがあればメイルでも下さい。検討して、再度訪問してきても良いですが、会えるかどうかはちょっと解りません。

 多摩川の河原には下の写真のようにたくさんの人達がほったて小屋を建てて住んでいます。その数はかなりのもので、人の出入りのない中州にかなり大きいものまで建てて住んでいる人も居る。なかには畑を作っている人もいたりして、結構やるモンだなと、いつも感心して見ているのです。
 実は私、内心彼らを尊敬している。そんな話を何人かにしても誰にも理解を得られません。此についてはまた別の機会に書いてみようと思います。
 河原の住人に神のご加護を・・・


 200mmの望遠で撮ったチンチンサック男

 上は黄色っぽいタンクトップみたいのを着ている。右足の腿が見えているが解るだろうか?もうちょっと大きいと良いのですが、気が小さいもので、そばへ行って写真が撮れませんでした・・・すみません!                    

                                        


 これは上の写真の奥に見える土手の手前の河原にある庵。多摩川を昭島側に渡ったところの河原にある。
 私が知る限りでは、ここで最初に庵を見てから、もう5〜6年になるだろうか、最初見た頃は男の人が二人居て、七輪で何かを焼いていた。かなり煙が出ていたので、魚であろうと想像される。
 それから1、2年たった頃、バイクで川縁をブイブイと行ったところ、今度は女性が居て、3人で仲良くしているように見えた。
20倍の双眼鏡で、生活を覗かせていただいているのだが、向こうからも丸見えなので、そう長い時間観察しているわけにもいかない。覗き趣味的なところがあるが、そうはいってもいつまでも双眼鏡で覗いていられるほど厚顔無恥ではない。

 それに、ここはバカな釣り人が居て、河原に座っていると、魚が逃げるから向こうに行けと怒鳴られる。釣り券買って、金払っているのだから、ただで遊ぶ奴には川の脇に座る権利はないとの論理だ。そんな訳で、あまりゆっくりとヒューマンウオッチングはできない。

 ところで、件のタコな釣り人は「どこで遊ぼうがこっちの勝手だろ!」と川をはさんで怒鳴り返したら、河をバシャバシャと渡りはじめた。大事なカメラを仕舞って、応戦準備をし、そして河のまん中辺りに来たら、でかい石を投げて沈めてやろうかと待ちかまえていたのだが、残念ながら他の釣り人に諌められて引き返してしまった。
魚の恨みを天に代わって、思い知らせてやろうと思ったのに、運がいい奴だ。
 釣り人ってバカチンが多いんだよな。海から山まで満遍なくゴミだらけにするのは釣り人という人種であります(そんな奴が家じゃ、いいパパだったりするんだよね)。

 あなたは平気ですか?天に唾すりゃ我が身にかかる。人を呪わば穴二つ、因果応報。自分がやったことが、必ず自分自身に返ってきます。良いことをすれば良いことが。自分にとって嫌なことを人や自然に対してすれば、自分に嫌なことが、必ず戻って来ます。自分の尻は自分で拭くのです。

 特に今の時代は、レスポンスがあるまでのタイムラグが昔みたいに長くないから、自分の生きている間に返って来ます。それも、わりとすぐに返ってくるのが、現代の特徴です。それが解らない人は、流されて生きているか、マインドコントロールの中で生きている証拠です。過去の“ネガティブなつけ”が多い人は、少し位の良いことをしたって、なかなか、自分自身に良いことは返ってきませんが・・・(これを運が悪いという)

 早く方向転換しないと取り返しがつきませんぜ・・・みなさん!

 私のまわりにも沢山居ます、頭が腐りかけている男ドモが。女房に見放されかけているのに気がつかないで、現実から逃避して勝手なことばかりやっている、ピーターパン(自立できない男)野郎が。
 過去のつけから目を背けて、美味しいことばかり、追いかけている人が、ドンドン腐っていますね。心と体が遊離して、バランスが取れていないので、そのギャップが大きくなっていき、ついには!!!!!???? 時代がそういう質を持っているのです。地球が身震いを、人類の深層意識が浄化を、皆それぞれ変化を望み、コンプレッションをかけているのです。現代の動きに圧力や摩擦を感じる人は、かなり自分の中にネガティブなものを取り入れてしまった人でしょう。

 わたし? 私は過去のつけを背負って、質素に暮らしています。恐ろしくて結婚なんて出来ません。河原に引っ越す日も間近いといわれています。Webから消えていたら、河原を探して下さい。河原でメディテーションをしている汚い男がいたら、それが私です???


 多摩川府中側川縁、洗濯物が見える
 二人の男の人が住んでいる。

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`01/2 河原も工事が多いので、河原の住人も時々引っ越しを強いられる。多摩大橋下。

日野市から八王子市に掛けての右岸に良く行くのだが、とにかく河原の工事が多い。橋を架けたり護岸したり、また役所関係の施設が此処15年で随分増えた。そして、その近辺の河原は荒れる。今回、久々に川縁を数km遡ってガッカリ。工事やその資材置き場での利用のために葦野原が無くなったり、工事車両用の道路が出来ていたりで、綺麗な自然が、また失われていた。

`01/2 多摩川の日野側。オームの事件の時に、オームの人間が物を処分していたことで有名なところの間近。此処の住人は10年以上同じ場所に住居を構えている。人目に付かないように、夜出入りをしているようである。乗り物は自転車。生業は段ボールなどの廃品回収のようである。