一.(事務所の特色とその活動の意義)
二.(Academic活動)
三.(これまでの印象深い活動)
1.日弁連関係
勤務弁護士2名が2001年3月末で辞め、10年が経った。事務所のスタイルも、弁護士國生一彦単独で国際金融 を中心とする”niche”が定着してきた。
以下では、主としてそこに至る過渡期での印象深い活動(いずれも「プロボノ活動」)
(1)障害者保護法制度は、当事務所でもこれまでまるで扱ったこともない分野である。それが、急遽その真っ只中にとび込むこととなった。2001年4月1日から4月7日の間は、日弁連の人権擁護委員会の弁護士6名とともに、米国のフィラデルフィア市のPILCOP法律事務所を訪問した。PILCOPのPILの意味は、公益的であり、米国では一般の法律事務所と区別され、顧客からは一切報酬を取らない代わり、無税で公益的な活動だけをしている。PILCOPは、その中でも弁護士数は6名と小さいが、人種差別などの市民権運動、障害者保護運動でのPenhurst第1次と第2次訴訟や、環境保護など、いくつもの画期的な判例をかちとってきていて、全米的に名が響いている。
日弁連の人権擁護委員会の障害者保護小委員会は40名くらいから成るが、その中で、6名が米国、もう1組(同じく6名)がイギリスに調査団を出した。そして、イギリス組がロンドンの翻訳会社を雇ったのに対し、米国組は同じ日弁連の国際人権委員会に英語のできる人の支援を求め、その結果、弁護士國生一彦が国際人権委員長から頼まれて行くことになった(完全なプロボノ活動で、飛行機代も含め全て自弁である)。4月2日(月曜日)から4月5日(木曜日)までの4日間を通して全スケジュールの通訳を行い、その間米国の1990年のADAを初めとする障害者立法やそれに先立つ法廷斗争の歴史などについて多くを知る機会を得た。なお、PILCOPは、その後、東京にも来て、弁護士ビル(クレオ)にて日弁連と共同でシンポなどを開催した(そのときは、弁護士國生一彦が通訳を依頼された)。
(2)同じく日弁連の国際人権委員会の絡みで4月16日(月曜日)から4月22日(日曜日)、ニューヨークとワシントンD.C.を訪問した。これは既にこのwebsiteで述べているように、1999年12月と2000年7月の国連の条約会議参加まで遡る活動である。その国連の条約会議は、2000年12月にイタリアのパレルモで日本を含む121カ国が調印した国際組織犯罪防止条約草案作成のための臨時(Ad hoc)会議体であり、ウィーンで10回にわたり開かれた[1]。
組織犯罪対策法の2本の柱は、組織犯罪の処罰の厳重化と、いわゆるマネロン、資金洗浄(money-laundering)対策である。後者については、1992年から当時の大蔵省が金融機関に対し、本人確認に関する通達を出すとともに、いわゆる麻薬特例法(同じく1992年に施行)の下で「疑わしい取引」の報告義務を課してきた。組織犯罪対策法は、この疑わしい取引の報告義務の前提犯罪を大幅に増やすことにより、報告義務を一層重要なものとした。この本人確認に関する報告義務は、2002年4月、立法化された。
加えて、FATF[2]が1996年に40の勧告を大幅に強化し、いわゆる前提犯罪(predicate offence)を広げるとともに、疑わしい取引の報告義務を弁護士などプロフェッショナル(専門職)にも拡張するよう提案した。FATFの40の勧告は、当初1989年に出され、金融機関に本人確認義務を課するとともに、各国間で相互監視制度を導入することにより、マネロン対策としてかなりの成果を収めている。なお、このFATFの40の勧告の上記の改正は、2003年6月末に公表された。
(3)日弁連のワーキンググループとABAのマネロン対策タスク・フォースとの会談は、ABAの2001年大会(シカゴ)を機に2001年8月3日にも行われ、日弁連から國生、海渡両弁護士が派遣された。
(4)日弁連のマネロン対策関係の活動としては、日弁連のワーキンググループによる依頼で、前記のNBLへの出稿、同じく日弁連のワーキンググループ主催のシンポジウムでのスピーカー(2002年10月15日)などがある。
(5)PILCOPといい、組織犯罪防止条約といい、またFATFによるマネロン対策タスク・フォースといい、いずれも弁護士会活動の中心は、いわゆる人権派弁護士が主流となる。その中で、唯一business lawyer、international lawyerとして、それらの企画に共同参加したものである。
[1] その結果、対応する国内法の整備が必要となるが、この関係では、日本の法務・検察は早手廻しに、1999年の組織犯罪対策法(2000年2月から施行)で略対応する措置を採ったが、同条約に対応するため、刑訴法の更なる改正や、実体法でも新たに参加(participation)のような刑法総則に及ぶ改正が必要となった。
[2] OECDに間借りする形で始まった国家間の任意的国際機関。なお、FATFによるmoney-laundering対策と疑わしい取引の報告義務を弁護士などプロフェッショナル(専門職)に課そうとの各国当局の動きなどは、「弁護士Aの守秘義務はどうなるのか」國生一彦、NBL No.72(2001年9月)号p.58〜64参照。
2.東弁関係
(1)1999年に東弁の第14番目の法律研究部としてインターネット法律研究部を立ち上げた。第2年目の企画として東弁の夏期合宿でのインターネット法律研究部主催シンポジウムが開かれ、好評であった(パネリストにはMETIの担当官など5名、國生弁護士司会)。3月月例会には経済産業省(METI)の担当官を招き、ちょうど閣議に提出する予定の電子契約法の原案につき説明を聞くとともに、盛んな質疑応答を行い、4月は飯田弁護士、5月は三菱総合研究所の三嶋氏、松尾氏の電子情報技術者をパネリストに招請、6月には 川端敏郎、(社)日本マネジメント・スクール・多摩大学経営情報学部講師など、外部から色々なパネリストを招請して実り多い月例会を開いた。7月は、上記の合宿シンポ(シェラトン・ベイ)、9月から11月にかけては、紀要第17号の企画、その間、再びMETIの担当官、12月には(旧郵政)現総務省の担当官をお招きしての懇談会、年が開けて2002年1月にも再びMETIの担当官とECOMの厚見氏を招いての懇談会などを行ってきた。戻って、同じく6月に國生弁護士による米国の電子情報取引法(UCITAの解説書)の本((社)商事法務研究会から)が発行された。
(2)國生弁護士は、2001年4月23日(月曜日)に東弁国際関係委員長に選出、任命され、早速、同委員会の活性化に努力した。
2004年3月末まで4回連続して委員長として勤めた(同年4月から、法科大学院教授に就任することになったため、廃めるほかなかったことが決定的である)。委員長として勤めたその4年間の主要な実績は次である。
@委員会の名称、目的の変更を東京弁護士会に提案し、常議員会での説明の後、全会一致で承認された(名称は、「国際委員会」、目的は従来、国際交流の調査であったのを広く、東京弁護士会の国際社会への窓口として必要なすべての国際活動へと拡げた)。
A11月9日〜10日、ニューヨークで開かれた第1回の世界大都市弁護士会リーダー会議に東京弁護士会を代表して出席した。これは、前年(2000年)9月、東京弁護士会の国際委員会が、ニューヨーク市弁護士会と、ワシントンD.C.弁護士会を訪問したが、その際のニューヨーク市弁護士会との対話の中でアイデアが合意されたことに因る。世界大都市弁護士会リーダー会議(WBCL)の創立のその会が、東京、ニューヨーク、ロンドン、パリの四弁護士会長の共同招請の形によるところから、ウェルカム・スピーチにはじまって、締めのプログラム、米国最高裁判所判事(S.Breyer)をスピーカーに招いての夕食会でもメイン・テーブルで同判事のご家族らと歓談するなど、記念すべき行事に参加した。
3.日常業務
(1)2001年当時の事務所で特筆される事件として、新聞などで再三報道されたいわゆる「がま池」事件があった。環境問題専門の弁護士2名を引き入れた弁護団で頑張ったが、かつ裁判所における司法活動に加え、港区でのロビー活動、近隣住民の組織化なども行ったが、今のわが国の司法(官僚)の環境問題に対する理解の程度からくる限界を味わされた。
(2)10月には、Lawasiaの幹部からのご依頼により、New
Zealand, Christchurchで行われたLawasiaのBiennaleにスピーカーとして参加した(わが国の金融制度改革)。
(3)12月には、中央官庁の1つからの依頼により、米国の法制度(商事法の分野)の実証調査のため、米国の東西海岸の四都市へ出張した。
経済産業省が中間にあるシンクタンクを介在させてはいたが、米国に単独主張するについて、事前に2、3回と、帰国後、報告書をまとめて報告するに際し、2回ほど、経済産業省ビルに行って、官房の担当者らに面談している。その後、法務省が、「債権譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律」の改正作業に入り、そのためのroutineである作業部会が作られた[3]。一方、筆者は、アメリカ法の問題として翌年(社)商事法務研究会から、「改正米国動産担保法」として出版している。
(4)2003年1月、日弁連が経産省から請負ったCLMVプロジェクト(アセアン10のうち、新顔のインドシナ4国でのIT法制整備支援)のうちのVietnamチーム長として、1月下旬に同国諸関係官庁を訪問、調査、報告を行った[4]。
[3] 改正法は、「動産および債権の譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律(平成17年7月26日成立、平成17年10月1日から施行)」である。
[4] このCLMVプロジェクトは日弁連がJICAを通じて請負った仕事であり、実費に近いものが支給されたが、基本的にプロボノ活動とってよい。
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