No.71

          陪審による評定(殺人罪か否か)


2005年4月4日午前9:30ころ、
サウスカロライナ州、北チャールストン市で、地区警察官マイケル・スラッガー
(Michael Slager)
黒人のドライバー、ウォルター・スコットの車を停止させて、訊問した。

途中スコットが逃げ出したので、スラッガーは5メートルほどの距離からピストルを数発撃ち、
結局スコットは死亡した。

事件はサウスカロライナ州当局だけでなく、
合衆国のFBIや司法省の公民権局など、多くの機関が調査し、
2016年5月、スラッガーは合衆国の公民権法違反などにより起訴され、
10月、その裁判が始まった [1]。

当時50歳のウォルター・スコットは、フォークリフト運転手の仕事で、
マッサージ施術を勉強中であった。
合衆国の沿岸警備隊で2年働いていたが、1986年に麻薬絡みの問題で退役していた。

NPR(12月2日)は、以上の合衆国の公民権法違反などの問題ではなく、
州法の下での殺人罪でのケースでの陪審による評決手続の途中経過を次のように報じている。

故意殺人罪に該るためには、
「表現されたか、推認される事前の悪意」
(with malice afore thought, either express or implied)
が要件とされた。

先ず、事件の裁判は、1ヶ月前に始った。
つまり12人の陪審員は、約1ヶ月近く事件に係ってきた(供述を聴くなど)。
それには被告スラッガーによる供述も入る。彼は警察をクビになっていた。

ところで、事実として出されていたのは、
ちょっとした空地でのスラッガーによる銃撃の瞬間の携帯による映像(傍見人による)である。

スラッガーは、「スコットが電気銃
(Taser)を持っていたので、恐怖を覚えた…」
と供述していたのに対し、
その携帯による映像からは、電気銃の所有などが確認できなかったことであった [2]。

陪審員らは、携帯による映像を1コマ1コマ丁寧に見せられていた
(スコットが逃げた理由について、家族は、
「子供の扶養義務違反を咎められると考えていたからだ」、と推測していた)。


その後、陪審は、3時間の自分達だけの審理に入った。
今や彼らの目前には、3つの選択肢がある。
(@)故意殺人の評決、
(A)結果殺人の評決、
(B)無罪評決である
(その場合の課刑は、終身刑までありうる)。

困ったことに、11人が故意殺人の評決に傾いているのに、1人だけ賛成できない陪審員がいる。
州法の下で故意殺人の評決をするには、全12名の一致が必要である。
最後まで、この一致が得られなければ、「評決不能」
(mistrial)となり、
別の陪審員を組成してやり直さねばならない。

裁判官は、1人だけ賛成できない陪審員の手紙を全員の前で読み上げた。

「良心に計り、どうしても有罪と決めつけることが出来ません…
他の人達が考えを変えるとも思いません…
皆が我々に突き付けられた問題、この1人の男の死亡の問題に向き合っています。
かと言って、私の心は、スコットの遺族に向って、無罪だということを言うことも欲していません…」

筆頭陪審からも2通のメモが上げられていた。
「1人の陪審だけが引っかかっている…その人がいなければ…評決できなくて申し訳ない」
と言ったものである。

午後4時になったので、判事は陪審に「もう希望無しの暗礁か」
(hopelessly deadlocked)訊ねた。
陪審は、「希望無しの暗礁」と、答えた。

しかしその後陪審は、
「もう少し時間を貰えれば、一致が不可能だとは断定できない」とも言い、
該当する法の言葉の更なる解説を求めた

裁判官が、それまでは答えるのを断っていたのは、
スラッガーがピストルを撃つ瞬間の自衛に係る言葉、恐怖心
(fear)と、
気持ちの高ぶり
(passion)との意味の違いであった。

裁判官は、更に陪審らに言った。
「無理に一致させるべきではないが、
多数は少数の考えを、少数は多数の考えを、よくよく考えるべきだ」。

そして、
「もし、それでも一致に至らなければ、『評決不能』とする。
そうなれば、また日を改めて、他の陪審らによって同じ手続きを行う」。




ところでアメリカは、陪審制では世界一の歴史もあり、
かつ充実したルール作りが積み重なってきている国である。

これに対し、君主国のイギリスでは、あまり発達していなかった。
イギリスでの陪審の評価が、余り芳しくなかったことを窺わせるものに、
18世紀初めのイギリスの思想家David Humeによるコメントがある。

確かに、それまでのイギリス(ウィリアム1世王によるノルマン侵略からジョージV世までの700年間)では、
警察官が陪審を選んだり、警察官自らが成ったりしたか、王が都合のいい人を任命したりした、
ということがあった。

これに対し、アメリカでは違っていた。
たとえば、最高裁の意見がある。

「植民州ではイギリス本国とは違って、陪審制度に対する好意的評価が高く、
人権憲章中でも重要な条項とされていたことから、
連邦形成に対する州権派
(Anti-federalist)らの支持も得られるよう、採用されたとされている」。
それよりも何よりも、そのことを雄弁に物語るのが、彼らが、これを憲法中に定めている事実である。

「すべての刑事訴追にあっては、被疑者は、その犯行が行なわれた州の法によって、
予め定められた地区別の公平な陪審による迅速かつ公開の裁判を求める権利、
訴追理由と性質を知らされ、反対証人と対決する権利を有する一方、
自らの側の証人をうるための強制手続を求め、
かつ自らの弁護のため弁護人の助力を得る権利も有する。」

「すべての」刑事訴追とは、
50州とワシントンD.C.および合衆国のテリトリ内での刑事訴追事件すべてを含む意味である。
と定める。



**注釈**

[1] この件の民事事件では、裁判外の和解として2015年10月に既に解決している
  (北チャールストン市は、スコットの遺族に約7億円(6.5億ドル)を支払う)。
[2] もう一方の連邦の手続中では、検察官がスラッガーに対し
  「電気銃を持って向ってきた」と偽りの供述をしていたと、非難していた。




                                   2016年12月7日