No.7

        モハメド・アリとの交友


昨年は、中高生時代からの旧友のような感じの(温め続けてきた)主題、
『アメリカの憲法成立史―法令索引、判例索引、事項索引による憲政史―』を著すことが出来た。

今年は、同書のはしがき中で述べていた、その「アメリカ(社会)の大変な面」に焦点を当てた、
「もう1つのアメリカ史―キング牧師と、公民権運動の志士たち―」の出版(新書版か、少し大きい程度)を考えている。

その「もう1つのアメリカ史」の中では、キング牧師との関係で
(といっても、2人は、その世界観からして大違いで、互いに殆ど接触がなかったが)、
マルコムXについても1,2行触れている。

NPRは、スポーツと政治との関係で、このマルコムXとモハメド・アリとの出会い、
その後の人生の交錯につき、短く報じている。



場面は、1962年のNation of Islamの年次大会(シカゴ)に遡る。

その頃、モハメド・アリの名は無論、違っていた(Cassius Clayである)。
アリはその頃、心の拠り所として何か新しい信仰を求めていた。

一方のマルコムXの方は、その弁舌が人を魅了する。
若いCassius Clayも、それに吸い込まれていた。

そして、Cassius ClayがSonny Listonとheavyweight級の
ボクシングのチャンピオンシップを懸けて闘ったリング脇には、マルコムXの姿があった。

大方の予想では、7:1でListonの勝利だったところが、
7ラウンド目にCassius ClayがListonに対しTKOを取った。
翌日のインタビュでCassius Clayは、名前をCassius Xに変えるが、約1カ月後、モハメド・アリに再度変更している。


ここでの主題は、マルコムXとCassius Clayとの交友関係がどう展開してきたか、である。
それは換言すれば、「スポーツと政治との関係でもある」と、記者は言う。

もし、Cassius ClayがListonに対しTKOを取る前にNation of Islamのメンバーであることを公表していたら、
アメリカ社会のNation of Islamに対する反発の強さからして、
Cassius Clayは、第一、ボクシング界に居続けられなかったろうという。

偶然にも、この試合の頃までに、マルコムXのNation of Islam内での勢力が衰え、
彼の自己誇大化に対する反発から、
「好ましからざる人物」(persona non grata)
とレッテルを張られていた。

(中でも、Nationの創設者として尊敬されているエライジャ・ムハマド(Elijah Muhammad)に
「婚外子が数人いる」と口外したことで、非難されていた)。


この後、マルコムはNationを去り、アリも自らとともにNationから袂を分かってくると思い、
それを願っていたが、その時、アリは動かなかった。

その後、2人は一回だけ、それもアフリカのガーナ(Ghana)の首都Accraのホテル外のプラザで逢ったきりである。

マルコムは、アリに話しかけようと、「ムハマドの兄弟よ!」と2回、繰り返し呼び掛けた。
これに対し、

「マルコム兄弟よ!あなたはエライジャ・ムハマドを裏切るべきではなかった…」

そう言ったアリは、マルコムから遠ざかって行った。


その翌年、マルコムは刺殺される。

その後アリは、マルコムとの仲を元に戻さなかったことを後悔する。
面白いことに、アリもやがてNation of Islamを去り、Sunni Islamに改宗する。
正にマルコムが辿った道であった。


今は、マルコムは、既にこの世に亡く、アリは、パーキンソン病に罹病している。
しかし、彼がマルコムと交わっていたお陰で、彼は単なるスポーツの世界から、一歩外に抜け出すことになった。


                                                          2016年2月29日