No.67

                 いい夫婦の日


今日11月22日は、日本では「いい夫婦の日」などと呼ばれている。

53年前(1963年)のこの日、アメリカのテキサス州ダラスでは、
オープンカーに乗ってパレードをしていたケネディ大統領が狙撃されて、
夫人(ジャクリーヌ)の目の前で命を落としている。

しかも、その瞬間を撮影していた人、
ダラスの商人エイブラハム・ザプルーダー
(Abraham Zapruder)氏がおり、
その家庭用の8ミリフィルムがアメリカ合衆国政府により収用され、今は何処かに眠っている
(著作権は、ザプルーダー一族からダラス博物館へ寄付されている)。

NPR(11月21日)は、その経緯をザプルーダー氏の孫娘
アレキサンドラ・ザプルーダーとの対談から、次のように伝えている
(その孫娘は、最近それをTwenty-Six Secondsと言う本にして出版した)。

その8ミリフィルムには、彼女の祖父が前に撮っていた孫など、
家族や友人などの姿が、既に入っていた。
当時彼女の祖父は、1メートル余りのコンクリート台の上に昇って、
大統領の車列を迎え、カメラを回し始めた。

初めの数秒、大統領とピンクのスーツを着て、帽子をかぶった夫人。
2人ともにこやかに群衆に向かって手を振っているのが映っている。
その瞬間、何か悪いことが起こっていた。大統領が両腕を上に挙げ、手は喉の辺に。
ファーストレディも夫の上に覆いかぶさるようにして、何事か確かめているような、
すると、追い打ちの射撃音がして、大統領の頭は文字通り破裂していた。

ここから先が、孫娘アレキサンドラの話しである。
彼女は、ティーンエイジャーになるまで、そのフィルムは観ないようにしていた。
家で話合うこともなかった。
彼女の祖父自身が、そのフィルムを撮ったことで、気が動転してしまっていた。
深く深く傷ついて、夜もうなされていた。

事件の丁度3週間前、祖父の息子、つまり彼女の父が、
ケネディ政権の下での司法省に就職できていた
(前年1962年、父はケネディ大統領宛に就職の希望を書き連ねた手紙を書いていて、
その写しが残っている)。

そのフィルムの原本と著作権を抱いたまま、それ以来30年(1990年代)。

こうした経緯からも、今度は、事件は一族に普通以上のインパクトを持って襲い掛かった。
一族が世間からの悪口の嵐に襲われ出した。

曰く、「人の不幸を食いものにしている。血が通ってない奴らだ!
国全体の悲しみの元なのに、それで儲けている…」などである。

合衆国は、遂にフィルムの原本を強制収用した。
それから長い法廷闘争を経て、和解が成された。
ザプルーダー一族は16百万ドルを支払われた。

これらの世間による厳しい目指に向き合い、
それに応える中から、孫娘の本は生れてきた。
これはまた、このたった26秒のフィルムについての人間の態度を記した物語でもある。


                                   2016年11月22日