No.6

   
小著「もう1つのアメリカ史」からの1コマ(南部州アラバマ)


キング牧師は、1968年4月4日の夕方6:05 pm、
メンフィスのモーテルの306号室を出て、バルコニーから下に(迎えの車に)向って話しかけようとしていた。

その時、通りの向いにある下宿屋のトイレの窓からの銃撃を受けた。1時間後に亡くなっている。

彼は、その2週間前の3月に、かつて彼が司祭となって初めて赴任した地、
アラバマ州南の中西部、グリーンズボロ市にも行っていた。そこでのマーチに参加するためである。


NPRは、今回の大統領選のことで、その時にグリーンズボロ市でKKKから守るため、
キング牧師を匿っていた地元の女性(80歳)を取材している。

その時の隠れ家となった家が、後にヘイル郡黒人史資料館(と言っても、アメリカでshotgun houseと呼ばれている、
間口2間ほどの細長い家で、前と後ろに出入りする戸が付いている)となるにつき、彼女が働いていた。

「私は歩兵みたいに…選挙には必ず行っている
…(アラバマ州の「ブラックベルト」とも呼ばれる、その辺り(ヘイル郡)では)、
今でも黒人には投票をさせまいとする州の圧力がすごい。
運転免許証事務所を地域から失くしてしまった一方、投票には、ID(身分証明)を要求する
…要するに、黒人を締め出そうという訳よ…でも我々は、締め出されない…」

火曜日の投票につき、彼女はこう続けた。

「ヒラリーに決めている…彼女は、ここまで重要な仕事を重ねてきた。残るは大統領だけヨ!
…地元じゃ、彼女とは結びつきを感じているのよ…ここに来たこともあるし、彼女ならわかっているのよ!
如何にひどい(貧しい)所かも!」

(50州の経済、社会、政治、民度などの調査を比較しているGeorge Mason Univ., Mercatus Centerによると、
アラバマ州は貧しく、連邦の補助金を多く受けている一方、
特に社会的意識の点で、個人の自由度に乏しく、最も保守的であるとしている
(2001年では、個人的自由度が全米50州中、50番であったが、2007、2009年に、各46位、2011年に43位、
と少しづつ上っては来ている)。
中でも、商業会議所の調査を援用して、アラバマ州の「裁判所は最低!」としている。

南部での黒人票こそ、クリントン氏が取るべき(取りうる)票だと一般にもされている。



                                                          2016年2月29日