No.55

            アメリカの生活扶助法


日本の生活保護法(昭和25年、法律144号)の下で
生活扶助と呼んでいるもの(同法31、30、(11))に当るものがアメリカにもある
(ヨーロッパに比べ社会福祉立法は、アメリカでは遅れたが)。

そのアメリカの生活扶助につきNPRは、「生活扶助法の大改革から20年」とのテーマで、
「生活扶助と呼ばれるようなものは、1996年に打ち切られた」、と報じている(8月26日)。
そこでは要するに、この「制度の廃止」の評価はマチマチで、一方の側に片付けられないという。

第1に、20年前には貧困家庭の68%が生活扶助(現金の支給)を受けていたが、
今は、それが23%に下がったとしている。

制度の廃止を行った1996年の法律とは、
「個人責任と、働く機会との調整法」
(Personal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act of 1996)(PRWORA)
という名のことである。

同法は、それまでの「子育て家庭への扶助」
(Aid to Families with Dependent Children, AFDC)
に代えて、「困窮家庭臨時扶助」
(Temporary Aid to Needy Families, TANF)を、
制度の中心的コンセプトとして導入した。

力点は、この臨時性
(Temporary)にあるという。
これを、法律では「5年以下で、各州が定める年数」としていて、
多くの州が、2年(中には1年)を定めていた。

その上で、扶助の受給者は、「働くか」、「働き口のない人は職業訓練を受けるか」、
または「地元でのサービスをするよう」、義務づけていた
(これらの義務を怠ると、受給者資格を失いうる)。

1996年法の変更点は、他にもある。

TANFを、各州への一括交付金
(block grants)の形で支払い、
後の個々の受給者への還元は、各州が自らの考えたように行う
(必ずしも現金扶助とは限らず、ミシガン州のように奨学金にしたり、
テキサス州のように養育費の支給とするなどもあるという)
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上記のように1996年法の下では、
アメリカ人は生活するために働く義務などを負うとの哲学が貫かれている
(憲法で貴族などの特権階級を禁じていることと相通ずる考えである)。

「働けるのに働かない者が、扶助される」というのは、ルールとしてはない。

しかし、実際には色々な事情の人がいるから、
努力しても働き口が見つからない人も出てくるが、
そういう人はこのカテゴリからは外れ、いわゆる見捨てられた
(left high and dry)人になってしまう。

NPRは、これを数字で立証している。
合衆国の基準による貧困家庭は増えている一方、TANFを受けられた家庭の数は、
大幅に減っているという事実である。

もう一つの制度上の問題は、上記のように
各州毎に給付の形も、大きさも、基準も、すべて違う点である。
つまり、こと生活扶助に関する限り、どの州に住んでいるかによって、
給付が、従ってどんな生活ができるかが、大幅に異なってくる。

各州の中でNPRが紹介している上の方の(気前よく給付する)クラスは、オレゴン州である。
反対はルイジアナ州で、給付される額も少なく、給付対象人数も少ない
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アメリカにおける生活扶助法の元祖となった立法は、
大恐慌期にF. D. ルーズベルト大統領が成立させた法律、
Social Security Act of 1935で、
働かない人に合衆国政府が補助を与えることを始めた(Second New dealの1つ)。

これが、上記のクリントン大統領のときの1996年に
共和党の圧力による大改革で、廃止されたものである。

この他に、食物の補助とも言える、俗にfood stamp制度がある。
これは、1962年にパイロット・プログラムとして始まったものが、
1964年に合衆国の法律として整えられたものである。



**脚注**

1 1996年前には受給者は13百万人いたが、今は3百万人に減ったとしている(2016年4月1日、theatlantic.com)。
2 NPRは、この対照的な2州につき、州の全予算(生活扶助絡みの)を、5つに分けて、それぞれの州がどんな使い方をしたか、
 2014年分を集計している。5つとは、
 (@)生活扶助本体、(A)育児補助、(B)税額控除、(C)職業紹介・訓練など、(D)行政コスト(組織策定など)
 である。(2016年8月22日、npr.org)。



                                  2016年8月29日