No.52

         エジソンとウェスティングハウス


19世紀末近い1884年に、
クロアチアからまた1人の若い技士が、ニューヨークの波止場にやってきた。

持ち物と言ったら、2,3の着替え位を肩に背負っているだけの
ニコラ・テスラ
(Nikola Tesla)である。

1つだけ、彼が手にしっかり握っていたもの、
それはトーマス・エジソン宛ての紹介状だった。

やがて彼はエジソンの下で働くことになるが、
直に仲違いしてニューヨークの街に放り出されてしまう。
同じ技士で同じく発明狂といっても、
エジソンが目先の効く、利に賢い商売人でもあったのに対し、
テスラときたら、その辺はまるで目開き盲だった。

さて、このテスラのことは次回にして、ここでのテーマは、
そのエジソンとジョージ・ウェスティングハウス
(Westinghouse)とが繰り広げた、
熾烈な競争の話しである。
それも、この世の中にどこでもあり、どこででも欠かせない、必需品の電気を巡る話しである。

19世紀末近くのこの頃、アメリカ合衆国政府は、大洋から大洋まで、
つまり北米大陸をすっかり蓋う形の国土拡張を遂げていた。

当然東と西の両岸を結ぶ送電事業が日程表に上っていたが、
問題はそれがエジソンがやって来た直流電気(DC)なのか、それとも
ウェスティングハウスがテスラから特許を買って事業化を進めていた交流電気(AC)なのかであった。


新進気鋭のシナリオライター(作家でもある)Graham Mooreの
大型歴史小説の第2作目“the Last Days of Night”は、この2人の競り合いを画く。

そこでは、エジソンは1888年に、ウェスティングハウスが
電球についてエジソンが有していた特許を侵害したとして、
1888年の金額にして10億ドルくらいの訴えを起こしていた。

だが、真に争われるべきことは、このACかDCかの電流問題であった。
アメリカ全土が、そのどちらを採るかであった。

この大きな賭けにエジソンは、
このままでは「ウェスティングハウスに自分が負ける」と感じた。

そこで、彼は元来が死刑反対論者であったにも拘らず、
急遽死刑に賛成であるかのように、
ニューヨーク州議会に対し、「死刑囚を電気椅子に掛けるよう」に、
それも「交流(AC)の電気椅子に掛けるよう」に請願した。

死刑執行を伝える新聞が出た朝には、
「電気はこんなに恐ろしいものだ!」と人々が感じるであろう、
そうすれば、ウェスティングハウスはどうなるか。
彼は、その多大なマイナスのPR効果を期待した。
ウェスティングハウスのAC電気を、世間の人々が忌み嫌うようになることを願った動きである。

ところが、皮肉なことに
ウェスティングハウスのAC電気では、死刑囚は死ななかった。
それも一度目だけではない。2回目に試みたが、やはり駄目だったという(8月13日NPR)。




                          2016年8月15日