No.51

              
オーストラリアと難民


オーストラリア亜大陸。
1788年になるまでは、いわゆるアボリジナル(原住民)だけが暮らしている土地であった
(その年から19世紀半ばまでに、イギリスは、806隻の囚人船により、
162,000人の囚人らを送り込んだ)。

こうした歴史から、19世紀の2,30年代には、
この亜大陸の住人の80%が元囚人であるか、その子孫の世代の人間であったという。

20世紀の前半まで、アジア人を入国させまいとして、
いわゆる「白豪主義」をとっていたそのオーストラリアが、最近欧米のメディアで時々、叩かれている。
対外政策に対する芳しくない批判を書かれている。

たとえば、NPR(8月11日)は、前日付のガーディアン紙の引用として、
オーストラリア当局が設置した離島についての記事である。
そこでの隔離された収容施設(子供らを主とするが、大人も含めた)で、
陰惨な迫害に近い扱いを行っていると伝えている。

この離島とは、ソロモン海のソロモン諸島の北東に浮かぶ小さな島
(モナコの次に小さい面積)、Nauru島のことである。

今のオーストラリア政府は、このNauru島に
イラクとか、シリアとか、ソマリアなどから逃れてきた難民を始め、
アジア各国から入国しようとする人々を、すべて波打ち際でストップして、収容しているという。

NPRは2015年11月13日にも、このNauru島での収容施設のことを、
そこで人々が閉鎖状態のため半狂乱になって自殺者が多く出ていることを、
また守衛(guard)が人々を殴打したり、残虐な行為を加えたりしている様を伝えていた

(今回のガーディアン紙は、離島に閉鎖された人々から2000以上に上る
抗議や苦情が寄せられているとしている)。

オーストラリア政府の移民相は、質問に答えて、
「Nauru島はオーストラリアの一部ではない」、としか言わなかったという。

NPRの記者は、実際にこのNauru島を訪ねたという
アムネスティ・インターナショナルのNeistat女史から、現地の悲惨な状況の事実の一部確認したという。




                            2016年8月15日