No.49 

        アフリカ、ガーナにおけるイギリスの存在


アメリカの人類学誌に、2人の著名な人類学者
アマンダ・ローガン
(Amanda Logan)とOsei Kofiが、
「人間が飢餓状態にどう対応してきたか―人類学と食物」
といった感じの実証的調査を乗せているという(2016年7月20日NPR)。

調査の場所は、西アフリカ、ゴールド・コーストの中のバンダ
(Banda)地方で、
対象とした時代は、11世紀からというから、千年近い歴史の後を辿っている。

ローガンの調べでは、11〜15世紀を通して人々は、
その地方で好まれる主食、粟を食していた
(彼女は主に、炊事場の火の周辺の焦げた穀粒を集めている)。

彼女が目をつけたのは、人々がより好きな主食、粟ではなく、
それほど好まれない主食類に切り換えた(換えざるを得なかった)時期が存在することが、
それらの焦げた穀粒から推認できた事実である。

顕著なのは、15世紀半頃から約200年にもわたって、
現代では考えられないほどの厳しさの旱魃期が続くが
(その事実は、近くの湖の堆積記録から確かめうるという)、
その間でも、その地方で人々が主食に困ったような痕跡が残っていない事実である。

それほど好まれない主食類に切り換えたとか、人口が大きく減ったとか、
という痕跡が見られないことであるという。
その地方では人々が、その時期にも、鉄、銅、磁器、象牙、繊維製品などを取引していた事実、
人々が、そうした交易業に携っていたことを示す事実が多く残されていることであるという。

ところが19世紀に入るや、一転して情況が変ったことが示される
(旱魃期から遙かに後の時期である)。
主食の欠乏を示す、それほど好まれない主食類に切り換えた事実などである。
それが現代までも、このバンダ地方で続くのである。


以上のような15世紀以降の推移をどう説明するのか。
ローガン氏はこう考える。

バンダ地方は、19世紀後半にイギリス領ゴールド・コースト植民地に編入される。
イギリスはその植民地には、自らの作った、鉄、銅、磁器などの製品を売り込みたい。
ゆえに現地人らには、工業も商業もやらせない。
ひたすら農水産業に追いやった(精々、陶器製造くらいは残して)。


こうして植民地化が進むとともに、
バンダ経済は、飢饉の時にも工業や商業を通して主食を手に入れる体制を失ってしまった。
ガーナが独立した1957年後も、このバンダ地方は、専ら農水産業だけの経済で、
抵抗力の乏しい体質になってしまっていた(今日、7割の人が正にこの農水産業に携っているという)。

しかし、15〜18世紀の間の考古学的調査からわかるのは、
19世紀以前のバンダ経済は、色々な手工業なども、またそれによる交易もあり、
天候不順による負の影響を弱めることが出来ていた*。

更に地理学者Michael Wattsによると、イギリスにより植民地化される前には、
ガーナのこの地方の人々が、食料を分け合っていたらしいことも判っている。
その風習も失われてしまった。


ローガンらの調査の意義を評価して、メイン州ブランズウィックにある
Bowdoin Collegeの人類学教授Scott MacEachernはいう。

「今まで植民地化とは、かなり抽象的な制度 (政治、統計)上の、上部構造の問題として捉えられてきた。
しかし、視線をずっと下の方、人々の日常生活の方に向けて見ると、
その影響、効果は遙かに破壊的で、食糧生活の安定性のようなことにまでも及んでいたと考えらえる」

NPRは、次のように締め括っている。

「この新しい発見は、大切である。
食糧生活の不安定さは、単なる旱魃によってもたらされるのではなく、
植民地化、それによる経済生活(人々の生産、交易活動)などによってもたらされてきた点を示している」。

つまり、人間にとっての一番の基本である食糧問題は、
干ばつなどの自然現象によって左右されるだけではない。
経済体制、市場、それらを根本から動かす植民地化によって、最も大きく左右される。



*植民地化と、人々の食糧生活の安定度とのこうした負の相関を指摘したのは、ローガンが初めてではなく、
 地理学者Michael Wattsや、インドの経済学者Amartya Senなどがいる。
 しかしローガンは、それを初めて考古学的手法によって示した点が注目されたという。


                                  2016年7月28日