No.29

               
再びシェイクスピアについて


シェイクスピアに関しては、この欄で以前にも書いた
(彼の墓から「されこうべ」がなくなっている事実である)。

もうだいぶ過ぎてしまったが、この4月23日は、彼の没後400年に当る
(と、4月23日のNPRは伝える)。

しかもシェイクスピアは、同じ日4月23日に生れ、死亡しているという。
その日は、イギリスでは大祝日、
紀元303年に亡くなったとされるセント・ジョージの日
(St. George’s Day)だという。


シェイクスピアの死について記したものは、彼の死後40年経って、
彼の教会の牧師によって書かれたものが、「1つあるだけ」とも伝えている。

シェイクスピアと友人2人(Ben Johnson、Michael Drayton)とは、
外で大いに飲み、食って、はしゃいだ。
ただ、はしゃぎ過ぎたのか、その後ポックリ逝ってしまった。これが、その話だ。
もう1つの説として、1616年はチフスが大流行した年で、その可能性も指摘されている。


いずれにせよ、400年祭と言うことでNPRは、
イギリスのRoyal Shakespeare Company劇団とのインタビューを通して、
劇団が4つの劇、リチャードU世、ヘンリーW世の第1部と第2部、ヘンリーX世
を携えて世界巡業に出ていることを伝えている。

現在、ニューヨークのBrooklyn Academy of Musicでやっているが、
その前は中国、北京でやっていた。
Falstaffを演じた役者の1人は、北京での観客の反応で、
シェイクスピアの普遍性、永続性、偉大性を「肌をもって感じた」と言っていた。

リチャードU世は、当時のイギリスの宮廷・貴族社会を描く一方、
ヘンリーW世の第1部と第2部では、シェイクスピアがイギリスの最上層と最下層社会を、
それぞれ描き分けている。
ヘンリーX世では、イギリスとフランスの王家のことが語られる。

その中で、フランスを倒したヘンリーX世王が、
殺害したフランス将兵の名を読み上げる場面があるが、
それを昨年11月、パリでのテロリストによる爆弾事件の翌日上演していたら、
その読み上げる場面の最中で、ピンが床に落ちて、その音が良く聞こえた。
こんな効果は、シェイクスピアの思案の外であったろう。


それにしても、と劇団の芸術監督Dorauは言っている(以下は、筆者の脚色)。

「シェイクスピアは磁石のようなもので、世の中で起こっているすべて、
最高のものから最低のものまで(
…from most sublime to most ridiculous)、
全てが吸い寄せられてそこに集っている…人間性を360度に展開して眺められる…」



この2日後の4月25日にも、NPRはシェイクスピアを論じている。
今回は、もっとエッ!と言うようなものだ。

第1に、彼について残されたものが極端に少ない。
いくつかの署名した紙と、日常的な契約書など。
それに、妻に「2番目に上等なベッドを与える…」と言う有名な遺言。

この伝記的な事実の乏しさが、何人かの研究者をして、
シェイクスピアの実在性について、または「シェイクスピアが、あのシェイクスピアを書いていない」、
とかという、その同一性についての疑問や、異説を呈しさせてきた。


懐疑説の歴史は古い。

NPRは、Mark Twain、Walt Whitman、Freudの名を挙げている。
更に、次の2人が、現在での代表であるとしている。

1人は、シェイクスピアの多くの作品に出演してきたSir. Derek Jacobi、
もう1人もやはり、Globe劇場(ロンドン)の芸術監督のMark Rylanceだという。

彼らが中心となって、3000人以上の役者、学者、弁護士などがサインした文書
「合理的疑問宣言」が出されているという。

2人は、論拠を挙げている。

「この作者であるためには、何でも恐ろしくよく知っている必要がある
…また、フランス語、イタリア語、スペイン語、ギリシャ語を含む、多くの外国語にも堪能でなければならない。
更に、貴族の生活スタイル、鷹狩とか、乗馬術とか、彼らの余技に通じていなければならない、
中でも、エリザベス女王官内部で軽妙に交されていたような
言葉の遊び、複雑な諧謔や、笑劇なども理解していた人でなければならない」

「一方、ウィリアム・シェイクスピアの方ときたら、
精々Stratfordの小学校
(grammar school)出で、外国にだって一度も出かけたこともない
…彼の劇は、400年前にも売れていたが、それにしては、「シェイクスピアが死んだ」からと、
誰も問題にしていない
…しかも、Chaucer以下、イギリスの文豪が等しく祀られているWestminster寺院に入っていない
…遙かに知られていないFrancis Beaumontは、
同じ1616年でシェイクスピアより1月前に亡くなっていて、直ぐにWestminster Abbeyに入れられた
…ハムレットなどを演じた俳優Richard Burbageが死んだら、全ロンドンが悲しんで弔っている…」

それからこの2人は、シェイクスピアと同時代の文人の名を右から左へ14人も並べて、
これらの人からの文通の、それも文学そのものに係る文通の証拠が存在すると述べる。


2人は、NPRの記者に途中で断っている。

「シェイクスピアに何か悪意でもあって、言っているのではない。
2人とも10歳台の時から、生涯ずっとシェイクスピアに懸けてきている
…彼を愛するからこそ、秘密を解き明かしたい思いなのだ」


NPRの記者が質問する

「作品中には、確かにかなりの海外、殊にイタリアへの旅行者でないと、と言う箇所がありますね」

これに対する2人の返事は、こうである。

「ロミオとジュリエットの初めで、父母が「ロミオは何処に?」と訊く場面がある。
すると、ベンヴォーリオが、「sycamore grove(スズカケの木の茂みに)…」と答える。

アメリカ人のアマチュア研究者は、実際にヴェローナに行って見た
…ベンヴォーリオがいう町の城壁のすぐ外に、大きなスズカケの木の茂みが、
「本当にあった」、と報告している。

これなどは、エリザベス女王時代の旅行者が、酒場で「行ってきたよ!」式に話すことだろうか、
有名な彫刻や建物のことを話したというならいざ知らず…


こうした矛盾点が、先の宣言書中には、いくつも列記されている。

この宣言書には、アメリカ合衆国最高裁判所の裁判官
Sandra O’ConnerとJohn Paul Stevensもサインしているし、
ついこの間亡くなった、その父がイタリア、シシリー島から移民してきたAntonin Scaliaもそうだ。

しかし、この人たちは法曹ではあっても、いわゆるシェイクスピア学者ではない。

無論、伝統的なシェイクスピア学者、いやシェイクスピア学会と言ってもよいものが存在する。
存在するばかりか、それが、この2人に対して牙を剥いている。

「彼らは気狂いだ…精神病院に入れるべきだ…」などである。


                                  2016年5月9日