No.25
トーマス・ジェファーソン
アメリカの第3代大統領トーマス・ジェファーソンについては、
もう語りつくされたとも思われたが、また新著が出た。
「最も恵み大木愛国者」“Most Blessed of the Patriarchs”で、
Annette Gordon-Reedと、もう1人の作者との共著による。
4月16日のNPRは、Annette Gordon-Reedとのインタビューをしている。
その切り出しは、
「本の大半が、小高い丘の上Monticelloを舞台としているんですね」である。
彼女は、その丘をまた
「道徳的不分明な地図」(Monticello’s morally ambiguous geography)とも表現しており、
「それに打たれました」と、NPRの記者はいう。
本の舞台が、彼が大統領をしていたホワイト・ハウスでも、
また先行した革命戦争時に彼がいたフィラデルフィアでもなく、
彼の私邸、と言うよりも奴隷農園(slave plantation)である点を把えている。
言ってみれば、彼のいうpromiscuous(乱交の)場であることを指摘して、質問している。
これに対するAnnette Gordon-Reed(以下Annette)の答え。
「ジェファーソンは、そこで大きな問題を考え、彼の(アメリカ)啓蒙主義を展開させていました
(ヨーロッパの啓蒙主義者らの本を読み漁り、自らの考えを養っていました)。
そこが、同時に奴隷農園でもあったことから、本の中でも
『(彼の黒人の妾)ヘミングス(Hemmings)一族のモンティセロ』と書いたのです。
人が最良に、そして最悪に生きる場所として…」
NPRの記者(以下NPR):「丘の上」(のMonticello)、一般の人々よりも高い、
離れた所と言う事実に、かなりの意味があるのですね?
Annette:ジェファーソンは、周りの人々から距離を保つように、
いわばプライバシーに、生きていました。
彼は、そこで高邁な自由の哲学を説くとともに、奴隷ら(その女らとは関係を結び、子供が含まれる)
と同じ家の中で一緒にいたのでした(…he had relations and children)。
NPR:彼が丘の上の家にいて、一般から距離を保っていたことで、
自らの係る奴隷制度を特に意識しないでいられたんでしょうか。
Annette:確かにヘミングス一族は、同じ黒人でも、丘の下の黒人らからは切り離されていました。
一方、ジェファーソンは、ヘミングス一族に囲まれ、監督で農園を見て回る生活をしていたのです。
そのうち6人は、John Wayles(ジェファーソンの妻Marthaの父)の子供でした。
ですから、ジェファーソンからすれば、彼らを他の奴隷とは違う、別の接し方が出来たんです。
NPR:彼は自らを(奴隷に対し)慈悲的だと捉えることが出来たと言いますね。
ただ、一般の人の中には、結構ジェファーソンを悪く言う人がいますね。
結論として、あなたのジェファーソンに対する評価はどうなんですか。
Annette:ジェファーソンが、あの独立宣言を起草した人*が、どうしてまた奴隷所有者でいられたのか、
というのは、我々にとって謎ですよ。
しかし、彼も奴隷制度を肯定していた訳じゃない、それを悪(evil)だと、
やがていつか消滅(die away)するものだと考えていた。
人々も、もっと啓蒙されてくれば、やはり「後ろ向きの制度(retrograde system)だと判るようになる」
と思っていた。
筆者はかつて、アメリカの第1〜第3代の大統領の、合同伝記でもある歴史小説
「アメリカの誕生と英雄たちの生涯」を書いた(2004年)。
その3人の中で唯一人、ジェファーソンだけは、どうしても好きになれなかったし、今もなれない
その本の中でも書いているが、
内攻的なジェファーソンは、ある奴隷を鞭で嬲り殺しているし、
また機嫌が悪かったのかどうか、乗馬に対しても、ひどい扱いをしている。
*実際にはジェファーソンが用意した原稿を、ジョン・アダムス、ベンジャミン・フランクリンなどの5人の起草委員が、
多くの手を加えたほか、ジェファーソン自身も修正している
(國生一彦、「アメリカの憲法成立史―法令索引、判例索引、事項索引による小辞典的憲政史―」、2015、p.115, f.n.137)。
2016年4月20日